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詩書きの会コミュの風花雪月

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風花雪月・・・

四季が美しく移ろう様を
なぜ この四文字で表すのだろう

季節の変わり目には風が吹く
天気の変わり目にも風が吹く

人の心にも風が吹いて
あるとき 誰かを好きになる

風が種を運んで
花が咲く

美しく咲く花を見て
心が動き 
誰かのことを好きになる

雪が降ると
音が消されて静かになる
全てのものを覆いつくして
雪景色は世界を変える
静かな白い景色の中で
人は自分の心と向かい合いながら
春の訪れを心待ちし
春の訪れに心を備えてゆく

月は四季を通して世を照らす
照らす月は変わらないのだけれど
月が照らす世は
移ろう四季によって変わりゆく
月が世の夜を照らすので
心に四季の移りが刻まれる

風花雪月・・・

季節の移ろいを感じる時
わたしは新たに気持ちを確かめたい
季節の変わり目に風が吹いたら
あなたへの気持ちを新たにしよう

花の美しさに心動いたら
あなたへの思いを深めよう

雪が降って静かな日は
心の声に耳を澄まして
あなたを想いたい

月が映し出す四季の移ろいは
昼間の太陽ほどではないから
心を豊かにして感じ取り
豊かになった心で
あなたをもっと好きになりたい

・・・

コメント(42)


「でも 真実(ほんとう)は」



不利になってはいけないから
弱みはみせてはいけないのです

不利になるかもしれないので
弱みは見せない方がいいのです

でも 真実は

不利にはならないものだから
弱みは見せ合っていいのです



待ってくれないから
急がなくてはいけないのです

待ってくれているから
急いであげないといけないのです

でも 真実は

待ってくれるものだから
急がなくていいのです



もしも愛してくれるのなら
その時は愛するのです

愛されていると信じているから
だから愛するのです

でも 真実は

たとえ愛してくれないとしても
それでも愛するのです



大学の一般教養の哲学の講義で
担当教授が最後の授業で話したことを
なぜだかずっと覚えていた

あなたが水難事故にあって
人一人だけが浮いてられる木につかまって助かった時
近くに溺れそうになってる人見つけた時にどうするかを
普段から決めておきなさいという話だった

自分が助かるために その人を見捨てるのか
その人を助けるために板を差し出すのか
その場になって悔いなく決めるのは困難なので
平常時に決めておくのがいいのだと

この覚悟を決める時のポイントは
もし見捨てて自分が助かった場合
そのあとの人生にこの時の決断が大きく影響するということ

その後社会人になってほどなく
骨髄バンクのドナー募集の話を聞いた
ためらうことなく登録をした

何年も経った頃 ドナー候補として検査対象になったと
通知が舞い込んできた

一回目の採血検査後 最終候補の一人に選ばれた
二度目の採決時に呼び出されコーディネーターがついた

コーディネーターは最終候補にはドナー提供のリスクを
これでもかというくらいに説明してくれた後 意思確認をしてきた

ためらうことなくドナー提供に合意した
合意後もコーディネーターは提供手術のリスクを説明し
ドタキャンしても構わないとさえ告げてきたが
まったく迷いはなかった

それは
あの日の授業であの話を聞いて以来 ずっと覚悟を決めていたから
自分は溺れる人を見捨てて自分が生き延びる人生は嫌だと決めていた

最終採血が終わって2〜3か月経過したけれど 連絡は来なかった
なので こちらからバンクに最終結果を問い合わせた

帰ってきた答えは 「残念ながら もう必要がなくなりました」だった
助けようと板を差し出す前に 相手は溺れてしまったのだ

覚悟を決めていても 変えられない運命があることを知った





ああ いつだったか
沈む太陽が 大きくて真っ赤に見えた日

虫取り網を持って草っぱらに立ちつくして
息を胸いっぱいに吸い込んだことを思い出しました

あの時 草花や生き物の匂いで胸が満たされました
満たされたのは心も同じでした

その時 生まれて初めて 自分の心に気づきました
でも いつの間にか自分の心を見失っていました

あなたの髪の匂いに胸が満たされた瞬間に
私の心があの日のように満たされました

私は髪の匂いに心を満たされて
生まれて初めて心に気づいた日を思い出しました

あの日が私にとって とても大切だったように
あなたが私にとって とても大切だと確信しました
誰かを好きになると
この上ない幸せを感じ
生きていることが楽しくなり
人生がとても豊かになります

誰かを好きになると
とても不安になり
時に自信を失い 
悲しみを味わうこともあります

誰かを好きになると
好きになったことを後悔したり
自分のことが嫌いになったり
ねたむ心を抱いたりします

でも
いいことばかりではないと
頭の中ではわかっていても
人は誰かを好きになります

落ちるように誰かを好きになるのは
良し悪しの判断の範疇にさえなく
ものを食べることさえ忘れ去るくらい
根源的で絶対的に素敵なことだからです


人には
言ってもわからない人
言ったらわかる人
言わなくてもわかる人
が います

物事にも
言ってもわからない事
言えばわかる事
言わなくてもわかる事
が あります

加えて 物事には
言わなければならない事
が あります

言わなくてもわかる人
に 対しても
言わなければならない事

それは
きちんと言葉として
伝えることで
相手を幸せにする事


いつの頃からか
いつまでも変わらない
永遠ということに憧れを抱き始める

そうすると
永遠に変わらない気持ちを
抱かせてくれる相手を求め始める

両親の愛情は
いつまでも変わらないと
信じてはいても
本能的に自分の一生ものではないと
どこかで気づいているから

やがて
この相手となら
永遠の愛を誓え会えると
信じさせてくれる人との出会いがある

でも やがて知ることになる
永遠に変わらないものなど
この世には存在しないということを

全ては変化の中にあって
その変化に対応しながら
人は皆 今を生き続けている

時に
その変化に対応できなくなって
今まで通りには生きていけなくなる

別の生き方をしなければ
この先 生きていけないと
本能的に悟ってしまう時がある

たとえそれが
他の誰かを深く傷つけてしまうとしても
我慢すれば 今まで通りの毎日が
続けられると分かっていても

人は自分を殺してまで
生きていくことに
自分の存在理由を見出せないから

もがき 苦しみながら
かっこ悪い自分を引き受けながら
時に 誰かに迷惑をかけてさえ

人は生きる希望を見つけるために
自分の新たな存在理由を
魂の力を振り絞りながら探し続けるのだろう



誰かが
木を見て森を見ず
と諭す

別の誰かが
木も森もどちらも見よ
と諭す

木を見て
木を見た気になるなとは
誰が言ったのだろう

大地に
そびえ立つ木は
大地から見ては分からない

あの枝は
なぜあの幹の場所から
伸びているのか

あの枝は
なぜあの方向にあの角度で
伸びているのか

あの枝は
なぜあのように
枝分かれしているのか

見上げる場所からでは
そびえ立つ木のことはは
ほとんど分からない

木は知っている
なぜこんな風に
枝を伸ばすのか

木は知っている
なぜこんな風に
枝分かれさせるのか

木は知っている
なぜこんな風に
葉を茂らせるのか

お日様だって知っている

木が精一杯光を
受け止めようとして
枝葉を伸ばしていることを

無駄の一つもなく
間違いややり直しもなく
枝葉を伸ばしていることを

木を見て
木を見た気になるなとは

一体誰が言ったのだろう

誰かが
木を見て森を見ず
と諭す

別の誰かが
木も森もどちらも見よ
と諭す

木を見て
木を見た気になるなとは
誰が言ったのだろう

大地に
そびえ立つ木は
大地から見ては分からない

あの枝は
なぜあの幹の場所から
伸びているのか

あの枝は
なぜあの方向にあの角度で
伸びているのか

あの枝は
なぜあのように
枝分かれしているのか

見上げる場所からでは
そびえ立つ木のことはは
ほとんど分からない

木は知っている
なぜこんな風に
枝を伸ばすのか

木は知っている
なぜこんな風に
枝分かれさせるのか

木は知っている
なぜこんな風に
葉を茂らせるのか

お日様だって知っている

木が精一杯光を
受け止めようとして
枝葉を伸ばしていることを

無駄の一つもなく
間違いややり直しもなく
枝葉を伸ばしていることを

木を見て
木を見た気になるなとは

一体誰が言ったのだろう

いろいろな瞬間の

たとえば
小4の夏休みや
小6の春休み
中2の夏祭りや
高2の初詣
なんかに

とても大切な
本当に大切な
忘れ物を
していることを
憶えていたりする

そのうち取りに戻ろうと
そう思っていても
いつも
あいまいに時は過ぎて

忘れ物のことは
しっかりと憶えているのに
どこにあるのかを
忘れてしまったり

ある場所までは
しっかりと憶えているのに
取りに戻る道を
忘れてしまったり

そんなふうにして
もう間に合わないと
あいまいに諦めている
自分がいる

生きてきた間
気づかないうちに
とてもたくさんのものを
背負い込むけれど

生きてきた間
気づかないうちに
とてもたくさんの忘れものを
置き去りにしている

あの日あのとき
あの場所に置いてきた
忘れものが
いまこの手にあったなら

それは

飛び越えなかった水たまりや
言えなかったありがとう

奮えなかった伝える勇気や
握りろうとして引っ込めた手

いつかそのうち
そう思って
生きてきたけれど
相変わらず
忘れものは増える一方

でも
置き去りにした
その忘れものが

生きていく間に
本当に大切なものを
思い出させてくれている

人は
過去に戻って
誰かに
謝ることはできない

あの時のことを
許してほしいと
今 その相手に
謝ったとしても

その時に
深く傷ついた
相手の感情は
取り消せはしない

そうであったとしても
人には
過去に戻って
誰かに
謝りたいことがある

他方で
人には
あの時のことを
謝ってほしいと
思うことがある

あの時
深く傷ついた
感情を
なかったことには
できないけれど

心の襞に
突き刺さったままの
棘を抜きたいと
思っていることもある

とてもあいまいで
とても矛盾していて
とてもありがち

それは
赦すことが
難しく
赦されることが
喜びだからでは
なかろうか

傷ついて当然
怒って当たり前
恨んでも仕方がない

そういう時に
赦すことは
本当に難しい

でも
赦されなくて
当然だから
赦されることに
喜びを感じるのでは
なかろうか

赦したら
自分が自分で
なくなるようだから
赦すということは
とても尊いのでは
なかろうか

人は
過去に戻って
誰かに
謝ることはできない

けれど

人は
過去の過ちを
誰かに
赦してもらえるのでは
なかろうか

そして

人は
誰かの
過去の過ちを
赦してあげられるのでは
なかろうか

過去はもうない
未来はまだない

現在はあり続ける
生きている限り


過去の延長に
現在があり

現在の延長に
未来があるから

現在がないなら
過去も未来もない


どう生きるかは
どう死ぬか
ということ

だからいつも
どれくらい
死にたいかを
自分に問い続ける

それが
どれくらい
生きたいかを
自分に問うことだから

過去からつながる
現在をどう生きて

現在から続く
未来をどう生きて

最後の最後に
未来の果てに
つなげるという
ことだから




本当の幸せや喜びは
独り占めできないように
なっているのではなかろうか

独りだけが幸せで
独りだけで喜んでいても
それは本当でないように思う

他の誰かと分かち合って
初めて幸せは幸せになり

他の誰かと喜び合って
初めて喜びは喜びになる

そんなふうになっているから
誰かが幸せになるところででないと
人は幸せにあずかることができない

それが自然なことだから
誰かと一緒ではないところで
人は心から喜ぶことができない

だから

誰かを幸せにする人というのは
何かを与えてくれる人ではなくて
与えられたものを受け取って
幸せになってくれる人ではなかろうか

誰かを喜ばせてくれる人というのは
誰かを喜ばそうとする人ではなくて
喜ばせてくれる人と一緒に
喜んでくれる人ではなかろうか

やはり

人生の終わりに残るものは
我々が集めたものではなく
我々が与えたものである

・・・のではなかろうか

淡々と
ただ淡々と
過ぎ去る毎日

曜日という
名があっても
朝昼晩は同じ

日付という
番号があっても
一日は24時間

そんな毎日に
生活があって
毎日が違ってくる

生活は
しやすい方が良く
生き辛さは避けたくて

でも生き辛さは
確かにあって
誰かは苦しんでいる

苦しい人には
支えようとする
そんな人がいる

内面的な困難や
生きがいの創出に
関わりながら

苦しいときには
あの人がいてくれる
そう思うと乗り越えられる

顔を見るとほっとする
たくさん話したいことがある
そういう関係を築く

どうしたら
希望を育むことが
できるのかと

淡々とした毎日
支える人は
問い続けている

生き辛い人が
希望を胸に
生きる日を目指して


人は一人では
生きていけないという

私は一人では
生きていけないと思う

人は生れながらに
幸せになる権利があるという

私は生れながらに
幸せになりたいと願っている

ここで私には
素朴な問いが湧き上がる

一人では生きていけない人が
幸せになるにはどうすればいいのか

一人では生きていけない私が
幸せになるにはどうすればいいのか

答えを見つけるのは
さほど難しくはないのではなかろうか

一人では生きていけない人は
みんなで幸せになればいい

一人では生きていけない私は
みんなと幸せになればいい

問題となるのは難しくない答えを
普遍的に実現するということ

一人で生きていけない私は
みんなと一緒でなければ
幸せになれない

みんなが幸せにならないと
一人で生きていけない私は
幸せになれない

だから

誰かの幸せを願うことは
自分の幸せを願うこと

自分の幸せを願うことは
誰かの幸せを願うこと

たとえ難しくとも
誰も人はみな誰かと一緒でないと
本当の幸せになれないのではなかろうか



2020年12月25日 クリスマスの日

共に過ごすことも
やがて去っていくととも
最初から決められていたこと

互いに思い出は
数えきれないほどあるけれど
 
心に刻まれた数々のことを
一言に託したくて

ただただ幸多かれと
この詩をうたう


旧い事柄は
忘れていくものなのだろうか

古き昔も心から
消え果てるものなのだろうか

あの時二人は
花の美しさを分かち合った

でも古き昔より時は去り
二人はよろめくばかりの
距離を隔て彷徨っていた

二人は日がら山を超え
川に涼み共に空を見上げた

でも古き昔より二人を
隔てた荒海は広かった

時を戻そうとは思わない
なかったことにしたくないだけ

過去の自分がいるから
今の自分がいて

今の自分がいるから
これからの自分もいる

だからずっと
これからも

生きる理由を
見つめている

春が
まだ 青かった頃

もう少し
強ければ

叶ったかも知れない
数々の想いがあります

でも
それ以上に

応えられたかも知れない
いくつかのおもいがあります

いくつかのおもいは
春が青くなくなっても

ずっとずっと
心の中に
澱のようにとどまっていて

数々の想いは
忘れ去られたままなのに

いくつかのおもいは
ふいに頭をもたげます

春が
まだ 青かった頃のように
心が強くなくなったとき

懐かない子ねこが
なぜかすり寄ってくるとき

いくつかのおもいは
心が擦れているところから

ぽろぽろと
漏れ出してくるのです

ああ 応えられなくて
悲しませたおもいは

大人になった今
赦してくれるだろうか

そんなことも あったねと
笑い飛ばしてくれるだろうか

懐かない子ねこが
すり寄ってくれるように








目覚めて

目を開ける
前から

今日はただ
何をする日か

分かっていた
毎日

そんな日々が
ごく当たり前で

あまりに
当たり前で

疑問さえ抱かずに
過ごしていた


ある日を境に 
それは
今日することが
何であるか
一番分かっていた
その日を境に

朝目覚めて
目を開ける前から

今日することに
逡巡し始める

もうしなくても
よくなったこと

そんなことしか
思い浮かばないから

思考は着地点を
見いだせず

気持ちは乱気流を
彷徨い

落ち着かないまま
目を開ける


もうすべきことは
終わってしまって

あとは
結果をただ待つだけ

そんな日々が
しばらく続くと

そう自分に
言い聞かせる

苦痛でしかない
不自由でしかない

そう思っていた
毎日には

不思議な充実感が
あって

やるべきことに
迷いがない時と言うのは

人生には
そうはないと気づく

また以前の
生活に戻せばいいだけ

それは
そうなんだけれど

でもそれは
リハビリではない

結果によらず
これから始まるのは

そう
リカバリーの日々

新たな自分を求めて
自分の力だけでなく

誰かの力に
寄り頼んでも

違う意味で
自立し

違う意味で
自律した

そんな
そんな

新しい日々の歩みが
始まるのだと思う
「寄り添う」と言うこと

価値観の共有
信頼関係の構築

否定せず
ただただ傾聴すること

生い立ちや
人格形成過程を受け止める

相手の尺度や
判断基準を尊重すること

社会的立場からではなく
人と人の同じ目線で向き合うこと

時に沈黙を分かち合い
非言語的反応を汲み取ること

共感的理解
ことわりのない受容

どれも正解で
どれも全てではない

なぜなら
どんなに願っても

私はあなたになり得ず
あなたも私にはなり得ないから

寄り添うことには
限界があり

寄り添うと言うことを
言い表すにも限界がある

けれど絶対に
忘れてはいけないのは

「自分」ではなく
「相手」がどこまでも

主体である
ということではなかろうか

だから
「寄り添う」と言うことは

言い表すことも
行うことも
難いのではなかろうか

その日がくるまで
自分らしく生きる

生れて育まれて
立って歩いて

食べて話して
歩いて勉強して

進学して参加して 
交流して関わって

楽しんで貢献して
頑張って成し遂げる

ずっと上向きだった
人生のベクトルは

いつの頃からか
気を抜くと下降し始める

やがて誰かに
支えられないと

ベクトルが
上向きならなくなる

上昇と下降を
繰り返しつつ

自分のピークアウトに
気づくようになる

できていたことが
できないことになり

困り事が
手に余り出す

諦めることを覚え
出来ないことに慣れる

そこから
始るものがある

そこで
気づくことがある

自力で2時間かけて
外出着に着替えるより

誰かに
手伝ってもらい

15分で着替える方が
より自立しているということ

1時間45分を
外出の時間に回すことが

人生を
より豊かにするということ

できないことが
手に余るときには

胸を張って
誰かの助けを借りて

自分らしく生きる

その日がくるまで

本当は
みんなどこかで
分かってる

今日が
毎日の決断の
結果だと

あの時
楽な方を選んだ
あの時
難しい方を選んだ

あの時
行かないことにした
あの時
行くことにした

あの時
あの人を選んだ
あの時
あの人を選ばなかった

全て
決めさせられたのではなく
全て
自分が決めてきたのだ

確かに自分の力では
どうしようも出来ないことがあった

他にどうすれば良いのか
選択肢がない時があった

でも本当に
そうなのだろうか

人生には答えの見つからない
問いがたくさんある

長く生きれば
その問いはどんどん増えていく

でも答えが一つしかなかった問いは
一度もなかったのではなかろうか

決める権利があるものは
決めた結果に責任を負うのだから

自己決定権や
意志決定権というものを

たやすく奪い取れる
得体の知れないものなどはない

あるとすればそれは
自分の心に住んでいて

自分で決めたことを
あたかも決めさせられことのように

思い込ませているのでは
なかろうか

昨日までも
今日も

そして明日からも

蛇口は悩んでいた
水を漏らしてはいけないのに
パッキンが劣化していて
水を漏らしてしまうようになったから

少し気が緩むと
水が漏れていることがある

主がそのことに気づいて
力強く閉めるようになったのだが
こらえきれないときが増えた

主はますます力強く
閉めるようになったので
蛇口はきつく閉められて

でも漏らさないようにと
板挟みになった

主が旅に出て
しばらく蛇口に暇が出来た

その間 蛇口はずっと
思案していた

どうしいたら前みたいに
水を止めることが
できるようになるのかと

主が旅から戻り
手を洗うために
久しぶりに蛇口を開いた

精一杯頑張ったけれど
パッキンは
ますます劣化していて

主が力の限り閉めても
水は完全には
止まらなくなっていた

強く強く閉められて
きりきりとした
痛みを感じながら

申し訳なく
水を漏らしながら
それでも
蛇口は悩んでいた

蛇口から滴る水は
まるで
蛇口の流す
止めどない涙のようだった


氷がとけたら
なんになる

氷がとけたら
水になる

これは正解
ほかには?

氷がとけたら
春になる

これは正解?
まちがいではない

池の水も
小川の水も

北国の長い冬の間
ずっと凍ったまま

凍っていた氷が
とけたら

長い冬が終わって
春になる

だから
これは正しい答え

氷がとけたら
春になる

知識ではなく
生きていく知恵







きれい事を言うと
人は
生きているだけで
価値がある

本音を言うと
人は
生きていることで
面倒をかけることがある

人が生きていることは
どちらも同じ

きれい事と
本音の境界

価値と
面倒の境界

その境界は
どこにあって

その境界は
誰が決めるなだろう

きれい事が
本音になることは
ないのだろうか

面倒が
価値になることは
ないのだろうか

きれい事を
本音にするには
面倒を
価値あることに
すればいい

でも
どうやって

誰かに
面倒をかけることに
価値はないのだろうか

誰かの
面倒を見ることに
価値があるならば

誰かの
面倒を見たいと
思う人がいるなら

面倒にも
価値があるのでは
なかろうか

面倒にも
価値があるならば

きれい事は
本音になるのでは
なかろうか

いのちの集合体では

誰かが誰かの
面倒を見ていて

誰かが誰かに
面倒を見られている

かくして

いのちの集合体では
いのち同士によって

誰かと誰かの
関わりによって

きれい事が
本音になり得る





ダサいなぁ
恰好わるいなぁ
そんな風に
自分を悪く思うとき

イケてるなぁ
恰好いいなぁ
そんな風に
自分をよく思うとき

どちらの自分が
本当の自分かは
この際どうでもよくて

どちらの自分も
おそらくは
本当の自分であって

決定的に違うのは
他の人に好まれるのが

恰好わるくて
ダサい自分だということ

そのことは
他の人を見ていたら
分かることなのに

ひとはみな
格好つけたがる

その方が人に
好かれると
信じているから

でも実際は
そうではない

恰好つけている人は
凡そ鼻持ちならない

失敗したり
ドジ踏んだり
泣きべそかいたり

恰好悪い人には
とても親しみを感じる

本当に人と人を
近づけるのは

華々しい成功談や
輝かしい経歴ではなくて

いつかの恰好悪かった
自分と同じような

いつかの悲しみに暮れて
泣きべそかいていた
自分のような

何やってもうまくいかないと
落ち込んでいた
自分と同じような

他の人の
そんな姿ではなかろうか

そうであるなら
病にも失敗にも障がいにさえも
心優しく愛しい意味が
見いだせるのではなかろうか



列車の行き先と乗り換えは
確認していたはずだった

同行者もいて
間違いない乗車だった

とある駅を過ぎた
その駅から行き先が分かれる

その後見慣れた顔の
同行者の姿を見失った

ついさっきまで
みんな同じ車両にいたのに

気がついたら
誰一人いなくなっていた

胸騒ぎがして
次の停車駅を確認すると

あの駅のあと
違う路線に入っていた

みんなはあの駅で
乗り換えたに違いなかった

なぜか自分はうたたねして
乗り換えるのを怠った

どうやって戻るか思案した
次の駅で降りてあの駅に戻る

それしかなかったが
いつまでたっても次の駅に到着しない

もう同行者とは合流できない
そんな諦念にとらわれ始めた

なぜ乗り換えを失念したのか
なぜあの時うたた寝したのか

自問と後悔ばかりを繰り返し
ロスした時間の大きさを考えた

ここでいつも
胸が苦しくなって目が覚める

こんな夢をたびたび見て
こんな夢に動揺させられる

人生にはタイミングの悪い失態と
リカバリーの困難な失敗がある

そんな経験を数多くしたからか
いつからか繰り返し見るようになった夢

でも最近になってようやく
別な考え方ができるようになってきた

夢の中のいつもの展開
違う行き先の列車の中で

戻って合流することが
唯一の方法ではないと思い始めた

間違ったまま
行き先を変えてもいいのではないか

一人で予定外の地に降り立ち
想定外の出会いや経験もいいのではないか

夢の中で
そう言い聞かせる自分が現われた

人とは違う人生は
確かに困難が多いだろう

でもそこには
自分だけの人生があるように思う

自分を悩ませた夢は
新たな人生の選択を促す

そんな方向に
自分を導いているように感じる

迷子は人生の本質
そんなことを嘯きながら





人から言われて
気がつくことがある

人に言われるまで
気づかないことがある

それは
誰かに言われなければ
自分では気づかないこと

それは 自分の知らない
誰かと出会って初めて
気づく自分

だから
誰かとの出会いは
新たな自分との出会い

いろんな人と出会い
いろんな人と関わり
いろんな自分を見つける

いろんな自分は
全部がいい自分ではなくて

いろんな自分には
嫌な自分もたくさんいて

それでも
嫌な自分も含めて
全部が自分なのだから

たとえ不完全であっても
たとえ傷つけあうことがあっても

自分はたくさんの誰かと出会って
自分はたくさんの誰かと関わって

たくさんの自分を見つけて
たくさんの自分と出会って

自分は自分の人生を紡いでいく
それが自分の存在理由だから



それは
想像しうる限りで
果てしなく 最も
脆いものだと感じていた

桜の花びらを散らす
春の風にさえ耐えきれず

真夏の日照りなんかでは
瞬間にひび割れて

ともすれば秋の
月明かりにも脅かされ

木枯らしの前では
なすすべもないくらい

だから
どうしても思いは
打ち明けることが
できなかった

微かな感性で
繋がっている関係

決して引くことは
ないけれど

ワンチャンねらいで
冒険することもあり得ない

微かに 朧気に
感じ取れるつながり

気を抜くと
あっと言う間に
壊れ 崩れ 消え去る 脆さ

いつも怖じ気づいていて
失うことだけが怖くて

そのままでは
取り返しがつかなくことに
気づかなかった若い日

あの頃の自分に言えるなら
人生はタイミングが大事で
逃したら
二度と戻ってこないということ

壊れることも覚悟する必要な
時があるのだということ

それもまた人生の淡い
思い出と割り切るまで
長く辛いということ



それは
手で触れたこともなく
見たことすらないけれど

それは
温まったり 浮いたり
震えたり 響いたり

折れたり 動いたり
穴が空いたり 染みたりして

揺るぎない存在感を示すが
なかなか本性は分からない

またそれは
躍ったり 沈んだり
弾んだり 奪われたり

通い合ったり 病んだり
入れ替わったり 適ったりして

時により 場所により
相手により 結果により
予測不能に変化する

そしてそれは
砕いたり 籠めたり
尽くしたり 汲んだり

傾けたり 鬼にしたり
開いたり 刻んだりして

いつも どこでも
何度も 繰り返し

生きてることの
理由を問いかける

それは
配ったり 交わしたり
許したり 合わせたり

晴れたり 時雨たり
澄んだり 和いだりして

その狭さや 
刺さっているものに
悩んだりもするけれど

その時が来るまで
自分らしく育んでゆく

それは

― 心






「寄り添う」と言うこと

誰かの生きづらさは
目に見えにくいことの方が多い

目に見えにくいことの方が多いから
生きづらさに寄り添うことが難しい

寄り添うことは難しいけれど
寄り添うことができないわけではなくて

寄り添う意志が求められて
想像力を働かせることも求められて

自分の常識が誰かの常識ではないこと
誰かには自分の常識が通用しないこと

知らなければ気づかないことや
気づかなければ傷つけてしまうこと

いろいろと知ることが求められて
いろいろと行うことが求められる


「たいことばちをもってきて」
多くの人には問題なく伝わることが

誰かにはうまく伝わらなくて
生きづらさにつながるのです

「たい ことば ち を もって きて」
そんな風に聞き取ってしまう人がいるのです

そんな風に聞き取ってしまうと
どうしていいか分からなくなるのです

どうしたらいいか分からなくなるので
生きづらさを感じてしまうのです

だから寄り添うことが必要で
そのために意志や想像力や知ることが大切なのです

「太鼓と、ばちを持ってきて」
メモに書いて渡すと伝わります

「タイコとバチをもってきて」
子どもだとこちらがベターです

なぜ伝わらないのか
なぜ言ったようにできないのか

なぜいつも時間がかかるのか
なぜ分からなければ聞かないのか

誰かに原因を求め
誰かに改善を求める

それでは生きづらさは変わらなくて
それでは誰かを傷つけてしまう

だからこちらから寄り添うのです
生きづらさがなくなるように

誰かに寄り添うことが
誰かに寄り添うことにつながって

いつの日か
自分が誰かに寄り添われている

そんな日が来るといい
いつかそんな日が来るといい


ミクログリア

ひとの脳には
およそ1000億個の
神経細胞があるのだそう

神経細胞は
生れてからだんだんと
増えるのではなくて

赤ちゃんの脳には
すでにほとんどの
神経細胞が備わっていて

18歳までの発達期には
神経細胞同士をつなぐ
「回路」すなわちシナプスを
一生懸命に作っているのだそう

脳がスムーズに働くためには
適切な場所に適切な回路で
つながらないといけなくて

こどものうちは
いらない回路も
たくさん作られて

後から重要度の
高い回路だけを選び出し
整理して大人の脳になる

シナプスを
作っている最中の
こどもの脳はとても不安定

いろんなことを吸収し
いろんなことに感動し
そして
いろんなことに傷つく

発達期の脳は
必要な回路を
取捨選択するために
抑えきれないくらい
たくさんの回路を
作るのではなかろうか

そのために
何でも無防備に
吸収するのではなかろうか

そして
その無防備さゆえに
些細なことに
深く傷ついてしまいもする
のではなかろうか

発達期の心は
育むことが
うれしくて
難しい

そんな
アンビバレントな
危うさを秘めている
のではなかろうか

いつの頃からか
どうしてなのか

わからないまま
繰り返すことがある

たとえば電車の窓から
ふと見かけた風景で

誰も住んでいないと
一目で分かるような廃屋

もう何年もシャッターを
下ろしたままであろう店舗

最後に灯ったのはいつだったか
分からないような壊れた電飾看板

そんなのを見かけると必ず思うのは
それが出来上った時などの喜びの風景

あの朽ちた廃屋も出来上るの日を
楽しみにしていた人がいたはず

閉ざされたシャッターの店舗も
初めてそれが下ろされた日には
限りない期待が寄せられていたはず

破損して中が見えて
電球が切れている電飾看板も
初めに灯されたときは誇らしげだったろう

時は流れ 世は移り
風が吹いて 雨が降って 日が照って
あらゆるモノは変わりゆく

それがはかなげで
一抹の寂しさを覚えるけれど
それが当たり前

だから人は
いつまでも変わらないものに
憧れを抱くのだろうか

もしかしたら私は
自分も含めた人々の変化に
ふと見かけた風景を
重ねているのだろうか
こころは
闇を彷徨ってきた

彷徨い続けてきたのは
肉体を含めたすべてのもの

なので
彷徨ってきたのは魂そのもの

その闇は果てしなく
その闇はどこまでも深い

地に足が着いている感覚はなく
歩き出す方向も定まらない

手に触れるモノは
同じモノでも都度感触が変わる

口から出た言葉は宙を巡りつづけ
自分の耳に帰結する

誰かの声は聞こえても
同じ人の声も都度変わる

このままずっと
闇に紛れ続けるしかないと諦めていた

出会った人の中には
毎回同じ声の人もいた

そんな人には
頼りたい気にもなったけれど

ずっと寄り添ってくれる人は
ついぞいなかった

そんな人たちもまた
やがては闇に紛れていった


最近何かが変わってきた
何が変わったかはまだ分からない

彷徨い続けた闇か
闇を彷徨っていたわが魂か

期待はとうに諦めたけれど
この変化は逃したくないと感じる

自分が自分らしく生きる
そんなことは望んではいけなかった

だけどこの変化が本物ならば
もしかしたらその先には

希望という得体の知れないものが
見えるのかも知れない

その期待感は闇の中で生れた
新たな温もりとして
再現性をもって存在し始めている

失うことを知ることすらなかった
闇の中の魂の中に


子どもの頃
眼科に通うことが多かった

ものもらい
結膜炎
逆睫などなど

お世話になったのは
すぐ近所にあったM眼科

憶えているのは
どんな治療をしたかではなく

待合室に掛けてあった
風景が描かれた洋画と

至近距離で眼を洗ってくださる
先生の息づかい

待合室でその洋画を眺めていると
そこに描かれた風景に溶け込んで
日常から離れた気分に浸ることができた

硝子のポットのようなモノに入った液体で
眼を洗い流すときに聞こえる先生の息づかいは
病院嫌いの自分に安心と落ち着きを与えてくれた

幼心にこの先生は絶対に痛い治療はされないと
お年を召されているとおぼしき先生の
優しい息づかいから感じ取っていた

あれから長い年月が流れて
時々で所々の眼科を訪ね
幾多の眼科医に受診してきたが

今でも自分にとって眼科は
あの洋画の掛かった待合室の
M眼科に他ならず

眼医者さんと言えば
息づかいから優しさが伝わった
M先生に変わりない


いつから咲いて
いつ散ってしまうのかも
知らずにいた桜のことも

入ったと言っていたので
いつか出ていくと思っていたら
なぜか開けたと言われた梅雨のことも

永遠に続くものと
理由もなく思い込んでいた
セミの大合唱のことも

毎日のように
陽が暮れる時間が
どんどん早くなっていく季節のことも

陸よりも海の方が暖かいから
冬には北から吹いてくるのだと
知らずにいた季節風のことも

何度も季節が巡るのを経験して
学校の授業で習ったり
テレビのニュースで聞くうちに

知識として身について
そのことわりを知るけれど
やっぱり知らないことがどんどん増えて

知らないことは
憶える速さをいつも上回って
やがて憶えることを諦める

憶えることを諦めて
知らないことを飼いならすと
初めてわかることがある

幸せになるためには
すべてを知る必要はないということ

すべてを知っても
幸せになれる訳ではないということ

知らない方が
幸せなこともあるのだということ

だから
いのちには限りがあっても
幸せになれるということ




人の世は理不尽なことばかり
というよりも
理不尽だから人の世なのだろうか

水温が高くなって
珊瑚がそこに住めなくなっても
珊瑚は理不尽と感じない

毎年巣を作っていたいつもの軒下が
いつの間にかビルになっても
つばめは理不尽と思わない

川に水が濁って
住み慣れた場所を追われても
魚たちは理不尽なことと思わない

理不尽となる原因を作り出した
人ばかりが
それを理不尽だと思う

ただそうではあっても
人がその原因を作り出さなくても
人の世には理不尽がある

その母に8歳と6歳の息子がいて
これから共に人生を楽しむつもりでも
突然の難病がそれを阻むことがある

息子が生まれて
一歳の誕生日を祝ったばかりなのに
不治の病が父親を奪い去る

人が作って
誰かに迷惑をかけて
人だけが感じる理不尽

人の力の及ばない
人の無力さだけを思い知らせる
心がちぎれる理不尽

どちらにしても
人の世だけが
理不尽に満ちている




子どもの頃の悩みは
大人になるにつれ
だんだんと
悩みではなくなることがあります

その一方で
大人になるにつれ
子どもの頃には
なかったことが
新たな悩みとなることがあります

それは

子どもの頃の喜びが
大人になるにつれ
だんだんと
喜びではなくなるのと
同様のようであり

大人になるにつれ
子どもの頃には
喜びではなかったことが
新たな喜びになるのと
同様ようでもあります

そんなことを
繰り返しながら
いくら抗っても
人は大人になっていきます

ひとたび
大人になってしまうと
子どもから大人になる前には
見過ごせていたことが
見過ごせなくなり
定まった人格や志向に
向き合わざるを得なくなります

それが自分や身近な人には
受け入れ難いもので
あったとしても

自己と他者の覚知に
隔たりがある場合
とりわけ
他者の覚知が
世間一般の常識と
解されている場合

世間一般と乖離した
自己覚知は
生き辛さを招くことになります

これが
大人になるにつれ生まれる
子どもの頃にはなかった
新たな悩みです

その一方で

生き辛さを招いた
自己の覚知を
受け入れてくれる
他者との出会いがあります

生き辛さを
そのまま ありのまま
受け入れ 認めてくれる
心豊かな出会いです

これが
大人になって生まれる
子どもの頃にはなかった
新たな喜びです





夢は大きいほうがいい
できるだけ大きな夢を持とう

間違ってはいないが
それだけが正解だろうか

オリンピックに出場する夢
オリンピックでメダルを取る夢

オリンピックで金メダルを取って
国民に感動を与える夢

それは本当に素晴らしいのだが
銀や銅メダルで悔しがり泣くのはなぜ

それは限られたものを奪い合うから
勝者と敗者に分けられるから

確かに厳しい世界だから
より大きな感動は生まれる

でも限られたものしか
それを手にできない

開会式に参加したのは
200を超える国と地域

なんか

ほかの正解も
あるのではなかろうか

小さなものに
幸せを見つける夢があっていい

ありふれたものに
感動する価値を求めていい

小さなものや ありふれたものは
奪い合わなくていいから

そんな正解が
あってもいいのではなかろうか





言ってはいけないときに
言いたいことを言ってしまう

言わなければならないときに
何も言わず緘黙する

言わなくてもいいことを
誰にともなく言い続ける

言いたいことがまとまらず
誰にも理解してもらえない

言いたいことがありすぎて
とめどなく言い続ける

そうすると
メンタルヘルスを疑われる


言いたいことがあっても
言わずに我慢する

言いたくもないことを
場を読んで言葉を取り繕い続ける

言わなければならないことを
高評価につながるように苦悶する

言いたいことは他にあるのに
自分の立場を守る言葉を選んで話す

言いたいことが山ほどあっても
機嫌を損ねまいと押し黙る

そうすると
メンタルヘルスを損なう


何が正解なんて
分からないけれど

話しているほうではなくて
聴いているほうが

間違ってはいけないのだと思う





偽ること 
欺くこと
逃げ出すこと

良い行いではない

裏切ること
騙すこと
嘘つけること

できればしたくはない

傷つけること
歯向かうこと
取り乱すこと

到底されたくはない

盗むこと
破壊すること
誰かを拘束すること

絶対にかかわりたくない

だけど
どうなんだろう

厭うべき行為は
絶えず世界の中で
行われていて

そんな世界で同時に
毎日食事をして
夜眠りについて
日常を営んでいる

だとすれば

そんな厭うべき行為も
食べたり眠ったりする
この世界の
日常だったりするのではなかろうか

いつ誰が
厭うべき行為の
当事者になるかなんてわからない

すべては
この世界の
日常の営みだから









今まで いろいろとありがとう
じゃあ そろそろ行くね

 どうしても 行っちゃうの
 ずっと ここに居られないの

ここの居心地は最高さ
でも いつまでも居るわけにはいかないよ

 なぜ 最高に居心地がいいのに行くの
 もっと居心地がいいところを探すため?

そんなんじゃないよ
ここより居心地のいいところを求めてるわけじゃない

 だったら 行かなくてもいいじゃん
 ずっと ここに居ればいいじゃん

そうだね そうできるといいね
でも そうはできないよ

 なぜ できないの?
 みんな あなたを必要としているのに

ありがとう そんな風に思ってくれて
でも そんなのはいつまでも続かないんだ

 いつまで続くかわからないから行くの?
 少なくとも 今はそう思っているよ

だから 今行くんだよ
居てほしいと思ってくれている時にね

 そんなの変だよ
 みんな悲しむって分かっているのに

いつまでも そんな風には思ってもらえないよ
いつか 出て行ってほしいと思われる時が来る

 絶対にそんなことないよ
 私はいつまでも居てほしいもの

ひとの心は変わっていくもので
今が永遠に続くことなんてないんだ

 私も変わってしまうと言うの?
 私は絶対にいつまでも変わらないよ

この世に永遠に変わらないものなんてないんだ
夜空の星座でさえ変わっていくようにね

だから みんなの心が
今のままでいるうちに
出ていくのが一番いいのさ

みんなの心が変わってからでは
遅いんだよ
それではいい思い出になれないからね

さようなら 元気でね

 ・・・

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