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意味不明小説(ショートショート)コミュの目が覚めたらミニーマウスになっていた。

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目が覚めると、大きな二つの瞳に涙を湛えた男がこちらを見つめていた。
「ミニー」
男の唇がひどくスローモーションで動いた。
きらきらきら。男の頬を伝って、なんつぶも、なんつぶも、硬貨のような涙がとめどなくこぼれおちて、西の窓から差す薄ぼんやりした陽を受けてアニメみたいにわざとらしく、光る。

ミニー、ああミニー、やっと目を覚ましたんだね。君は長いあいだずうっと眠っていたんだよ。
ミニー、というのはどうやら私のことらしかった。言われてみれば、よほど長く眠っていたのか、頭が鈍器で殴られたように痛くて、腕が鉛のように重くて、空腹のあまりに胃は穴だらけになりそうだった。とりわけ喉がカラカラである。
あのう、お水を一杯頂きたいのですが、と口に出そうとして、やめた。目の前の男があまりに泣くので。
それがなんだかどうしようもなく愛おしくて、苦しくて、どうか泣かないでと抱きしめたい衝動に駆られたけれど、しかしこれもまた、やめた。


青色一色のその部屋には私と男のふたりきりだった。いや、どうもちがう。青色では、ない。
目が明るさに慣れてゆくにつれて、壁一面、床一面、ベッドに、ベッド横のちいさなナイトテーブル、その上に置かれた読書灯や一輪挿しの花、その葉や茎にいたるまで、青色に見えていたものが徐々に白みがかってきて、やがてそれらすべてが真っ白だったことが判明した。白一色のこの部屋に今、私たちはふたりきりだ。


不意に男が私を抱きよせる。頭がぐんと揺れて、目眩がする。


すこし寒いな、と男の腕のなかで私は思った。季節的な寒さなのか、或いは寝起きの体温の低さのせいかすぐに判断しかねたけれど、男の肩越しに見える窓から覗く空は高く澄んで、夏の終わりと初秋とが混じり合った時季独特の色彩だった。遠くから微かに聞こえる木枯らしが、女の人の歌声みたいだった。私が眠ってから何度目の秋だろうと、思った。

眠りにつく前のことは何故だかひとつも憶えていない。自分が誰で、なぜここに居るのか、ここがどこなのか、いつから眠っていたのか。なんの手掛かりもなかった。ただ、私が眠っていたというそのあいだ、なんだか途方もなく長く、深く、幸福な夢を見ていたような気がしてならなかった。目を瞑ると思い出せそうで、何か分かりそうで、もう一度同じ夢をと両の目をぎゅっと閉じてみたけれど、だめだった。頭が痛い。


長いあいだって、どれくらい。
男の腕に抱かれたまま尋ねて、ぎょっとした。これが私の声なのか?本当に?
発せられた自分の声はまるでバニラエッセンスみたいで、とうてい、自分の身体から生じたものと思えなかった。

「26年、26年だよ」
男はまだ泣いていて、咽びながら、だけどきっぱりと答えた。

にじゅうろくねん。私はばかみたいに鸚鵡返しした。26年だなんて、人の立派な半生ではないか。自分がそれほど長く眠り続けていたとはにわかには信じられなかったけれど、かといって、目の前の男が嘘をついているとも考えづらかった。嘘をつく動機もないように思えた。




不思議なことに、彼のことに関してならば私は好く憶えている。彼は世界が熱狂する大スターだった。映画やテレビに出たりもすれば、オーケストラの指揮をしたりなんかもする。楽器も弾けるし、踊りも得意だ。自動車や、自分のテーマパークだって持っている。お金づかいが、あらいのだ。今日みたいにラフな恰好でいることが多いけれど、背広がほんとうにそれはよく似合う。 彼が世界の中心にいるのではなく、彼を中心に世界ができていた。


ミニー、ああミニー、 君が目を覚ましてくれて嬉しいよ。今なら僕は神さまの存在だって信じられる。
かみさまって、おかしいんだ。信仰心なんかこれっぽっちもないくせに。
彼がおおまじめに神様だなんて言ったのが、ひどく滑稽だった。だって彼に信仰心なんて、ないんだもの。自分こそが神様と、そう思っているくらいなんだもの。だけど、どうして私がそんなことまで知っているのだろう。考えようとすればするほど、その思考を阻むかのように頭が痛くなった。


彼は私を「ミニー」と呼ぶ。でも、自分が何者か分からなくても、自分はミニーではないという思いが遥かに優勢だった。ミニーではない、ちがうほかの誰かでいたような気がしてならなかった。その人格として生まれ、育ち、その人格として毎朝目を覚まし、一日を過ごして、誰かを愛し、眠りに着いていたような。そんな気がしてならなかった。

「おかしなミニー、君は夢を見ていたんだよ」
彼が笑った。ああ、なんて素晴らしい笑顔だろう、と思った。

「考えてもごらん、この26年の間、君は沢山の夢を見ただろう。人になる夢、魚になる夢、猫になる夢、そしてネズミになる夢。自分の存在をいぶかしむのも不思議じゃあない。だけど、今、現実にこうして僕の目の前にいる女の子は、僕のミニーなんだよ」
目が覚めたばかりで混乱しているんだね、可哀想に。カワイソウ、カワイソウ。そう言って私の頬を何度も、何度も撫でる彼の大きな手は、温かくも冷たくもなかったけれど、私の頬の触れたところを熱くして仕方なかった。魔法みたい、と小さな声で言うと、僕は魔法使いだからね、といたずらっぽい笑顔でささやいた。そうだ、彼は魔法使いなのだ。

頬の熱にぼうっとしてゆく意識のなかで、私は考えた。彼の存在は本当に「本当」なのだろうか?彼自身もまた私の夢の中の住人だったら?今、この瞬間、この時が夢の中ではないという証拠は?疑念の矛先は次第に私自身から離れ、ぬるりぬるりと地面を這うように流れるこの真っ白な時間へ向けられていった。

「ミニー、また難しいことを考えているの?すごく怖い顔をしているよ。」
Smile!と、彼は自分の両の頬を指差して、ニッと口角を上げた。私一人だけに向けられた世界的大スターの笑顔は、夢みたいに素晴らしくて、魅力的で、思わず見惚れてしまった。




26年の間に見た夢を思い出せないのが、やはりもどかしかった。家の鍵や、腕時計を失くしてしまった心細さ。そしてそれ以上に途方もなく大きなもの、たとえば家や町、土地、川、大陸が手からすべてこぼれ落ちて失われたかような、茫茫とした喪失感が確かに胸につかえ、だけどその正体が判然としなかった。

でもそれは悲劇ではないのではないか。すこしずつ、すこしずつ思えてくる。私が「ミニー」として目を覚ましたことはきっと幸運にちがいないのだ。かたくなに神様の存在を信じない彼が涙を流し、肩を震わせて泣き、神の名を唱えてしまうほどに。


この世界にこれ以上のことがあるだろうか。 だって彼の笑顔はとびきり素晴らしくて、魅力的で、なんといっても私はミニーマウスなのだから。




私が思い出すことをやめた瞬間、頭の痛みが嘘みたいにぴたりと止んだ。羽が生えたように身体が軽くなった。東の窓から見える空は、どこまでも、どこまでも高く突き抜けて、陽の光をたっぷり受けて絵画のように金色に輝いている。 窓の外で誰かが木枯らしのように歌っている。私が目覚めて最初の秋なのだと、思った。
鼻から肺へ冷たい空気が送り込まれ、私の体温に温められて出ていく。ああ、きっと、そうか、私は呼吸もしていなかったのだと気づく。



ねえ、ミッキー、お水を一杯ちょうだい。
膝の上で丸くなっている白いハツカネズミに私は話しかけた。








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朝起きたらミニーマウスになっててえなという謎の願望とエリザベス・ビジョップの詩から着想を得て一気に書き上げました。
今年90歳を迎える2匹の偉大なネズミに寄せて。(2018/9/12)

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