ロンドン王立協会(おうりつきょうかいThe Royal Society of London)は、現存する最も古い学会。1660年設立。1782年創立の王立アイルランドアカデミーと密接な関係がある。1783年創立のエジンバラ王立協会とは関係が薄い。英語で単にThe Royal Societyという場合、先にできたロンドン王立協会を指す。 この団体は任意団体であるが、イギリスでは科学に関する国民アカデミーとしての性格も持つ。また、the Science Council(学術審議会?)の加盟組織でもある。 王立協会は最初期から開かれた組織であった。協会は、世界中を連結し、得られた科学的知識を共有することを目指した。これはオープンコンテントの概念ともほぼ一致する。協会は秘密を排除し、会員間のコミュニケーションを促進させた。また、言語による他国人とのコミュニケーション不足がなくなるようにも努力した。 著名な会員 17世紀以降の著名な科学者の多くは、創立メンバー、または会員になっている。 最初期の主要な会員は、ロバート・ボイル、J・イーブリン、ロバート・フック、ウィリアム・ペティー、ジョン・ウォリス、ジョン・ウィルキンズ、トーマス・ウィリスとクリストファー・レンなどがいる。アイザック・ニュートンは、光学に関する研究の業績が認められ、後に協会理事長になった。 ロバート・ボイルは、協会で実験係になった。(1662年) トーマス・ベイズは、協会で最初に自分の研究結果を公表した。
フランシス・ベーコン(Baron Verulam and Viscount St. Albans、1561年1月21日 - 1626年4月9日)はイングランド近世(ルネサンス期)のキリスト教神学者、哲学者、法律家である。 フランシス・ベーコンエリザベス1世の国璽尚書を務めたニコラス・ベーコンの子。ケンブリッジ大学で法律を学ぶ。ジェームズ1世のときに大法官となるが、汚職の嫌疑を受けて失脚。 「知は力なり」(Ipsa scientia potestas est)という言葉とともに知られる(出典 Meditationes Sacrae. De Haeresibus. (1597) 『聖なる瞑想。異端の論について』)。独力では果たせなかったものの学問の壮大な体系化を構想していた。体系化の構想はフランス百科全書派にも引き継がれる。 『ノヴム・オルガヌム』(新機関) 人間の陥りやすい偏見、先入観、誤りを4つのイドラ(idol 幻像)として指摘し、スコラ学的な議論のように一般的原理から結論を導く演繹法よりも、現実の観察や実験を重んじる「帰納法」を主張したもので、近代合理主義の道を開いた(イギリス経験論)。 『ニュー・アトランティス』 ユートピア物語。 『学問の進歩』 『随想録』