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戦場のメリークリスマスコミュの戦メリは実話だった?

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たけつです。

私は先日仕事で三重県の津市にでかけたのですが、
たまたま商店街のオーデンビルという建物に立ち寄りました。

そこに「James & Oden親善英会話クラブ」というボランティアによる
団体が入っているのですが、設立者でありビルのオーナーでもある
横田正さん(87)の戦争経験談が紹介されていました。
これを読んだ私は「戦場のメリークリスマス」を思い出さずには
いられませんでした。

以下、平成3年12月24日朝日新聞三重県版に掲載された記事だそうです。
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「思い出す若い米兵との出会い 〜津 戦争体験72歳の”あの日”」

 津市内で文化センターを経営する横田正さんは、毎年クリスマスになると、「あの日」のことを思い出す。
 上智大学在学中に学徒動員で召集され、南太平洋のラバウルへ。さらに連合軍に占領されている前線へ向かうよう命令され、部隊の編成を待っていた。
 1943年(昭和18年)12月24日の早朝、外で人だかりがしていた。のぞき込むと、後ろ手に縛られたアメリカ兵がこづきまわされていた。25,6歳。褐色の髪を短く刈り、背は高かった。
 「What happend?」(原文では「どうしたんだ?」)
思わず英語が口をついて出た。横田さんの言葉に、おどおどしていた青年は、ホッとしたかのように、まくしたてた。
グラマンを操縦していたが、日本の零戦との空中戦で撃墜させられたこと、足にけがをしていること・・・。
二人の英語での会話に周りの日本兵はあっけに取られていた。
 互いに、クリスチャンと分かると、さらに打ち解けた。「クリスマスだってのに、なんてこった」と青年は嘆いた。衛生兵を呼んで足の傷の手当てをさせ、「大丈夫、無事に帰国できるさ」と励ました。
 憲兵隊に連れて行かれる時、「メリークリスマス!」と呼びかけた。横田さんの声に振り向いた青年は、初めて笑顔を見せた。(英会話クラブの別資料によると先に声をかけたのは米兵のほうだった旨の記述もある)
 当時敵国語だった英語を話せる人材は貴重だった。このことはすぐに司令部に伝わり、横田さんは情報機関へ配置換えさせられ、前線に行かずにすんだ。
 「あのアメリカ兵に出会わなかったら、そのまま戦死していたと思います」。
アメリカ兵はニュージャージー出身ということだったが、その後の消息はわからない。
 横田さんは、クリスマスになると、必ず祈りをささげる。
「あのアメリカ兵が元気でいますように」「二度と戦争が起きないように」

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その後の調査で、1943年12月23日米軍グラマン戦闘機(操縦士ジェームスワーレン中尉)の一機のみがラバウル上空での損害であった事がわかった。
ジェームス中尉は捕虜になって6ヵ月後、残念ながらラバウル日本軍捕虜収容所で病死した事も帰還した戦友の証言で明らかになった。

故ジェームス中尉の実の妹ローズメリー氏がテキサス州在住である事がわかり、1997年横田さんはアメリカを訪問。ジェームスが生前に作った最後の友人であったことを確認しあい、両国の民間人として親善活動を推進することを誓い合った、それがこの英会話クラブとなったとの事です。


近辺の方はオーデンビルへ行きますと無料で資料を配布されていますので
ご覧になってはいかがでしょうか。
私は横田正さんの御著書「捕虜になった日」もひととおり拝読させて
いただきました。

あまりに感動したので資料から一部無断転載・・・。
みなさんはどうお感じになられますか?

コメント(2)

街の中でケータイで読んでて、人目もはばからず泣きそうになりました。
でもこのお二人の出会いが無駄になっていないのには救われますね。

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