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チェダゼミナールコミュのpart2

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西洋教育史

? 古代の教育
スパルタ教育…強力な軍国主義的な政治体制を保たざるを得なかった。すなわちスパルタの教育目的は強靭な軍人の養成にあり、そのために厳しい試練を課していた。たとえば、生まれたばかりの男児が虚弱だと判断されると山に捨てられ、強健なものだけが養育の対象となり、6〜7歳までは家庭ですごすことができた。7歳になると彼らの教育は国家の手に移され、18歳まで共同で訓練を受ける。それ以後は軍事訓練を受け、実践にも参加し、30歳になると初めて市民権を得ることができた。

アテネの教育…民主主義。7歳を過ぎると、男子と女子は別々に育てられる。男子は教僕(パイダゴーゴス)と呼ばれる学識ある奴隷の監督に委ねられ、女子は家庭内で母親から家政を学ぶ。16歳になると男子は通学をやめ、ギムナシオンで体育・格闘技を修得し、20歳になって市民権を得て政治に参加することができた。

民主主義体制…門閥や金権よりも人望・才能・手腕がとわれ、議会の演説や法廷での弁論のためにうまく語る術にたけることがきわめて重要となった。「何を語るか」ではなく「いかに語るか」。
 弁論術・修辞学が発達し、ソフィストは詭弁学派と呼ばれるようになった。

もっとも有名なソフィストはプロタゴラス…「人間は万物の尺度である」。青少年に対する教育を職分とした最初の人物。
※ つまり人類で最初の教師。

ソクラテス…ひたすら徳への精進を目指す師弟愛(エロス)。
※ ソクラテスは弟子に手を出したホモ説が多数ある。問答法は、自分自身では知を産まないが、相手が知を生み出すのを助けるという意味で産婆術と呼ばれる。

プラトン…国家の成員を「支配階級」「軍人階級」「生産階級」にわけ、国家の正義はそれぞれの本分を守って調和することだといった。

アリストテレス…リュケイオンという学園。彼の哲学はのちの中世の大学における神学研究(いわゆるスコラ哲学)に大きな影響を与えた。

ローマ帝政時代の教育
 それまで家政と育児を担っていた母親はその任務を奴隷に任せ、美装と化粧と興行見物などに熱中するようになった。
神話は補助教材。

? 中世の教育
西ローマ帝国の滅亡(476年)から東ローマ帝国の滅亡(1453年)までの約1000年間を中世と呼んでいる。この時代はキリスト教の影響下にあった。
七自由科 三学 文法・修辞学(文章表現)・弁証法(対話) 四科 算術・幾何学(図形)・音楽・天文学

教父哲学とスコラ哲学
 キリスト教がローマの迫害やギリシャ思想に対抗してその勢力を拡大するためには、信徒への教化事業に力を注ぐ一方で、その教義に学問的な意味づけをして信仰の合理性を示す哲学が必要になってきた。
教父哲学者の中でもっとも偉大な人物は、アウグスティヌス。『三位一体論』『告白』『神の国』
スコラ哲学は、キリスト教神学を所与の真理として、アリストテレス哲学を結びつけてその哲学的位置づけを内容とする学問で、9世紀から12世紀の間に創立期を迎えている。トマス・アクィナスが有名。『神学大全』。

大学の誕生

11世紀ごろ、コルドバ、グラナダ、トレド、アレクサンドリア、カイロなどに設立。
大学はもともと、学者と学生の自由な会合であり、その団体をUniversityとよんだ。
13世紀以後の大学としては、
ボローニャ大学(法学) 北イタリア
サレルノ大学(医学)  南イタリア
パリ大学(神学)
オックスフォード(東大)
ケンブリッジ(京大)

? 近世の教育
中世に支配的だった神中心の考えから、人間中心へ。
ペトラルカ…イタリアルネサンスの最初の、そして最大の貢献者。
ボッカチオ…ペトラルカの友人。『デカメロン』これにより、イタリア人は初めてギリシャ文学に直接接することができた。
アルベルティ…人間形成の基本は家庭教育にあるとし、『家政論』を著し、児童を人間として扱うことを主張している。
ヴィトリーノ…最初の近代的教師
ヴィーヴェス…スペイン人。スコラ学を批判し、一切の科学は、経験と注意深い観察と理性的な吟味によるべきであると主張。

宗教改革…ルター。宗教改革は原始キリスト教の再興といえる。彼の宗教改革に対する契機は、ローマ旅行で目撃した法王庁の腐敗にあった。とりわけ、贖宥状(免罪符)の販売という所業にたいして憤激し、「95か条の論題」を公にして、宗教改革の口火を切った。

実学主義の芽生え

自然を認識し自然を支配しようとした願いの中に、近代人の自然への関心と通ずるものがあり、
「占星術」は「天文学」へ
「錬金術」は「化学」へと発展。

? 近代の教育
近代国家の成立に伴って、ラテン語の束縛を離れ、母国語尊重の気運高まる。ベーコンを頂点とする近代科学運動。

コメニウス…人生の目的は神とともに永遠の幸福を得ること。「自然に従え」

ロック…「タブラ・ラサ」人間の心は最初は白紙の状態。思考の材料は経験によって得られる。獲得された知識の量よりも、知識を獲得する能力を重視。

ラ・サール…キリスト教の慈善事業と実学主義とを統合して庶民の学校教育に著しい努力を示した。

ペスタロッチ…民衆の抱えている最大の問題の根源は貧困にあり、民衆の経済的自立の必要性を主張、そのために民衆教育が不可欠であることを力説。
※ つまり教育は貧困脱出のための手段。学校教育でまともに適応できない人物に、明るい未来はない。(基本的には) Head Heart Handの3Hsの思想。

ヘルバルト…四段階教授法(明瞭―連合―系統―方法)
ツィラー…五段階教授法(分析―統合―連合―系統―方法)
ライン…(予備―提示―比較―概括(総括)―応用)
モリソン…(探求―提示―類化―組織―発表(反唱)) 反復練習を重視するモリソンプラン

フレーベル…キンダーガルテン。教育史初の幼稚園。

? 現代の教育

教師中心の教育から子ども中心の教育へ

パーカースト…ドルトン・プラン(学級を廃止して、生徒が自主的に設定した学習プランに基づき個別学習をする) 必要に応じて、教師に相談。時間割のない学習形態。大正時代日本にも少しだけ浸透。

ウォッシュバーン…ウィネトカ・プラン 個別自習を通じて児童の自主的学習を推進する。

イギリスの大学進学率 80年代初めは20%。90年代は40%以上に上昇。
アメリカの大学進学率 1991年67%。
日本の大学進学率 50%。

日本教育史

? 古代の教育
弥生時代に大陸の先進的な農業文化が日本に入ってきて、仕事の分業化が進み、専門知識の必要性が生まれ、身分や階級の分化が進行していった。

大学…中央の官僚養成機関。帝国大学。北海道・東北・東京・京都・名古屋・大阪・九州。

一方地方の官僚養成機関としては、九州の大宰府に置かれた府学、国ごとにおかれた国学がある。
システムの上からは、人材登用という方法が採用されているが、蔭位(おんい)という制度があり、要するに親から子へ自動的に身分が継承されていくシステムとなっていたため、身分の低いものが能力だけで上位に昇進することは困難であった。
※ ようは世襲社会であった。

菅原道真…紅梅殿(日本で二番目の図書館)で文庫を公開している。

寝殿造…貴族の邸宅

末法思想…釈迦の没後2千年で国が乱れ、仏法も滅びるという思想。それに代わって、浄土教を信仰する風潮が盛んになった。

? 中世の教育
乱世・無常の世に生きる処世術として家訓が作られ、「家」を継承していくことが重視されるようになる。

武士社会の根幹は、奉公とご恩。そのために武士は絶えず武芸の鍛錬に余念がなかった。貴族社会の教育では中国の古典を身につけたり知識の伝達が主眼であったが、武士社会においては武芸の鍛錬や寺院での基礎的な文字教育が中心となった。この時代にはいわゆる学校というものがまだ設けられていなかったので、寺院が唯一の教育施設だったといっても過言ではない。

金沢文庫…中世の和漢の書籍を多く所蔵し、その本の公開は学問教育の閉鎖性を打破する先駆けとなった。北条実時が作った。

足利学校…上杉憲実(のりざね) 「坂東の大学」。漢学・兵学・天文学・医学・易学(占い)。

? 近世の教育

近世は身分制社会のため、それを維持するために儒学が必要だった。武士の教育機関としての藩校。

昌平坂学問所…幕府直轄の学問所。松平定信による。幕府の高級官吏養成。武家の学校として最高の地位。

寺子屋…明治維新後「学制」に基づいて全国に小学校が設けられ、すべての国民が教育を受けることが可能になったのも、江戸時代に寺子屋が全国に普及し、庶民の子どもの教育が広範囲にわたって行われていたという基盤があったためである。

私塾

日田 広瀬淡窓 「咸宜園」  漢学
萩  吉田松陰 「松下村塾」 漢学 伊藤博文
大坂 緒方洪庵 「適塾」   洋学 福沢諭吉 徹底した実力主義

※ 福沢諭吉は実力でなりあがったヒトなので、学問のすすめを説いているのである。

閑谷学校(岡山藩)武士と庶民両方に入学を認める

? 近代の教育
日本に一斉教授を導入したのがアメリカのスコットである。

「修身科」は首位科目であった。

伊沢修二と高嶺秀夫…アメリカの師範学校でペスタロッチ主義の理論と実践を学ぶ。この二人が日本で最初の教育学者。伊沢修二は、西洋音楽を導入し、「小学唱歌集」を編集。

森有礼…初代文部大臣。米英留学経験あり。『Education in Japan』

教育勅語…儒教思想に基づく。奉読とご真影の拝礼。

1900年.義務教育の無償制の原則。

教科書疑獄事件…教科書会社と教育関係者との間の贈収賄事件。100人が有罪判決に。
ナンバースクール 官立8校。1935年には32校に増加。

幼稚園…1926年の「幼稚園令」。幼稚園の歴史は昭和からということになる。

学徒出陣…1943年。理工系・医学系を除いた大学・高等専門学校などの在学者に対する徴集。

飛び級制度…戦前には飛び級制度があった。

昭和20年4月〜21年3月まで、小学校以外の学校は授業停止状態。

日清戦争 台湾ゲット 台北帝国大学
日露戦争 朝鮮ゲット 京城帝国大学

植民地に大学が置かれることは世界的にも異例のことだった。

? 現代の教育

トルーマンドクトリン…共産主義には力を持って対抗する
マーシャルプラン…西欧を経済支援して戦後復興させる

日米安保…1952年から。

社会科…地理や歴史などの単なる合科教科ではなく、子どもの現実に直面している問題を中心とする、いわゆる問題解決学習などの経験主義に立つ教科である。

戦後の教育は経済と深く関係を持つようになっていく。

文部省と日教組はなぜにあれほど対立しているのか!?

センター試験の開始…1979年から。

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