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新しい葡萄酒コミュの会議小説・タイトル未定

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材料

悪魔
風がカーテンを揺らしていた。
付けペン
ホラー小説
悪徳セールスマン
靴がない
病院
ぼけた婆さんが自分の靴がないと騒いでいる

コメント(10)

その1

 風がカーテンを揺らしていた。それが隣のベッドの男が持ち込んだ卓上用にしては大きな鏡に写っていた。鏡は私が持ち込んだ十五インチのノートパソコンよりも二回り大きい。向かって右側に十五センチほどのひびがあるが、これは男が入院して来たその日には、すでにあったので、男はひびのある鏡を病室に持ち込んだようなのだ。
 縁というものはあるものだが、それにしても、隣のベッドに来た男と私の縁は不可思議だった。何しろ、階段からころげ落ちて右手と左足を骨折した私に対し、隣に来た男は、やはり階段からころげ落ちて左手と右足を骨折したのだと言うのだから、まったく、この世は分からない。
 病室は六人部屋だが、この部屋に入院しているのは男と私だけだ。ゆえに、隠しているよりは早めに理解させておくほうがいいかと思い、私は男に自分が悪魔であることを告白したのだが、男は驚きもせずに、自分は詐欺師だと言った。私は驚いた。詐欺師と言えば犯罪者である。悪人なのだ。そんな悪人と同居させるとは、何とも酷い病院に入れられたものである。
「リアリティがないねえ。なんだい、BL小説ってやつかい」
 驚いた。悪魔である私の横に気配を消したまま近づき、さらに、腰のところに専用器具を使って固定しているパソコンを覗ける人間がいたのだ。
「これの前に、悪魔の父が子悪魔を崖から落として這いあがって来た子だけを悪魔と認めて育てるというのもリアリティがないし、だいいち、ありゃ石橋の獅子のパクリだろう」
「お婆さん。これは小説ではなく日記なんですよ。それで、以前のものって、お婆さんと会ったのは今日がはじめてですけど」
「ああ、以前のものは、昨夜、あんたが寝ている間に読んだんだよ。日記ふうの小説というのも、ありきたりだねえ。ああ、それから、お婆さんって失礼だろう。私はまだ六十歳になったばかりなんだよ。娘さんと呼べと言うほど厚かましくはないけどね、せめて、叔母さんぐらいにしときなさいよ。本当に常識ないんだから」
「他人のパソコンを勝手に開いて読むほうが、よほど常識に欠けると思うんですけどねえ。だいいち、パスワードがないと開けないはずなのに」
「そこは、ほら、隣の、あの、ちょっと二枚目の良い男がね」
 二枚目の上に良い男まで付ける日本語はどうかと思うのだが、確かに、そうしたくなるほどの男なのだ。精悍なキリっとした顔なのに目だけが妙に優しいのだ。その上、背が高く、痩せて見えるが筋肉質。まさに、女にモテるために生まれて来たような男なのだ。当然だが、同じ詐欺でも結婚詐欺を得意としていたのではないだろうかと想像出来た。悪人ではあるが結婚詐欺ということなら男である私は少しは安心出来るかもしれない。いや、油断はすべきでないだろう。
「彼にもパスワードを教えたつもりがないんですけどね」
「パパデビル十万四十九かデビルパパ十万四十九だろうってね。あんたとの会話から読んだらしいよ。恐ろしい男だねえ。油断ならないよ。あんた、用心したほうがいいよ。なんでも詐欺師だというじゃないか。怖いねえ」
 それよりも、そのパスワードで他人のパソコンを開いて勝手に読むあんたのほうが恐ろしいと私は思ったが、言うだけ無駄だと思ったので言わないことにした。
「何だか、人聞き悪いなあ。僕は悪人しか騙さないというのに。ああ、悪魔って、悪人なのかなあ。そもそも、人でないから悪人ってこともないのかなあ。じゃあ、大丈夫だよ。それに、悪魔、貧乏そうだしね。君のお父上って何してる人なの」
「悪魔じゃないかなあ」
「そりゃそうか。悪魔って、お金稼げるの」
 そんなことを言いながら、隣の男は不自由そうに身体を右に左にと動かしながらベッドに横たわった。横たわって最初にしたことは、ベッドサイドに置かれた鏡で自分の前髪をチェックすることだった。この男はおそらく、ケガをした時、折れた腕よりも先に乱れた髪を直したはずだ。そんな男なのだ。
その2

「だって、悪魔とか、神様ってのは、偉いんじゃない。偉い人はお金持ちよ。それにね。偉い人は悪人よ。だって善人は偉くなんかなれないんだから。私を例に出すまでもないよ」
 あんたは悪人だろうと思ったが、それも口に出すと面倒そうなので、言わないことにした。
「そうだ。私、こいつに騙されたんだった。さあ、金を返しておくれ、インチキなガラスペンなんか押し付けてさあ。あんなもので文字なんか書けやしなかったんだから」
「マダム。あれは付けペンと言って、専用のインクを付けて文字を書くんですよ。でも、今は、コレクションアイテムってやつですよ。けっこう高価な物なんですよ。言っておきますけど、マダムにいただいたチョコレートより、よほど高価なんですよ。こんなことを言うのは不本意ですが」
「ああそう。じゃあ、いくらなのよ」
「もう、そういう下品なことを。一万円以上はしますよ。でも、僕の好意なんですから、売らないでくださいよ」
「いや、売るね。あんたに一万円で引きとってよ。だって、私はそんなペンに興味なんかないし、インクがなけりゃ文字も書けないような役立たずは要らないんだからさ。一万円するんだろう。だったら五千円でいいよ。一万円の物が五千円。あんたも儲かってよかったじゃないか」
「いやいや、マダム。僕からもらった物を僕に売るって、そんな乱暴な人いませんよ」
「七千五百円」
 私は二人の会話に口を挟んだ。私も隣の男からガラスの付けペンをもらっていたのだ。そして、ちょっと値段を調べてみたのだった。
「もう、あなたたちは、どうして、そうも下世話なんですか。もう少し優雅に生きることが出来ないんですか」
 私も付けペンなど使えないし、コレクションの趣味もないので売ろうと考えていたのだが、気楽に詐欺師が配っているとなると怪しい。模造品などインターネットオークションで売ってしまっては、これまでコツコツと付けて来た私の信用が失われかねない。売るのは止めておいたほうが良さそうだ。
「ところで、お婆、あ、叔母さんは、何をしに、ここに」
「何って入院だろうが、他に病院に泊まる理由があるのかね」
「いやいや、その真久万さんは、マダムがこの私たちの部屋に来た理由を尋ねているのだと思いますよ」
「何だい、そのマクマさんってのは、この人は悪魔なんだろう」
「苗字ですよ。日本名と言ってあげたほうがいいのかなあ。ああ、それよりも、私も聞かせていただきたいですね。マダムがここに来た理由。強制的に押し付けられたバレンタインデーのチョコレートのお礼はしたはずですけど」
「食べられる安物のチョコのお返しが使えないペンだったわけだけどね」
 自ら安物と言ってしまった。私は、この老婆とはあまり深く付き合うべきではない、と、そう思った。
「そうそう。靴よ。靴がなくなったのよ。盗まれたのよ」
 こんな老婆の靴を誰が盗むというのだろうか。
「あんた、こんな貧乏そうな婆の靴を盗むバカはいない、そう思ったろう、今。盗まれたのよ。このままじゃ退院する時に困るのよ」
 ああそうか、と、私は思った。この老婆は痴呆症で入院しているのに違いない。
「あんた、このボケ婆が、自分でどこかに脱ぎ忘れた靴を盗まれたと騒いでいるんだろうって思ったろう、今。冗談じゃない。このいかれた世の中で、私ぐらい誠実に堅実に生きた女はいないんだからね。ボケてるどころか、私は老いてますます聡明になったぐらいよ」
 言い返す言葉もないし、こうした老婆と口でケンカをしても勝てるはずもないので、私は吐き出したい全ての言葉をのんで、窓を見た。
 風がカーテンを揺らしていた。涼しく心地良い風が優しく頬を撫でた。
「しかし、暑いねえ。この病院。電気代ケチって冷房を入れないんだよ」
 老婆が言った。
材料

二人
医者
聴診器
警察官
真っ暗になる

「神頼みかよ」
次の日の昼下がり。昼食を済ませた後,うつらうつらしながら本を読んでいた私は,扉の前に立つ人影に気が付いた。
「真久万さん,お加減いかがですか」
扉を開けると,わずかな歩幅で私のベッドの横に爽やかな好青年がついた。長身でありながらも威圧感はなく,顔立ちの整った男は,まさにこの病院のアイドルのような存在だった。
「え,ええ。おかげさまで」
答えようとしたそのとき,足の上に置いていた本を落としてしまった。すぐさま軽い身のこなしで本を拾い上げ,私の自由が利く右手にそっと置いてくれる。見ているこちらが恥ずかしくなるような雰囲気に,男ながらにどぎまぎしてしまった。
「すみません。先生」
にこっと微笑むと,私の左手と右足の状態を確認していく。
先生は私と隣の男の担当医なのだが,回診の時間になると,男はいつもどこかへ行ってしまう。そのわりに,私の診察が終わるころになると,ふらふらと戻ってくるのだ。その気は全くないのだが,男が戻ってきたことで,二人の会話が止められたような気がして,いつも少し歯がゆく思う。それまで,私は何かと話題を見つけては,一言でも多く先生に話しかけるようにしている。
「そういえば,昨日,靴がないと騒いでいたおばあさんがいましたが,先生の受け持ちの方でしょうか」
私の足を触っていた手が止まる。
「おばあさん……相楽さん,でしょうか。」
「ええ,確か。そう呼ばれていたような気がします」
先生は顔を曇らせながら,私の目をじっと見つめてきた。
「実は,今日,緊急で手術をすることになりまして」
「え,持病の発作か何かですか。」
昨日までは,あんなに騒がしいほどに元気だったおばあさんが急に手術だなんて。おばあさんのわがままぶりについて,軽く世間話を交わす程度の気でいたのに,なんとも間の悪いことをしてしまった。
「ごめんなさい。他の患者さんのことは,あまり話してはいけないんです。いろいろと決まりがありまして……。お知り合いでいたか」
動かせる方の手を顔の前で左右に振りながら,否定しようとしていたところに,病室の扉が勢いよく開いた。
「知り合いですよ,それも,昨日今日の知り合いじゃない。深―い関係です」
「三上さん」
突然現れた詐欺師の男は,よろよろと壁にぶつかりながら,自分のベッドに腰かけた。
「相楽さんの話,詳しく聞かせてくれませんか。もう心配で心配で。今もいろいろな看護師さんにおばあさんのことを聞いて回っていたんですよ」
明らかな嘘だ。わざとらしい口調と表情で,先生に近寄ってくる。大体,あのおばあさんの話を聞いて,一体何の得があるのだろう。こういった噂話が次の商売のネタになるのだろうか。
じゃあ少しだけ,と前置きして先生は話し始めた。こういう輩は,少しだけでもネタを提供しておいたほうが収まるということを知っているのだろう。
「今朝,自分の靴が盗まれたと思った相楽さんは,自分で勝手に110番通報したんです。もちろん,病院からそんな電話がかかってくれば,まっさきに病院に確認が来るはずなんですが,それを見越してか,近所の公衆電話まで,一人で,それもはだしのまま公衆電話までたどり着いたんです。その様子を近所をパトロールしていた警官が見つけて,相楽さんは病院に戻ってきたんですよ」
「へえ。でもそれって病院の信用問題にかかわるんじゃないですか。ぼけ老人が病室を抜け出して徘徊なんて,一歩間違えれば大事故につながるでしょう」
隣の男は,おばあさんのことなんかまったく心配せず,恰好のネタが見つかったというように前のめりになった。
「ええ。ですが,そういうことを未然に防ぐために,警官の方に病院の近くを巡回してもらっているんです。駅やバスターミナルに続く道は,商店街もあって,地域の方と一緒に見守っているほどで,今回のようなケースはむしろ成功事例ですよ」
真偽のほどは定かではないが,先生にそういわれると,何も問題はないような気がしてくる。男も,丸め込められたのか,ふてくされた顔をしていた。
「ただ……,私も直接,相楽さんを保護してくれた警官の方と話したんですが,相楽さんは電話をかけている最中,電話が急に真っ暗になって閉じ込められたと言っていたらしくてですね。朝だったし,電話ボックスの中に入った警官も,真っ暗ではなかったと言っていて。一応,脳の検査をしたんですが……」
そこまで聞いた途端,私の頭にあることがよぎった。
「先生。おばあさん,怪我,いえ,火傷で手術することになったんじゃないですか」
先生は,驚いた顔をするとともに,隣の男と私の顔を見比べた。
「いえ,ごめんなさい。実は私も,看護師さんの会話を盗み疑義してしまって」
とっさに出た嘘。
「ちょっと,真久万さん,知ってたんですか。こういったことは……いえ,私も話し過ぎましたが……。すみません。回診は問題なしということで。三上さんも,今日は看護師が回診するので,待っていてください。それでは」
いつも温厚な先生だったが,その時ばかりは,早口だった。
「自分で話してたのに,なんだありゃ。先生らしくないね。」
隣の男がそうぶつぶつ漏らしていたが,私は嫌な想像を払うのに精いっぱいだった。
「いえ,私も盗み聞きをしたうえで,野次馬根性が出てしまったというか」
「違うだろ」
男は冷たい声で私を制した。
「先生は,患者のプライバシーが漏れたことに怒ってたんじゃない。あんたも,盗み聞きなんてしてない。悪魔的な力で,何かを感じ取ったか,あるいはその知識で,いやな想像をしたんじゃないのか。例えばそう,自分が身につけているものをなくすと,体のその箇所が――」
「やめてください。確かに,そういった話は悪魔の間にもありますが。大概が人を教化するために作られた迷信です。今回のことは,情報通のあなたに,私が先んじるところを見せつけたかっただけですよ」
私がまくしたてると,男はベッドにどかっと横たわった。そんな勢いでは,まだ手も足も痛むだろうに。怪我さえも何かを欺く手段なのだろうか。この男には,用心をせねばならない。
「なーんだ。じゃ,慌てることはないな。あそこに,聴診器が落ちてるけど,あれ先生のじゃないかな。でも病院だし,代わりはいくらでもあるわな」
また,鼓動が早まる。ナースコールで,来てもらった人に聴診器を渡して,それが即座に先生の首に収まるだろうか。抗いようのない,大きな力の存在を私は知っている。
手に持っていた本をサイドボードに置いて,姿勢を正し,大きく深呼吸をした。
「あとは,先生の無事を祈りましょう」
男は笑いながら言った。
「神頼みかよ」
材料

手術室
ばあさんの火傷
トランプのカード一枚
「痛てぇし」
手術成功

魔法にかかったような気がした
その1

 どうでもいいと言う三上を口説いて、私は手術室に向かった。互いに片足が不自由なわけだが、二人で歩くのには不自由がなかった。まるで、息の合った二人三脚のようで、これがオリンピック種目なら優勝出来るかもしれないと思うほどの速度で歩くことが出来た。もちろん、走ろうと思えばそれも出来そうだったが、いくらなんでも病院の廊下でそれは出来ない。それでも、私たちはけっこうな速度で歩いていた。三上にしても、それが意外であり、また、少しばかり楽しそうに見えた。
「なんだい、二人して、散歩かい、辛気臭い病院散歩して、何が楽しいんだか、変わった男たちだこと」
 手術中のランプの前の長椅子に座っていたのは、あのお婆さんだった。私は咄嗟に足下を見てしまった。靴は履いていない。しかし、病院のスリッパを履いていた。
「相良さんは、大火傷で手術と」
 三上が急ぎ足のために、ほんの少し乱れたかもしれない前髪を直しながら老婆に言ったが、その言葉は老婆によって遮られた。
「誰が相良なのよ。いつ、私があんたらに、私、相良といいます、よろしくお願いします、なんて言ったね。ええ、いつなのよ。失礼のお詫びにコーヒー奢りなさいよね」
「いえ、あの、イケメンの医者が……」
 私の言葉も老婆によって遮られた。
「ああ、あの子ね。相良さんを手術しているよ。何しろ太古の炎の火傷だからねえ。ちょっと重症なのよ。そもそも、相良さんは、運命の火が弱まっていたのよ。でも、大丈夫よ。運気が戻ったのよ。急にね」
「どういうことなんでしょうか」
「私に説明しろって言うの。文明に毒されて記憶障害が肉体に出ている二人相手に、医者でもない私が事情を説明しなきゃならないって言うわけ。面倒なことだねえ。こりゃ寿司だね。ああ、回るやつじゃないよ。銀座ね。それが無理ならステーキでもいいけど」
「ステーキって、マダム、ステーキがいけるんですか」
「驚くとこ、そこじゃないでしょ」
 どうも、三上はずれているようなのだ。確かに、老婆の好物がステーキなのは驚くが、今は、そこに驚いている場合ではないのだ。
「ご馳走します。寿司でも、ステーキでも、フレンチでも、イタリアンでも、蟹しゃぶでも」
「そんなにご馳走してくれるのかい。じゃあ、もう、何だって教えてやるよ。銀座で寿司、ステーキ、フレンチ、イタリアン、と、ああ、蟹しゃぶもだね、しっかり、メモしたからね。後で、忘れたとは言わせないよ」
「全部ですか」
「ご馳走さまです」
「ご馳走になるよ」
 老婆と同時か、あるいは、老婆よりも少し早く三上まで嬉しそうに私にお礼を述べた。
その2

「あんたは悪魔なんだろう」
「そうですが、別に信じてくれなくてもいいです」
「信じるというか、別に驚きもしないよ、そんなことにね。それで、その相棒、あんた、最近、影が薄くなっているけど、三神を手下に抱えているのよ。これ以上は言えないんだけどね。そういう病院のルールだからね」
「何ですか、三神って、バビル二世じゃあるまいし……」
「普通は、クロートー、ラケシス、アトロポスって言うところだろうに。まあ、壊れてるんだろうね。私も、他人のことは言えないんだけどね。だから入院してるわけだし」
「あの、ボケた、と」
「失礼だねえ。私のどこがボケてるって言うんだい。あんたねえ。二十年前の今日、何してたか覚えてるかい」
「いえ」
 覚えているはずがない。
「そうだろう。こっちはそれを千年単位でやってるんだからね。そりゃ多少のガタはくるだろうよ。ああ、それで、無駄話ばかりさせるけど、聞きたいのかい、聞きたくないのかい」
「お願いしますよ、マダム」
 三上は恭しさを表したいのか、中世ヨーロッパの騎士のようにお辞儀をしたが、老婆はそれを無視した。
その3

「神話や昔話に出て来る者たちはね。現実としてこの世に存在し続けなきゃならないのよ。何千年もの寿命を持ってね。もし、本人がこの現実の世から消えてしまったら、神話や昔話まで消えてしまうのさ。それが桃太郎だろうと、かぐや姫だろうと、ゼウスだろうと、ミーノータウロスだろうと、須佐之男命だろうとね。例外はないのよ。ギリシャの女たらしだろうとね。そうして、この世は出来ているんだからね」
 老婆は話の途中で突然、私の足下にしゃがみ込んだ。老婆のタックルでひっくり返されるわけでもないだろうに、私は、驚いて飛びのいてしまった。
「何だい。私に襲われるとでも思ったのかい。失礼な男だねえ」
「本当ですよ。マダムに抱きつかれるなんて光栄なことじゃないですか」
「タラシは黙ってな」
「タラシって、女たらしってことですか。嫌だなあ、ただ、愛に忠実なだけなのに」
「その愛が落ちてたよ。ほら、ハートのエースだ。こりゃ野原で四葉のクローバー拾うより幸運だねえ」
 老婆が突然にしゃがんだのは、足下に落ちていた一枚のトランプを拾うためだったらしい。そして、そのカードは、確かにハートのエースだった。ただ、それがどうして幸運なのかは私には分からなかった。むしろ、現金でも拾うほうが幸運だと私なら思うのだが。
「タラシ、あんたは答えるんじゃないよ。私たちは鏡を大事にしているね」
「そりゃ身だしなみは大事ですから」
「だから、あんたは答えるな、と、そう言っただろう。まあいい。じゃあ、どうして、ヒビが入った鏡を後生大事に持ち歩いているのさ。新しいの買えばいいだろう。それで、あんたはどうなのよ」
「持って来てはいませんが、家には、太陽の鏡という丸い小さな鏡があります」
「それなのよ。鏡に自分を写す行為、これが時代に神話を残す行為になっているのよ。ところが、百年、二百年じゃない。私たちは千年、二千年、もっと、もっと、生きているんだから、そりゃ、支障も出るのよ。それをこっそり治療しているのがこの病院ってわけよ。あら、手術が終わったようだね」
その4

 手術中の赤いランプが消え、手術室の扉が開いた。私と三上は同時に中を覗いた。そこは手術室とは思えない空間だった。正面には果てしない暗黒があり、暗黒は垂直に立っているのに、まるで渦潮の水面のように見える。左右の壁には、いくつもの波形やランプがあり、こちらはSF映画の宇宙船の中のように見えるものだった。
「聴診器。助かりました。運命が変り、手術が成功しました」
 あの医者が出て来た。銀色の服のままイケメンの医者は両手にそれぞれ小さな鏡を持っていた。医者の格好ではない。だからといって陰陽師の格好でもない。しかし、その格好のまま首には聴診器をしっかりと下げていた。まるでそれがあるから自分は医者なのだと言わんばかりに。
「ああ、分かりました。これは夢ですね」
 三上がそう言うが早いか老婆は三上のケガしている脚を蹴った。
「痛てぇし」
「はい、夢じゃない。よかったね」
 三上の痛がりようから考えて、どうやら夢ではないらしい。
「これで赤い靴が見つかり、相良さんが元気になって踊ることが出来れば、解決なんだがねえ。相良さんは、記憶障害に鬱病まで併発しているからねえ。まあ、ようするに心の岩戸に閉じこもったんだねえ。閉じこもるのは私だって言うのにね。ああ、そうだ。ハートのエースも出て来たことだし、どうだい。あんたの力で、靴のありかも分かるんじゃないのかい。そうすりゃ、あの娘は元の踊り子でやりなおせる。あんたも力がもどって記憶ももどるかもしれない」
 確かに、老婆が言う通り、全てが、そうなるような気がしてきた。私は靴のありかが分かる、と、そう思った。まるで私は老婆の魔法にかかったような気がした。

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