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チェダゼミナールコミュの地理B 世界の農業 教材研究 参照wikipedia

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商業的農業

酪農 牛や山羊などを飼育し、乳や乳製品を生産する農業をいう。

その歴史は古く、人類が狩猟生活から農耕生活に入ったのと同時期に、こうした酪農、畜産も始まったといわれる。弥生時代には日本でも酪農が行われていたようで、とても面白いものを指していう「醍醐味」の「醍醐」も、後醍醐天皇のように天皇の名前にも使われているが、ヨーグルトの一種だという。
概要
冷涼な高地が乳牛飼育に向いた土地。日本では北海道、岩手県、千葉県、栃木県、長野県、熊本県などで盛ん。
一軒につき数頭から数百頭の乳牛を畜舎で飼育、一般的には等間隔で朝と夕に搾乳を行うことが多い。

昔(1960年代頃まで)は人の手で搾乳を行い、搾った生乳(せいにゅう)をバケツに取り、さらに牛乳缶と呼ばれる20リットル程度の金属製容器に貯蔵していたが、2004年現在では工程のほとんどが機械化されており、畜舎内に走るパイプラインと牛の乳房をミルカー(搾乳機)で接続して搾乳するパイプライン方式が一般的であるが、規模が大きくなるにしたがい、省力化を図るために牛を搾乳室(ミルキングパーラー)に追い込んで集約的に搾乳するミルキングパーラー方式も増加しつつある。

搾乳後の生乳はパイプラインでバルククーラー(生乳を冷やす冷蔵タンク)に送られ冷却・一時貯蔵、その後タンクローリーにより集荷され、牛乳工場へ運ばれる。

乳牛は搾乳しないまま放置すると、乳房炎という病気になるため、きめの細かい管理が必要である。通常日本では、年中無休で、1日2回搾乳が一般的であるが、1日1回搾乳、季節繁殖による夏期を中心とした搾乳等多様化しつつある。 近年は従業員の交代制による1日3回の搾乳や、搾乳ロボットの導入もあり、省力化や乳量の増加につながっている。 また酪農ヘルパー制度の普及により、酪農家でも休みがとれるようになってきたが、ヘルパーの利用に当たっては相応の金銭負担が生じており、まさに「休日を購入する」ような状況にある。

乳牛
乳量の多いホルスタイン種が主流。乳質向上のため、数十頭に1頭ジャージー種(脂肪分などの成分が高い)が入る場合もある。

飼料は牧草・飼料用とうもろこし(デントコーン)等の「粗飼料」と穀類を中心とした濃厚(配合)飼料どが使われる。 牧草は乾燥させた乾草(かんそう)として給与するか、保存のために密封、乳酸発酵させてサイレージとして給与することが多い。かつては牧草を気密度の高い塔型サイロに入れて発酵させていたが、この方式は機械の故障が多発し、維持管理に多額の費用がかかることから廃れ、現在では平面型のバンカーサイロ等が使用されるようになった。また通常のサイロよりも簡易的な牧草をロール状に巻き取り、これをビニールで包んで発酵させるラップサイレージが主流となりつつある。

日本の酪農の歴史
日本で酪農が開始されたのは、千葉県南部(現南房総市)に設置された「嶺岡牧」。 元は安房国守里見氏が開いた牧場だったが、のちに徳川幕府徳川吉宗の直轄となり、インド産の白牛を放牧・繁殖、白牛酪(バター)を生産した。 2004年現在この地には千葉県畜産総合研究センター「嶺岡乳牛研究所」があり、「日本酪農発祥之地」の記念碑が設置されている。その記念碑のとなりには、房州酪農の礎ともいうべき「エー アレンデーリー エリート」号の記念碑がある。 ここで生産した乳製品は薬などの材料となり、庶民に渡ることはなかった。

その後、千葉県白子町出身の前田留吉が、オランダ人より酪農に関する技術を学び、1863年に横浜で牛乳の生産を開始した。これにより庶民でも牛乳を手に入れる事ができるようになった。明治以降、北海道の開拓が始まり、欧米の酪農技術を取り込んでということになり、初めて近代的な酪農経営が行われるようになった。

農家の手によって酪農がおこなわれるようになるのは、第一次世界大戦の前後とされ、畜産業の一環として行われた。第二次世界大戦の影響で一時期衰退したが、戦後、政府による酪農振興法の制定、学校給食や、食事の欧米化による乳製品の需要拡大により再び発達した。

1970年代からは過剰生産により乳価が下落するようになり、体力のない小規模農家は多くが離農、大規模農家は経営効率化のための施設拡大を進めた。同時に、各地の小規模な地場乳業メーカーも、多くが統合されたり廃業したりした。 近年では競合飲料の台頭により飲用牛乳の消費量が減退傾向にあるため、生乳の余剰問題が顕著となっている。またこれに伴って生産者乳価も低陰傾向にある。

日本の酪農
国営根釧パイロット事業 : 1955年度〜1966年度にかけて、北海道の根釧台地、別海町で行われた大規模酪農。一般的にはパイロットファームとも言われた。これは、短期に酪農経営を確立することを目的として、世界銀行から融資を受けて行われたが、経営の厳しさから事業が破綻し離農する人が相次いだ。

地中海性気候 ケッペンの気候区分における気候区のひとつで、温帯に属する。略号はCs。
この気候区のあらまし
地中海沿岸をはじめとする中緯度の大陸西岸に分布。
冬に一定の降雨があるが、夏は日ざしが強く乾燥する。
土壌は石灰岩の風化によってできたテラロッサが広く分布、乾燥に強いオリーブや、ブドウなどの果物、柑橘類などの栽培、牧畜が広く行われている。
この気候区は温暖なことからリゾートとして発展している場所も多く、乾燥する夏季を中心に世界各地から多くの人が訪れる。
この気候の成立条件
最寒月の平均気温は−3℃以上18℃以下
最暖月の平均気温は10℃以上
夏に少雨(最多月降水量/最小降水量の商が3以上)
最暖月平均気温が22℃度以上の気候をオリーブ気候、未満をエリカ気候ともよぶ。

分布
地中海沿岸、及び回帰線よりもやや高緯度となる北緯30〜50度、南緯20〜40度の大陸西岸部に分布。

典型的な分布地域
ヨーロッパ地中海周辺(代表的な分布地域。気候名称もここに由来)
サンフランシスコなど北米大陸西海岸
黒海周辺〜カスピ海周辺にかけた内陸部。
アフリカ大陸北端・南端。
南米大陸西岸の南緯30〜40度。
オーストラリア南西端など。
平均的な年降水量は600mm前後,年平均気温15度前後で年較差は小さい。

主な分布都市
ローマ、パレルモ(シチリア島)、モナコ、マルタ島、カサブランカ(いずれも地中海沿岸)
サンフランシスコ ロサンゼルス(注)イスタンブール アンカラ パース タシケント・サマルカンド(中央アジア) ケープタウン サンティアゴ(チリ)など。
(注)ロサンゼルスは海岸沿いやダウンタウンでは地中海性気候であるが、郊外の内陸部ではステップ気候や砂漠気候になるところもある。
気候の特色
夏は亜熱帯高圧帯に入るため乾燥。冬は亜寒帯低圧帯に入り、暖流から水分を供給された偏西風の影響で雨が多くなる。前線帯の緯度が季節とともに移動することで、夏だけ亜熱帯と類似した気候になるものと言える。名称に反して、内海の存在はこの気候を構成する要素として重要ではない。

大陸の東海岸ではモンスーンの影響が大きくなるため、この気候は原則としてみられない。

植生
温度、降水量は森林を維持するに充分である。冬季も緯度の割にあまり寒くないので常緑広葉樹林となる。しかし、植物の成長する温暖な期間に小雨であるため、乾燥に対する適応が強く見られる。樹高は低く、せいぜい15m程度。オリーブなど葉が小さくて硬いものが多い。そのため、この型の森林を硬葉樹林という。しかし、現在ではほとんど残っていない。

土壌の特色
比較的やせた赤色土や黄色土、地中海沿岸には石灰岩が風化してできたテラロッサが分布している。

産業の特色
この気候区では、夏の乾燥を利用した耐干性の樹木性作物(オリーブやブドウなど)、冬の降雨を利用した冬小麦栽培が行われるほか、乾燥して牧草の育たない夏に家畜を高山へ移動する移牧が行われる。これらを組み合わせた混合農業が地中海式農業である。オレンジ、レモン、イチジク、コルクガシ、月桂樹などが栽培、オリーブ油、ワインなどが多く出荷されている。

また、この気候区は太陽に恵まれない地域の人々の保養地としても栄えている。代表的な土地として南欧(マルタ島・エーゲ海など)、南フランス(コート・ダジュール)などがあげられる。


遊牧民あるいは遊牧民族 人類の生活類型の二大区分である移動型と定住型のうちの移動型の牧畜(遊牧)を生業とする人々を指す。

似た概念に移牧民があるが、こちらは季節ごとに移動しても定住地を持つ点が異なる。英語では、ノマド(nomad)がほぼ相当する言葉だが、牧畜以外の生業を取る移動型の人々(ジプシー等)を含んでいる。

遊牧民の存在は人類の歴史に大きく影響を与えてきた。特にユーラシア大陸の歴史においては、西アジアで牧畜の場を定住集落から離れて拡大する集団、すなわち遊牧民が誕生したことと、中央ユーラシアで遊牧民が騎馬技術を獲得したことの2つは、歴史の流れを大きく変えたと言える。軍事的には遊牧民は騎兵を中心とした戦術を取った。

遊牧
家畜を時間と空間的に移動させながら自然植生を利用する生産様式。

特徴
遊牧民は、一箇所に定住することなく、居住する場所を一年間を通じて何度か移動しながら主に牧畜を行って生活を立てている。

多くの場合、1家族ないし数家族からなる小規模な拡大家族単位で家畜の群れを率い、家畜が牧草地の草を食べ尽くさないように、その回復を待ちながら、定期的に別の場所へと移動を行う。
遊牧民は定住型の人々からは一般にあてどもなく移動しているかのようなイメージを抱かれやすいが、実際には拡大家族ごとに固有の夏営地・冬営地などの定期的に訪れる占有的牧地をもっていることが普通で、例年気候の変動や家畜の状況にあわせながら夏営地と冬営地をある程度定まったルートで巡回している。

遊牧民の生活している地域は乾燥帯・ツンドラなどおおよそ農耕には向かない厳しい気候であるため、もっとも厳しい冬を越すための冬営地では数十から数百の家族単位で集団生活を営む例が多い。
遊牧民のもうひとつの特徴は、生活に交易活動が欠かせないことである。

そもそも遊牧生活では、ミルク・毛皮・肉などを入手することは容易だが、穀類や、定住を要する高度な工芸品を安定的に獲得することが困難である。そのため、多くの場合、遊牧民の牧地の近辺には定住民、特に農耕民の居住が不可欠である。そのため、遊牧民は移動性を生かして岩塩や毛皮、遠方の定住地から遊牧民の間を伝わって送られてきた遠隔地交易品などを隊商を組んで運び、定住民と交易を行ってこれらの生活必需品を獲得してきた。一見素朴な自給自足生活を送っているような印象を受ける遊牧民の牧畜も、ヤギやヒツジ、ウマといった商品性の高い家畜の売買によって成り立ってきた部分は大きい。
歴史上の遊牧民
世界史上、もっとも大きな影響を及ぼした遊牧民は、東ヨーロッパのバルカン半島や西アジアのアナトリア半島から黒海北岸平原・キプチャク草原・アゼルバイジャン・カフカス・イラン高原を経て中央アジアから北アジアのモンゴル高原まで至るY字の帯状に広がった騎馬遊牧民たちである。彼らは、キンメリア・スキタイの時代から、モンゴル帝国を経て近代に至るまでユーラシア大陸全域の歴史に関わり、遊牧生活によって涵養された騎射の技術と卓越した組織力に裏打ちされたその軍事力で歴史を動かしてきた。

まとまった勢力として文献資料に初めてあらわれるのは、キンメリア人であり、紀元前9世紀頃、南ロシア平原に勢力を形成したとされる。これに次ぎ、同じく南ロシア平原にスキュタイ人が現れる。スキュタイ人については、ヘロドトスの書物の記載が有名である。同じく歴史に登場するアケメネス朝もまた遊牧民を支配層とした国家である。このスキュタイとアケメネス朝が後に続く広域国家の二大源流と言われる。
近代以前の殆どの広域国家・帝国には遊牧民が関与している。中華帝国を例に取れば、漢・宋・明以外は遊牧民の王朝そのものか、その援助によって成立していた。ただし、漢もまた武帝以前は匈奴の属国も同然であり以後も姻戚関係にあり続けた。さらに宋の建国の背景となった中核軍事集団は沙陀突厥系の遊牧民軍団を源流としていた事と、明が王朝の軍事力として多くのモンゴル集団を取り込んでいる事を考慮すると、遊牧民の支配を跳ね返した漢民族王朝と呼ばれることの多いこれら二王朝も、その政権維持を支える軍事力の背景は遊牧民の影とけっして無縁ではない。

中央ユーラシア遊牧民の民族概念
遊牧民の集団では同盟の締結、指導者家系の婚姻による成員及び家畜群の持参金的分割合流、あるいは政治・軍事的理由での他集団の配下への統合など言語や祖先系譜を異にする他集団との融合が頻繁に生じる。また、指導者家系における新世代の独立などによる集団の分裂も日常的である。そのため、歴史的に祖先、言語、文化を共有するとされる近現代的民族観と、遊牧民における集団の統合意識、同族意識にはきわめて異質なものがある。例えば、現在中央アジアに分布する多くのテュルク系「民族」、例えばウズベク人、タタール人といった遊牧民に由来する「民族」の多くが中世のモンゴル帝国においてチンギス・カン一族やモンゴル高原出身の武将の指揮下に再編成された中央アジアのテュルク・モンゴル系の遊牧民集団に起源を持つ。

実際には個々の遊牧集団は上記のように移動生活成員自体が複合的な種族構成を持つのみでなく、冬営地における夏季の留守番要員や農耕要員を包含する。さらに遊牧国家クラスの大集団になると支援基地として都市を建造してそこに行政事務をつかさどる官僚組織や手工業組織を配するなど多種族複合的な性格が強い。この種の遊牧国家の人造都市の特徴は権威の象徴としてのモニュメント的な見せる都市としての意味合いが強い。その典型がウイグルのオルド・バリクや元の大都である。

中央ユーラシア遊牧民の文化的特徴
中央ユーラシアの遊牧騎馬民共通の文化的特徴として、数々の点が指摘されている。すなわち、

徹底した実力主義
指導者は絶対であり能力のある者が話し合いで選出される
農耕民に比べて女性の地位が高い
能力があれば異民族でも受け入れて厚遇する
略奪婚
人命(人材)の尊重
情報を重視し勝てない相手とは争わない
実際の戦闘はなるべく行わず、指導者間の交渉で解決する
非完結の社会
社会の維持に非遊牧世界の技術・製品・税を必要とするため領域内に農耕都市を抱え込む
あり様がそのまま武力に直結している
男女を問わず騎馬と騎射に優れる、必然機動性に富む
などである。これらは人口が少ないがゆえの合理性に基づく。抱え込む農耕都市が増加し支配下の都市間が交易などにより文化的・経済的に一体化することによって広域国家が発生する。

これらの文化は、遊牧に起源をもつものであるが、現代の国民国家、産業社会においてその遊牧的慣習は抹殺される傾向にある。その一因として、現代型の民族観、国家観と遊牧民の持つ集団編成原理に相容れない性格がある事が挙げられる。
歴史上にあらわれる主な遊牧民集団
キンメリア スキュタイ人(スキティア)サルマティア(アラン人) フン アヴァール マジャル ブルガール ハザール(ヴァザール) ペチェネグ キプチャク(クマン、ポロヴェツ) タタール ノガイ マサイ フルベ(フラニ) トゥアレグ - ベルベル人(ムーア人)遊牧民 ベドウィン - アラブ人遊牧民 ユルック - トルコ人遊牧民 オグズ トゥルクマーン トルクメン 遊牧ウズベク カザフ カラカルパク パシュトゥーン(パターン、アフガン) バルーチ人遊牧民 ブラーフーイー人遊牧民 ラバーリー エフタル 匈奴 烏桓(烏丸) 鮮卑 柔然
突厥(テュルク) ウイグル キルギス 契丹(キタン)ケレイト ナイマン モンゴル オイラト サハ人 サーミ人 アムル人 アラム人 ヘブライ人


焼畑農業 焼畑農法は、熱帯から温帯にかけて伝統的に行われてきた粗放的な農業形態である。かつては日本でも山間地を中心に行われていたが、近年急速に衰退し宮崎県椎葉村などに限られている。

熱帯の土壌はやせて酸性のラトソルが主体のため作物の栽培に適していない。そこで、熱帯雨林に火を付けて開拓することで、灰が中和剤となり土壌が改良される。ここで、キャッサバ、ヤムイモ、タロイモなど根菜類を栽培して主食とする。農具は、掘り棒程度の簡単なものを使用する。

熱帯の気候に適した農法ではあるが、最近は商品作物栽培のために過剰な焼畑農業が行われており、この結果熱帯雨林の回復能力を超えてしまい砂漠化が進んでいる。また、大量の煙がシンガポールやインドネシア等の大都市を包み、住民の健康被害をもたらしたり視界不良による交通障害を起こしたりする深刻な煙害をもたらすことがある。

日本では、ヒエ・アワ・ソバ・ダイズ・アズキを中心にムギ・サトイモ・ダイコンなども加えた雑穀栽培型の焼畑農業である。耕作期間は3〜5年で、その後15〜20年間放置し、地力を回復させる。


混合農業 
家畜飼育と農耕を組み合わせた農業形式で,ヨーロッパの農牧業の基本となるもの。 ▽穀物としては小麦が多いが,小麦栽培に向かない地域では,ライ麦や,家畜の飼料用の大麦・エン麦がつくられている。このほかにも食料や飼料として,トウモロコシ・ジャガイモ・カブ・テンサイなども栽培される。 ◇日本では,北海道の十勝(とかち)平野で見られる。

[コーチ]
地力の維持のため,3〜6年の周期で輪作されている。

この燕麦品種「ヒダカ」は、1989年に耐倒伏性多収品種をねらいとして北海道農業試験場において育成された品種で、1990年に北海道の奨励品種として採用され、同年「ヒダカ」(えん麦農林7号)として命名され、品種登録されたものです。
えん麦は、日本においては、明治時代になってから、初めてヨーロッパから導入されたもので、
1900年頃、Wright卿がイギリスから数品種を導入し、北海道で試作したのが最初と言われています。そして北海道を中心として栽培されましたが、主として馬の飼料として利用されてきました。
このような歴史的背景があり、えん麦の主な需要地帯である軽種馬(サラブレッド)の産地名(日高支庁)にちなみ、「ひだか」と命名されたものです。
ここ日高門別町で作付けするにふさわしい、びったりのえん麦です。

さて、このえん麦、わが国では馬の飼料作物として栽培され、食用としてはまったく利用されてきませんでしたが、世界では約3,000万ヘクタール、約5,000万tの生産があり、これはコムギ・イネ・トウモロコシ・オオムギに続く世界第五位の生産であり、世界五大作物のうちのひとつなのです。
以外でしたね。つまり、日本以外の世界各国では食用として利用されているからです。

えん麦の食物繊維、B-ダルカンについて
何故にえん麦が世界第五位の生産量があるかというと、その栄養価からの食用利用がみなおされ、世界的にブームになりつつあるからです。
もともとえん麦は良質な蛋白質を含み、ビタミンやミネラルが多い他に、食物繊維が豊富です。
(えん麦の繊維含有量は、そばとほぼ同じ、コムギの約五倍、米の約十倍です。)

食物繊維とは、「植物に含まれるセルロースやペクチンなど、人間の消化器では消化されないもの」
ですから、消化できないものなど最初から不要と考えられてきたものですが、最近はコレステロールを排泄して動脈硬化を防ぎ、糖尿病にも良く、さらに大腸内の掃除役を果たして大腸癌を防ぐことがわかり、今では第六の栄養素といわれるまでになりました。皆さんもう良くご存知ですよね。

1963年に、大麦・小麦・稲・えん麦のうち、えん麦だけが血清コレステロールを低下させることが発見されましたが、その後の研究により、食物繊維の一種「B-ダルカン」がコレストロールを低下させる効果があることが明らかとなりました。えん麦は、このB-ダルカン含有量が他の麦類に比べて圧倒的に多いのです。 すごいですね。
続く研究によって、「B-ダルカンを多量に含むパンは、血液のコレステロールを低下させる働きがある」と結論されました。アメリカでは、えん麦の入ったライト(light)という名称のパンが普及しているようです。
もともとオートミールは、えん麦を食べやすいように加工した食品であり、欧米の朝の定番メニューです。

世界においては、約4000年の栽培の歴史を持つ作物で、中央アジア、アルメニア地域が原産地といわれています。
そういえば、中央アジアのキルギス人からメールをもらった事があります。
「キルギスには、えん麦粉と、イナキビを原料にした伝統的な飲み物があり、日本で作って販売したい、ついては、その原料が日本で手に入るかどうか」という問い合わせでした。
その後メールが途絶えてしまいましたので、どうなったのかわかりませんが、丁度日本における雑穀のように、古代からの栄養作物として利用されてきたのだと思います。
日本は何といっても「豊葦原の瑞穂の国」ですから、十分以上の米が取れます。
あえて麦まで食べる必要がなく、振り向いてもらう事も無く来た、このえん麦ですが、健康志向の高まりとともに、その栄養素が認められ、機能性食品としての認知が高まれば、栽培してみても実に面白い作物です。
粒としての利用よりも、粉にしての、パン等への利用に現実味があります。
「ためしてガッテン」に取り上げられる日もそう遠くないと思います。
健康はやはり゛食にあり゛ですよ。
えん麦というよりは、「オーツ麦」として知られるようになると思います。
えん麦というと、どうしても馬の餌、という印象が強すぎますからね。
オオムギ(大麦、Hordeum vulgare)はイネ科の穀物。中央アジア原産で、世界でもっとも古くから栽培されていた作物の一つ。
品種
穂の形状の違いから、主に二条オオムギ、四条オオムギ、六条オオムギ、裸オオムギに分かれる。

歴史
現在栽培されている品種は、現在イラク周辺に生えている二条オオムギの一種、ホルデウム・スポンタネウム(Hordeum spontaneum)という野生大麦が改良されたものともいわれる。

古代エジプトでも主食のパンを焼くのに使われており、ヒエログリフにも描かれている。

日本には3世紀ごろ朝鮮半島を経て伝来し、奈良時代にはすでに広く栽培されていた。

食品
脱穀した種子がビールやウィスキー、焼酎などの酒類や醤油・味噌などの発酵食品の原料として使われるが、コムギと違い、グルテンをほとんど含まないので粘り気が必要な麺の原料とするには、小麦などとのブレンドやグルテンの添加が必要。そのままパンにした場合はどっしりとした重い感じのパンとなり、小麦のパンとは大分印象が違うかもしれない。

主食としては、ヨーロッパでは粗く挽いた大麦を煮た粥状のものが食べられていたが、その後パンが普及したり、茹でただけでも比較的美味なジャガイモがアメリカ大陸からもたらされたりしたため現在では大麦をそのまま食べることは少ない。日本では、明治時代までは精白して食べることはほとんどなく、挽き割り粥か、えまし麦として調理した。明治時代までは、えまし麦の茹で汁は、砂糖を混ぜて母乳の代用品として使われることもあった。現在では精白することがほとんどであり、押し麦の形に加工し、麦ご飯として米に混ぜて炊いて食べることが多い。

オオムギとカラスムギ、およびそれらを原材料とする食品チベットで主食としているツァンパはハダカオオムギを乾煎りして粉砕した粉である。日本では、同様の加工をした粉をはったい粉、または麦焦がしと呼び、砂糖や湯などと合わせて練り、菓子の一種として食べていた。

若葉を粉砕して粉末にしたものは青汁の一種として、健康食品として売られている。

オオムギ穀皮抽出物は乳化剤などの用途で、かつて日本の既存食品添加物名簿に掲載されていたが、販売実績がないため、2005年に削除された。

その他の用途としては、家畜の飼料、漢方薬などがある。

また、オオムギ発酵エキスに白髪を黒くさせる作用のある成分が含まれ、育毛剤、シャンプーなどに応用が考えられている。

漢字表記の「大麦」は、コムギ(小麦)に対する穀粒や草姿の大小ではなく、大=本物・品質の良いもの・用途の範囲の広いもの、小=代用品・品格の劣るものという意味の接辞によるものである。大豆(ダイズ)、大麻(タイマ)、小豆(ショウズ、アズキ)の大・小も同様である。 伝来当時の漢字圏では、比較的容易に殻・フスマ層を除去し粒のまま飯・粥として食することができたオオムギを上質と考えたことを反映している。

生産量
2004年の世界の総生産量は153,624,393トンであったとされる。FAOの 統計によれば、主要生産国の国別生産量は以下の通りであった。

1. ロシア 17,179,740トン
2. カナダ 13,186,400トン
3. ドイツ 12,993,000トン
4. ウクライナ 11,068,800トン
5. フランス 11,040,214トン
6. スペイン 10,608,700トン
7. トルコ 9,000,000トン
8. オーストラリア 6,454,000トン
9. アメリカ合衆国 6,080,020トン
10. イギリス 5,860,000トン


テンサイ(甜菜)とは、アカザ科フダンソウ属の二年生の植物。学名は Beta vulgaris var. saccharifera。ビートの砂糖用品種群である。寒さに強く、寒冷地作物として中から高緯度の地域で栽培されている。

サトウキビとならんで砂糖の主要原料であり、根を絞り、汁を煮詰めると砂糖がとれる.葉と絞りかすは、家畜の飼料となる。サトウダイコン(砂糖大根)とも呼ばれる。また、搾粕は飼料(ビートパルプと呼ばれる)として利用する。全世界の砂糖生産量のうち、約35%を占める。

日本では、北海道を中心に栽培されており、日本の砂糖消費量の約25%が甜菜糖である。

形態的構造
てんさいの構造は、おもに根部と葉に分類される。


長い葉柄の先に長円形の葉身があり、最盛期には30から40枚が着生している。生育期間中に出葉する葉数は50から60枚程度。


肥大してショ糖を貯蔵する直根と、直根の両側溝から発生する側根に分けられる。

側根は、地表下30cm程度に細く枝分かれして網目状に分布し、栄養塩類や水分を吸収する。

直根は、条件が良ければ2m程深く伸長して水分を吸収する。直根の横断面には維管束の輪が同心円状に8〜12層形成され、内側の維管束は生育初期に発生した外側の葉と連絡する。600〜1200gにまで肥大し、14〜20%程度のショ糖を蓄える。根内におけるショ糖濃度は、中心部、特に維管束輪に隣接する砂糖鞘で高い。

生育相
幼苗期、繁茂期、登熟期の3期にわけられる。

幼苗期には、気温の上昇とともに出葉を早め、7月には大型葉を放出する。繁茂期は7月中旬から9月上旬で、葉面積指数はほぼ最高に達し、大型葉による光合成活動が盛んで根部の肥大が旺盛となる。登熟期は9月中旬以降の時期で、根部の肥大がすすみ糖を蓄積する。地上部は葉の黄化、凋落が始まる。

気象条件
テンサイの原産地は、夏は高温乾燥、冬は比較的雨量が多い地中海沿岸性の気候であるが、現在の栽培地は温帯から亜寒帯を中心として栽培されており、寒冷地作物とよばれる。さらに、ステップ気候や砂漠気候でも灌漑により栽培している地域もある。

温度条件はもっとも重要な気象条件で、発芽、生育、糖の蓄積のすべてに大きく影響する。

発芽に要する温度は、最低温度4〜5℃、最高温度28〜30℃、最適温度25℃とされる。ただし、低温の場合は高温の場合よりも積算温度が多く必要となる。発芽開始後、10℃以下の気温が続くと春化がおこり抽苔する場合がある。抽苔がおこると著しく収量が減少する。170〜200日の生育期間中に、積算温度2400〜3000℃、平均気温:12.3〜16.4℃を要するが、生育ステージ別に必要な温度は異なる。

温度は収量や糖分と温度経過との間にも密接な関係がある。葉の光合成には35℃が最適だが、高温は同時に呼吸量も増加させる。そのため、根の生育には生育期間を通じて日中25℃、夜間20℃程度の温和な条件が適する。根中糖分についても同様で、生育後期の冷涼な気温が高糖分をもたらす。特に夜温は10℃以下が好ましいとされる。

また、温度は生育以外にも病害の発生に関わる。北海道では発芽当初は気温がやや低すぎ、生育中期はやや高温多湿であるため、病害が発生しやすい条件にある。

降水量は生育の各期とも100mm必要であり、年間600mmが理想的といわれるが、総雨量よりもその配分が重要である。とくに収穫期前2カ月(9月中旬以降)の降雨は根や生体重を増加させる一方で、糖分や純糖率の低下をもたらす。収穫前2カ月の降水量が10mm増加すると、糖分が0.3%減少するという報告もある。

日照量は光合成に関わっているため生育や収量に影響する。登熟期に日長が少ないと糖分の低下を招く。

圃場条件
テンサイの直根や側根は地中深く伸張する。そのため、土壌の物理・化学的特性は生育に大きな影響を与える。

土壌種類としては、排水良好で地下水位の高くない壌土や砂質壌土が適する。

土壌物理性では、耕土が深く、腐植に富む土壌がよい。圃場の下層が硬盤化しているような条件では生育が不良となるため、心土破砕や心土肥培耕をおこなうことによる下層土の改良や、深耕による根圏域の拡大がおこなわれる。また、砕土や整地は、移植栽培の場合の活着や直播の場合の発芽を良好にする。

土壌化学性については、テンサイは酸性に弱く、土壌pHは中性〜弱アルカリ性(pH7.0〜7.5)が適している。ただし高pHはそう根病の発生を招くため、そう根病の発生の懸念がある圃場はpH6.0程度とする。

肥料もテンサイ栽培には重要な要因のひとつである。特徴としては、ホウ素要求量が大きく、好硝酸性である。施肥は、条施、全量基肥が原則であるが、窒素とカリウムについては追肥も可能。直播の場合は、出芽時に濃度障害をおこしやすいので、少量を播種床に施用し、残りは10cm程度の深い位置に施すか出芽後に全面に散布する。窒素の過剰施用は、茎葉の過繁茂となり、根中糖分の低下をまねくことがある。また、ナトリウム吸収量も多く、施用効果がある場合がある。チリ硝石やカリ塩、食塩で供給する。

テンサイ栽培の歴史
Beta vulgarisの栽培は紀元前6世紀頃から行われていた。ただし、それは葉を食用とする野菜としてだった。今日でもフダンソウなどリーフ・ビートと呼ばれる葉菜用品種が各地で栽培されている。次いで根の肥大した根菜用品種であるテーブル・ビートが分化し、さらに根部が肥大した飼料用種が栽培され始めたのは15世紀である。

砂糖用のテンサイが栽培され始めたのは、1745年にドイツの化学者A. S. Marggrafが飼料用ビートから砂糖を分離することに成功してからである。その後、Marggrafの弟子であったF. C. Achardが砂糖の製造試験に成功し、1802年には製糖工場を建設し、工業化への道を開いた。

甜菜糖の普及に一役買ったのがナポレオンである。1806年から1813年の大陸封鎖による影響で、ヨーロッパへ砂糖が供給されなくなった。そのため、砂糖の自給を目的とし、ヨーロッパ各地に甜菜糖業が広まった。その基礎が確立されたのが1850年頃といわれている。

日本においては、1879年に官営工場が北海道内2箇所(現在の伊達市および札幌市)に建設されたのが甜菜糖業の始まりである。これらの工場は1901年には閉鎖されたが、1919年に北海道製糖(現 日本甜菜製糖)が帯広市郊外に製糖工場を建設、その後、ホクレン農業協同組合連合会と北海道糖業を加えた2社1団体体制で現在に至る。

品種
18世紀末から始まった育種により、1%以下だった根中糖分が現在では20%近くにまでなっているうえ、収量も飛躍的に高まっている。現在でも各国の種子会社や公的機関により、様々な特性をもった品種が開発されている。

日本における栽培品種
1985年まで、てんさいの取引は重量に基づく「重量取引」だったが、現在では糖分量に基づいて決定する「糖分取引」である。そのため、以前は根中糖分よりも収量を重視した重量型とよばれる品種がおもに栽培されていたが、現在は根中糖分の高い糖分型や、糖分と収量のバランスのとれた中間型が栽培されている。


オリーブとはモクセイ科の植物で、果実がオリーブ・オイルやピクルスを作るときに利用されている。
日本語では橄欖(かんらん)と呼ばれることもあるが、橄欖は本来オリーブとは全く異なるカンラン科の常緑高木である。これは、オリーブに似た緑色を呈する鉱石オリビン(olivine)を和訳する際に、全く違う樹木である橄欖の文字を誤って当てて「橄欖石(かんらんせき)」と名づけてしまったためで、植物のほうも同様に誤字が流布してしまった結果である。

地中海地方が原産とされ、葉が小さくて硬く、比較的乾燥に強いことからスペインやイタリアなどの地中海地域で広く栽培されている。

オリーブの枝は、ハトとともに平和の象徴とされることが多い。これは旧約聖書の伝説に基づく。神が起こした大洪水のあと、陸地を探すためにノアの放ったハトがオリーブの枝をくわえて帰ってきたというものである。オリーブは、自家受粉できない。DNAが同一の花粉には反応せず実をつけない。このため、オリーブは2本以上隣接していないと実をつけない。

日本での栽培は香川県小豆島ではじめて成功した。現在は香川県、岡山県などで栽培されている。なお、オリーブは香川県の県の木、県の花に指定されており、イスラエルの国章にも使われている。

生産
オリーブは重要な商品作物である。FAOの統計資料によると、98%以上の生産国は地中海に面し、そのうち、2/3がヨーロッパ州に集中している。

2002年のオリーブの実の生産量は1398万トンであり、全体の30.8%をスペインが生産(430万トン)していた。生産上位10カ国は、スペイン、イタリア(19.5%)、ギリシャ(14.3%)、トルコ(10.7%)、シリア(7.1%)、モロッコ(3.0%)、ポルトガル、エジプト、アルジェリア、ヨルダンである。

1960年には年産400万トンだったが、1990年に1000万トンを超えた。2002年までの10年間に生産量が著しく増加した国は、スペイン(140万トン)、シリア(80万トン)、トルコ(70万トン)、エジプト(30万トン)。ギリシャ(20万トン)、ヨルダン(15万トン)である。逆に、減少が著しい国はイタリア(50万トン)、チュニジア(20万トン)である。

2002年時点で、地中海に面した国のうちオリーブ生産量(果実)が少ないのはアルバニア(2.7万トン)、キプロス(1.8万トン)、フランス(2万トン)、マルタのみである。地中海以外であっても、地中海性気候に属する地域を含む国ではオリーブは生産されている。例えば、イラン(4万トン)である。中央アジアでもわずかに生産されているが統計データとしてはごく少量である。

コルク(英:Cork)はコルクガシの樹皮のコルク組織を剥離、加工したもの。弾力性があり水をほとんど通さないためワインの瓶の栓や、野球の硬式球などに使われている。端材を加工することで床材としても利用されている。

コルクガシの樹皮を形成層などの生きた組織を痛めないようにはいで製造する。コルクガシを植樹後、数年を経た段階で、第1回の剥ぎ取りを行う。このときに得られた樹皮は表面が亀裂や凹凸に富み、加工製品の素材としては適さない。そのため、洋ランのような熱帯性の着生植物を着生状態で栽培するときの植え付け材として利用される。その後は数年ごとに再度厚く成長した樹皮を剥ぎ取っていく。この2回目以降に得られた樹皮は表面が平滑な均質性の高い材質であるので、打ち抜いてワインなどの瓶の栓を製造する。打ち抜いたあとの端材は、粉砕して成型加工し、フローリング用床材や断熱材など、さまざまな用途に供される。主な生産地はポルトガルであり、全世界の生産量の70%以上を占める。ほか、スペイン、イタリア、モロッコなどで生産される。

バットを改造してコルクを詰めることは野球規則で禁止されている。これはコルクの反発係数が高いためである。近年ではサミー・ソーサがそのバットを使用し罰金と謹慎処分を受けたこともある。

コルクガシ
コルクガシはブナ科コナラ属の常緑高木で、地中海地方原産。学名はQuercus suber.

温暖な気候を好む。イベリア半島をはじめ、イタリアなどでコルク製造のため栽培される。コルクガシはコルク生産目的だけではなく、防砂林としても植えられる。


米国産牛肉(べいこくさんぎゅうにく)とは、アメリカ合衆国を原産地とするか、またはアメリカ合衆国で加工された牛肉。約1億頭の牛が飼育され、年間約3500万頭の牛が牛肉として加工される。トウモロコシなどの穀物飼料が使われ、赤身で脂分が多いとされるグレインフェッド牛が80%を占める。

米国農務省(USDA)による品質格付があり、プライム・チョイス・セレクト・スタンダード・コマーシャル・ユーティリティー・カッター・キャナーの8等級に格付けされる。

日本においては1991年に輸入が自由化された。主に、牛丼や牛タンの原材料用に多用され、スーパーマーケットなどでも、時折、特売品として販売されることもある。
飼育
生後約1年ほど放牧場で飼育された後、フィードロットと呼ばれる大型生産農場に移され飼育される。飼育には6種類の成長ホルモン剤の使用が認められている。(ホルモン剤を使っていることから米国産牛肉は輸入禁止としている国もある。)なお出生管理がされていないため厳密な個別識別がされず、月齢把握、トレーサビリティの面で問題が指摘されている。

加工
食肉処理加工企業は「パッカー」と呼ばれ、タイソンフーズ、エクセル、スイフト、ナショナルビーフパッキングの4社(四大パッカー)がシェアの8割を占める。

BSE問題
1986年にイギリスでBSEが確認されたことをうけ、1990年に歩行困難な牛などを対象としたBSEサーベイランス(狂牛病監視・検査システム)を採用。1997年には肉骨粉の飼料への使用が禁止された。 2003年にアメリカで牛海綿状脳症(BSE)の発生が確認された。これにより日本、韓国、台湾などの輸入国では米国産牛肉の輸入が禁止となった。なお肉骨粉は鶏などへの飼料としては禁止されておらず、鶏糞などを餌にする(糖蜜飼育)ことによる感染の恐れが一部で指摘されている。

BSE問題の日本への影響
2003年の輸入禁止により大手牛丼チェーンの一部は特盛の取り扱いを中止して消費量を抑制したが、2004年初頭に在庫が底を尽き、やがて牛丼の提供が停止される事態となった。また、牛丼のレトルトパックも販売が停止され、オークションで高値をつける事態となった。他のメニューに切り替えて対応する他、他国産の牛肉に切り替えて牛丼の提供を再開するチェーンもあった。「すき家」は豪州産、「松屋」は中国産(後に豪州産に切り替え)を用いて再開したが、当時の最大手「吉野家」では牛丼の販売が2006年6月現在も、極く一部の店舗を除き中止されたままとなっている。

輸入再開の条件として日本政府は全頭検査を求め、アメリカの生産団体の一部からも全頭検査をしたいと要望が出されたが、アメリカ政府はコスト高と、全頭検査を必要とする科学的根拠が無い、との主張の下にこれを拒否し、より緩和した条件での再開を求めた。制裁を含めた強い圧力を受け、日本政府は再開を決定。2005年12月、生後20ヶ月以下の牛に限り、危険部位を除去する事を条件に、輸入が限定的に再開された→ウィキニュース。国内の外食産業からは歓迎されたが、BSE感染例が無く異常プリオンが蓄積していないと見られることを理由に設定された基準であり、全頭検査を行わないことから根本的な解決がなされていない処置であるとして、消費者を中心に疑問の声があがっている。

輸入再開を決定するまでのプロセスが不透明であったことから、「米国産」のブランド価値の低下や、牛肉を含めた食の安全に対する信頼性の低下などが懸念されている。

2006年1月20日、成田国際空港の動物検疫所で、BSEの特定危険部位の一つとされ、輸入が禁止されている脊柱の混入が見つかったことから、日本政府は再び輸入禁止を決めた→ウィキニュース。これは当該商品の検査を担当したアメリカの輸出牛肉検査官が日本向けの商品から脊柱を取り除かなければならない事を承知しておらずにそのまま輸出されたと伝えられ、アメリカでのBSE問題に対する杜撰な管理が露見する結果となった。輸出禁止措置が迅速に執られたため、アメリカ食肉協会は日本に対し厳しすぎると声明を出した一方で、日本の野党や消費者団体は「アメリカの生産者は日本国民の生命を蔑ろにしている」とアメリカ側を非難している。

その後、日本政府がアメリカの加工施設を査察し、2006年7月27日、安全性が確認された施設に限り輸入を再開することを正式決定した。その一方で、アメリカ側は既に、輸出可能な牛の条件を、生後30ヶ月以下、に緩和する様に求めている。

輸入再開にあたり、国民食といえるほどの存在となった牛丼を販売する大手飲食店では、「吉野家」は米国産牛肉を使用した商品の提供を決め、2006年9月中旬より数量限定、メニュー限定(特盛り、牛皿を扱わない)、店舗限定で販売を再開し、徐々に販売量を増やしていきたいとしている。「松屋」は検討中、「すき家」は安全性の懸念から、当面見送りを表明するなど、対応が分かれている。「すき家」を経営する「ゼンショー」からは、米国産牛肉を使用する事に対して批判のコメントも出されている。大手スーパーも取り扱い再開には慎重な姿勢の社が多い。

プランテーション (plantation) とは、大規模工場生産の方式を取り入れて、熱帯、亜熱帯地域の広大な農地に大量の資本を投入し、先住民や黒人奴隷などの安価な労働力を使って単一作物を大量に栽培する大規模農園のこと。経営主体は、国営、企業、民間など様々である。経営する側をプランターと呼ぶ場合もある。

環境・人道上の問題
この「安価な労働力」は、かつては植民地の原住民あるいは奴隷であり、現在は発展途上国の農民であったり、土地自体が先住民から奪われて経営者に売られていたりなどするため、労働者の人権が問題とされることがある。また水質汚濁・森林破壊・農薬問題などの環境破壊が問題とされることも多い。

経済・飢餓の問題
コーヒー、天然ゴム、サトウキビ、ヤシ、綿(綿花)その他果物全般などがプランテーション作物として良く知られている。プランテーション作物の多くは商品作物であり、国としてはこれを輸出することで外貨を稼がざるを得ないが、これに依存している度合いが高い国の場合、自然災害などの影響を受けると経済が立ち行かなくなってしまう。こういった経済構造はモノカルチャー経済とも呼ばれる。こうした構造が原因で国内で必要とされる食物の生産がおろそかになり、飢餓の原因の一つになっているとされる。

プランテーション作物の主な生産国
サトウキビ (ブラジル、インド、中国、マレーシア)
茶(インド、中国、スリランカ)
カカオ (コートジボアール、ガーナ、インドネシア、マレーシア)
コーヒー (ブラジル、ベトナム、コロンビア)
バナナ (インド、エクアドル、ブラジル)
天然ゴム (タイ、インドネシア、インド、マレーシア)
FAO生産年間 2002年

プランテーション作物の輸出の割合が多い国
エチオピア(コーヒー)
ケニア(茶、コーヒー)
セントビンセント・グレナディーン諸島(バナナ)
エクアドル(バナナ)
ガーナ(カカオ)
貿易統計年間 2000年


プレーリー ('Prairie) は、北アメリカ大陸中央部,中央平原西側に広がる長草の温帯草原地帯。 ロッキー山脈の東側に位置し、グレートプレーンズと並行している。北アメリカの穀倉地帯で、プレーリー土という肥沃な土壌が分布し、小麦,とうもろこし,大豆などの大生産地となっている。

パンパ
南アメリカのアルゼンチンとウルグアイに広がる温帯草原。▽土地は肥えていて,牧畜に適した草が自生している。小麦・トウモロコシ・アルファルファなどの栽培や,牧牛・牧羊がさかんで,アルゼンチン・ウルグアイの農牧業の中心地。◇年降水量500mmを境にして,東部の湿潤パンパと西部の乾燥パンパに分けられる。


モノカルチャー(mono culture)とは、直訳するとmono(単一)のculture(栽培/文化)であり、多くの場合、単一の農作物を生産する農業形態を指す。

近年ではモノカルチャー精神やモノカルチャー経済として単一の精神、単一の経済 と言った使い方もされている。
概要
植民地化された土地で、支配国で需要の高い農作物を集中的に生産させた事が始まりである。例えば、オランダ領東インド(現在のインドネシア)における商品作物の強制栽培制度があげられる。これにより、支配国は効率よく農作物を得ることができた。1944年にメキシコで実施された緑の革命もモノカルチャーである。
代表的な作物に、サトウキビ、天然ゴム、トウモロコシ、穀物、パルプなどがある。 しかし、特定の産業に力を入れたためにそれ以外の産業が発達しなかった。 また多くの旧植民地は独立後、様々な産業を発達させる努力をしているが、そのために必要な資金を得るために植民地時代の輸出品に頼らないといけない国もあり、モノカルチャーへの依存から脱却できていないことが多い。

メリット
複数の作物を生産する事に比べ単一の農作物を生産する事は、技術的にも単一で済む事もあり効率的である。
一度に大量の作物を生産する事が出来るので、飢饉を防ぐために行われた。
企業が安値で安定した作物を作るために発展途上国で単一栽培されている。
デメリット
対象者のメリットが大きい反面、環境破壊や貧富の差が近著に現れてしまうなど、多くの問題が露呈している。

効率よく利益を得られる事から、従来品種の消滅に拍車がかかり、生物多様性が失われる。
効率化により生産国の伝統文化が失われてしまう危険性が高い。
大規模な田畑を生み出すための森林伐採や焼畑農業によって土地が枯れてしまい砂漠化を引き起こしている。
天災・病害虫等によって、全滅してしまった場合のリスクが高い。
国際市場での価格変動に国民経済が左右される。たとえばある作物の価格が下落すると、その作物に依存した国の経済や国民の収入は打撃を受け、貧困が広がる。
コンピュータ用語におけるモノカルチャー
農業や経済におけるモノカルチャーからの連想で、インターネットで使用されているソフトウェア(WebブラウザやJAVAプラグインなど)のシェアが特定の会社の製品に集中している状態もモノカルチャーと呼ばれる。たとえば、インターネット利用者の大多数が使用しているウェブブラウザ、Microsoft Internet Explorerの脆弱性を利用した攻撃を行うことでインターネット犯罪の被害が拡大する。


沖積平野(ちゅうせきへいや)は、河川の氾濫等により土砂が堆積することで形成された平野の一種。

形成年代が若く締め固まっていないため、他の地層よりやわらかい。一般に肥沃で平らであるため、多くの文明が沖積平野で発祥している。

日本においては、狭義の沖積平野だけでなく、完新世において海に土砂が堆積しそれが隆起してできた海岸平野も含めて沖積平野という。

災害に対する脆弱性
もともと河川の氾濫によってできた土地のため、水害の発生する可能性は高いといえる。
また軟弱地盤のため、地震の際にはゆれが増幅されることがある。さらに、新潟地震の際には、海岸に近い場所で液状化現象が広く発生している。


●小麦の特性はさまざま
5億8千万トンの小麦が世界中で生産されているが,品種や気候風土によって小麦の特性はさまざまである。それぞれの小麦が持つ特性をどう活かしておいしい食べ物にするか,その特性をより使いやすいものに改良するかは,人類が長年取り組んできたテーマであり,今後の大きな課題でもある。

★パンに向く小麦,菓子に向く小麦
 小麦には粒が硬い「硬質小麦」と軟らかい「軟質小麦」がある。硬質小麦では粒の内部がち密で,軟質小麦では粗く詰まった状態である。硬質小麦は軟質小麦より蛋白質が多い。
 硬質小麦でも品種や土壌,気象条件によって蛋白質の量に差があり,蛋白質が13%以上でグルテンの力が強く,その粘弾性のバランスが良いものは,食パンを作るのに向いている。硬質小麦でも,蛋白質がやや少なくグルテンもそれほど強くないものは「準硬質小麦」とも呼ばれ,菓子パンやフランスパンなどに加工される。中華めん用粉の製造には蛋白質が多い硬質小麦と少ない硬質小麦の両方が使われる。パスタ用のデュラム小麦も硬質小麦だが,他の小麦よりも粒がさらに硬い。
軟質小麦は一般に蛋白質が少なくグルテンがソフトだが,蛋白質の量は土壌や気象条件によって差がある。グルテンの力が弱い方が好ましい菓子やてんぷら用の粉を作るには,蛋白質が少ない軟質小麦が使われる。国内産小麦のほとんどは軟質小麦だが,軟質小麦としては蛋白質が多めのものが多い。これを「中間質小麦」と呼ぶこともある。
★日本めんに向く小麦
 うどんやそうめんなどの日本めん用の小麦としては,蛋白質の量が10〜11%で,でんぷんの性質が良く,冴えたきれいな色のめんになるものが向いている。硬質か軟質かはめんの品質に直接は関係がない。でんぷんを熱と水で糊にした場合の性質がめんの食感を決める。西オーストラリア州産のめん用品種はこのような性質を備えている。国内産小麦も改良が徐々に進み,めんに適したでんぷんを持つ品種も開発されているが,色の点では改良の余地が大きい。
★見た目が違う
 外皮に赤または赤褐色の色素を持つ「赤小麦」と,この色素がなくて白っぽい色合いの「白小麦」がある。赤小麦か白小麦かは品種によって決まるが,同じ赤小麦でも生育条件によって蛋白質が多いものは色が濃くなり,蛋白質が少ないと色が薄くて黄色っぽくなる。デュラム小麦は白小麦だが,蛋白質が多いとこはく色に見えるので,銘柄に「アンバー」という単語を付けている国もある。
 小麦粒の形は品種固有の性質なので,これで品種を識別することもできる。粒の大きさや重さには品種と生育条件の両方が影響を与える。粒が大きく,1粒の重量が重いものは製粉歩留りが高い。
 小麦粒をナイフで2つに切断したとき,断面が半透明のものを「硝子質粒」,白っぽく不透明なものを「粉状質粒」という。この差は品種によるところが大きく,硬質小麦が硝子質粒に,軟質小麦が粉状質粒になることが多いが,降雨量が多すぎると硝子質粒になるはずのものが粉状質粒になることがある。一般に硝子質粒は蛋白質が多い。粒を切断しないで外観で大まかに見分けることもできるので,アメリカでは銘柄仕分けに使っている。
★栽培時期が違う
 秋に播種して夏に収穫するタイプが「冬小麦」,春に播いて秋に収穫するタイプが「春小麦」である。品種には秋播性と春播性があるが,育種での交配によって中間的な性質の小麦も多くなった。
 春小麦は生育期間が短いので,収量は冬小麦の3分の2くらいである。冬季の寒さが厳しいアメリカの北部,ヨーロッパやロシアの一部,カナダなどを除いて,冬小麦が作られている。アメリカのカリフォルニアやアリゾナ州では,メキシコ原産の春播性品種を冬小麦として栽培しているのが多い。オーストラリアの小麦は冬小麦だが,大部分の品種は春播性である。硬質小麦の場合,一般に春小麦の方が冬小麦より製パン適性が優れており,この差は蛋白質の一つであるグリアジンの性質の違いによる。
★野生に近いものもある
 1小穂に稔実する粒数で「一粒系」「二粒系」「普通系」に分けられる。染色体数はこの順に14,28,42で,普通系が最も進化したものである。栽培されている小麦のほとんどは普通系で,その大部分は「普通小麦」または「パン小麦」と呼ばれるものである。同じ普通系の「クラブ小麦」は普通小麦から突然変異で出来たもので,アメリカ北西部,オーストラリア南部などで少量栽培されている。クラブ小麦は軟質の白小麦で,蛋白質が少なくその質もソフトなので,ケーキやクッキー用として評価が高い。
 デュラム小麦は二粒系に属し,「マカロニ小麦」とも呼ばれる。乾燥した気候の土地に適している。粒が非常に硬いので,粉にしないでセモリナ(ざらめ状のもの)を採取して利用している。黄色色素が多く,蛋白質は独特の性質なのでマカロニやスパゲティへの加工適性が高い。
★ 取引は銘柄と等級で
 ほとんどの小麦生産国では取引に便利なように「銘柄」と「等級」を定めている。一定の地域で生産され,品質的な特徴がある範囲に入る品種の小麦に付ける商品名が銘柄である。例えば,「カナダ・ウエスタン・レッド・スプリング小麦」という銘柄は,カナダ西部地区産で品質が一定レベル以上のいくつかの赤色春小麦品種が混ざったものである。
 それをさらに小麦粒の物理的性状,被害の程度,小麦以外のものの混入量などによって,いくつかの等級に分けるか,一定品質基準以上か以下かに仕分けする。
 現在,日本で使われている小麦の銘柄,等級とその性状を表に示した。

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