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左側通行コミュの左側通行の歴史

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全世界的に人類は左側通行だった。つまり人類の標準は左側通行である。では欧州中心に右側通行が広がったのは何故か。そもそも右利きが多い人類は左側通行が対向する者に対して右手で対処できるので都合良かった。また、よく言われる侍の刀は左腰に差すからそれをぶつけぬようにとの考え方がある。欧州の騎士も剣を右手で持つので日本と変わらぬものと想像に難くない。そこに右側通行を持ち出したのはフランスの自称皇帝ナポレオンである。欧州では左側通行のまま戦闘に以降するらしく、ナポレオンの軍は右側通行に不慣れな相手に右側通行で攻撃を仕掛け勝利を重ね、やがて欧州の大半を支配下とすると支配地を全て右側通行に変更した。これには携帯武器が刀剣から銃に変わりつつある中で銃の使い回しにも有利だったからという。その後すぐナポレオンの支配地と陸続きな他の地域とその植民地も交通の利便性からナポレオン支配地の右側通行に合わせた。島国でナポレオンの支配が及ばず反仏国でもあるイギリスとその植民地はナポレオンに反発し左側通行を守った。右側通行はフランスが戦争のために導入したものであり、反戦を唱えるような奴は右側通行なんてとんでもない事なのだ。日本は左側通行をずっと守ってきた。戦後GHQ占領下においてアメリカに右側通行への変更を要求されても予算(信号や看板を全て作り直すなど膨大なものになる)その他を理由に拒否、ただし道交法で歩行者の左側通行の言葉は使わず、安全上対面通行の必要性から例外的に歩行者が右側通行で通行すべき点のみ明記するに留めた。文字にしなくても日本人なら左側通行するだろうという思いがそこにはあった。だが戦後の教育の偏りは日本が守り抜いた左側通行を教えず、さらには日本人を『法律に歩行者は右側通行とある』という字面しか読めない思考停止状態にしてしまった。こうも日本の教育が破壊されたかと思うととても残念である。日本が歩行者の全面的な右側通行を導入した事は一度も無く、戦後『歩車分離されていない道路限定で』右側通行するよう道交法に書かれたのみであり、歩行者同士がすれ違うなら左側通行である。日本ではエスカレーターで左側に避けて立つが、多くの人は『他の人がそうしてるから』だろうけどそもそもは左側通行と同じく左端に避けるのが自然だからというのが理由である。古今日本は左側通行の国である。

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