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※創立者ツバサくんの日記より転載です。できるだけ多くの人、特に関わった方には見てもらいたいと思い、掲載させてもらいます。

ZERO 4代目部長 MNB

・・・・・・・・・・

久しぶりにmixiに日記を書きます。

ときどき外部リンクで自分のブログに書いていますが、 本当にメッセージを伝えたいときは、mixiでこうして日記を書いてます。

さてこの度、日記を書いたのは皆さんに少し力を貸して欲しいからです。 これは、特に僕が関西にいるときに出会った仲間や、後輩、先輩のダンサー含めてです。

なので、基本的には僕とマイミクの人にはぜひ協力してほしいです。


僕はDance2Peaceという、「ダンスを通じた社会貢献活動」を行う団体を立ち上げ、現在は東日本大震災で被災した地域の方に向けて、支援をするプロジェクトをしています。

2011年3月11日のあの地震が起こってちょうど3ヶ月。

三陸高田市、大船渡、石巻市、気仙沼市、仙台、南相馬市、福島県のいわき市、郡山市と、被災地を2回訪れてきたのですが、本当にひどい状況でした。


テレビやYOUTUBEでいろんな映像が見れますが,現場に行くと、テレビ等では感じられない雰囲気や、空気感がありました。


気仙沼の保育園の林園長先生は、 当時の津波の状況を泣きながら僕に話をしてくれました。 現地の方と話せば話をするほど、 「なんとかしてあげたい。。」という想いになりました。


もう数十年前になりますが、

神戸のダンサーさんや、神戸よりの兵庫県のダンサーさんは、 あの阪神淡路大震災を覚えている人はいるでしょうか。


あの頃をもう思い出したくないかもしれませんが、 経験した方は、とても辛い思いをしたと思います。


あの恐怖の5時46分。 みんな覚えているんじゃないでしょうか。


▼5時46分 震度7
僕は中学3年で、受験シーズンやったんです。

まずは「直下型」で揺れました。

しかも、揺れる直前に、 『ゴオオオオオオオ』という、 聞いた事もない映画にでてくるような「地鳴り」が、 僕がマンションの5階にいたにも関わらず聞こえてきました。

その直後、僕の体が浮くくらい飛びました。

そこから、時間的には短かったのか、縦揺れ→横揺れと激しく揺れました。

『マンションが折れるかも!!!!』

と思って、 ほんとに「死ぬ」と思った瞬間でした。

揺れ終わって、少し落ち着いたら親父が飛んできて、 「大丈夫か!?!!今からすぐに大きな余震がまた来るから!リビング集まれ!」

と言いました。

「ヨシン??ヨシンって何???」 『いいから、とりあえずリビングに来い!!!』

見た事のない親父の血相でした。
弟は体がガクガク震えていました。僕も手が震えていました。

当時はまだ小学生だったので、今考えたらほんまに可哀相やったと思います。

「来るぞ!!!揺れきた!!!!!」と親父が叫ぶと、 また同じくらいの大きさの揺れがきました。

「もういやや!!!!!!助けて!!!!!怖い!!!!」

タンスや物が倒れる音、ガラスが割れる音など、 何より「音」がめっちゃ怖かったのを覚えています。

ずっと、弟と姉と手をつないで、 家族で丸く固まって身を寄せていました。

“はやくおさまれ!!!!”とずっと心で祈っていました。

揺れはおさまりました。

自宅の中は足場がないくらい、タンスや物が倒れていました。
自宅で飼っていた熱帯魚の水槽は全て割れて、 魚が床ではねていました。

電気はつかず、
水も断水、
ガスもつきません。

「全て止まってる。。。」


▼パニックになった人たち
パニックを超えて、僕たち子供は動けなくなっていました。

少しずつ夜が空けてきてベランダから周りの景色が見えてきました。

神戸の方向を見たとき、
まるで戦後のように、煙の柱が無数に空に向かって上がっていました。

よく見ると、火災で燃えているところも見えました。

テレビはつかないのですが、ラジオがつきました。
※当時はまだ携帯電話がなかった時代です。

その時に地震の規模や、何が起こったのかが次第に明らかになってきました。

そこから体育館に避難しました。

食糧も水もなく、不安だらけでしたが、 親父がスーパーに行ったりしてくれて調達してくれました。

レジはあるようで、ないようなもん。

みんな正直、商品をとってカバンに入れていました。

善意のある人は、 レジに「お釣りいらんから!ここにお金置いとくで!!」といって、 お金を置いて行っていました。

ここまでお金が意味のない瞬間は初めて見ました。

みんな、きっとそれどころじゃないんでしょう。

“パニックになったとき、人間こうなるんや。” と僕は幼いながらに分析して見ていました。

地震の恐ろしさ、みんなの行動パターン、優しさ、本音、いろいろ見ることができました。


▼「ぬるま湯」
一番忘れもしないのが、風呂。

ガスが最後まで止まっていたので、水が復旧してもガスが止まっていました。

なので、ガスコンロに水を入れて火をつけて「ぬるま湯」を作りました。

久しぶりのシャンプー。

頭は洗っていなかったので,油でギトギトして気持ち悪かったんです。

でも、水は一度流すと終わり。

2杯目はまた火をつけて「ぬるま湯」を作らないといけない状態でした。

でも、家族みんなで状況を理解してガマンして水を大事につかいました。

お風呂に大量の水を溜めて、 オカンが『これで安心や。何かあったらこの水があるから』と言いました。

「え!?このお風呂の水を飲むん!!?」と僕。

よく見たら、水汚いんです。なんか浮いてたり。 でも、言ってられない。生きないといけないから。


▼学校で友達と再会
学校が再開して、みんなと久しぶりに会いました。

もうその時の感動といったら、言葉にできないくらい。

みんな、無事でした。

「うちん家、全壊。赤紙貼られたんや」

「うちは半壊。でも、ガスはもう通ったんや」

「え〜!いいなあ〜!!まだ電気と水や。。」

「◎年◎組のおばあちゃん、死んだんやって。。。」

そんな会話があったり。

給食はパンと牛乳パックのみやったり。

でも、全員が幼いながらも状況を理解してました。

地震の爪痕という恐ろしさも、知りました。



▼震源地近くの神戸。
神戸はもう別物でした。

あんな大きな高速道路が全部横に倒れていて、怖すぎました。

とくに長田区や東灘区は、尋常じゃない火災区域でした。

「神戸に行く時は、地味な色の服を着ていきなさい。あんたらみたいな派手なカッコして行ったら、被災地の人にとっても気が悪いやろ」

とオカンが言ってました。

僕らも全壊/半壊で被災地やったんですけど、 神戸はもう別の世界の被災地でした。レベルが違うかった。


そして今,

あの阪神大震災も火災がひどかったのですが、

今回の東日本大震災は、地震+火災+津波+原発という4種の災害が重なっていて、未曾有の大震災となっています。

そして、この東北地方にも僕らと同じダンサーが数多くいて、被害を受けています。

気仙沼高校ダンス部の子たちと連絡をしていたのですが、 津波によって家が流され、部員の子たちは体育館で生活をしたり、 避難所から登校したりしています。

家族と離ればなれになったりしています。

福島県郡山市のキッズダンサーの子たちは、 地震のほか、「放射能」と戦って生活しています。

日に日に明らかになってくる、放射能の爪痕。

僕がダンスレッスンでいった福島県いわき市の小学校は、 震災以来、放射能で運動場には出れず、運動ができていない子ばかりでした。

でも、子どもたちはめっちゃダンスで元気になっていました。



僕は、福島県のキッズダンサーの子どもたちに聞いてみると、 「福島県以外の場所でも、踊ってみたい!」という願望を持っていました。

子供たちにとって、ダンスはほんとに心の支えになっているのです。



今回、ご存知のとおり、 Dance4Japanという東京/京都/大阪の3カ所で同日同時刻で、 1つのチャリティイベントを開催します。

僕はこの日にどうしてもこの福島県の子どもたちを関西で踊らせてあげたく、 Dance2Peaceのスタッフを説得し、みんなも賛同してくれました。

もちろん、交通費等の費用は全てイベントの経費から出します。




Dance4Japanの京都ステージから入り, パフォーマンスが踊り終わったあと、大阪(神戸)ステージで踊ってくれます。

ほんとは時間があったら、

大阪のたこ焼きとか、
大阪城とかUSJとか連れていってあげたいのですが、

26日(日)に東京に行く用事があるので、とんぼ帰りしないといけないそうです。。

ほんと、申し訳ない。。


それでも、彼らは「大阪と京都で踊りたい!」と言ってくれました。

キッズのダンサーなので、付き添いのお母さんも来て頂けます。

踊り終わった後に、現状を少しお話してくれるとのことです。

子どもたちからはコメントが難しいのですが、 付き添いのお母さんが現状をお伝えしてくれることになりました。

それを、聞いて欲しいんです。

リアルに今、被災地で起こっている事を。

そして、全力で踊ってくれる子どもたちを、 思いきり応援して上げて欲しいんです。


子どもたちにとっては、 京都や大阪は、まるで海外に旅行に行くようなものです。

福島の郡山市から外に出たことがない子供たちなので、



関西はほんとに“別世界”なのです。



きっと、1発目の京都はめちゃめちゃ緊張するでしょう。。

僕らダンサーが、NYCの大舞台でいきなり踊るような感覚??いや、もっと。

でも、「一生懸命、頑張ります!」と、 今めっちゃ毎日練習しているそうです。

だから、温かく見守ってあげて欲しいんです。

盛り上げたって欲しいです。

ほんまにお願いします。




僕がほんとにこのDance4Japanでやりたかったことは、

この福島県の子どもたちを呼んであげたかったことです。

もちろん無理やり呼んでいるんじゃなく、

子どもたちの心の気持ちを現地で聞いてみてです。




この6/25(土)はマイケルジャクソンの命日。

マイケルジャクソンが生きていたら、必ず被災地復興に向けてアクションを起こしてくれていたんじゃないかと思います。

この日は、全世界のダンサーが1つになれる日じゃないかと思い、

開催日をこの日に決定しました。




僕はこの日の当日、東京ステージの運営をしています。

関西には行けないのですが,

僕の心から頼りになるDance2Peaceの仲間達が、イベントを開催してくれます。

今までに会って、お世話になったたくさんのダンサー仲間が賛同し、

このイベントに協力してくれます。ほんまにほんまにありがとうございます。

ZIETHのみんなも、ほんまにありがとう。

みなさん、当日挨拶できないのですが、宜しくお願いします。




ぜひ、皆さんの力を貸してください。

福島県の子どもたちを、応援してあげてください。

思いきり、拍手したってください。
全力で踊る彼ら5人にとって、 一生に残る想い出になりますように。




あと、約1週間です。 6/25(土)「Dance4Japan」。

http://dance2peace.com/

僕が、今できる全力のことをやります。


ぜひ、子どもたちの踊りを見にきてあげてください。

※この日記の文章は個人のブログなどに転載してもらって構いません。




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