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がん治療を語るコミュの私の大腸がん闘病記2

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私の大腸がん発覚と同時に始まった精密検査で腎臓に腫瘍が見つかったのだが、栗原中央病院の泌尿器科の主治医はその後大した検査もせずに大腸がんの治療・手術後にゆっくり検査した方が良いということでそれきりになった。
外科医の執刀医(主治医)が決まらないまま消化器内科も外科もほったらかしのままが続きあの4月末の外科医からのリクエストの内視鏡検査の為の下剤からくる腸閉塞の転送された大崎市民病院での緊急手術です。ストーマ(人工肛門)生活になりました。
その後、大腸がんの本格的検査と泌尿器科での多様性腎臓細胞腫瘍の細胞検査が平行に行われました。
本当は栗原中央病院の泌尿器科での検査を予定されましたが外科医(主治医)の先生の判断で大崎市民病院の泌尿器科での細胞検査となったのです。そこで初期検査でわかったのは大崎市民病院(宮城県北部がんセンター)で初めての左右腎臓に出来た多様性腎臓細胞腫瘍でした。特に右腎臓のは腎臓の7割が腫瘍に侵され泌尿器科の主治医は右側だけは取ることを薦め左だけの腎臓生活になることでした。ただ今現在の世界のデータで判断すると左に腫瘍ありながらの片肺飛行の余命は長くて6年平均3年と言われました。そして腎臓細胞の精密検査を薦められ受けることになりました。放射線科の優秀な先生による細胞摘出は0.5%の確率の毛細動脈に傷をつけるミスで大量出血による大量輸血で3日の入院が2週間の入院になりました。おかげで腎臓内の動脈瘤の手術までしてもらいました。

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