ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ササイのことで思い出したコミュのThe Strange Girls──裸足でピアノを弾く女【30】最終章

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 当時の俺は、学校はかろうじて卒業したものの、長い間のアルバイト先だった翻訳会社を飛び出し、食うや食わずの日々だった。
 ローンで買ったラップトップパソコンでデータベース入力のアルバイトをしたが、もともと賃金が安い上、やる気がないために発生する打ち間違いが多すぎ、ペナルティをさっ引かれてまったく金にならなかった。
 ゴールデン街で知り合った女の子のコネで短編小説を書かせてもらっていた広告雑誌は、とてもいい原稿料を払ってくれたが、二号で潰れた。
 商品カタログの撮影現場でアシスタントを務めたが、スタジオ付きのスタッフの半分も役立つことが出来ず、そのうえ彼らの月給がたった七万円程度だと知るに及んで、プロになるつもりでもなければ深入りする世界ではないなと思った。

 誰かに勧められ、俺は初めて確定申告というのをした。
 新宿の、路地のようなところにある税務署で、俺はのっけから尋ねた。
「いくらくらい還ってくるもんなんでしょうか?」
「それを今から計算するんですが」
 今にして思うとかなり横柄な銀縁眼鏡が、ぶっきらぼうにそう言った。
 結局、年の稼ぎが百万円にも満たなかったので、還ってくることになったのは十万足らずだ。
 はっきりと教えてくれない振込までの日々を、どうやってすごしたんだったか。
 母から送ってきたそうめんを茹でたり、料理自慢の女の子の家にでも行ってお世辞でも言っていたんだろうか。
 
 還付金の振り込みを確認した日、俺は自分から森沢に連絡を取った。
 とはいえ、かけた電話の番号は、S美のものだ。 
 少々驚いたことに、二人はまだあの狭い部屋に住んでいるらしかった。
 もっとも、近々引っ越しを考えていたそうで、俺の電話は絶好の好機だったとのこと。
 しかし森沢は不在で、それらの話を俺は、S美から聞いたんだった。

「森沢に、借りているものがあるから、返したいんだ」
「あら、そんなの、もういいじゃない? あたしから言っておくわ」
「そうもいかないさ」
「ちなみに、おいくら?」とS美は電話の向こうで笑っている。
「電話の権利を買い取るとして、だいたい七万円かな。それと、敷金が九万円のはず」
「そんなの、時効時効」
「S美さんから借りたんなら、それでいいんだろうけど」
「ねえ、もしかしてタカギ君、ついに小説が売れたの?」
 S美が、びっくりするような声を出したので、俺はオロオロするしかなかった。
 ここのところの食い詰め状態と、やっとこさの還付金と、その金額と──それゆえ、森沢に返すと言っても、そのほんの一部であることを、俺は正直に告白した。
 S美は黙って俺の話を聞いていたが、
「お腹がすいてたなら、どうしてウチに来なかったのよ」と泣き声みたいな声で、言った。
 だってそこは、君たちの巣じゃないか!──と思ったが、そんなふうには言えなかった。
「とにかく、森沢が帰ってきたら、電話をくれるように伝えて」
「わかったわ。身体を大切にね」
 それがS美と言葉を交わした、最後だ。

 森沢とは、新宿某所──どこだったか忘れたが、NTTのビルで会ったのだった。
 彼はすでに建築学部を卒業して二年が過ぎており、都内の建築事務所に勤めていた。
 髪を短く刈り込み、精悍だった。
 大柄な身体がアイボリーホワイトのセーターに包まれれていて、なおさら大きく見えたが、それは惨めな立場の自分と引き比べての、俺のひがみだったのかも知れない。
 NTTで会った理由は、電話の名義を、正式に俺のものに書き換えるという必要からだ。
 しかし、当時七万円ほどだった権利料のうち、俺が森沢に払うことができたのは、三万円だけだった。
「後はいつか必ず返すから」
「うん、無理しないでいいよ」
「それと、敷金」
「いや、あれはどうせ、僕も中途解約で引っ越して迷惑をかけたんだから、忘れてよ」
「すまん。恩に着るよ」
 俺は街角で森沢と別れ、逃げるようにしてその場を立ち去ったんだった。

 数年後、俺もまた、材木屋の二階を引き払うことになった。
 巨大カウンターの処分にはほとほと困ったが、また別の機会に書くことにしよう。
 なんだかんだで、敷金の九万円は戻ってくることはなかったのだが、大家さんとは円満な別れだった。
 引っ越し荷物をいっさいがっさい実家に送り、いよいよその住みなれた部屋を出る段になって、俺は郵便受けにハガキを見つけた。
 木でできた深い箱の底に、沈んでいたのだ。
 消印は確認できなかったが、だいぶ前に届いたもののようだった。

 ハガキは森沢からのものだった。
 S美と入籍したことと同時に、建築事務所を設立して独立したことが書かれていて、港区内の立派な住所が記されていた。
 森沢の文面は印刷されたものだったが、狭い余白に、青いインクの万年筆の文字で、S美の筆が添えられていた。

「自分の才能を信じて、いつまでも夢をあきらめずにいて下さい。お元気で。S美」

 切ないような、いや、眩しいような、なんだか判らない気持ちがめまいのように襲ってきて、涙が出てきた。
 その涙がしばらく止まらなかった──というのが、くやしいけれど、俺の告白の最後だ。


              ──了──

コメント(13)

まあ!結婚したんですね。意外でした。
S美さんの言葉、「お腹がすいてたなら、どうしてウチに来なかったのよ」「自分の才能を信じて、いつまでも夢をあきらめずにいて下さい。お元気で。S美」に、俺に対する思いはあれど、だめだめあの人と私は一緒に居ても良いことにはならないと理性で押し込めているような感じをうけました。
その後幸せな結婚生活を過ごしていたらいいな、S美さん。

俺の涙には、正直「ほーらいい加減なことばかりしてるからだよ」と思ってしまいましたが(笑)、涙が胃に重く溜まっていくような泣きだったのではないでしょうか。
こんな気持ちは初めてで、苦しいような呆然としてるような、若い感じが伝わってきました。

高木さん、物語の完成おめでとうございます。お疲れさまでした♪
S美さんが幸せになれたのが、何だか嬉しかったです。
安心したと言うか。
森沢さんも単純に良い人だったんだなと。
何か裏がある人だったりして、思っていたので。
最終話だからか、少し切なさを感じました。

高木さんお疲れ様でした。
また何度も読み返すと思います。
「自分の才能を信じて、いつまでも夢をあきらめずにいて下さい」
S美の「俺」に対する想いがこれらの言葉にすべてつまっていると思いました。

そして、今後もS美がピアノを弾くとき、サティの曲だけは「俺」のことを想いながら弾くんだろうなと思いました。


素晴しい物語をありがとうございました。
おつかれさまでした。

これから、最初から読み返したいと思います。
ああ、終わってしまった・・・
最後の主人公の身勝手な切なさに胸がきゅぅっとなります。
ともあれ、S美さんと森沢さんがうまくいった事にほっとしました。
複数の男性の影が見えたとはいえ、彼女には
とても共感というか好感を持って読ませていただいてました。
彼女の所帯臭さ(堅実さといった方がいいですね)や、
もうGirlではないという痛々しさと淋しさが、
主人公の若さには重荷だったのではないでしょうか。
いやはや女とは哀しい生き物ですね。
彼女には物語が終わった後も、幸せであって欲しいです。
ピアノを続けてらっしゃるといいのですが。

筆者であるにぎり様。 そして管理人様。
素敵な物語をありがとうございました。
「俺」もS美も、お互い学ぶべきものが多かった出会いだったのではないでしょうか。もちろん、森沢君も。南村君も。
人との出会いや別れって、いつの時代も、人として成長する糧になるなぁ。と思います。
S美もいろいろあったけど、幸せになってよかったです。
そして、S美の添え書きを読んで涙する「俺」に、私も涙が出てきました。

高木さんの小説は、いつもどこかに昭和の風が吹くようなノスタルジックな匂いがするのですが、ゆずが無くなり、森沢君が独立し所帯を持ち…という変化に、時代が平成へと移り変わり、21世紀へ向かう足音が聞こえてくるような気がします。

もう一度最初から、はだしの世界に入り込んで、読み直します。
ありがとうございました。そして、お疲れ様でした。
皆さんそれぞれがお持ちの色々な若かりし頃の思い出を
皆さんがそれぞれ重ね合わせて入り込んでいけるそんな物語。
読み終えて胸がぎゅうっと苦しくなりました。

タカギさんありがとうございました。
内容はもちろん表現の仕方、書き方、全てにおいてと思えるぐらい理想です。とは云え稚拙な感想になるので、とにかくお疲れ様でした。
お疲れ様でした

今までこーいった物(どう表現していいのかわかりませんが)を読んでこなかった自分がこんなにも毎回楽しみに読めて大変幸せでした
ササイも今回初読みなんで更新を楽しみしています

本当ありがとうございました
これからも応援します!
タカギさん最高!!
まだ自分の中で消化できていないことも多く、感想が書けません。
なので、感想はまたいずれ。

早く続きが読みたくてたまらなかったのに、終わってしまうと何とも寂しいことです。

高木さん、本当にありがとうございました。
次の作品を心待ちにしています。
終わってしまった・・・

もう一回始めから、いえ何度も読みます。
『自分の才能を信じて、いつまでも夢をあきらめずにいて下さい』素敵な言葉ですね。ずっと、ハラハラドキドキしながら読ませていただきました。最後はなんだか温かい気持ちがいっぱいです。

高木さま、ありがとうございます。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

ササイのことで思い出した 更新情報

ササイのことで思い出したのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング