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チェダゼミナールコミュの7 古代地中海世界

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7 古代地中海世界 教材研究
指導上の留意点

1. ヨーロッパとは別個の歴史的世界としての(古代)地中海世界の存在に気づかせ、それがギリシア諸都市国家やローマ帝国の発展の舞台になったことに気づかせる。
2. アテネなどギリシアの都市国家と都市国家ローマの発展の過程、および政体の変遷を比較・考察し、それぞれの特質を明らかにする。
3. 古代ギリシアやヘレニズムの芸術・学問の特質と、それらの後世への影響について調べさせる。

都市国家とは

都市国家は、それぞれが政治的に独立している。ギリシアの都市国家はしばしば互いに戦争はしたが、言語や宗教、オリンピアの祭典(オリンピック)などを中心として、ギリシア人としてのまとまりを持っていた。

アテネ
ペルシア戦争では多数の一般市民の若者が軍艦の漕ぎ手として活躍したことによって、市民の権力が強まる。
そして、役人と裁判官は、18歳以上の成人男性市民の中から抽選で選ばれるようになり、成人男性市民による直接民主政が行われるようになった。

直接民主政とは

参政権をもつ市民が自ら直接に政治決定を行う政治形態のこと。今日の議会制民主主義とは異なる。

※ペルシア戦争のマラトンの戦い
マラトン(Marathon)は、ギリシャのペロポネソス半島、アテネの北東にある村。アッティカ県に属する。紀元前490年にアテナイとペルシアの間でマラトンの戦いが行われた。アテネの将ミルチアデスがペルシアの大軍を撃破してアテナイはペルシアに勝利し、伝説によれば一人の兵士がマラトンからアテナイに戦勝の報告を走って持ち帰り、そこで息絶えたという。

陸上競技のマラソンは、この伝説にちなんで近代オリンピックによって始められたものである。

ホメロスの英雄叙事詩

『イリアス』『オデュッセイア』

ギリシアの哲学者
・ソクラテス 独特の問答法
・プラトン ソクラテスの弟子
・ アリストテレス プラトンの弟子 アレクサンドロスの師 学問体系の基礎を築いた

古代ローマ帝国

都市国家ローマはラテン人がイタリアのテヴェレ川下流にたてた。前6世紀に共和政を樹立。前3世紀にイタリア半島を統一した。前3世紀半ばからは、フェニキアの植民市カルタゴと、およそ100年間の間、ポエニ戦争を戦い、この強力な都市を破って、前2世紀に地中海最強の都市となった。
前一世紀将軍カエサルがガリア(フランス)遠征の成功を背景に、独裁的な権力を手にした。彼が暗殺されると、その養子(子どもに恵まれなかったから)、オクタウィアヌスは、前27年、元老院からアウグストゥス(尊厳者)の称号を授けられ、ローマは「共和政」から「帝政」へ移行する。彼は、ローマ市民の第一人者を自称する。カエサルが暴走して失敗したのを見ているから、そうしたのである。だからオクタウィアヌスは、元老院などの共和政の機関をそのまま存続させたのである。しかし、事実上の君主であり皇帝であった。その後、パクスロマーナが2世紀末まで続く。その後混乱が続き、皇帝一人が広大な土地を支配することはもはや困難となったため、ディオクレティアヌス帝は二人の正帝と二人の副帝が分担して統治する四分治制を導入した。
 4世紀末、帝国は東西に分裂し、西側の帝国はゲルマン人に領土を侵食される中で5世紀後半に滅びた。

そんな中、キリスト教が生まれる。イエスはユダヤ人であるが、ユダヤ教の戒律主義や選民思想(ユダヤ人が神に選ばれたもの)を批判した。そのため、ユダヤ人から紀元30年ごろ処刑されるが、弟子(使徒)のペテロやパウロが布教活動を行い、キリスト教徒は長らく激しい迫害を受けるも、4世紀初め、コンスタンティヌス帝がミラノ勅令を出して、キリスト教を公認した。

ポリス

代表的なアテナイ(アテネ)は、最盛期に人口26万、そのうち民主政を担った「市民」は4万5千人であった。
なお英語のpolice(警察)、policy(政策)、politics(政治)はいずれもギリシア語のpolisから派生して、元来は文明社会のあり方、公共秩序などを意味していた語である。やがてポリスはマケドニアがギリシア世界の覇権を握っていく過程で独立性を失っていった。

ヘレニズムとは(ギリシア風)と言う意味
主なもの
エピクロス派 エピキュリアン
ストア派   ストイック コスモポリタニズム(世界市民主義)

ラテン人とラテン語
ラテン人とはインド=ヨーロッパ語族のイタリア人に属す。ラテン語は西ヨーロッパの公用語となり、イタリア語・スペイン語・フランス語・英語の元となった。
ローマ字とラテン語は、西欧世界の一体性を保つ役割。

すべての道はローマに通じる!

たとえば、都市の建設や街道の整備を始めとする事業には、現在に至るまで活用されているものが多い。ロンドン・パリ・ウィーンなどを始め、西ヨーロッパの主要都市にはローマ起源のものが多い。かつて長安をまねた平城京・平安京と似たようなものである。

カエサル(英名シーザー) 独語カイザー ロシア語ツァーリ
ガリア遠征を成功させ、『ガリア遠征記』を書いた。⇒古ゲルマンについての重要な資料
ルビコン川を渡って、ローマを占領。
太陽暦であるユリウス暦も制定

「賽は投げられた」
ルビコン川を渡ったときにいった言葉。勝負はもう始まってしまった、もう降りることはできないと言う意味。

共和政

一般的には主権が君主の元に無い政治形態のこと。

使徒

福音を伝えるためにイエスによって直接任命されたペテロやヨハネ、ヤコブなど12人の弟子のこと。

ヨーロッパ文化の基盤

ギリシア・ローマの古典文化とキリスト教!
ギリシア・ローマの古典文化の影響としては、まず民主政の理念が挙げられる。最初の民主政は、ギリシアのポリスにおいて、貴族と平民の共同体の中で形成された。

キリスト教が、古代末期から中世初期の西欧の混乱の中で、一定の社会秩序を維持する役割を果たした。

東欧の基盤はビザンツ帝国。ギリシア文字を改良したキリル文字など。

写真パルテノン神殿 アテネアクロポリス
パルテノン神殿は、アテネ民主政の最盛期を象徴している。

オクタウィアヌス
カエサルの養子。カエサル死後、アントニウスがクレオパトラと結んでローマに対抗したので、前31年アクティウムの海戦でこれを破ってエジプトを併合し、ついで地中海全域を平定し、100年に及んだローマの内乱を収拾した。彼は、元老院からアウグストゥスの称号を与えられて事実上の帝政をはじめたが、カエサルの轍を踏まぬように、皇帝位を設置したりせず、元老院や諸官職など共和政的な機関をそのまま存続させて統治する形式(プリンキパトゥス、元首政)をとった。

古代オリンピック(こだいオリンピック)は、古代ギリシアのエーリス地方、オリュンピアで4年に1回行われた当時最大級の競技会であり、祭典である。ギリシア語ではオリュンピア大祭、オリュンピア祭典競技とも呼ぶ。オリュンピアにはエーリスの祭神ゼウスの神殿があった。紀元前9世紀から紀元後4世紀にかけて行われたもので、ギリシア四大大会(後述)のひとつである。

最盛期にはギリシア世界各地から選手が参加した。ギリシア人はこれを格別に神聖視し、大会の期間およびそれに先立つ移動の期間、合計3ヶ月ほどをオリュンピア祭のための休戦期間に挙げた。またギリシア語資料では広くオリュンピア祭の回数をもって年を数えることが行われる。

アリストテレスは万学の祖

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