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SONOREコミュのフランクのインタビュー(日本語版)

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2007年4月フランスのニムLEXフェスタをキューラターした時にフランスのリベラションという新社が私にインタビューをされました。日本の音楽とアートシーンについて話しました。ちょっと長いけど、いつもあなたたちと日本語で詳しく説明できないから、今回フジモトさんはこのインタビューを翻訳しました。もしコメントがあったら、どうそ!

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「日本では、ポップアーティストが実験を試みたり、逆に前衛アーティストがポップな要素を導入することができる(フランク・ストファー談)」
マリー・レシュネール(インタビュアー)
リベラシオンホームページ、2007年4月24日(火)

4月24日から28日まで南仏ニームで開催される、現代の日本のシーンを追求したフェスティバル「ジャパニーズ・エキスペリエンス」(「リベラシオン」2007年4月24日付紙面参照)のキュレーターでもあり、レーベル「ソノレ」の創設者でもあるフランク・ストファー氏が、在住地である東京から、日本での芸術創作についてのメールでのインタビューに答え、彼の視点を語った。


どうして日本の音楽シーンに興味を?

はじめに興味をもったのは東欧でした。90年代半ばのことです。プラハから80キロ離れたタボールという町のCestaという文化センターで、「東洋と西洋」というテーマで、多分野にまたがった国際交流フェスティバルがあり、私は1996年夏にそこで働きました。その際、様々なアーティストと出会いましたが、中でもルインズのドラマー兼作曲家、吉田達也の大ファンになったのです。それ以来、彼のヨーロッパでの現地マネージャーのような役をつとめるようになり、フランス及び隣国でツアーを組んだりしました。また、吉田氏とのつながりもあって、他の日本人ミュージシャンとも出会うことができました。とりわけアシッド・マザーズ・テンプルの川端一氏。90年代末、私はこのバンドのコンサートをフランスの西南地方で企画しましたが、彼らにとってこれが同地方での初ライブだったように思います。1997年、吉田氏から、ルインズのアルバムリリースのためヨーロッパのレーベルを探している、と打ち明けられたのをきっかけに、自然とレーベル「ソノレ」をスタートし、1998年には「Vrresto」というタイトルのアルバムを発表しました。

また同年、当時「ArtZero」のジャーナリストで、現在「Inculte」の編集者であるジェローム・シュミット氏と出会い、日本のインディペンデント音楽について、フランス語の本を制作するというアイディアを提案されました。そこで複数の記者からなるチームを結成し、私はちょうど日本に行く予定があったので、できる限り多くのレーベルやミュージシャンと会い、資料を集めること、という任務を請け負いました。数週間で数百枚のCDが集まり、それによって、ヨーロッパではなじみのなかったこの音楽シーンに、深く入り込むことができたのです。仏語版は1999年に出版されましたが、私はこのテーマを追究していきたかったので、2001年、修正と改編を施した英語版を発表しました。これが「ジャパニーズ・インディペンデント・ミュージック」、一種の「日本モダン音楽事典」のようなもので、60年代のフリー・ジャズから2000年以降の電子音楽まで取り扱いました。それと平行して、ホッピー神山、Yuko Nexus6、ヲノサトル、サタニックポルノカルトショップといった日本人アーティストの作品もリリースしました。2003年1月には、私の研究対象により近づくため、東京に「ソノレ」の事務所を設立しました。


レーベル「ソノレ」の得意な点は何でしょうか?

1998年に設立されてから、レーベルを取り巻く状況は変わりました。はじめは非営利団体だったのですが、2005年6月「ジャーパン」という会社として再スタートしました。これは私の友人でもあり、共同出資者でもある、ジャン・アラン・シディとの出会いの成果です。この「ジャーパン」がレーベル「ソノレ」を経営しています。現在私たちは、「ジャーパン」と「ソノレ」を、メディアアートから電子音楽にわたる現代アート専門のエージェントとして捉え、ヨーロッパ(普及)と日本(創作)に平行してネットワークを発展させています。CDや本の出版も続けていますが、同時に、映画やモード界に大胆な音楽を提案したり、また、ニーム劇場でのフェスティバル「ジャパニーズ・エキスペリエンス」のような、鋭くかつオープンなプログラムを企画したりしています。また、インターネットや携帯電話等の新しいコミュニケーションの手段を駆使して、作品発表の場にすることも、常に念頭においています。「ソノレ」の芸術的特性については、強いて言えば、私たちはシーンから外れた、というよりは、現代創作のすきまに位置するアーティストに惹かれます。つまり、オリジナリティがあり、未開発の道を探検するリスクを厭わない人たちです。

とはいえ、私たちの活動は音楽だけにとどまりません。例えば市場大介の絵や東野祥子の振り付け、またエキソニモの参加型インスタレーション、こういった分野にも敏感です。こうした個々の創作は、一見別々の道に進んでいるように見えますが、実はある感受性を共有しています。私たちは、このつながりの理解に努めると同時に、製作や出版を通して支援していきたいと考えています。

私自身に関していえば、現代の芸術創作の専門家というよりはむしろ、ヨーロッパと日本の仲介者のようなものだと思っています。日本の創作の現状をチェックするため、多くの人が「ソノレ」を参照しています。また、フランスにいたままでは、日本の現実に対してゆがんだ考えを持ってしまう危険があったので、私が東京に移住することや、日本語を勉強することは、私と「ソノレ」の将来にとって重要だったのです。私は現地でシーンに貢献したかったのであり、遠くから観望したかったのではありません。私たちの作品普及の仕事の大部分はヨーロッパで行われているため、「ジャーパン」の所在はフランスにおいたまま、私が東京で連絡事務所を運営しています。ちょうど、日本の創作の渦の最中に浮かぶ埠頭のイメージですね。


共同著作「ジャパニーズ・インディペンデント・ミュージック」はこの豊かなインディーシーンに対する「ソノレ」の観点を象徴しているのではないでしょうか。

多くの日本人が、私たちの勇気というか無遠慮さに驚いていました。というのも、日本のフリージャズの先駆者(安部薫、高柳昌行)、ノイズの剣士(Jojo広重、秋田 昌美)、ポップの革命者(竹村伸和、小西康陽)が、この本では一緒に取り上げられているのです。ここに描かれたシーンがそっくりそのまま存在するわけではないし、ある音楽シーンに対してヨーロッパ人が抱く幻想の反映にすぎないとしても、それでもこの本には、日本のインディペンデント音楽シーンに対する私たちの視点が現れています。その意味でも私たちの観点はユニークだといえるでしょう。つまり、エキゾチックな色眼鏡をはずしつつも、全てを網羅しようとはせず、むしろ他分野にわたって選択するということこそが私たちの強みだからです。重要なのは、日本のシーンに対するヨーロッパの視点は、情報不足がために完全に歪んでいる、ということに気づくことです。例えば、輝く国際スターの坂本龍一と、黒に身を包んだニヒリスト・グル灰野 敬二。ヨーロッパ人の手にかかれば、この二人が同じかごの中に入ってしまいます。

このシーンの歴史は比較的最近のもので、日本の伝統音楽と西洋の近代音楽との大きな対立は、ほんの約100年前にしか遡りません。この対立に関して、今でも見受けられる2つの反応がありました。一つには、西洋人は日本の近代音楽を、単なるオリジナルのさえない模倣と捉えがちだということ、もう一方では、一部の日本人は、西洋の音楽に対するコンプレックスを持ち続けている、ということです。私はこうしたものの見方には賛成できません。第一、日本の音楽が西洋音楽に対して何の借りもないということは、多くのアーティストがすでに証明しています。例えば、60年代の前衛フルクサスの脈絡で「グループ・音楽」、あるいは70年代の武満徹、そして彼の東洋/西洋の対立を乗り越えようとする意思です。また、影響というものは一方通行に作用するばかりではありません。ジョン・ケージは確かに日本の実験音楽に影響を与えましたが、彼自身も東洋思想や禅に感化されています。逆に今日、ゲーム音楽の作曲家のほとんどが日本人ですが、彼らは主な影響として、しばしばエリック・サティを挙げています。

また、日本人ミュージシャンに影響されたと公言する欧米人ミュージシャンも増えています。2000年代初頭の日本の「音響派」(大友良英、中村としまる)が、ヨーロッパのミニマル電子音楽を感化したのは疑いないし、また、アメリカのサイケデリズムを再解釈したアシッド・マザーズ・テンプルは、同国アメリカで揺るぎない人気を誇っています。ヨーロッパ人にしろ日本人にしろ、日本の音楽の独自性にまだ疑いを持つ人がいるなら、日本の音楽が国際シーンに与えた影響を証言するのが一番でしょう。


「渋谷系」もよい競争相手でしたが…

これは相互影響のいい例ですね。東京の渋谷は、最新のモードや音楽、デザインを求めるおしゃれな若者の町ですが、「渋谷系」は90年代にここで発端しました。様々なスタイルとジャンルの衝突する、札付きの「渋谷系」という音楽は、何といっても60年代のフランスやイタリアの甘いポップ、イエイエなどに影響されていますが、ただし、ビタミンたっぷりの濃縮シロップで味付けされ直しています。今日「渋谷系」という表現はあまり意味がありませんが、それでもこの音楽は、スコットランド/イギリスのモーマスやフランスのディミトリ・フロム・パリといった、多くの西洋のアーティストを魅了し、感化しました。この音楽スタイルを代表するのは、何といってもピチカート・ファイブ(解散)やファンタスティック・プラスチック・マシーン(解散こそしていないが?)でしょう。しかし、独創的だったはずのこの新しいジャンルも、やはり商業目的で便乗したプロデューサー達やメディアに利用されすぎたために、元の意味を失ってしまいました。この用語が変革を求める反骨精神を今でも代弁しているかどうかは、全く疑問です。とはいえ、このジャンルで一聴に値するアーティストはいます。特にヴルーム・サウンド・レコーズのプラスティック・スクイーズ・ボックスや、ウサギちゃんレコーズのYMCKです。


現在の日本の音楽シーンをどう見ていますか?

単純に統計上、人口一億2千7百万以上、世界第二の経済力を誇る国が、相対的に多くのアーティストを排出するのは、当然だといえます。仮に芸術創作全般を、この場合は日本のですが、「芸術の輪」のようなものだとして、中心には最も内向的でニヒリストな傾向を、その周囲にはもっとオープンでポピュラーな野望を集めたとしましょう。おそらく日本で特殊なのは、中心から周辺へといったように、この輪の中を行き来するのをためらわないアーティストがいて、それで誰も驚かない、ということでしょう。この傾向は時として(おそらく見当違いに)統合失調症的だと捉えられがちですが、私が思うに、こうした創作の輪の中での往来が大きなエネルギーとなり、両極を養っているのではないでしょうか。ポップを信奉するアーティストでも時には実験をしてみたり、逆に、非常に「前衛的」なプロジェクトでも、通俗的な要素を取り入れたり、ということがあり得るのです。この現象を例証するのが、かの有名な坂本龍一です。彼は盛んにテレビに露出しているかたわら、クリスチャン・フェネスやカールステン・ニコライ(アルヴァ・ノト)と共演もしています。また、規模は変わりますが、ヲノサトルは神経質な電子音楽を作曲しながら、明和電機のショーでアフロのオルガン弾きに変装することも厭いません。ヨーロッパにはこのような柔軟さはないのではないでしょうか。

ヨーロッパ人はというと、この輪の中の同じ場所に留まって、自らの創作をより深く発展させることにエネルギーの全てを費やし、そこから動くことがない、ということがいえるでしょう。一方、ヨーロッパ的な「深さ」の追求を犠牲にした、一部に見られる日本の移り気な風潮は、ともすれば「軽い」とか「表面的だ」と映るかもしれません。


現代のフランスの若者にとっては、マンガやJポップ、コスプレ、ビデオゲーム、「カワイー」という美意識、こういったものが日本のマス・カルチャーであり、日本列島から来るものは見境なしに受け入れてしまう、というある種の熱狂が見られますが、これについてはどうお考えですか?

一般的に、英語で言う「nerd」、いわゆるオタク的な姿勢が「クール」だということになっていますが、共同体形成サイトやブログ、ウェブ2.0などの、ウェブ上での最新の傾向によって、この反社会的な現象は強まるばかりです。また、一部の日本のオタク文化がこうしたふるまいを見事に体現しています。とはいえ、忘れてはならないのは、こうした日本ブームは昨日始まったものではないということです。30代のフランス人の多くは、ゴルドラック(原題「UFOロボ グレンダイザー」)やキャンディ(原題「キャンディ・キャンディ」)、あるいはパックマンを共通の文化基盤として持ち合わせています。まず70年代に到来した第一次日本ポップカルチャーブームが、こうして土台を築きました。続いて80年代、日本の経済力向上によって、海外ではジャパン・バッシングなど、日本に対する警戒があったのに対して、90年代末の景気後退以降、逆に日本は好感を持たれるようになりました。

ヨーロッパでは、この感情が功を奏して、90年代末に第二次日本文化ブームが訪れ、以来、若者を魅了し続けています。このように外国の文化を受け入れたり、さらには、自国の文化に組み込んだりすることは、全く問題がないどころか、とても健康なプロセスだと私は思っています。「ソノレ」はこうした中で、オープンな選択肢、つまりマス・カルチャーに対するオルタナティブを提案しているのです。とはいえ、日本文化はとても複雑で繊細ですから、コスプレのように、どちらかというと社会文化的な要素だけを取り入れるのは、問題があるかもしれません。


フランスでは日本のアートに魅了されている感がありますが、逆に日本でフランスはどう受け止められていますか?

19世紀末のジャポニズムに見られるように、浮世絵のような日本の芸術がまずフランスの芸術家に影響を与えました。逆方向の影響は、日本の社会や司法の構造を深く変えた文明開化を待たなければなりません。今日フランスでは、一部の専門家を除いて、日本文化に対する無理解や、寄せ集め、偏見といったものを通して、エキゾチックな文化を崇拝しているにすぎません。こうなると、輸入文化のまがい物を何でもまるごと受け入れるか、もしくは、日本というだけで国際舞台での芸術的価値を認めず、一様に排除するかのどちらかになってしまいます。批判的観点は確かに必要ですが、そうはいっても、全てを疑うのではなく、評価できるものは認め、尊重することも忘れてはいけません。


さて、日本人はフランス人よりも、世界に対してずっと開けた感覚をもっているように思えます。例えばヌーヴェル・ヴァーグのジャン・リュック・ゴダールのファンがブラジル音楽に詳しかったり、ノルウェーのデスメタルが好きだったりします。フランスではこんな人はまれでしょう。
フランス音楽では、カトリ―ヌ・ソヴァージュやブリジット・フォンテーヌ、マリー・ラフォレやバルバラといった歌手の人気は健在ですが、実験アート的な影響にとどまり、統計上は衰退の傾向をたどっています。そこでフランス文化の公式プロモーターに残された選択肢は二つです。一つは、日本人の平均寿命の延びを頼りに収入の維持を図ること。もう一つは、もっと移ろいやすく感覚的な、若い層の注意を引くような手段を見つけることです。


今興味のあるグループは?

私は公式な流行よりはむしろ、非公式のネットワークを追っています。この方法は時間がかかりますが、私のアーティスティックな選択を確固としたものにしてくれます。時には、作品だけでなく、アーティストの人柄やものの見方、世界とのかかわり方なども左右します。私が好きなのは例えば、演歌のムードコーラスについて熱く語る秘密博士。また、東京の小さいクラブでミックスするL?K?O。DJ光もすばらしい。彼はいつも控えめに始めるんですが、それでいて最後には観客をトランスまでもって行きます。永田一直もはずせないプロデューサー/DJです。かれはトランソニックのような重要なレーベルのオーナーで、最近新たに20001イン・サウンドというレーベルも始めました。エレクトロで注目したいのは、デデマウス、ウッドマン、チェリーボーイ・ファンクションです。ヒップホップでは、ハイファナがとても人気がありますが、私は太いリズムのECDを特にお勧めします。もちろん、「ソノレ」のリリースするアーティストも逃してはいけません。ヲノサトルのマキシレコード「Sauvage」がリリースされたばかりですが、新しいアルバム「ダンス組曲」も進行中です。Yuko Nexus6や、サタニックポルノカルトショップの新しい作品ももうすぐ発表されるでしょう。また「ソノレ」では、日本の電子音楽の歴史についての著作の翻訳の出版も予定しています。


ニームでのフェスティバル「ジャパニーズ・エキスペリエンス」はどのようにして生まれたのでしょうか?

私自身は東京に住んでいますが、「ソノレ」はフランス・モンペリエの近くに所在地を置いています。2005年夏、ニーム劇場のプログラム発表の際、「ソノレ」の共同運営者のジャン・アラン・シディが劇場のディレクターのマシャ・マケイエフと出会い、現代の日本のシーンを巡る企画を構想したのです。私は当時すでに東京にいて、「ソノレ」の事務所を開設したばかりでした。私もこのアイディアに賛成し、こうして皆でプログラムを練りました。ほぼ2年がかりの作業でした。ニーム劇場のスタッフは敏感で反応が素早く、彼らと仕事ができたのは幸運でした。


アーティストを選ぶ基準はどんなものでしたか?

十分に専門的なプログラムを考案するのはもちろん、かといってあまり極端なものは避けました。芸術的かつオープンな企画で、観客の好奇心の後押しをする必要があったのです。フェスティバルの100%がニームでは初公演で、この町の観客にとっては全てが新しい発見です。そのためリスクも大きかったわけです。それでもニーム劇場の執行部は私たちに完全な自由を与えてくれました。私たちは精一杯、今日の日本の創作シーンに近くあるよう心がけました。アーティストの選択に関しては、大部分のグループは、近年「ソノレ」と仕事をしてきた人たちです。例えば2006年10月、東京でフランス大使館と共同で企画した「東京ダダナイト」というイベントにも、幾名か出演してもらっています。また、一部のアーティストの新作制作の後押しにも努め、例えばヲノサトルには、20年代の日本映画の隠れた宝である無声映画「狂った一頁」のための、電子作品の作曲を依頼しました。同様に、メディアアートのエキソネモは、ニームのために特別に構想された観客参加型のインスタレーションを、町の4箇所に設置します。


こうした様々なアーティストの間には、どんなつながりがあるのでしょうか?

彼らの間に確かにつながりはありますが、一見分かりづらいかもしれません。それがまさしく「ジャパニーズ・エキスペリエンス」の魔法なのです。このプログラムには、どうしてもヨーロッパ人の抱く幻想や、実像とは違う日本のアートシーンを定義したいという誘惑が入り込んでいます。また、こんな表面上は種々雑多なプログラムは、逆に東京では想像できないかもしれません。でもこれが「ソノレ」の視点なのです。とはいえ、招聘されたアーティストは皆、すでに知り合い同士であるか、少なくとも互いの名前や評判は聞いたことがある、という人たちです。私たちは、彼らに同じイベントで一緒に表現する機会を与えているにすぎません。もう一つ、もう少し予測しづらいのは、フェスティバル後に考えられる日本での反応です。というのも、海外での評価をもとに、日本人のアーティストが日本で認知される、ということが往々にしてあるからです。


「ジャパニーズ・エキスペリエンス」は明和電機のグラン・ギニョル的ショー、ヒゲの未亡人のイージー・リスニング、八木美知代の琴の前衛演奏と、かなり多岐に渡っていますが…

こんな羅列をしてもしかたがありません。ヨーロッパの観客とメディアには、こうした用語を使って考えるのをぜひやめてもらいたい。「いかれた、とっぴな、ゆがんだ」、もしくは「伝統と近代性との関係」、日本のアートに触れたとたん脳裏に浮かぶのは、せいぜいこんな考えです。こんな古めかしい定義が、芸術を正当に評価するのを阻んでいるのです。
日本の芸術は豊潤で、その点は疑いようがありません。もっと気軽に、もっと偏見を捨てて、現代の創作に触れるべきです。あれこれ考えすぎずに、作品をそのまま受け止めてみてください。そうすれば、はるか遠くまで連れて行ってもらえるかもしれませんよ。

http://www.liberation.fr/culture/249611.FR.php

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