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Final Fantasy Fun ClubコミュのReview

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FFの魅力を更に深く知りたい、知ってほしいということで立ち上げました。
皆様が思う各作品の魅力を、レビューという形でコメントに残していきましょう。

どんな書き方でも基本的にはOKです。
簡単な感想文でも良し、長文でレビューするも良し、良かった点、改善してほしい点など、その作品の長所と短所を分けて書くのも良し。
ただし、その作品をボロクソ貶すと言ったネガキャンのようなコメントは禁止にします。
ここはFFが好きな人だけが集まるコミュなので、嫌いな作品をわざわざ批判するようなコメントには、何の生産性もありません。
予めご了承下さい。

コメント(38)


題材:ファイナルファンタジーVIII


国内369万本、北米247万本、欧州188万本、累計804万本ものセールスを記録した初代PSにおいての第二作目の作品である。

エゴや弱み、そして恋や愛と言った感情や本能など、人が抱くありとあらゆる内面的要素を、高次元で描いているFF史上でも一際完成度の高いストーリーが特徴である。
これほどまでに人間という生き物の本質に迫った物語は、他のRPGを探してもそうそうないであろう。

まず、この作品は恋心を売りにしたラヴ・ストーリーではない。
スコールとリノアの印象が強いためそう思われがちだがよく考えてほしい。
愛とは男女間限定のものなのか?

答えは否である。

異性を好きになる気持ちは恋である。
会いたい、声が聞きたい、そして人を好きになるという気持ちそのものでさえも、それら全て自らを満たすための気持ちである。
そこから相手の為だけを想える気持ちに発展させた感情、あるいはそうさせる本能こそが愛というものではないだろうか。
下心そのものとも言える恋、そして純粋な真心とも言える愛、それら二つの感情と本能を組み合わせたものが恋愛という言葉である。

だが、その恋愛も今作に纏わる愛の物語を語るための僅かな手段でしかない。
本作には人が人に対して抱く様々な愛の形がふんだんに詰め込まれているのだ。
それは時に動植物や生あるもの以外の存在にも与えられるものである。
したがって、この物語では親子愛や友愛、博愛、郷土愛、物愛、更には歪んだ愛と言った多くの内面性が、多角的かつ幅広く表現されているのだ。
大切なネックレスに抱くスコールの熱い想いでさえも愛なのだろう。
つまり、愛とは普遍的なものであるということを我々に教えてくれているのが、この作品の最もな醍醐味である。

因みに、本作には二次創作的な考案が多く施され、中でもリノア=アルティミシアの説が有名だが、個人的にはこれらの要素もおまけ程度のものであると考えている。
そして、本作を否定的に見ている者の中には『リノアル説がなければFF8はクソゲー』などと言う者もいるが、この意見には首を傾げる限りである。

仮にリノアル説など存在しなくとも、本作では魔女の騎士が傍らにいるリノアの光と、魔女の騎士が傍らにいないアルティミシアの深い闇が対をなすように語られているのが、この物語の大きな味でもあるところ。
主人公サイドには心暖まるような愛が溢れている一方で、アルティミシアサイドには愛の存在しない深い孤独と絶望が描かれている。
デリングシティでの彼女の演説の文面を見た限りでも、愛情への餓えを怒りの気持ちに変換しているようにも見える。
愛と憎しみは紙一重とも言うが、まさにその愛と憎しみの背中合わせをムービーを利用して、リアルに表現している演出力には素直に感心したものだ。
特にエンディングは必見で、魔女リノアと魔女アルティミシアの対比が絶妙に表現されている。


それとスコールがリノアを好きになる過程が描写不足との意見が多いが、果たしてそうであろうか?

人とは面白いもので、気になっている相手を後に好きになるのは必然である。
そしてその理由も人それぞれ。
容姿、声、仕草、価値観など理由は様々である。

例えば序盤のパーティー会場でのリノアに対するスコールの目線や表情のひとつひとつを伺っても、彼がリノアを気になっていた様子が充分に描かれている。
この時点ではまだ恋に至っていないのは事実であるがね。

だが中盤以降、お節介なリノアによって少しずつ心を動かされ、自我の崩壊に近づいている様もはっきりと描かれている。
突き放すような言動で相手の気持ちを試す臆病なスコールと、突き放されてもなお心の奥に触れてこようと意気込むリノアの性格を考えれば、この後のスコールの暴走ももはや必然と言えるであろう。

描写とは言葉で説明するものではない。
キャラクターの何気ない言動や仕草、表情などから心理を読み取るものである。
これは現実世界でも同様だ。
いちいち言葉で説明されてようやく理解するのではなく、人(キャラクター)と接する上で空気を読むことが重要なのだと思う。
そういった意味ではこの作品は、人間関係を築いていく上で最も大切なことのひとつを、間接的に我々ユーザーに説いてくれている側面もある。
故に本作は人を選ぶ作品であると思われる。
描写方法までもが非常に現実的だからだ。

したがって、この作品は決して描写不足などと酷評されるような出来の物ではない。
感性や価値観は人それぞれだが、無闇に全否定するものなら忽ちその人間的未熟さを露呈することになる魔性の逸品であろう。

FFVIIIについての追記ではあるが、本作を批判している人間の中でよく見られるのが『大人になった今プレイすると、キャラクターの痛い言動が厨二病的すぎて耐えられなくなった。それだけ自分が大人になった証拠なのだろうな』などの発言をしている者であろう。

まず、FFVIIIには印象的な対比ネタがいくらかある。
代表的なものがリノアとアルティミシアの対比だが、もうひとつ代表的とも言える対比ネタが青臭さ丸出しのスコール本編と、大人のやり取りを存分に魅せてくれるラグナ編の対比であろう。
ようするに子供と大人の違いを上手く表現している部分でもある。
恐らくこのような対比ネタというのも、本作のコンセプトのひとつでもあると思われる。
それを理解できないうちは、確かに彼ら(スコール達)の言動がいちいち鼻につくというのもわかる。

しかし、ここで改めて言っておくと、本作は否定派の言い分とは寧ろ逆で『精神的な意味で大人になりきれない人間には楽しめない』と断言しても良い。
そう、つまり青臭いキャラクター達の言動とはまさに大人になったつもりでいる子供、あるいは子供のまま成長できていない大人達の鏡として機能しているからである。
いちいち鼻につくのはそういった幼い内面的要素の表れであり、これには作品に対して『厨二病』などの言葉を連呼している者達にも当てはまると言えよう。

まず、批判しているユーザーが仮に年齢的には充分大人であろうと、たかだか高校生くらいのキャラクターの言動にいちいちイライラしている時点で、どう考えても大人ではない。
青臭いのが当たり前の年齢であって、それを許容できる者こそが大人である。

何より、もし本当に大人であるなら自分で自分を大人になったなどとは間違っても言わないであろう。
自分が大人であることが当たり前である故に、わざわざ『自分は大人になった』などと意識しないからである。

自らの過去と重ねても良い。
青臭かった時代に思いを馳せるのも良い。
または現在の自分を見つめ直してみるのも良い。
大人になったところで人間である以上完璧にはなれないが、自らの未熟さを認めることができて初めて夢中になれるのが、この作品なのであろう。






>>[4]

うん、FFは深い。
…というよりは生々しい。
人間模様が非常に現実的に描かれている。

ただし、人間の醜い部分でさえ美しく描こうとしているズルさがあるのも否定はできないがね(笑)
このシーンはもっと汚く描いても良いのではないか?と思うことも多々あった。
まあ、そこまでリアルにしてしまうとゲームに現実逃避できなくなる人達も出てくるだろうからな。

それにしてもVIIIは唯一失敗した部分がある。
それはシナリオにしてもシステムにしても難解であることから、敷居を高くしすぎてしまった点だな。
良く言えば挑戦的すぎた。

物凄く乱暴な言い方になってしまうが、理解力、判断力、洞察力、行動力などのそれら全てが平均的に欠落している馬鹿でさえ楽しめるような作品が、万人向けと言えるものではないだろうかと正直思う部分はある。
または大人だけでなく、子供も夢中に楽しめるような作品などね。

FFは発売する度にミリオンセラーは確実に超えてきたわけだから、万人向けでないといけない。
しかし、このVIIIはあまりにも入口が狭すぎた。
もっと言うと掴みの時点で失敗してしまったわけだ。
そういう意味ではVやVI、VIIというのは凄いよね。
ストーリーの完成度も高く、システムも遊びやすく作られていた。
だからこそ未だに多くのユーザーに支持されている。

しかし、それでも俺はこのVIIIは大傑作であると自信を持てる。
ストーリーだけでなくシステムやバトル面でも大いに満足できた。
VIIIの批判の内容は主にジャンクションシステムやドローシステムなどについて言及されているものが多いが、確かにそれもわかる。
俺も初めてプレイした時はチュートリアルや説明書などろくに読まずにやっていたためか、あまりの難易度の高さに挫折しそうになってしまった。
大概の人はこの時点でやめてしまうだろう。

けどね、これはRPGなんだよね。
RPGだからこそ『探す楽しみ』というものがあるんだよ。
なので、俺もどうにかしてこの理不尽な難易度を切り抜けたいと思い、自ら意欲を沸かせようやっと見つけた手段が『魔法精製』だったわけだ。
これを知ったおかげで難易度が一気に下がり、物語をスムーズに進められるようになった。

中には『チュートリアルを読まないとろくに楽しめないゲームなんてクソゲーじゃん』とか言う奴いるけど、別にチュートリアルなど読まなくても楽しめる。
重要なのはチュートリアルを読まないといけないなどの話ではなく、自分で楽しみを見つけようとしているかいないかの違い。
そういった意欲を持っていないのに、じゃあなんでRPGなんてやってるの?って思うんだよね。
こういうタイプって実生活でも人任せで、何かあればすぐ他人のせいにするのだろうなと想像してしまうよ。
そもそもゲームってやらせてもらうものではなく『やるもの』だからな(笑)

日本人はRPGが何なのかわかっていない、または知らない人が多いのだと思う。
FF15の体験版の評価アンケートを見てもよくわかる。
日本人の多くの者が低評価をつけた理由が『何をしていいかわからない』

これを見て、この人達は開発者のマリオネットにでもなりたいのか?とすら思ってしまったよ。
自分で自分なりの線路を敷いていくのがRPGの醍醐味なのにね。

FF8

デリングシティが良かった

FF8は恋愛の割合が多い。FF17あたりでもう一回、恋愛の割合が多い感じのやつにしてほしい。
FF6

シャドウがあまりにも深すぎる
キャラはFF4

BGMはFF6

最高傑作はFF7
FF6

ロックのテーマを聞いただけで心が打ち震える

エドガー、マッシュのテーマを聞くだけで、感動する

シャドウのテーマに至っては、ゲーム音楽というものはこんなにも素晴らしいものか!!と思う

ティナのテーマは美しい
FF6

シャドウのBGMに人生そのものを思う
FF6

ゲームはこの1本だけあればいいとまで思わせるほどの名作
>>[12]

さすがにそれだけだと寂しいですが、そう思わせるほどの名作であるのは確かですね。
私もFF6は今までプレイしたRPGの中では最高でした。

因みに海外ではFF6が世界のあらゆるRPGの中で最も人気で偉大な評価をされている作品です。
実はFF7ではなく、シリーズの中では6こそが世界共通の名作であると認識されているわけです。
FF7は当時としては凄まじいセールスを達成しましたが、その7と比べると鼻くそ程度のセールスの6が世界一の評価をされているという事実です。
その背景にはやはり『それだけFF6という作品が魅力的であるから』というものがあるからでしょう。
売れて評価をされるのは当たり前であって、しかし6の凄いところは大して売れていないのに、他の売れたどの作品よりも評価を得ているということです。
今の時代において、もしFF15並みのクオリティでリメイクされたとすれば、間違いなくオリジナル版よりも遥かに上回るセールスを記録することができるでしょうね。
下手をすれば7のリメイクよりも前評判を高めることができるのではないかと。

話はずれますが、個人的には全盛期のスクウェアと海外のRPGメーカーであるベセスダ・ソフトワークスは、世界に大きな影響を与えた二大RPGメーカーだと思っております。
FF6や7で海外でもRPGをメジャージャンルへと押し上げ、スカイリムで他の人気アクションジャンルをも上回るほどのセールスを記録したとして、間違いなくFFとジ・エルダースクロールズシリーズは世界の二大RPGであると思っております。
同じベセスダのフォールアウトシリーズもセールス的にはFF以上ですが、成し遂げた偉業を考慮するとこの2タイトルがやはりRPGの代表格でしょうね。
FF

ジョジョが、ジョナサンからジョセフへ、ジョセフから承太郎へ、承太郎から東方へ、その気高き魂を受け継いできたように、ファイナルファンタジーの系譜もまた、そのようなものであると思う
FF13

FFの遺伝子を受け継いでいる
FF7

なんかふと思ったんだけど、クラウドがエアリスに気のある素振りを、ちらとも見せなかったのは、クラウド、凄い真面目だよなあと思った
>>[013]

ラスボスさんのFFへの思いは凄く伝わってきたっす ありがとうございました
FF8

サイファー、風神、雷神 良い三人だったぜ
>>[013]

ありがとう あなたの魂が俺を動かした
>>[20]
いえいえ、こちらこそ盛り上げて頂いてありがとうございます。
最近、ログインしていなかったのであせあせ

出来る限り、人があまり気づかないような部分やスタッフが隠し要素的に取り入れたであろう細かな描写などにも目を向けてみた結果、FFには表面上だけでなく、海よりも深い誰も辿り着かないような水面下にこそ、真の魅力が隠されていたのだと気づきました。

FF8に至っては、キャラクター達の心の成長の物語などと言った単純な話だけでは終わらず、人間という生き物はどういったものなのか?という疑問に対する答え的なものまでも読み取ることが可能だと言うことがよく理解できました。
この作品はある種の人生論的な役割も兼ねているような気がしてならないです。

かと言って、説教臭くもない自然な形(物語)として成立している。

でもこれに対して批判する人の気持ちもわかるんですよ。
ほとんどの日本人男性には老若男問わず、どこかで恋愛要素の強い作品やら事柄を否定したい欲求みたいなものがあると思うんですよね。
特に日本人は恋愛、いや、愛という言葉そのものに抵抗や一種の恥ずかしさのような感情を抱き、やがてそれが素直になれない自分を正当化したいかのように愛を否定し、深層心理で一種の孤独を求める自分に酔いしれてそれで満足してしまうような人も少なくないと思います。
俺は愛という言葉は偉大だと照れもなく叫ぶことさえできますが、多分ほとんどの人は「恥」という言葉が脳裏に浮かんで赤面さえしてしまうことでしょう。
それだけこの国には良くも悪くもシャイな人間が多い。
FF8はそんな日本人が赤面してしまうような愛というものを、作品を通して照れもせずに堂々と語っている。
俺はその思いっきりの良さと勇気に共感さえ覚えました。

近々、他の作品のレビューも書いてみようと思うので、宜しければ是非読んでみて下さい。
>>[19]
これは現実的に考えた上での発言で、私は特にエアリス派だとかティファ派だとかそういった感情は一切なく、誤解しないで聞いていただきたいのですが、作中のクラウドの言動を見た限りでは、クラウドはエアリスには恋愛感情を全く抱いていなかったのではないかな、とも思います。
クラウドの中で女性として大きなウェイトを占めていたのはやはりティファで、彼がソルジャーになりたいという想いに至ったのはティファに認めてもらいたかったから、そしてそこから実力を身に付けていったわけですが、そのような向上心を持つようになったのもティファがきっかけで、彼の原動力となっている存在はあくまで彼女だと思います。
一言で言ってしまえばティファはグラウドにとってはアゲマンなのでしょうね。

けど、エアリスの役割もクラウドにとっては非常に大きなもの。
ティファとは違うベクトルでその重要性が描かれていますね。
恋人ではなく、どちらかというと姉のような、いや、母親のような包容力を持って、クラウドの道標となった存在。
そしてそれが次第に、世界を救う方向へと誘うように物語が進んでいく。

ちょっと例え方はあれですが、ティファが幼馴染みの恋人といった割とよくある肩書きが当てはまるのなら、エアリスは聖女というか、ある意味遠い存在なのかもしれません。
ミステリアスな雰囲気と古代種であるという事実が、尚更そんな印象に拍車をかけているのかもしれませんが。
>>[19]
人々にとっても遠い存在、だからこそ尚更あのゴールドソーサーでのクラウドに対しての「私、貴方を探してる」という言葉が、より一層と重みを与えますよね。

しかもエアリスは頭の回転も早く洞察力も鋭いと思うので、クラウドがティファに想いを寄せていたことは知っていたはずです。
そのようなことを匂わす発言もありましたしね。
そして、何か後に自分の身に降りかかる過酷な運命でさえも知っていたかのような退廃的な雰囲気も醸し出していました。

実は初めてFF7をプレイした時に、あのゴールドソーサーのイベントの最中に嫌な予感がしていたんですよ(笑)
もしかしたらエアリスは死ぬかも、そんな予感が的中してしまいましたね。
だからこそ、セフィロスに刺されるシーンを見てもそこまでの驚きはなかったのですが。

それほどあのイベントは最後の会話になりそうな悲しさに満ち溢れていましたよ。
当時、まだ子供だったのですが、子供ながらにあの演出力には鳥肌が立ちましたね。
哀愁漂うシーンなのに、一種の感動するかのような感情が込み上げてきました。

しかし、今あのシーンを見ても、やっぱり切ないですね(笑)
>>[10]
6は音楽も良いですよね。

個人的にはオペラ関連の組曲と永遠にレイチェル、死闘、そしてやはり妖星乱舞が好きですね。

私はピンク・フロイドの原子心母やELPのタルカスなどといった長編プログレ大作が好きなので、尚更妖星乱舞には心にきました。
植松氏もプログレファンのようですし。

植松氏はそんなプログレの中でもやはりELPからインスピレーションを多く受けたのだろうなと楽曲を聴いて思います。
ELPのタルカスや頭脳改革といった作品に、FF音楽に大きな影響を与えたと思われるフレーズやメロディが盛り込まれていることがわかります。

題材:ファイナルファンタジー


1987年12月にファミコンで発売された記念すべきシリーズ第一作目で、国内52万本、北米78万本と、初代からいきなり海外での販売本数が日本を上回ったのは知る人ぞ知る。

世界観はまさに剣と魔法のファンタジー。
ドラゴンやエルフ、ドワーフと言った種族が当たり前のように会話をし、当たり前のように文化を築いているという典型的なものである。
社会形態も中世封建社会そのものであり、あとにも先にも日本人がイメージするRPGらしい世界観というものをここまで表現しているFF作品は、もはや他にはないと言っても過言ではない。

シリーズの物語の中で重要な役割を持っているクリスタルも、この初代から既に登場していた。
本作でのクリスタルは、後のIIIやVのクリスタルと同様に世界を象徴する偉大な産物、あるいは信仰すべき存在として認知されている。
高度な機械文明も存在するが、それはあくまで太古に滅んだ天空文明の名残として登場するだけなので、現代社会においてはまだまだ縁のない未知の産物である。

そして、今だからこそ日本でも主流となりつつあるオープンワールドだが、実はその兆候はこの初代から既に見られていたのだ。
勿論、このアイテムを手に入れないと先に進めないなどのJRPGにありがちな物語的都合や制限などはあるのだが、序盤で船を手に入れてからはある程度自由に各地を回ることができる。
したがって、遠出してみたはいいものの、いきなり見たこともない魔物と遭遇して瞬殺されるなど頻繁にある。
容量の都合から、隠し要素やサブクエスト的な寄り道要素はほとんどないものの、システム面においてもジョブシステムやクラスチェンジが用意されていたことから、このシリーズが初代から如何に海外での展開を意識した作りとなっていることが、プレイすればよくわかるであろう。

なお、本作は難易度に関して言及するなら、一言で言ってしまえば極悪レベルである。
シリーズ最恐と言ってもいい。
一般的にはXIIIが難しいと言われているが、本作の難易度の高さはその比ではない。
なにせ、中盤あたりからポーションを常に99個持参していないと、とてもじゃないが数多くの長いダンジョンをクリアできないような鬼仕様である。
後半のダンジョンは雑魚敵の攻撃力が高すぎて、もはや99個所持していても足りないくらい。
無論、レベルを最大まで上げた上での話だ。
ケアルなど本作では気休め程度のものである。


さて、ここからは若干説明を変えていきたいところではあるが、その前に本作はFFシリーズにしては珍しいプレイヤー視点型のRPGである。
つまり、率直に言ってしまえば主人公キャラクターが一切喋らないということ。
もっと言えば、プレイヤー自身が主人公である。
このスタイルはIIIやオンラインのXIにも受け継がれている。

物語については、まずRPGの定番とも言える王女救出が、オープニング前の前座にすぎなかったという点、そして、救出後はコーネリア王によって北の大陸に渡るための橋を架けてもらうわけだが、この橋を渡った瞬間にオープニングが始まるという演出面でのセンスの良さに鳥肌が立ったものだ。

期待と不安を抱えながらも、謎に満ちた広大な世界を冒険できるワクワク感がそこにはあった。

そう、ファミコンという容量に限界のある媒体でよくぞここまで表現できるものだなと、そのスケールの大きさに驚かされたのである。
FFはこのように、初代から既に規格外の演出力を誇っていたのだ。

序盤は土、火、水、風の4つのクリスタルに輝きを取り戻すことが目的で、冒険の舞台は次第に地上世界から天空、そして最終的には過去の世界(タイムトリップ)にまで広がる。

現代では原型をとどめないほどに崩壊しているカオスの神殿だが、過去の世界では崩れ落ちる前の美しい建造物として存在している。

そんな美しくも禍々しい過去の神殿の最深部で待ち受ける者の正体とは果たして…。

FFIの音楽について。

さすが植松伸夫と言わんばかりの名曲揃いである。
個人的には、この初代の楽曲群はシリーズの中でもベスト3には入る。
その中でもお気に入りは『カオスの神殿』と『城』で、特にPSリメイク版のこの2曲は必聴ものである。

前者はカオスの神殿の退廃的なイメージが見事に表現された出来となっている。
後者は、FFIXの『決行〜姫をさがして〜』のイメージに近いかもしれない。
西洋の城郭の気品に満ちた雰囲気が楽曲に表れている。

その他にも、リメイク版で新たに追加された『ラストバトル』もオススメ。
(FC版のラストバトルには通常戦闘の楽曲が使用されていた)
初期FFの真髄とも言える隠れ名曲でもある。

以下は初代FFの楽曲群を取り扱ったYouTubeのURLです。
FFIにおいて代表的な楽曲を載せてみました。
音源は全て初代PSのリメイク版。

■ファイナルファンタジー
https://youtu.be/vqmDtgz0o1c
シリーズのお馴染みの名曲。
IIとXを除いて、ほとんどのナンバリングタイトルのオープニングやエンディングで使用されています。

■メインテーマ
https://youtu.be/Aua4qZwW29k
いわゆるフィールドで流れるテーマ。
Vの四つの心(第一世界のフィールドのテーマ)にも通ずる勇ましさと冒険心をくすぐられる爽快なメロディが特徴。
個人的にはFC版のメインテーマの方がすっきりとしていて好きではあるが。

■街
https://youtu.be/lSjBh71Im-M
リメイク版で流れる街のテーマは、FFIXの楽曲『辺境の村ダリ』のようなのどかな雰囲気に溢れている。

■城
https://youtu.be/qvEodqaRHvQ
前述したように、FFIXの楽曲『決行〜姫をさがして〜』にも近い西洋の城郭に相応しい気品のある楽曲。
城で流れる楽曲としては、FFVの『王家の城』や、FFIVの『バロン城』などの楽曲とはまたベクトルの違うものである。

■カオス神殿
https://youtu.be/suyCi-xdjNo
崩壊後のカオス神殿の退廃的なイメージにピタリと当てはまる名曲。
作中ではカオス神殿の他に、水のカオス・クラーケンの居城である海底神殿でも使用されている。

■マトーヤの洞窟
https://youtu.be/sUc_t3i4qwE
こちらもカオス神殿と並び、初代FC版から人気の高かった楽曲。
題名の通りマトーヤの洞窟で使用されているが、その他にも氷の洞窟やバハムートの洞窟などでも使用されている。
個人的にはFC版の方をオススメしたいが。

■グルグ火山
https://youtu.be/s9MGnYkh3bE
火のカオス・マリリスの居城であるグルグ火山のテーマ。
この他にも、土のカオス・リッチの住み処であるアースの洞窟でも使用されている。
FFIXのグルグ火山にも別バージョンとして登場。

■海底神殿
https://youtu.be/cvTyxN1768w
曲名には海底神殿とあるが、実際に海底神殿で使用されている楽曲は前述したカオス神殿である。
こちらはラストダンジョンである『過去のカオス神殿』で使用されている。

■戦闘シーン
https://youtu.be/bgDBa_eLlW0
通常戦闘で流れる楽曲。
シリーズでお馴染みのイントロは、既にこの初代から使われていた。

■中ボスバトル
https://youtu.be/r1xThQ29q6o
リメイク版で追加された楽曲。
序盤のボスキャラの専用曲で、カオス神殿でのガーランド戦、西の城でのアストス戦、アースの洞窟でのヴァンパイア戦で流れる。

■ボスバトルA
https://youtu.be/-uzRz5frS-E
こちらもリメイク版で追加された楽曲。
いわゆる大ボスクラスのテーマ曲で、FFIVで言うならゴルベーザ四天王、FFVIで言うならアルテマウェポンや三闘神クラスに該当する。
土のカオス・リッチ戦と水のカオス・クラーケン戦で流れる。

■ボスバトルB
https://youtu.be/x_bNGJu7_NY
ボスバトルAの別バージョン。
火のカオス・マリリス戦と、風のカオス・ティアマット戦で流れる。
個人的にはこちらの方が好き。

■ラストバトル
https://youtu.be/hRu8cqe-d1w
リメイク版で追加されたラストボスの専用楽曲。
オリジナルのFC版では、通常戦闘の楽曲が使用されていた。
隠れた名曲として人気が高い。

■エンディング
https://youtu.be/-Z-WkmuFyeQ





>>[023]

>FFは深い

そうですね。 僕もそう思います。

FF13においても、その傾向がはっきりと見てとれます。

スタンドバイミーという曲も、深いと言えば深いのかなと思います。

FF8においては、アイズオンミーの歌詞も、比較的に真面目な感じの歌詞であると感じました。
>>[31]

FFは深いというより、作品によってストーリーやシナリオの重厚さが違う気もします。

個人的にそう感じたのは6、8、9、11、12です。
6に至ってはストーリーというよりは設定と世界観が非常に凝っていたように感じます。
8はレビューに書いた通り、人間の内面性をとことん追求した物語がとても深い。
9は8とはベクトルが全く異なりますが、実際の世にも多く存在しているあらゆる宗教的観点から、このタイトルのテーマである死と生について多角的に言及されていますね。
11は単純にシナリオの完成度がウィッチャー3並に高いです。
ファンタジー物としては最高峰の出来でしょう。
恐らく国産ではFF11に匹敵するシナリオはないと思われます。
12については、本当は8や11さえ上回る世紀の傑作が生まれる予定だったんですよねw
しかし松野氏が途中降板してしまったため、後半のシナリオが消化不良になってしまいました。

以上の5作品がストーリーの出来と言う意味では群を抜いているかと。
悪く言えば難解とも言えますが。

人気の高い7や10のシナリオは深いように見えて、実際はそこまで深みはないように感じます。
ただ、そのストーリーの内容自体が誰にでも受け入られるようなものなんですね。
例えば10なら単純に感動を売りにしている。
ストーリーそのものは非常に王道で、深みはないけどわかりやすい。
7に至っては一見ややこしく感じるかもしれませんが、根本はとてもシンプルでやはり王道路線。
これは4にも言えます。
そういった意味で4と7のストーリー展開は似ているような気がします。

5はシナリオよりもやはり世界観とシステムですかね。
ただ、ゲームとしてのバランスで5以上のFF作品は未だに現れていないと思います。
5は今やってもゲームとしての楽しさは別格ですからね。







題材:ファイナルファンタジーV


1992年に発売され、国内245万本というシリーズ初のダブルミリオンを記録し、評価、内容共に同時期に発売されたドラクエVを大きく超えて、FFが国産RPGとして一大巨頭の道を歩み始めたきっかけとなる記念すべき傑作である。
今作は海外では未発売であったが、その海外で異常なまでの人気を誇る次回作VIや、世界中でRPGというジャンルの人気を決定付けたVIIとも共通する点が今作には多く盛り込まれている。

まずは世界観である。
FFVは西洋中世を舞台にしたFFとしては最後の作品とも言われていたが、実はこのV、どちらかというと前作IVよりも次作VIの方が世界観的に近いのである。
中世の要素が見られるのは本当に最初だけだ。
それがタイクーン王国である。

タイクーン王国は従来の中世FFの国家と同じく、風の神殿のクリスタルをあくまで世界の象徴として信仰している。
そして、オープニングから飛竜や海竜が登場するなど、今まで以上にファンタジー色の強さが見られる。
ここがFFVが西洋中世を舞台にした剣と魔法の正統派ファンタジーであると錯覚させられる部分でもあるのだ。

だが、海賊のアジトを越えたあたりからその常識はすぐに覆させることであろう。
そう、まずはトルナ運河である。
西洋史を徹底的に調べてもらえばわかるが、実際の中世真っ只中な時代にはあそこまで人工的な運河というものがまず存在しない。
あったとしても近代への移行時期である。
そして極めつけはウォルス王国とカルナック王国である。

両国ともなんとクリスタルを産業利用しているという近代国家っぷり。
まるで中世と呼べる社会形態ではない。
寧ろ、この2国には産業革命期のような時代背景が見られる。

更に第2世界に目を向けてみよう。
この世界の国家はバル王国とサーゲイト王国の2国だけであるが、そのうちバル王国だけはその社会形態が中世寄りである。
だが、一方でエクスデス軍の拠点や防衛施設には産業革命期をも超えて、近未来的な科学力さえ伺える。
バリアの塔などがその最もな例であろう。
また、もうひとつの国家であるサーゲイト王国にも潜水艦という現代的な乗り物がある。

前作IVにもバブイルの塔やゾットの塔などの高度な文明の一端が地上でも見られたが、これらはあくまで月の民、つまり地球外文明の産物である。
だが、バリアの塔や潜水艦に至っては明らかに地上の文明が生み出したものだ。
ここにIVとの大きな違いが見られる。
まあIV、いや、既にIIから飛空艇という技術力の結晶のようなものを現代文明が産み出しているあたり、Vと大して変わらないようにも思えるが、潜水艦と違って飛空艇の方は現実には存在しないものなので、これ自体がファンタジー的な役割をまっとうしている点が異なっている。

前置きが長くなってしまったが、Vの世界は中世よりも産業革命期の面影の方が強く、ところどころで現代的、あるいは近未来的な要素が入り交じっている。
この点がVIやVIIとの大きな共通点であると言えるだろう。
そして、国や地域ごとに文明レベルが全く違うという点も見逃せない。
この点は原点回帰を謳ったIXに近いかもしれない。

*続く




*続き

題材:ファイナルファンタジーV


さて、前述したとおり壮大な世界観でありながらも中世という枠にとらわれず、様々な時代、文明というものを絶妙なバランスでブレンドしている作品がこのVである。
そういった意味ではFFの独特な世界観を完全に表現できている初のFF作品なのかもしれない。

一方でストーリー面に関しては、シリーズの中では異例と言えるほどの王道路線を貫いている。
展開的には初代やIIIに近い(いや、むしろIIIよりも王道)
敵のボスであるエクスデスも、ザンデや皇帝といった悪の帝王的なポジションであることから、V以降のFFとは趣が全く異なる。
悪く言ってしまえば、展開自体は単純で意外性に欠ける点も否定はできないが、このVの凄い部分は単純なストーリー展開を複雑かつ壮大な世界観、世界設定を駆使してとことんまで肉付け、あるいは色付けしているという点である。
中盤で訪れることになる第二世界を経て、ようやく第一世界に帰ってきたかと思いきやエクスデス復活、何やら地形も前と違うような?と疑問に思っていた矢先に古代図書館で知ることのできる世界の謎、仕組みなど、第三世界が第一と第二の世界がパズルのように融合した姿だと初めて知った時の感動と驚きはとてつもなかった。
単純なストーリー展開がとても奥深く壮大に感じてしまった瞬間である。
IIIで初めて浮遊大陸から出た時をも優に上回るカタルシスを味わうことができた。
このタイプの感動はVII以降のFFではまず味わうことができない。
そして、何より音楽がとても素晴らしい。
第三世界のフィールドで流れる名曲「新しき世界」はタイクーン王、ゼザ、ケルガー、飛竜、シルドラの犠牲、または自己犠牲、そして、ガラフの死を目の当たりにしたクルルの哀しみ、故郷リックスを失ったバッツの哀しみ、故郷タイクーンと父を失ったレナ、ファリスの哀しみなど、この一曲にそれらの悲しみの全てが詰め込まれているかのような悲壮感溢れる曲調は今でも忘れない。
個人的にはこの新しき世界と遥かなる故郷は、人気の高いビッグブリッジの死闘よりも断然名曲だと思っている。

ラストダンジョンの次元の狭間にも目を見張るものがある。
1000年前に封印されたという邪悪な砂漠や森と言った
様々な舞台が、蜃気楼の町とリンクするような形でここで初めて登場する。
まるで、FFVにおける歴史の全てがここに集結しているようなトータル感溢れる演出である。
中でも時間の流れが完全に停止している蜃気楼の町を見たときに「SFCでここまで表現できるのか」と感心したのを覚えている。
たったそれだけで、地上とは別次元の空間を旅しているという感覚を味わうことができ、当時子供ながら「なんでここに蜃気楼の町があるの?」といった疑問すら持たせずに「これがFFVの壮大な世界観の真髄か」と思わせてしまった説得力には、ただただ驚くばかりであった。

更に、前述したトータル感がラスボスのネオエクスデスの造形にも反映されている。
よくネオエクスデスはポッと出のラスボスなどと言われているが、そんなことはない。
ストーリーの中にも、かつて無に呑み込まれて消えてしまったエヌオーの話など、しっかりと伏線が張られている。
無というのはエヌオーという強大な存在すら簡単に取り込んでしまうほどの現象である。
そのことから、エヌオーだけでなくあらゆる生命、あらゆる存在がその時に呑み込まれてしまったのだろうと容易に想像できるはずである。
そして、実際にエクスデスは戦闘の最中に無に呑み込まれてしまう。
そう考えれば、その後にネオエクスデス(無に呑み込まれた全ての存在)がすぐに現れても何ら不自然ではない。
こいつの姿を初めて見たときに、ラストダンジョンとラストボスのコンセプトが見事に一致した。
そう、FFVの歴史の全てがここに集結していたのだ。
ネオエクスデスはトータルの存在である。


以上のことから、FFVの物語はキャラクターのドラマ性の強かった前作IVよりも、奥深さや壮大感では大きく上回っていると個人的に考えている。


次はシステムについて。
*続く

FF6

ティナ…FF史上、一番好き

ロック…カッコいい

エドガー、マッシュ…味がある。 独特な世界観。

シャドウ…深い。

カイエン…崩壊前、崩壊後のストーリー共に、印象に残っている

ガウ…原始と野生

モグ…かわいい

セッツァー…カッコいい

ストラゴス、リルム…4周目で気に入った

セリス…オペラが良い

ゴゴ、ウーマロ…なんかやたらに印象が薄いと思ったら、加入時期が相当遅い上に、セリフがほとんど無いからだということに気づいた

さて、近々FF15について詳細に書くか。
15のコミュでは無理矢理長所ポイントだけを書いたが、ここではかなりボロクソなレビューになりそうだ。

はっきり言って12以前のシリーズと比べると駄目な要素がありすぎて、とてもFFと呼べるほどの完成度じゃない。
オブリビオンなどの海外製を一度でもプレイしたことがあるならわかると思うが、15のオープンワールド部分はオープンワールドの入門編として初めて体験する人には良いかもしれないけど、良質な洋ゲーをやっていると如何にその広大な世界に何もないかがよくわかる。


正直、オープンワールドとしてはドラゴンズドグマの方がまだマシなくらい。

FFはもう再起不能だろうな。
FCの1からプレイしてきたガチなFFファンほど今回の出来には頭を抱えると思う。

そもそもなぜシナリオライターを野島氏にしなかったのかが謎。
いや、野島氏は7リメイクの開発の方に回っているため15に注力できないのは理解できるが、ならその代わりを海外の有名なシナリオライターに外注すればいいのに、よりにもよって素人のライターをFFのナンバリングに起用するとは。
しかも13で散々指摘されたのにも関わらず、再び同じ過ちを繰り返すなんてな。

7や8あたりのシナリオは本当に秀逸だった。
8に関しては既にここでもレビューしているが、シナリオに関しては賛否両論激しいものの、読解力や想像力がそれなりにあれば穴と言える穴がほとんどないのがわかる。
ところが15は、脳内補完に頼っても到底擁護できないほどの穴だらけのシナリオが露呈されている。
深みなど一切なく、伏線回収もできていない。
これならまだマリオがピーチ姫を助けに行くだけのような単純な話にした方がマシなくらい。

いい加減、まともなシナリオライターを起用してほしい。
13で何も学ばなかったのだろうか。
腐女子向けのシナリオを書きたいならせめてFFナンバリング以外でやるべきだろう。



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