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チェダゼミナールコミュの講義ノート その54

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二時間目「教科指導法研究・社会」

模擬授業でした。

今日はHさんが人口問題について授業をしていました。

この人のすごいな〜と思った点は、声がメチャメチャ通る点と、説明が丁寧で聴く気が起きることです。

そしてこの人は机間巡視の重要性と意義をよくわかっていたように思います。

指導案もしっかりかけていたと思いますし。

導入で映画の「日本沈没」を出したのも、興味を引きました。

人のよい面は自分にも取り入れ、またまずいなと思った点は反面教師として自分はやらないようにしたいと思います。

まあ今日の人は特にまずい面はなかったと思いますけど。

さて中国の一人っ子政策ですが、通常国家政策で一人っ子政策が出るというのはありえないわけです。

なぜなら子どもが増えることが、国富増進に繋がるからです。

子どもが減るということは、国力を落とすということなんです。

では何故中国は一人っ子政策をせざるをえなかったのでしょうか!?

中学生に授業する分には、単に、「人口が増えすぎたから減らさなくちゃいけなくなったんだよ」と教えればよいのでしょうけど、教える立場の側はもうちょっと予備知識がいるでしょう。

つまり多くの人口を抱えるだけの経済発展ができてなかったから、人口を減らさざるをえなかったのでしょうね。

中国は長いこと社会主義経済でしたから、労働者に働くモチベーションがなかったのでしょう。

今のまま中国が経済成長し続けるならば、一人っ子政策も必要なくなってくると思いますよ。

という知識や見識を教える教師側はもっていなければならないし、指導案には書かないといけないでしょうね。

ただ、さしあたっては中学生に対してはそこまで教える必要はないでしょう。

あと中国の人口問題を取り上げるのなら、表面的な人口統計(13.1億人)だけを取り上げるのではなく、闇っ子の存在が2億人から3億人いると推測されることから、実際の中国の人口は15億人以上いるとされていることや、間引き(子殺し)が行われている事実があることを教えても面白いのかもしれません。

社会科教師とは、教師自身の力量・裁量がかなり問われますね。

だからこそやりがいもあるのですが、難しさも沢山ありますね。

三時間目 「経済政策」

企業が銀行から融資を受ける場合の標準的な金利は、長期国債(10年もの)と一緒です。

2006年現在では3%ほどです。

優良企業にはこれよりもさらに低いレートであるプライムレートが適用されます。

3%の金利でまあ、まともな経営ができるぐらいであるのに、利息制限法と出資法のグレーゾーン(29.2%)で借金をして経営が成り立つわけがありませんよね。

ちょろっと経済学の知識があれば、こういった金利では借りてはダメだということは分かることだとは思いますが、借りないとどうしようもない人もいるもの事実です。

四時間目 「自然地理学」

関空は少しずつ沈んでいるみたいですね。

だからジャッキで持ち上げているらしいですね。

まあ元々海のヘドロの上に空港を建てたわけですから、当然ですよね。

五時間目 「法学概論」

ローマ法制定以後の法の基本性質として「法は権利の上に眠るものを保護しない」というものと、「法は家庭に入らず」というものがあります。

つまり権利があるからって怠けている人や努力しない人まで法は保護してあげないということと、法律は家庭内のことまでとやかく言わないということです。

六時間目 「アメリカ経済論」

本来企業や政府というのは競争は嫌いなんです。

もちろん私も競争するのは好きではありません。

でも競争がないと経済発展はありえません。

努力しなくなりますからね。

だから反トラスト運動(独占禁止法)があるわけです。

☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻

ちなみに日本で個人タクシーの営業権を手に入れるのは車一台分ぐらいのお金を納めなければなりません。

そしてNY市では家一件分のお金を市に納めなければなりません。

これも1つのトラスト政策なわけです。

高い金を払わせることで、間接的に競争を排除しているでしょ。

日本の司法試験制度もトラスト運動の一種です。

どんなに優秀な人が沢山いようと、司法試験の合格者数は500人と決められていました。

しかし今年は法科大学院の一期生が受験し、合格者が1000人ほど出たそうですね。

☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻ ☺ ☻
反トラスト運動は確かに重要ですが、小泉前首相が言っていた「官から民へ」は一見反トラスト運動のひとつのように見えて、実は違います。

郵政公社を民営化させるだけでは何の意味もありません。

そこに競争がなければ以前と変わらないのです。

実際国鉄(JR)や電電公社(NTT)、日本専売公社(JT)など民営化されはしましたが、実際は独占状態です。

郵便局も民営化しても旧態依然のままでしょう。

ヤマト運輸やフェデックスが入り込むところがあるでしょうか!?

七時間目 「貿易論」

国内企業を保護するために関税をかける政策は、結局のところ、輸入量が減るだけではなく、輸出量も減っているらしいです、理論的に考察すると。

だから、例えばアメリカが日米貿易摩擦で日本の自動車に関税をかけるなどと脅したりしてきますが、結局のところ関税をかけるとさらに貿易赤字は拡大してしまうということです。

まあそりゃそうですよね。

関税をかけるということは、間接的に競争を阻害していることと同じですから、結果的に経済を後退させる行為なのです。

語句調べ 参照wikipedia

蛯原 友里(えびはら ゆり、1979年10月3日 - )は、宮崎県宮崎郡佐土原町(現・宮崎市)出身のファッションモデル、女優、タレント。パール所属。身長168cm、血液型O型。 宮崎県立佐土原高等学校産業デザイン科を経て九州産業大学芸術学部デザイン学科卒。
人物
高校時代はバスケットボール部のキャプテンを務めていた。
特技は水泳。父親の厳しい指導を受け、小学校時代は地区大会の頂点にたったほどの実力の持ち主。
そのため可憐なイメージとは異なり、逆三角形のスポーツ体型で腹筋が割れるほど引き締まった体をしている。
愛称は「エビちゃん」。
本名よりもこちらでの知名度のほうが高く、新聞のテレビ欄などに「エビ」と省略されることも。
ゆりっぺや、ゆりちゃんや、エビ(押切もえや、山田優が呼ぶ)、エビユリとも呼ばれる。
家族構成は両親と妹(双子)と弟。
目標の人物はモデルのSHIHO。
両手の親指を異様なほど外側に反らすことができるため、この反りを利用して指でハートの形を作るのが特技。
O脚気味(蛯原本人談)。その為O脚に見せない立ち方を研究しているという。
「蛯原友里」は本名である。学生時代のアルバムが写真週刊誌で公開されたことにより本人が発言。
女性からは多大な人気を得ており、またモデルとしては男女ともに幅広い世代に知名度が高いが、その一方でネット上では「笑顔がいつも同じ、女優は向いていない」などといった批判もある。
来歴
大学でスペースデザインを専攻し、卒業研究は老人福祉施設のデザインを同級生と共同で発表した。
ゼスプリゴールドキウイのCMオーディションでグランプリを受賞。坂口憲二とキウイを取り合う女の子役で注目を集める。
ファッション誌『CanCam』の専属モデルとして活動中。雑誌の中で可愛い系コーディネートは「エビちゃんOL」と呼ばれ、エビちゃんOL特集は女子大生・OLを中心に人気を集めている(対するキレイ系コーディネートは山田優扮する「優OL」と呼ばれる)。男にもモテるファッションと定義しているが根拠は無い。
ドラマにも出演するなど女優としても活動している。
マクドナルドのえびフィレオのCMに出演しており、当時えびフィレオは期間限定での発売だったが、「エビちゃん効果」のおかげか、ヒット商品となり、ついにはレギュラー商品の仲間入りとなった。
2006年4月スタートのドラマ『ブスの瞳に恋してる』では、稲垣吾郎扮する主人公の構成作家の恋人役(彼女とは一文字違いの名前の人気モデル役・蛯原友美)を演じる。彼女曰く「本人役でもよかったかもしれない。」とのこと。
彼女が身につけている服や雑貨、出演しているCMの商品がよく売れているために「エビ売れ」という言葉が生まれている。
初めてマスコミ関係で「エビちゃん」という愛称で呼んだのは、毎日放送の情報番組『ちちんぷいぷい』総合司会の角淳一で、本家とされているCanCamよりも2ヶ月早い。(最初の表記方法は平仮名で「えびちゃん」であった。)このことは、蛯原本人が同番組2006年6月27日放送分でのインタビューで承認している。

産児制限 (さんじせいげん) とは、人為的に受胎、妊娠、出産を制限することである。産児制限の手段としては、不妊手術ないしは断種、性交段階での避妊、妊娠後の人工妊娠中絶がある。出産直後の嬰児殺(間引き)も同様の目的で行われた。
産児制限の必要性
社会の生産性の限界(食料不足等)、家庭の貧困、母体や胎児における医学的な理由が挙げられる。また、人口が急激に増加する国(例えば、第二次世界大戦敗戦直後の日本、ブラジル、インド、中華人民共和国)では政策的に行なわれる例もある。「一人っ子の勧め」といったものがそれである。
自然状態でも妊娠はある程度コントロールされている、例えば母体の栄養状態が悪化すると排卵は抑制される。妊娠中は排卵しない。乳房を吸わせて授乳している間も排卵しにくい(無月経、母乳栄養参照)が、それだけでは不足する場面が多い。性科学に述べられているように、生殖以外に性行動を行うのはヒトの重要な特徴の一つである。性生活を十分楽しみ、同時に妊娠出産に計画性を持たせたい場合、産児制限が必要となる。殊にかつての多産多死(子供がたくさん生まれ、幼いうちに沢山死ぬ)から少産少死(出生率と乳幼児の死亡率が同時に減少する)に移行した先進国においては避妊法が広く普及している。
日本における産児制限の歴史
日本では間引き及び堕胎(人工妊娠中絶)が暗然と行われてきたが、明治新政府は両者を法律で禁じた(堕胎罪参照)。また産児制限にも冷淡であり、特に当時は富国強兵政策の一環として「産めよ殖やせよ」政策を取っていたため、『ウーマン・リベル』を発刊したアメリカ合衆国のマーガレット・サンガーが1922年に初来日した際にも、産児制限に言及しないよう日本政府が条件を付けたほどである。
1937年には産児制限が「国体維持に反する可能性がある」として警察が石本(加藤)シヅエを連行、その隙に産児制限相談所を家宅捜索しカルテ等を持ち出した。その結果産児制限相談所は閉鎖に追い込まれた。もっとも、避妊を公然と普及させることには洋の東西を問わず抵抗が強く、サンガーにも1914年に合衆国においてコムストック法(猥褻郵便物禁止法)で起訴され、1916年に産児制限診療所を開設した所逮捕され懲役刑に処された経験がある。
一方、日本陸軍は各国軍と同様、慰安所を利用する兵士に突撃一番と称するコンドームを支給し性病の流行と慰安婦の妊娠を予防した。
戦後になるとGHQの指導下で厚生省が一転して「産むな殖やすな」運動を提唱。GHQの統治が終了した後もこの政策は維持された。戦争の終結と復員にともない出産が急増したが、ただでさえ立ち後れていた日本の経済基盤は戦争で破壊されており生活基盤も同様に破壊されていた。厚生省からの指導以外にも、焼け跡生活を成り立たせるための産児制限に対する国民側からの需要が大きかったのである。そのため、人工妊娠中絶が激増し1952年には年間約80万を数えるようになり、中絶大国日本は国際的にも注目されることになった。そこで人工妊娠中絶を減らすための避妊の普及がもとめられ、同年、受胎調節普及実施要領を厚生省が発表した。1954年にはサンガーが再来日。近代的な避妊法が国民の間に普及し始めた。ピークの1955年には年間117万件(この数字は1990年代半ばの年間出生数に匹敵し、近年の出生数を上回る)を超えていた人工妊娠中絶はその後減少し続け、1985年には約55万件と半数以下になった。
日本における受胎調節(避妊、家族計画)年譜
1869年(明治2年) - 堕胎禁止令発布。
1880年 - 堕胎罪制定。
1907年 - 現行刑法の堕胎罪制定。
1909年 - 国産コンドーム発売。
1922年 - マーガレット・サンガー来日。各地に産児調節研究会発足。
1924年 - 荻野久作、「人類黄体の研究」学説発表。
1931年 - 荻野久作、上記研究を応用した受胎調節法を発表。いわゆるオギノ式避妊法のおこり。
1932年 - 太田リング発明(1930年のグレーフェンベルグ・リング発明をうけ)。
1934年 - ラテックス製コンドーム開発。
1936年 - 避妊リング(IUD)、有害避妊器具に(厚生省の許可は1974年)。
1937年 - 母子保健法制定。産児調節運動弾圧。
1938年 - 内務省警保局「婦人雑誌に対する取り締まり方針」。
1941年 - 厚生省「人口政策要綱」。
1946年 - GHQ、産児制限を求める。総選挙で加藤シヅエら当選。厚生省人口政策委員会「産むな殖やすな」運動。
1948年 - エーザイ、「サンプール」(殺精子剤。女性用避妊薬)発売。優生保護法成立。
1952年 - 厚生省「受胎調節普及実施要領発表」。マーガレット・サンガー再来日。
1954年 - 日本家族計画連盟発足(サンガーの指導による)。人口問題審議会、家族計画の推進を進言。
1955年 - 女性用経口避妊薬(ピル)の臨床試験開始。後に市販される。
1967年 - ピル禁止。
1969年 - 人口問題審議会中間答申、出生力を回復させることが必要だとする。
1970年 - いわゆるウーマンリブの街頭活動開始(合法的な人工妊娠中絶の維持と、ピル解禁を求めていた)。中ピ連参照。
1974年 - 避妊リング解禁。
1975年 - 日本家族計画連盟会長加藤シヅエ、勲一等瑞宝章。
1984年 - 厚生省、人工流産剤「プレグラディン」世界初認可。
1986年 - 低用量ピル治験開始。
1988年 - 加藤シヅエ、日本人初の国連人口賞。
1992年 - 厚生省中央薬事審議会、ピル解禁見送り。エイズ感染を加速することにつながりかねないとして。
1996年 - 優生保護法から母体保護法に。
1997年 - 「マイルーラ」(殺精子剤。フィルム型女性用避妊薬)に環境ホルモン問題(2001年に製造中止)。
1999年 - 低用量ピル、銅付加IUD(申請は1977年)、女性用コンドーム(開発は1984年)認可。
産児制限と人権
出産は女性の特権であると同時に、長期間にわたる肉体的・精神的な負担ともなり、時には命の危険すら伴う(出産難民参照)。出産を巡る男女の差はかように大きく、例えば合法な産児制限が行われなかった時代には、闇堕胎や見よう見まねの自己堕胎が行われ、この際命を失うのは胎児の他は女性に限られたのである。
このように「子供を産まない権利」あるいは「いつどのように出産するかを女性自身が決定する権利」は女性の人権に深く関わる。ところが、胎児を人と見なした場合の胎児の人権も関係してくるため、問題は複雑になる。産児制限は身売り、口減らし、間引き、生活に行詰った結果の母子心中によって失われる子供の命を減少させる効果がある一方、避妊法の中でも受精卵の着床を防ぐ技術(IUD、モーニングアフターピル)や胎児を殺す技術(人工妊娠中絶、減胎手術)に対しては厳しい批判がある。人工妊娠中絶やモーニングアフターピルは強姦被害にあった女性の救済策としても用いられ、減胎手術は母体と他の胎児を救うため行われるため、尚更問題が複雑化する。女性の権利と胎児の権利の内で、前者に重きをおく立場をプロ・チョイス、後者に重きをおく立場をプロ・ライフと呼ぶ。
産児制限の主体
日本の厚生省は夫婦が主体的に行う産児制限(特に避妊)を家族計画と呼んだ。ここでは家庭内での男女の権利が両者共確立していることが重要であり、家庭内で女性を抑圧する構造があれば家族計画の主体性は空文と化す。例えば、夫がコンドームの利用を拒否したり、一定期間の禁欲を必要とする避妊法を拒否したりする場合である。
女性が主体となって行える避妊法にはIUD、不妊手術、女性用コンドーム、経口避妊薬があるが、年譜から見て取れるように、日本の厚生省は女性が主体になる避妊法、特に経口避妊薬に関して頑な態度を取り続けた。これらにはAIDSを含む性病を予防する効果がないことが理由としてあげられている。
前記のように日本では国民の側に産児制限への需要があったが、国によっては、政府の意思で産児制限を行う場合がある(一人っ子政策等)。更に特定の集団/個人に対して強制的に産児制限が実行されることがある。優生学を背景にした断種がそれである。ナチのひきおこした悲劇は有名であるが、日本でも優生保護法に基づき精神障害者、ハンセン病患者に断種を施した例が多数知られている。ハンセン病、断種を参照されたい。
産児制限とフェミニズム
産児制限はフェミニズムとの関連が強い。前述の通り戦前の日本では女性の権利が抑圧されるのと平行して産児制限に対する風当たりが強かった。平塚らいてうらの堕胎論争、青鞜発禁事件、産児制限関係者の連行などがそれを物語っている。
日本の刑法では、堕胎(人工妊娠中絶)は基本的には犯罪であって、特定の場合に限り犯罪としないという立場をとっている。これが本質的な点で女性の権利を奪っていると主張する女性団体がある。例えば、堕胎によって体と心が傷つくのは女性であるのに、堕胎罪が問うのは女性の責任のみで、父親側の責任は一切問われないのはおかしいという主張である。そのような団体の例、SOSHIRENは堕胎罪そのものをなくすことを主張している。
産児制限と女性の身体性
近代産業社会が男女問わず人間の身体性を低く評価することで成立していることは夙に議論されてきた。これを論じているのは社会学者とは限らず、題名が話題となった『オニババ化する女たち』(2004年、ISBN 4334032664)の中で、疫学研究者である三砂ちづるは女性の身体性の喪失を嘆いている。同書の中で三砂は、性関係における質の高さ(性科学参照)及びそこから帰結される妊娠と出産は女性にとって特に重要であるとし、その中でも出産経験の重要性をJICAの事業等で自身が経験した様々な例を元に指摘している。日本では若年者の性行為や出産に対する社会の扱いが極めて冷たく、若い親に対するサポート(例えば、子育て後に高等教育やキャリアの蓄積が可能であるようにすること)に欠けていること、性教育と称してもっぱら「セックスさせない」「出産させない」教育が行われていること、身体性に関する親世代から子世代への「知恵」の継承が失われていることに疑問を投げかけている。
産児制限と宗教
キリスト教、特にカトリック教会では生命尊重の立場から伝統的に人工妊娠中絶に反対する立場をとってきたが、この問題についてはカトリック教会内でもいまだに賛否両論がある。
カトリック教会内の保守層は、人工的な手段による避妊を否定している。ただしオギノ式は自然な産児制限として認められていた。1991年に篠田達明が荻野久作の業績を扱った著作に『法王庁の避妊法』というタイトルをつけ、同名で舞台化もされたことからオギノ式が「法王庁の避妊法」という呼び名とセットにされることがある。ただ、カトリック教会が「自然産児制限」を認めているだけでオギノ式理論を特定して認めているというわけではない。

古生代(こせいだい)は、古生代・中生代・新生代と分かれる地質時代の大きな区分の一つ(約5億7000万 - 約2億5000万年前)。
先カンブリア時代の後に相当する。地質学的には、古生代以前の地質年代ははっきりと確定することができない。
無脊椎動物の繁栄から、恐竜が繁栄しはじめる中生代の手前までの期間に対応する。
古生代は、更に細かく以下の区分に分けられる。
カンブリア紀
約5億7000万 - 5億年前
三葉虫など無脊椎動物の繁栄。
生物種の爆発的増加。(バージェス動物群)
オルドヴィス紀
約5億 - 4億4000万年前
魚類の登場。
オゾン層の形成。
シルル紀(ゴトランド紀)
約4億4000万 - 4億1000万年前
あごを持つ魚類の登場。
サンゴ類の繁栄。
植物の陸上進出。
デヴォン紀
約4億1000万 - 3億6000万年前
硬骨魚類の繁栄。(脊椎動物の登場。)
オウムガイ、アンモナイトの繁栄。
種子植物の出現。
シダ植物の繁栄が始まる。
両生類の出現。
石炭紀
約3億6000万 - 2億8000万年前
前期(ミシシッピ紀)と後期(ペンシルバニア紀)に分けられる。
シダ植物の繁栄。
両生類の地上上陸。
爬虫類の出現。
巨大昆虫類の繁栄。
ペルム紀(二畳紀)
約2億8000万 - 2億5000万年前
両生類・爬虫類の繁栄。
三葉虫類の絶滅。
巨大大陸パンゲアの出現。
ペルム紀末(古生代と中生代の境界)では、地球規模の大量絶滅が起こった。

中生代(ちゅうせいだい)は、古生代・中生代・新生代と分かれる地質時代の大きな区分の一つ(約2億5000万年前〜約6500万年前)。 恐竜が生息していた時期にほぼ対応する。
中生代は、さらに以下の3つの紀に細分される。
三畳紀
2億5000万〜2億1200万年前
爬虫類から、恐竜が出現。
単弓類は哺乳類の系統とわずかの小型種を除いて絶滅。
ジュラ紀
2億1200万〜1億4300万年前
恐竜が繁栄、原始的な鳥類の出現、被子植物の出現。
白亜紀
1億4300万〜6500万年前
恐竜の繁栄が継続
白亜紀末(K-T境界)に地球規模の大絶滅が起こり、恐竜類は鳥類を除いて絶滅した。

新生代(しんせいだい)は、古生代・中生代・新生代と分かれる地質時代、顕生代の大きな区分の一つ(約6500万年前 - 現代)。恐竜が絶滅してから現代に至るまでの時代である。
新生代はさらに大きく2つに区分できる。
第三紀(さらに古第三紀・新第三紀に大きく区分できる)
顕花植物の登場。
哺乳類と鳥類の繁栄。
第四紀(さらに、更新世・完新世に分類できる。)
人類の進化と繁栄の時代。
氷期の終わりと大型哺乳類の絶滅(更新世末)。

第三紀(だいさんき)は地質時代のひとつで、6430万年前から160万年前までの期間。
古第三紀と新第三紀に二分する。 この両者の間には、生物相が大きく変わる。

第四紀(だいしき、だいよんき)は地質時代のひとつで、180-160万年前(250万とする説もある)から現在までの期間。
他の地質時代が地層から定められたのに対して、第四紀は人類の時代という意味で決められた。第三紀との境界は、アフリカにおける最古の人類化石が出土した地層の直下の玄武岩を年代測定して決定した。
生物
人類の進化と繁栄の時代。
更新世末に、大規模な絶滅が起こった。
マンモスなど。
その他北米ではウマ、ラクダ、チーターなども絶滅している。
気候
高緯度の地域に、大陸並の規模の氷河が分布している。
氷期と間氷期を繰り返している。

輪中(わじゅう、曲輪(くるわ)、輪之内(わのうち)とも。)は岐阜県南部と三重県北部、愛知県西部の木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)とその支流域に存在した堤防で囲まれた構造あるいはその集落のこと。船舶における防水区画のような役割を果たす。
江戸期においては愛知県西部が尾張藩の領土であったため、木曽川西岸の堤防は尾張藩を守るために構築された御囲堤よりも三尺低くしなければならないといった規則もあったため、水害が絶えず、岐阜県側で特に輪中が発達することとなった。
輪中の誕生
鎌倉時代末期の元応元年(1319年)に標高が低いために高潮などによる水害に苦しんだ農民たちがそれまで下流側に堤防が無い尻無堤に堤防を追加し、集落全体を囲う最初の輪中である高須輪中が完成した。その後周辺の集落もこれに習い、周辺地域には数十の輪中が形成された。木曽川や長良川の強力な水流が作りかけの堤防を流してしまうことも多く、人柱が捧げられることもあった。
輪中の消滅
明治時代に入り、木曽川、長良川及び揖斐川の三川の大規模な治水事業により水害が激減。また、輪中堤防が道路交通に支障をきたすようになった為、多くの輪中が破壊された。また、戦争中の食糧難によって比較的上流にある輪中堤防は次々に田畑となってほとんど残っていない。現在でも残る一部の輪中堤防は洪水の際に利用されることがある。昭和51年9月12日に起きた水害(9.12水害と通称される。)では輪之内町の福塚輪中の水門を締め切ることでその内側は水害から免れることができた。
輪中の施設
輪中には水害から身を守るために様々な施設が存在した。
助命壇
洪水の際に、水害から身を守るために住民が避難した高台。多くは集落の中心に作られ、目印となるように木が植えられている。多数人が避難できるが、食料などが備蓄してあるわけではない。水屋を作ることのできない貧しい農民が利用した。命塚とも。
水屋
母屋とは別に石垣の上など、高い場所に作った家屋。母屋と渡り廊下でつながっていることも多い。一般には倉庫として扱われ、洪水の際には住居として使われる。建造する費用が高いので全ての家にあるわけではなく、所有者は裕福な家に限られた。
上げ仏壇
水害の際に仏壇が濡れないように可動式となっており、水害が発生したときは天井裏へあげられるようになっている。
上げ舟
水害の際の移動手段として、軒下などに小船が備え付けられていた家も多い。これらは上げ舟と呼ばれた。
輪中の生活
輪中は堤防が切れることは死活問題であったため、各輪中では水防組が作られ、水害に備えて準備を怠らなかった。この水防組は明治以降も水害予防組合として存続している。
一般に輪中地域では生死を共にする輪中内での結束力は強かったが、他の輪中とは険悪な仲であった。他の輪中が自分たちの輪中より高くなることは自分たちが水害に遭うことに等しかったからである。自分たちの輪中を水害から守るため、隣の輪中堤防を破壊することもあったといわれているが、このような行為は現在で言うところの現住建造物等浸害にあたり、当時も厳しく罰せられた。
また、輪中地域は水害に悩まされた反面、渇水にも悩まされた。これは水害を防ぐため田畑はやや高いところに存在していたためである。そのため、これらの地域では雨乞い踊りなどが伝わっている。
輪中根性という言葉
このような水害から自分の住む輪中を守るためにその中での結束が固くなるが、他の輪中の人に対しては冷ややか、という排他性を輪中根性と言う。
岐阜県民の県民性を表すときによく使われるが、保守的で猜疑心の強い排他的な自己本位の田舎者といった意味であることが多い。しかし、実際に輪中が存在するのは岐阜県では南西部の一部地域のみで岐阜県人一般に適応することは難しい。特に北部は輪中のある美濃地方と密接な関わりがあったわけではない。
対象地域
三重県桑名市長島町、木曽岬町
岐阜県海津市、安八郡安八町、輪之内町、瑞穂市、大垣市、羽島市、岐阜市日置枝 柳津、羽島郡笠松町、岐南町、各務原市川島、瑞穂市
愛知県愛西市、弥富市

溝渠(こうきょ)とは、主に給排水を目的として造られる水路のうち小規模な溝状のものの総称である。 そのうち公共用水域にあるものは「公共溝渠」(こうきょうこうきょ)と呼ばれる。
その状態等により、開渠(かいきょ)・明渠(めいきょ)、暗渠(あんきょ)、側溝(そっこう)などと呼ばれ区別される。また開渠と暗渠を総称して管渠(かんきょ)と呼ばれる場合もある。
開渠
開渠(かいきょ)とは、地上部に造られ、蓋掛けなどされていない状態の水路を指す。 これらは明渠(めいきょ)とも呼ばれ、また単に「水路」と呼ばれることも多い。
主なものに、農業用水路と離れた水田等をつなぐために造られる用水路兼排水路、農地等の水はけを良くするための排水路、雨水や湧水、河川等の水を排出し洪水を防ぐために造られる放水路などがある。
または、これらの水路を開削する動作を指すこともある。
暗渠(あんきょ)とは、地中に埋設された河川や水路のことであり、開渠に相対する概念である。 特に都市部において、かつて開渠であった既存の水路上に道路を整備したり、農地等において地中の水分を速やかに排水する目的で施工されることが多い。
道路整備を目的とした暗渠
都市部において、もともと小川程度の河川があった場所を高度利用するために、蓋がけをして、その上を遊歩道にしたり、自動車が通れる道路にする例がしばしば見られる。川がないのに欄干(らんかん、橋の側面に渡し転落を防ぐ手すり)が残っている場所があるが、これは地下に暗渠がある証拠である。
排水を目的とした暗渠
速乾性が求められる競技場、農地などに利用することが困難な湿地、地すべり地などの崩壊地などさまざまな場所で、滞水を防ぐ目的で施工される。
この場合の素材は、有孔管(上部に集水用の穴が開いている塩化ビニールなどのパイプ)、素焼きの土管などのパイプ類などが用いられるほか、粗朶や砂利、玉石の埋め込みなども行われる。集められた水は敷地外の水路や側溝・下水道などに導かれ排水される。
側溝
側溝(そっこう)とは、道路や鉄道敷に沿って設けられる溝であり、専ら当該道路等の滞水を防ぐための排水目的で施工される。
また旧国鉄では、鉄道橋のうち径間が 1m 以上 5m 未満の橋梁を「溝渠(カルバート)」と呼び、1m 未満のものは橋梁扱いとせず「暗渠」または「開渠」と呼ばれていた。
歴史
溝渠開削の歴史は、紀元前31世紀頃のインダス文明まで遡る。現在のパキスタンおよびインド北部に築かれた都市文明の中では、主要な都市の全ての住宅に、給水および排水の設備が用意されていたと推定されている。主要な通りの下に暗渠が築かれ、各家からの排水はその暗渠を経由して市外へ排出される仕組みになっていた。
日本での溝渠開削は、縄文時代晩期に中国大陸・朝鮮半島から稲作技術とともに伝えられた農業用水路が起源であると推定されている。この頃に築かれるようになった環濠集落跡から、農業用水路として使われていたと推定される水路跡が見つかっている。

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