ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

不思議シリーズコミュの001#新装開店

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
過去のUP
------------------------------------------------------------
 不思議1「今井美樹を偶然、見かけた話」
  http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=4602587&id=48494237
 不思議2「瀬戸内の島一人旅」
  http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=4602587&id=48494301
 不思議3「青山繁晴」
  http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=4914757&id=53278830
 不思議4「今井のブログ」
  http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=4602587&id=53459702
 不思議5「被災地の幽霊」
  http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=5404803&id=79373538
ついでに
 幽霊論1(途中の<幽霊は不可能>から)
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=4602587&id=58847272
 幽霊論、続
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=5404803&id=59535460
------------------------------------------------------------

<不思議で無い事などない>

「不思議」とは何だろう?

・「不可思議」の略
  どうしてなのか、普通では考えも想像もできないこと。
  説明のつかないこと。また、そのさま。

・「不可思議」
  仏の智慧や神通力は、思い測ったり言葉で言い表すことは
  できない、ということ。

だそうだ。
なんだか、とてつもなくハイ・スペックな、脅しにも近い・・・。
「軽々しく不思議などと言うな」的な「不思議」である(笑)

ブッダをリスペクトする身として
「言葉で言い表せないなら、不思議な事は語れない」が結論だし、
真実としてはソレは正しい(間違ってはいない)。
過去の象眼UPでは、
 ・不思議について、何故なのか?理由は(あえて)語らない
 ・不思議は「不思議だねぇ、のまま」の方が、より不思議だ
と述べている。

しかし
それではオモシロクも何ともない(正解は、えてしてつまらない)。
語れない、でもソレを語ってこその「浮世・この世の花」である。
小生はヒマラヤの山奥で生涯、瞑想して過ごすつもりは毛頭ない。
(そんなレベルは通過した)
浮世の泥水の中を、笑って、怒って、涙して、泳ぎきるものだ。

小生は過去「不思議な偶然」がクサる程あり、25〜6歳の頃は
毎日その連続だった。まあ「石コロで転んでも不思議だ」という
感はあって「そんなのカウントしてたら毎日じゃん!」との批判
はあろう。

ココに不思議の1つのポイントがある。

・不思議とはスペシャルなモノなのか?
・(故に)不思議とは滅多にお目にかかれないモノなのか?

普段の何気ない会話であれば「不思議はスペシャル」でよいし、
(いちいち説明も)面倒だからアグリーしているが、ガッツリ、
マジでホンネを語るなら、

・不思議は普段から常に起こっており、
・特別でも何でもない
更に

★ 不思議で無い事を探す方が難しい ★

という程、不思議は我々の日常ベースである。

これは
幼児のテッパン「何故?どうして?」のまさにソレなのだ。
(幼児の言動や思考経緯をよ〜く観察すれば、幼児は24時間
 365日、常に不思議に直面「なぜなぜ?攻撃」をしている
 事が理解できるだろう)

・アナタはどうして、男(女)なのか?
・そもそも男(女)とは何なのか?
・アナタは何故、彼女(彼氏)を愛するのか?

コレに即答できる者は少ないだろうし、熟慮で答えを出せる者も
そうはいない。「真理はそもそも語れない」のだから・・・。
(勿論、賢者の模範回答は、あるにはある)

所謂・哲学に近いし、或いは禅問答的でもあるが、そういう筋を
言いたいのではない。

我々は日常の、ほんの些細な事の99・999%をスッ飛ばして
おり、ソレが所謂・普通である(これは仕方のない面もある)。
小生も普段はそうである。所謂・社会生活を円滑にする為には、
盲目が必要な面はあるし、忘れなければならない事も多い。

そういう状態では「幼児のなぜなぜ?攻撃」の核心は流される。
・オトナとしての、
・過去云十年生きてきた経験と、
・過去云十年使ってきた思考、そのパターン化で、
・大よその事に答えが出せるベースが出来上がっていて、
・或いは模範解答が無い場合の答えまで出来上がっていて、
・「幼児のなぜなぜ?攻撃」的な事柄に即座に応じる事で、
・幼児の核心=不思議で無い事を探す方が難しい、という
・その不思議のほぼすべてを見逃している
のである。

・不思議は間違いなく、常に起こっているが、
・あまりに連続して普通に起こっているので、
・前述オトナの対応をやっていれば、流されるばかり、
・かつ「不思議は特別、稀な事」という思い込み、
・その相乗効果で不思議は確実に知覚できなくなっている
のである。

・そういうオトナが稀に、隙(スキ)をみせ、
・或いはリラックスして、油断して、無防備状態の時、
・その束の間の間隙(かんげき)を突かれて、
・フっと「不思議」が入り込んでくる、知覚される、
それが多くの人が体験する滅多にない不思議との出会いだ。
------------------------------------------------------------

<アナタが不思議を邪魔している>

象眼テッパン「一丁あがるな!」「己を崩し続けるべし」の
一見、無関係な事も根は同じで、前述の様な所謂・オトナの
パターン化に注意せよ!という事なのである。

我々はオトナになる為に、日々、こうしているのではない。
我々は、より多くの豊穣のうちに生きる為、生き・きる為に
日々を暮らすべきだ。

ソレは訓練で少しずつ上達する。少しずつ回路が開く。
前述「油断/無防備状態でのアクシデント」は、やがては
己の意思次第で可能になる。

そして、不思議の2つ目のポイント。

★ 不思議はアナタが空虚な時にしか訪れない ★

賢者のテッパンで「空っぽで在れ」という事がある。
思考(マインド)で満杯のアナタへの忠告である。
同じ方便として「お客はアナタの部屋が空っぽの時しか、
訪れる事ができない」とも言う。

・いくらお客が来たい!とドアをノックし続けても、
・アナタの部屋が一杯で入れないなら、
・いくらアナタが「どうぞどうぞ!」と言っても
・「ワタシには準備が出来てます」と言っても、
・入りようがない

・アナタの部屋が空っぽにさえ!なれば、
・そして、アナタが、常にウェルカムであれば、
・お客は次から次へとやって来ては去る
・アナタの空っぽの部屋は、常にお客の訪問の連続である

極めて道理であり、極めて普通であり、極めて簡単である。

念の為、ウェルカムとは「そうやって待ち構える」という
事ではない、否、ソレはまったく逆の態度だ。ウェルカム
とは、準備しない/呼び込まない/期待しない/作為しない・・・
そういう事だ。
アナタは夜の新宿に立つサンドイッチマンになるべきではない。
看板を手に、片っ端から「どうぞ、どうぞ!」とやっていれば
来たい者も寄り付かないだろう?不思議もそういう事だ。

不思議はケチではない。
お茶など準備しなくても、どんな天気でも、不思議という客は
アナタの部屋さえ空けておれば、もったいぶらずに訪れる。
呼び込むモノではないし、その必要もない。
苦行も修行も必要ない。必要なのは「空っぽ」だけである。
「だけである」とあっさり述べるが、コレまた、そう簡単には
行かないのが現実でして・・・。

我々は「○○をやれ!△△の手順でやれ!」という「ヤレヤレ
攻撃」にはノウハウを持っているが「やるなやるな攻撃」には
まるっきり処方箋がない。「ヤレヤレ攻撃」ばかり続けて来た
のだから仕方ない。
象眼テッパン「受容」もそうだ。
「真の受容は何もしない事、共に在る、だけの事」
アナタはコレを「やろう!」とする。「やるな!」をやる!
オツムでは理解していても、悲しいかな、そういう風にカラダ
が出来上がってしまっている。でも、それは個々の能力の問題
ではなくクセ/習慣の問題だ。だから、誰にも直し様がある。

瞑想の基本は「やるな!をやらない様にする」と表現しても
よいだろう(正確では無いが)。
瞑想をする時は「瞑想という行為」をする。ブッダもそうだった。
そうして深い瞑想にある時、瞑想・という「行為」をしている者
は消える。それが賢者の言う「只、ソレに成れ」であり「瞑想を
するな、瞑想に成れ」である。

不思議はアナタの行為者としての「はかりごと」の外にある。
だから、当然ながら謀(はか)る事ができない。とても簡単な
道理である。

不思議はギフトだ。

・アナタが「はかりごと」をやめ
・この世界を己の価値で切り刻む事をやめ、
・ありのままの世界を受け入れた時、
・アナタの準備や防備を解放した時、
・アナタこそが作った壁を取り去った時、
・そよ風の様に、普通に、当たり前に、訪れる

また、不思議に導かれる時もある
(事実は導かれたと思える程、的確に己が察知している、だが)

・アナタが受け入れて、それだけになって、
・そうしていると、何か理由なく、
・後からどうしてそうなったのか?よくよく考えると
・まったく説明ができない
・まるで自動書記の様に、或いは操り人形の様に
・行動していた、
・その先に不思議が待っていた
・という事が頻発する様になる
・ソレがあまりに続くので、不思議は普通だったと理解する
 理解するしかなくなる

誰にでもある話しを。
多忙な日生活のつかの間、突然、フッと、全然会ってない知人
が思い浮かぶ事がある。誰にでも体験済みな事だろう。
(幽霊話しのテッパンである「虫の知らせ」も同類だ。気になり
 電話したら「たった今、逝ったところ」だった・・・的な)
その事はよくよく考えれば、とっても不思議な事だ。医学者なら
「脳の機能として、そういう情報混乱がよくある」的な合理的な
しかし、実はまったく説明になっていない収拾をする。
この不思議は医学者がどんなに説明しても、やはり不思議である。

アナタと同様、小生もよくある。小生はその時、軽くメールなど
する=する様に、こころがける様にした。別に特段、ソレで例えば
「どうして?コッチからメールしようとしてたのに?」という事も
ない。「久しぶりだね、どーしてる」程度、何事もない、只、それ
だけ。
しかし
「所謂・それだけ」は「それだけ・ではない」という事を理解して
いるので、小生は「所謂・それだけ」をしている。そうして、特に
何事もない。只、不思議は間違いなく起こっているけど(笑)。

禅問答だ!ってか?確かに。
その言葉を字ヅラのまま理解しようとすれば、意味不明しかない。
その言葉が指し示す主旨=言葉を超えたところ=言葉にできない事
を言葉にする。ソレが禅問答の極意だ。
チョッとした「センス」が必要になる。日頃、普通に使っている
言葉/会話、その質ではない「禅問答的言葉=言葉にならない事を
言葉にするセンス」だ。最初は手こずる、しかし、コツというか、
それを会得すれば、誰でも可能だ(トレーニングの問題だから)。
そういう事を言うのも、そういうセンスを持っているか否か?が、
不思議に遠からず関わっているからだ。

・言葉にできない不思議、
・本来、思考の管轄外の不思議
・ソレを思考で語るセンスの獲得によって
(ココがポイントだ!)
・実は余計な思考を弱めて、というか不必要な思考をやめて
・不思議に向かう己が可能になる

これは何処の精神世界の本にも書いていない、小生の体験から得た
ノウハウである。勿論、同じ趣旨の事なら、多くの賢者が語っては
いる。真実の話しは、根は一緒なので、後はどう表現するか、個人
の趣味の問題になってくる。

・富士山の頂上に登った者は皆、共通で、同じ境地を体験している。
・後は静岡=御殿場から登るか、山梨=山中湖から登るか
・静岡から登った景色と山梨から登った景色はまったく別だ
・静岡(富士山南)から登ったら朝日は右から出る(東)
・山梨(富士山北)から登ったら朝日は左から出る(やはり東)
・実際に富士山頂上に登った者なら、朝日が右と左から出る事は
 ドチラも正しいと簡単に理解できる(北と南なんだね、と)。
・しかし、登った事が無い者にとって朝日が右と左から出る事は
 理解できず、ドチラかが間違っているとしか思い様がない。
・「登り道が違うから右からも左からも出る」といくら説明しても
 理解できない。
・登った事が無い者は登った者の体験談を読んで「朝日は右から出る」
 を文字だけ覚えて納得する(筆者がたまたま南から登っただけだが)。
・そうして、ソレと違う事は理解できない、理解のしようがない。
・これが賢者とナマ悟り(経験した者とそうでない者の)の違いだ。

ソレを理解した者は、後はどんな角度で語るか、何処に光をあてるか、
その時の気分で、1つの事を様々な表現で語る事ができる。場合により
まったく逆の表現、逆の答えを導き出す、しかし、主旨はずっと、バカ
みたいに、同じままである。

同師は「富士山に登ると朝日は右からも左からも出る」と言う。
たちまち、修行僧には難解な禅問答になる。
修行僧「朝日が右からも左からも出る?ソレはどういう事ですか?」
同師「ソレが普通だ。それ以上、言い様も例え様もない」
修行僧「全然解りません!太陽はひとつです!どうしてですか?」
同師「解らずともよい。ソレをしろ。富士山に登れ。さすれば理解する」
修行僧「そんな自信はありません。どういう修行をすればよいでしょう?」
同師「だから修行などいらん。登れ。ソレだけだ。ウソは言っていない」
修行僧「ダメです。無理です」

(話しを戻す)

・不思議がスペシャルなのは
・不思議がスペシャルなのではなく
・普通な不思議を理解できないアナタがスペシャルなのであって
・それは仕方の無い事だ

それでも尚、不思議な事は不思議である、と語っていく事は、趣味
として好きだし「ほら!アナタ!今、不思議来てますよ!ソレですよ!」
と言いたいという欲求も多少あるし、不思議真っ最中の人が、ソレを知覚
できず普通にしている、というのも滑稽でありつつ、バカにするのではなく
逆に、そういうヒトがいとおしくなるという思いで、不思議、ソレにまつわる
あらゆる事を語っていきたいのである。
そうして我々の場=世界を豊かにしたい、と・・・。

幽霊見た!幽霊怖い!
大いにけっこう。
幽霊などいない!信じない!
大いにけっこう。
どんな立場でも、どんな見解でも、正解はない、否、すべて正解だ。
「幽霊はいるし、かつ、幽霊はいない」
禅問答になるが、この表現はまったく正しい(ウソは言っていない)。
------------------------------------------------------------

以上、脱線連続!意味不明の末の!

不思議・・・イイっすよね?

と幼児的素朴さで、小生の思う=体験の中から不思議を語っていく。


コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

不思議シリーズ 更新情報

不思議シリーズのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング