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チェダゼミナールコミュの世界の見取り図 後編

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欧州のカリブ支配・・・生活必需品である砂糖(熱帯産)がとれるため。砂糖のプランテーションでは過酷な労働とヨーロッパから持ち込まれた伝染病によって先住民のほとんどが死に絶えて、アフリカから連れてこられた黒人奴隷が人口の大半を占めるようになる。
 ラテンアメリカの独立運動の中心はクリオーリョ(植民地生まれの白人)になる。例えばベネズエラ・コロンビア・エクアドル・ボリビアの各独立運動を指導したシモン・ボリバル。アルゼンチン・チリ・ペルーの指導者であるサン・マルティン。
 ブラジルはナポレオン戦争の難を逃れて亡命してきたポルトガル王家の皇太子ドン・ペドロが肯定となり、ブラジル帝国が成立する。
 例外はハイチの独立(1804年)。黒人が独立運動の主体。

インドの植民地化・・・インド人は当時「われわれはインド国民」という帰属意識(アイデンティティ)が無かった。よってイギリスにやすやすと植民地化されてしまった。
 イギリスは徴税方法として大地主(ザミンダール)に土地所有権を与え、彼らを通じて税を集めた。
インドは綿をイギリスに輸出し、綿織物をイギリスから輸入していた。一次産品の輸出と工業製品の輸入という経済的従属下に置かれた典型例。鉄道インフラをインドに整備したのも現地の人々の生活のためではなく、工業製品を売るためである。インドの鉄道の不便さは有名で、鉄道のゲージ(車軌)がバラバラで、各地域の鉄道は相互乗り入れできない。これは今でもインド経済発展の足かせになっている。

中国・・・昔から貿易なんて必要としていない。生活に必要なものはすべて自国で作れるからだ。したがって中国と貿易したいのならば頭を下げてきなさい。これが朝貢貿易や中華思想の根幹にある。

最恵国待遇・・・中国がイギリスに最恵国待遇を与えたとする。中国が第三国と結んだ条約にイギリスと結んだ条約に無い条項があると、自動的にイギリスとの条約の内容に付け加えられることを意味する。

アロー戦争・・・清に密航してキリスト教の布教に努めていたフランス人宣教師の殺害が、清への宣戦布告の口実。結局英仏軍の優勢のままロシアの仲介で天津条約を結ぶ(1858年)。清はこの条約に不満で批准をしなかったために戦闘が再開されます。この際、英仏連合軍によって北京郊外の円明園が焼き払われてしまう。2度にわたる戦争の結果、清は天津条約よりももっと厳しい北京条約が結ばれる。これを仲介したのもロシアであり、2度の仲介料として、ロシアは清から領土を奪う。中国もイギリスの経済的従属下に置かれることになる。

グレートゲーム・・・英露の20C初頭の戦い。内陸アジアをめぐる対立。内陸アジアをめぐる戦いはその後米ソにも引き継がれている。
 20世紀初頭までには殆どの国が植民地になった。

第二次産業革命・・・1870年代。動力が蒸気力から電力へ。エネルギー源が石炭から石油へと転換し、重化学工業が発達。重化学工業には巨額の資本が必要。だから金を借りるしかない。こうして銀行(金融)が力を持つという経済の仕組みが生まれた。これを「金融資本主義」と呼ぶ。ここで頭角を現すのがドイツやアメリカ。イギリスは軽工業から重工業への構造転換がうまくいかなかった。なぜなら軽工業を支えた職人的技術は、重工業には不要だから。彼らを一気にリストラするのは不可能。
 そこでイギリスの生きる道となったのは、ものづくりではなく金融でした。なぜならイギリスのポンドが基軸通貨だったからです。お金を貸して利息で稼ぐわけです。
 また植民地政策を一層進めるため、インドルートを押さえます。インドへ向かうルートを押さえようとする政策を3C政策という。カイロ・ケープタウン・カルカッタをつなぐルートをエンパイアルートという。

ベルリン西アフリカ会議・・・1884年。無主の地=誰のものでもないところは先にぶん取ったものが勝ち(先占権)。

フランスとアルジェリア・・・フランスはアルジェリアを占領して(1830年)、初めての植民地とする。

南アをめぐる争い。もともとケープ植民地は17Cにポルトガルからオランダに譲られていた。ここに住んでいたオランダ系白人をブール人という。彼らはイギリスの支配下に入ることを嫌い、北のほうに逃れてオレンジ自由国とトランスヴァール共和国を建設した。

日清戦争・・・朝鮮半島をめぐり対立。東アジアで日本と清どちらかが生き残るかというサバイバル戦争。清は「眠れる獅子」から「ウドの大木」となった。

世界再分割・・・中国分割以降の状況。フランス領モロッコを狙ったドイツ。中国進出を目論むアメリカが門戸開放(勢力範囲の設定をやめようという意図をもつ)、さらには朝鮮半島をめぐる日本とロシアの対立。

ダブルスタンダード・・・二重基準。ヨーロッパ各国の国民は皆平等という一方で植民地を平気で作る。

移民・・・19世紀は移民の世紀。なぜなら鉄道や蒸気船が発達したから。合衆国の移民では中国系の「苦力(クーリー)」が大陸横断鉄道の労働力となった。

外交官・・・情報収集のためにお互いの国で外交官を駐在させる。文書で伝える。口頭では情報や命令が確実に伝わらないため。

スペインの没落・・・属領ネーデルラントの独立戦争が、没落の大きなきっかけ。スペインは、オランダの独立を押さえ込むためには、イギリスをやっつけなければならないと考えた。こうしてアルマダの海戦が起こる(1588年)。

ナント勅令・・・ヨーロッパ史上初めて個人による信仰の自由を認めた。

戦争病気人口・・・戦争で人口が激減することはまずない。むしろ人口減少につながるのは病気である。14世紀半ばに流行したペストは、ヨーロッパの全人口の3分の1を死に追いやった。アメリカ大陸の先住民が16世紀以降激減したのも、ヨーロッパ人が持ち込んだ病気のためである。なお、ペストは大量の死をもたらすがゆえに、人心に不安を与え、流言に基づいたユダヤ人の大量殺戮も起こっている。

アンボイナ事件・・・モルッカ諸島の1つのアンボイナ島で起こったイギリスVSオランダ。イギリスを香辛料貿易から撤退させた。
軍事力と経済力・・・比例する。財政の裏づけがあって初めて喧嘩が出来る。

自由貿易・・・自由競争は元々金持ちに有利。そのため覇権国家は自国に富を集中させるために、自由貿易を主張。イギリスのリカードの比較生産費説もイギリスが覇権国家だから言えた。一方リストの保護貿易はドイツがまだ覇権国家ではないから言えたこと。実際、自由貿易体制に組み込まれた日本の経済は大混乱してしまった。こうした状況が、討幕運動を高揚させ、江戸から明治の時代へと向かわせた。

親政・・・国王・天皇自ら政務を執るという意味。ルイ14世の親政ではナント勅令を廃止した。信仰の自由が無くなったユグノーはイギリスやオランダに亡命した。ユグノーには商工業者が多かったので、彼らの亡命は国内産業の衰退を招き、フランスの経済力低下につながった。ルイ14世の親政は失敗。

英VS仏・・・ウィリアム王戦争(1689年〜97) アン女王戦争(1702年〜13年) ジョージ王戦争(1744年〜48年) フレンチインディアン戦争(1755年〜63年) これらを総称して第二次100年戦争という。全部北米で行われ、イギリスが大勝した。フレンチインディアン戦争後のパリ条約ではミシシッピ以東のルイジアナとカナダ全域をイギリスに割譲した。英仏の対立はナポレオン戦争時まで続いたが、ナポレオン三世時代からは、叔父さんの失敗の反省から、イギリスとの衝突を避けるのが基本的な外交姿勢となった。

英VS蘭・・・英蘭戦争。北米のオランダ領ニューアムステルダムを奪い、ニューヨークと改名。

マリアテレジア・・・オーストリアの女帝。マリーアントワネットの母。

ナポレオン戦争期・・・イギリスにとって海外への進出の度合いを強めた時期であり、覇権を握る基礎を築いた。なぜならナポレオンが大陸封鎖を仕掛けてきたから。大陸へ商品が売れないなら、ヨーロッパの外に市場を見出していこうとした結果。セイロン、ケープ、マラッカはイギリス領になった。
19世紀からカナダ・オーストラリア・ニュージーランドなどの白人系植民地には自治を与えていく。帝国の統合のための戦略。

ウィーン会議・・・ナポレオン失脚の祝いもかねて、ウィーンのシェーンブルン宮殿で華麗な舞踏会が行われた。

クリミア戦争(1853年)・・・ロシアの南下政策においてその矛先がバルカン半島だったが、そこで英仏と衝突した。ロシア敗北。兵站(へいたん)、後方支援を牛馬に頼っていた。ロシアでは鉄道がまだ作られていなかった。この戦争に負けたロシアは国民国家を目指し身分制度を撤廃した。農奴解放令など。また南下政策の矛先が極東や中央アジアに移った。

イタリア・・・北部と南部で経済格差があるため、北部は分離独立したがっている。今も。

大ドイツ主義と小ドイツ主義・・・ゲルマン人の住むオーストリアを含めてドイツとするのが大ドイツ、オーストリアを含めないのが小ドイツ。

アメリカの独立・・・植民者の独立。ラテンアメリカの独立と一緒。

年季奉公人・・・アメリカ大陸への渡航費を準備できないものが、それを負担してくれる地主や工場主に対して、代わりに数年間ただ働きに近い状態で雇われる。白人の殆どがこのケースで移民してきた。アメリカ大陸にいる白人のそのほとんどが負け組み。

印紙法・・・すべての紙に課税する。
アメリカの上院下院・・・下院は合衆国民の代表。上院は州の代表を議員とする。

フェデラリスト・・・後の共和党。連邦政府の権限強化を考える。 アンチ・フェデラリスト・・・後の民主党。州の権限が強い方が良いと考える。

フォーティー・ナイナーズ・・・1849年のゴールドラッシュ時にカリフォルニアにやってきた人々。

ホームステッド法・・・西部と南部が手を組まないようにリンカンは西部を懐柔するためにホームステッド法(1862年)を出した。土地を耕して5年たてば、耕したものに土地の所有を許すというもの。
 アメリカの西部開発、フロンティアは19世紀に消滅した。そのため労働者が余り、暴動が起きるようになった。フロンティアの消滅宣言とは西部開拓の終了=合衆国の海外進出宣言といえる。

米西戦争・・・この戦争中にハワイがアメリカに併合された。さらにグアム・フィリピンも併合。アメリカは太平洋をホップ・ステップ・ジャンプで中国や日本に向かっていく。太平洋戦争の日米戦は真珠湾攻撃がきっかけではあるが、中国をめぐる日米の覇権争いという側面もある。

日本・・・黄色人種の国として唯一、ヨーロッパが作り上げた国際関係に入れた。理由はいろいろ。日中戦争・日露戦争に勝ったこと。義和団事件で大活躍したこと。義和団事件時イギリスは南アフリカ戦争で苦戦しており、主力を中国に送り込むことが出来なかった。アメリカも米西戦争中で主力を送り込むことが出来なかった。義和団事件で日本が活躍したことにより日英同盟が結ばれた。

ワッハーブ派・・・イスラームの原点へ復帰することを主張。イスラム原理主義のはしり。ワッハーブ派を国境としている国が現在のサウジアラビアである。

ミドハト憲法・・・1876年。トルコ。しかし1年で停止。

カイロ・・・パリをモデルに。西欧化政策のため。

フィンランド・・・アジア系の民族が多く住んでいる。

すべての歴史は現代史である。授業で話すことは毎年変わっていく。それは現代を自分がどう捉えるか、考えているかが歴史に投影されているから。歴史は不変なものではなくて、主観によってイメージされながらデザインされるものである。どこかに客観的な歴史があって、それを覚えるだけでいいなら歴史はつまらないものになってしまう。

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