ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

象眼3rdコミュの035#「悩み」正しく観る、という事

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
プライベートな事で。

・ハードワーク。
・夜間の客先での現場仕事。
・現場での仕事内容に色々問題がある。
・どうやって対処しようか?
・そうして、社用車で客先までの高速。

さて、多くの人は、客先へ向かう車中で、あれこれと
考えながら走るのではなかろうか?

★ 小生は絶対に、そうはならない ★

小生は「集中、集中」と己に言い聞かせる。
ひとつは事故にならぬ様、運転に集中する意味で。
もうひとつは「ドライブを楽しむ」為に・・・。
---------------------------------------

<ソレ自体をどうするか?は己次第>

客先へ向かう夜の車中

ふと、小生は若かりし頃を思い出した。

高校生時代、バイトが終わり、車の免許取りたての
バイト先の先輩が(己が運転したくて)毎晩、小生
を海沿いの夜ドラに誘った(ホントに毎晩)。
そうして、高校生のくせに毎日、帰宅は午前様状態
だった。
当然、両親からは毎日小言を言われた。小生は、
「ウルセエな。もう、高校生なんだから干渉するな」
と思った。まだ、高校生だから干渉するのだが(笑)。
そして「ああ、早くオトナになって、文句言われず
夜ドラしまくりたい」と・・・。常に思っていた。

(今、実現してるじゃん・・・)

「業務中の移動」・・・ではある。
ソレはドライブなどという楽しい事ではい。しかし、
「車の運転」その行為が、
・只の移動手段なのか?(深夜の業務なのか?)
・楽しい夜ドラなのか?
は、すべて己のココロが決める事である。

★「運転」その質自体に価値はない。運転は運転★

誤解しないでほしいのは、これは、
・つらい業務中の移動を、
・楽しい夜ドラだと受け取る
・という所謂ポジティブ思考
 (象眼テッパン「エセポジ」)
ではない。まったく違う。
・業務中の移動、それは重労働と理解しつつ、
・運転、その行為は重労働と無関係である事。
・否定性を肯定的に考えるというレベルでなく、
・本質そのものを洞察する、という事。

・小生は、そうして移動の車中で、
・業務の事などすっかり忘れ、
・キラキラ輝く都会の摩天楼の中を、
・好きなBGMを流しながら、
・若かりし頃、夢みていた夜ドラを
・満喫している

のだった。
どうせ、車中でアレコレ考える程度でロクな妙案
なども出ない(逆にヘンな案に固執してしまう)。
楽しい夜ドラが終わり=少し早めに客先に到着し、
「さて、どうしよう?」と、そこから業務モードに
なった方が=業務を考えるべき時に、業務問題を
思索した方が良い対策が出る、というものだ。

★妙案は正しい思索によって生まれる★

以上、
「簡単な例」だが、アナタも理解できるだろう。
しかし、この簡単な例は、決して小さな事ではない。
とっても、「人生の死活問題」と言ってイイくらい、
重要なポイントである。

・多くの人が、すっかり、こういう事でヤラれ、
・いたる時間、いたるシーンで己の幻影を投影し、
・生涯の多くを無駄にしている

アナタが悩んだら、何をしても、ソレを投影する。
アナタの悩みと何ら関係ない、おいしい食事も、
アナタの悩みによって栄養補給のエサに変わる。

ヒトは生涯を楽しめない。全ては己の幻影のせいだ。
・ソレ(己の投影)をまず、やめて、
・そうして目の前の事、ソレを正しく観て、
・そこで初めて、アナタは「行為」を純粋化する
・そして初めて、アナタは「行為」を楽しむ事ができる
---------------------------------------

<悟りを得ても悩みは消えない=消えるハズがない>

アナタは、
悟りを得た賢者に悩みなど無くなると思っていないか?
だって、悟りを得た程に聡明なのだから・・・。
悟りはスペシャルなんだから!

★悟りを得たのだから、悩みなど消えてしまう★
★そんな奇怪(キッカイ)な事は絶対に起こらない★

悟りを得ても、奥さんの小言は面倒だ。
しかし、賢者が凡夫と違うのは「奥さんの小言」その
質を常に観ている事だ。「奥さんの小言」に己の幻影
投影は絶対にしない、ソレが賢者だ。そうして毎日、
「奥さんの小言」を「難儀な事だ」と楽しむ・・・。
「奥さんの小言」そんな素晴らしい事を無くそうなど
もったい無さ過ぎる。「奥さんの小言」があってこそ
生は豊穣なのである。
或いは「奥さんの小言」によって奥さんが人生を無駄
にしている事が不憫だと思えば「奥さんの気持ち」を
ときほぐす。
或いは「奥さんの小言」にのっかって夫婦ケンカなど
する。地下にマグマが溜まったなら、地震や噴火で
緊張は解消する、そうして平穏に戻す、自然の摂理は
皆、そうやってバランスを取っている。人間も同じだ。

・賢者は、その問題と「只、共にある」
・だから賢者から問題が消える事はない
・賢者は、問題に己を投影しない「只、共にある」
・そういう意味でなら、賢者の中に問題はまったく
 存在しない=悩みは無いと言う事もできる。

「悟りを得た者に悩みなどない」とソチラを押し出すか
「悟りを得た者は悩みと共にある」とソチラを押し出すか
いずれも同じ事を言っているが、小生は圧倒的に後者
である(だって、誰に教わったのでなく、勉強したでなく
己の実経験だからね)。

・「只、共にある」「受容」
・そうして賢者は慈悲である。
・そうして海もそうしている(海の受容)

お解りかな?

コメント(1)


・目の前で夫婦ケンカしている
・その者が凡夫なのか、悟りを得た賢者なのか?
・見ている第三者には、ソレは解らない。
なんせ、その時、賢者はマジメにケンカしているからね
(そうしないと相手にも失礼だし)。
只、その節々で、凡夫のソレか?賢者のソレか?小生は、
判断ポイントを色々もっているので、おおよそは解る。

つまり、ホンモノの賢者は、普通の人とまったく見分けが
つかない、という事。

★ホンモノの賢者は普通である★

しかし、アナタが聡明なら、語ったり遊んだり、呑んだり
・・・色々な肌感覚で、察知できる。
オモシロイのは、相手が己が賢者だとまったく自覚してない
で色々やっている、それをコチラが察知できる場合もある。

まあ余興として「賢者探し」をしたいなら、まずは「普通」
の人を探そう。
・普通の、どこにでも居る、
・常識的で、モラル的で、
・しかし、ケンカもやり(そういう意味で普通)
・「ああ、とっても普通だなあ」としみじみ思ってしまう
・そういうヒトの中に賢者は紛れ込んでいる

「では、インドで袈裟を着て、多くの信者を手かざしして
 いる、偉大な仏教教祖などは、エセなのか?」ってか?

多くはエセだ!(笑)
しかし、中には「普通にしていたいところ、お役目的なモノ
を背負う必要があると理解した賢者」なら、気恥かしいとは
思いながら「教祖」的に、何やら怪しげに振舞う事はある。

凡夫の「悟りを得た賢者の姿」その「ステレオタイプ」を
とりあえず満足させないと=凡夫の投影に、乗っからないと
話しすら聞かないので・・・方便として。

他方、
エセ=生悟りが、賢者のステレオタイプをスッカリやってる
場合もある。「エセ=生悟り」の判断は極めて簡単だ。
「賢者のステレオタイプ」それをすべて否定しまくればイイ。
・オンナとやりてえよ!
・カネほしいよ!
・ウマイもん食いてえよ!
下衆な凡夫、そのステレオタイプをコチラが演じる(笑)

エセ賢者は、ヒマラヤの王宮の間に鎮座しながら
「オオ、オマエは何と言う煩悩まみれよ!ソレを捨てよ!」
と「極めて、お決まりの常套句」を言うだろう。

悟りを得た賢者は「受容、共にある」だから、
・オンナとやりてえ? そりゃそうだ!
・カネほしい? 誰だってほしいだろう!
・ウマイもん食いてえ? ホントに!
と受けるハズだ。そうでありつつ「オンナとやりてえ!」に
隠された、そう言っている当人が実は「全然、やりたがって
いない=当人のエゴが別のところにある点」を洞察する。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

象眼3rd 更新情報

象眼3rdのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。