ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

私の勉強部屋】哲学入門コミュのハーバーマスとアーレント―権力と公共性をめぐって―吉田徹也

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
ハーバーマスとアーレント―権力と公共性をめぐって―얨吉田徹也
http://library.sapporo-otani.ac.jp/file/contents/990/8057/kiyo_tan41_04YOSHIDA.pdf

序今日,公共性あるいは公共哲学について何らかの理論的な思弁をめぐらすとすれば,誰よりもまずハーバーマスとアーレントに思いをはせることになろう。

現代思想史に屹立するこのふたりの巨人の受容において,いつのころからか日本では大きな重心の移動が見られるようになった。

31歳のハーバーマスがマールブルク大学に提出し受理された,西欧近現代史における公共性概念の変質に関する大学教授資格論文は,翌1962年に잰Struktur-wandelderÖffentlichkeit잱웋として刊行され,哲学者の著作としては異例ともいえる大きな影響を世界に与えた。

英米では1989年になって初めてその遅ればせの英訳を読む機会が与えられたが,その際Öffentlichkeitの訳語にpublicsphereがあてられ,以後日本においてもその日本語訳である「公共圏」が浸透していくことになった。邦訳そのものは『公共性の構造転換―얨市民社会の一カテゴリーについての探求』として1973年に刊行され,以来様々な分野で市民的公共性に関する論議が活況を呈すことになる。

そうした研究状況のなかで産み出された成果は文字通り枚挙にいとまがないが,代表例をひとつだけあげてみよう。憲法学者の論集である『市民的公共圏形成の可能性』(2003)워は,今日の現実のなかで市民的公共圏をどのように構築することができるかという,切実であるがきわめて困難な主題について憲法学者の視点から追求した,意欲的で批判精神に満ちた論文集である。


・・吉田さんってこの人かな?https://nrid.nii.ac.jp/ja/nrid/1000080003531/

コメント(4)

そのタイトルにDergegenwa썥rtigeStaatunddieÖffentlichkeit.PotentialderverfassungsrechtlichenZivilo ffentlich-keit.というドイツ語が付されており,かつ「はしがき」に,当時政界を揺るがした「政党助成法」と小選挙区制度導入に対する重大な疑念が明言されている。

この政治改革が国民的合意形成への努力なしで敢行されたことは,いまだに記憶に新しいところである。
ハーバーマスの公共性理論が,狭隘な専門分野を超えて市民的公共性を作りあげていく試みの導きの糸となっていることを見事に示している実例といえよう。

しかし,自己の置かれた分野における実践ではなく,あくまでも純粋な原理として公共性を検討する立場からは異なった評価が下される。

その典型的な論考を例えば斉藤純一の『公共性』(2000)웍に見出すことができる。

斉藤は,ハーバーマスがカントの「理性を公共的に使用する自由」という概念を現代に再生させようと試みながら,この概念を合意形成へと方向づけたためにその本来のポテンシャルを殺ぎ落としてしまった,と論じている。

さらに,ハーバーマスの市民的公共性概念そのものが,公共的空間から権力の非対称性と価値対立の契機を排除したため,異質な公共圏からなる多義的な空間として把握されていないと断じている。

斉藤によれば,ハーバーマスの特徴は公共性の「脱-政治化」である。ハーバーマスの合意形成理論は,合理的とは何かという規準そのものの論議にすり替わるしかないため,とどのつまり妥協に行きつくしかない,と。

ハーバーマスのコミュニケーション理論は差異を抑圧する,とするリオタールらの見解を引き合いに出しながら,斉藤は,合意形成を優先して意見の複数性を克服すべき与件と見なすハーバーマスを厳しく批判している。
※斉藤純一 http://www.tokeikyou.or.jp/goui/doc/member/member-junichi_saito.pdf
『公共性の構造転換』によってハーバーマスが大胆にも提示した公共性概念に対しては数々の批判が寄せられた。その批判のうちでもっとも痛烈だったのは,この著作のなかではブルジョア市民社会の公共性概念だけが考察の対象とされ,労働者階級などの,その世界に参入できない下層の人々の公共性が等閑視されている,というものであった。そうした批判には一理あるものの,学問研究の枠組みの人間的限界を考慮すると,ハーバーマス理論の欠陥よりもむしろその普遍性と先駆性が浮かび上がらざるをえない。1990年の第二版で増補された序文には,その事情が控えめながら書きこまれている。マックス・ヴェーバー以来の社会科学研究の伝統である理念形(Idealtypus)に基づく研究方法が全体の理論的構想を決定づけており,その方法論の限界内でヨーロッパ市民社会の発展形態が比類のない鮮やかな手法で分析されている。前述の観点からの批判者のひとりは,実際この公共性概念に触発され,これへの批判として,労働者階級による市民的公共性の形成を論じたのである。これが学問研究の真髄でなくてなんであろうか
本論考で試みられるのは,ハーバーマスの公共性概念はアーレントの人間理解の深みにはるかに及ばず,むしろ本来あるべき公共性概念を歪めるものとしてそこから汲み取るべきものを無視しようとする,ある種の日本の風潮に異を唱えることである。そのためには,ハーバーマスがアーレントの政治思想をどうとらえていたのかを正確に理解することが必要不可欠である。このふたりは,ナチズム支配体制をそれぞれの境遇に応じて体験し,ナチズム崩壊後は異なった世界で論陣を張るという運命を生きた。そしてナチズムの経験化という共通する問題意識を背景としてそれぞれの思想を展開した。このふたりの思想家ははたして真向から対立しあう,相いれない存在なのかどうか。それとも共通の目標に向かって思考の歩みを進めていた闘争仲間なのか。1975年のアーレントの早すぎる死によって,ハーバーマスの人生を特徴づける好敵手との論戦に彼女が巻き込まれる機会は失われた。しかし,このふたりが与えてくれたものをわれわれはすでに汲み尽くしたのだろうか。とうに信用を失った哲学的人間学と,現実対応能力を失った政治学がともに提示しえない領野をこのふたりが切り開いたことの意義は,グローバル化によって共通の生存基盤が無残にも掘り崩されてゆくのをなすすべもなく見つめ続けるしかない今,あらためて考察するに値するのである。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

私の勉強部屋】哲学入門 更新情報

私の勉強部屋】哲学入門のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング