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植木枝盛コミュの植木枝盛の性格

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最近久し振りに『植木枝盛』米原謙著(中公新書)、『植木枝盛の生涯』外崎光広著(高知市文化振興事業団)『革命思想の先駆者』家永三郎著(岩波新書)を読みなおしました。 植木枝盛はその思想からも判るように自由を求める性格から、世間の枠に収まらないタイプの人間であったことがわかります。学校を中退し、独学で西洋の思想などを学び、自由民権運動につながる民権思想を創り出す訳ですが、横文字が苦手で、また、代言人(弁護士)試験に4回チャレンジするが、いずれも落ち、試験や語学といったコツコツと勉強するのが苦手だったのではないかと言われています。しかし、横文字を読めないのに西洋哲学や民権の精神を良く理解し、日本国憲法の私案を創るほどに法律も理解していたというところに魅力を感じます。人付き合いも上手ではなく、普段無口で同じ部屋にいても一言も植木からは口を開こうとせずに、何を一人考えているのかを聞けば過去の偉人と心の中で対話しているのだというようなことを言うタイプですから友人が出来にくいタイプだと言えるでしょう。その植木が日記だけはコツコツと記しています。その中でも過大な自己像が出てくる夢の話だとか興味深い記述が出てきます。植木のその性格について幼少時の継母であったことなどいろんな原因についても上記著者から指摘がありますが、植木のその孤独で自由を求める性格は見事にその思想や憲法案にも反映されている点が私は興味深く感じます。

コメント(2)

人となりのことではありませんが、植木枝盛の生家の近くに生まれた者です、車の行き違いも出来ない、ごみごみした下町で私が子供の頃1950年代迄は生家は未だあったと思います。
確かその家には人間ポンプと言ってカミソリの刃を飲み込んだり、金魚を生きたまま飲み込み再び口から取り出す大道芸人の人が住んでいたような気がします。
好きなこと以外に興味のない。多分今で言う登校拒否の性格ではなかったかと思います。
だから直感的な感覚理解力に優れ、教科書マニアル無しで意味が理解できたのでしょう。
外にも日本が戦争ににつき進んだとき、反戦活動で繊細な神経で閉塞精神軽症で死んだ、槇村浩、本名吉田豊道を忘れて欲しくありません。新緑精神反対で刑務所に閉じこめられ拷問と共に摂食障害で終戦」を待たずに殺されにました。
墓は植木の葉か墓車で20分ほどのところにあります。
継母の香梅(亀)さんは「桜馬場の鬼婆」といわれるほどのはちきんだったそうで理財テクの達人だったと記憶しています。
彼女が亡くなったときに乳兄弟「佐久馬」(漢字間違えていたらすみません)が押し入れから小銭じゃらじゃら出す枝盛を見ています。

佐久馬は亀の実の息子です。内心複雑だったでしょうね。

鬼婆と呼ばれた亀さんも枝盛には(結果的に)甘かったということでしょうか。

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