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チェダゼミナールコミュの金谷の日本史 原始・古代史

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青銅器・鉄器はほぼ同時に朝鮮半島から伝来。朝鮮半島は鉄資源が豊富。ということは安定陸塊であり新期造山帯ではないため温泉は少ない。鉄資源は武器製造の面でも重要である。

更新世(こうしんせい)・・・まだまだ新しくなっていく途中の段階。氷河期

完新世(かんしんせい)・・・完全に新しくなった後の段階。

黒曜石・・・硬く鋭い石。北海道の十勝岳・長野県の和田峠、熊本県の阿蘇山でしかとれない。火山岩の一種。

屈葬・・・死体を折り曲げて埋葬することで、死者がよみがえることを防ごうとした。

アニミズム・・・精霊崇拝。

土偶・・・女性 石棒・・・男性 新しい生命が生まれることの神秘を崇拝。

稲作の開始・・・弥生時代。土地に縛られる。定住。米は保存が利く。つまりお金のような存在。その米をめぐって争いが起こる。縄文時代までは獲得経済。弥生時代からは生産経済。

墓・・・定住するということは、自分に土地というものを与えてくれた先祖に対して敬う気持ちが生まれる。そのため墓が作られた。

楽浪郡・・・現在の平壌付近。中国が朝鮮半島に作った植民地。

印綬・・・奴国の王が中国の役人とみなされた。つまり奴国王の支配している地域の支配権を中国の皇帝から認められたということ。

生口(せいこう)・・・奴隷

卑弥呼・・・宗教儀式者。シャーマン。卑弥呼の墓は奴婢100人を殉葬した大きな墳墓である。
古墳時代後期からは宗教的儀式者よりも、武力を背景とした王が生まれる時代に変わる。

氏・・・いわゆる一族のこと。

氏姓制度・・・一族(氏)に身分(姓)を与える制度。

造(みやつこ)・・・その頭の意。

横穴墓・・・わざわざ土を盛って古墳を作るだけの経済力のない人たちは、山の斜面を利用して、そこに穴を掘って棺を入れる。

渡来人がもたらしたもの・・・仏教・儒教・漢字・須恵器(硬い土器)・機織技術(はたおり)

6世紀・・・大伴氏・物部氏・蘇我氏が権力争いをしていたが、蘇我氏が独占する。蘇我氏は渡来人を家来にしていた。そのため崇仏派となる。物部氏の家来に中臣氏がいたが中臣氏は神道儀式をつかさどる豪族。そのため崇仏論争が展開された。
 蘇我馬子は崇しゅん天皇を天皇にして政権の独占に向かっていくが、この天皇が自分の思い通りにならず、暗殺してしまう。そして、自分の思い通りになる人物ということで、女性の推古天皇をたてる。
のちに聖徳太子の息子である山背大兄王が天皇になろうとしていたときも邪魔した。舒明天皇の皇后だった女性天皇である皇極天皇を天皇にする。
 これらの動きに危機感を募らせたのが中大兄皇子である。彼も次の天皇候補ではあったが、また蘇我氏に邪魔されるのではとなり、中臣鎌足と協力して蘇我氏を倒した。これを乙しの変という。蘇我入鹿を暗殺した。この後、孝徳天皇(中大兄皇子の叔父)が天皇となる。中大兄皇子は皇太子という身動きのとりやすい立場に立つことによって、自らのやりたい政治をやりやすくしたといわれている。
 そして都を飛鳥から大坂の難波に移した。飛鳥は蘇我氏の影響が強かったからである。

冠位十二階・・・今まで一族単位で与えていた位を、個人単位で与える。

十七条憲法・・・豪族は役人なのだから天皇のいうことを聞かなければならない。

班田収受法・・・唐の均田法にならったもの。

皇極天皇→斉明天皇  孝謙天皇→称徳天皇

676年・・・新羅朝鮮半島統一。唐の勢力も追い出した。

白村江・・・長さ400kmの川。

近江大津宮・・・中大兄皇子が遷都。中大兄皇子は天智天皇となる。

壬申の乱・・・天智天皇の跡継ぎ争い。天智天皇の弟大海人皇子と息子大友皇子の争い。弟大海人皇子が勝利して天武天皇となった。武力で制圧した彼の時代から天皇は神であるという思想が高まった。
彼は皇親政治を行い、八色の姓(やくさ)という身分制度を作った。皇族が高い身分につくものです。
 天武天皇の死後は、天武天皇の皇后だった持統天皇が即位する。ここでまとめると

天武天皇(旦那) 持統天皇(妻)
庚午年籍 庚寅(いん)年籍

庚午年籍は日本初の戸籍で、永久保存が義務付けられた。根本台帳だから。身分制の社会では、家柄を知ることは重要だった。

大宝律令・・・藤原不比等(藤原鎌足の子)と刑部親王が制定。

律令体制・・・唐の律令法に基づく中央集権的な国家体制を日本に移植したもの。

内裏(だいり)・・・天皇の日常生活の場。

聖武天皇・・・母は宮子(みやこ)といって、藤原不比等の娘。つまりおじいちゃんは藤原不比等。つまり藤原氏の血をひいた天皇。

藤原広嗣の乱・・・大宰府に左遷されていたのに不満があって反乱。しかし鎮圧された。この反乱をきっかけに聖武天皇は不安を感じ何度も遷都している。そして鎮護国家の思想の元、741年国分寺建立の詔、743年大仏造立の詔を出す。743年には墾田永年私財法を出して、民衆の支持を集めた。

養老律令・・・大宝律令を藤原氏に都合の良いように書き換えたもの。

淡路廃帝・・・淳仁天皇。

藤原氏・・・荘園を財政基盤に権力を握る。

租税負担率・・・律令時代は3% 江戸時代は40〜50%。その代わり律令時代は人頭税の負担が大きい。特に軍団・雑徭・公出挙(くすいこ)の三つが3大負担。

道鏡・・・宇佐八幡宮神託事件によって、仏教勢力が律令体制を崩すかもしれないという危機感を与えた。

琵琶湖・・・水運で全国各地のものを輸送する。淀川の水源。

勘解由使(かげゆし)・・・国司の不正を取り締まる。

健児(こんでい)の制・・・国司の役所である国がの警備を郡司の子どもたちにやらせる制度。

蔵人頭・・・天皇の機密文書を守る。天皇の秘書役。初代は藤原冬嗣。冬嗣以降藤原北家が藤原宗家になる。

検非違使(けびいし)・・・農民に無理矢理兵隊をやらせるのではなく、プロの軍事集団を置いた。

武士・・・律令政治の崩壊により登場。律令政治では土地と人は国家の所有物だった。だから土地は所有者である国家が守っていた。しかし律令政治の崩壊で土地は各個人で守らなければならなくなった。そこで戦いのプロである武士が登場するわけです。

国府・・・今で言う県庁所在地。

藤原純友・・・身分の低い国司。つまり都に戻っても出世が期待できませんでした。そのため国司の仕事に見切りをつけて海賊になってしまう。藤原純友の乱は源経基(つねもと)が平定する。
 一方平将門の乱もいとこの平貞盛(さだもり)らに倒される。これらの反乱の結果、武士という存在が治安を守るために必要な存在であると認識されるようになった。
 特に源満仲は安和の変の際、源高明の行動を藤原氏に密告したおかげで出世していきます。源氏は藤原氏のもとで侍(ボディーガード)として、力を持つようになる。

平氏・・・桓武天皇の子孫

源氏・・・清和天皇の子孫

藤原清衡(きよひら)・・・東北の実権を握る。奥州藤原氏となる。
 陸奥の平泉を拠点にして、東北で絶大な権力を持った豪族。基衡(もとひら)・秀衡(ひでひら)の3代100年にわたって栄華(えいが)を極めた。清衡の建てた中尊寺金色堂という黄金のお堂にはこの3氏のミイラが納められている。

平安時代は母方の親戚が藤原氏でないと、天皇になれない時代。後三条天皇は藤原氏のせいでなかなか天皇になれなかった。34歳でやっとなれた。後三条天皇は荘園整理令を出し、法律違反の荘園を没収した。つまり嫌いな藤原氏の荘園を没収して力を弱めようとした。

院政の開始・・・自分が天皇という立場にいる限り、藤原氏の思い通りの政治になってしまう。そこで上皇という立場を利用して院政を始めた。
 新しい政治を始めるとその分、風当たりも強くなる。そこで、防衛のための武士を置く。それが北面の武士。北面の武士の中心は平正盛とその子平忠盛(ただもり)である。

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