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象眼3rdコミュの034#自死について

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西部邁

を、初めて知ったのは朝生だった。
当時は思想とか、何も知らず、テレ朝が左派という
認識もなく、というか、そもそも、戦後マスが左派
ベース自体も知らず、逆に「朝生はタブーを論じる
正道なメディアだ」とホンキで思っていた(笑)。
まあ、小生も成長したものだ(笑)。

西部で印象的だったのが朝生で右翼を論じた時だった。

某左派ジャーナリストが、総論的に右翼を批判して
いた。直接ソレとは言わず、聞く側が「ああ、右翼
批判なのね」と明らかに解る様に・・・。
若い人は実感が無いかも知れないが、当時は、右翼
を批判する事は相当にリスキーだった。下手すりゃ
刺される、そういう社会通念があったし、スタジオ
には緊張感が充満していた。

その時、西部が(彼特有のバカにした)笑みで、
「あなたは、さっきから何かモゴモゴ言ってるけど、
右翼など百害あって一利無しって事なんでしょ?
だったら堂々と言いなさいよ」
左派ジャーナリストは口ごもり、まだ若き田原が、
「西部さん、彼にそれを言わせるのは酷だ!」
西部「どうしてよ?」
田原「それ言ったら、確実に(右翼に)やられますよ」
西部「でも、一応ジャーナリストなんでしょうに?
   右翼を恐れて言いたい事も言えないなんて、
   情けないじゃないの・・・」
田原「西部さんの言う事は解るけど、仕方無いの!
   彼にも家庭があるの!だから、タブーなく発言
   できる様に、(討論)やってるんでしょ?」
西部「右翼なんて怒鳴り散らして、褒め殺しとかして、
   しかし、ちゃっかりカネもらってる類でしょ。
   そんなモン、バッサリ一喝すりゃあイイよ」

右翼には触れない、そういう言論人が普通のところ、
ひるまず、堂々と語る西部を観て「ああ、コイツは
右翼だから、平然と右翼批判ができるんだ」と思った。

話しを戻す。
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自殺はよろしくない(モラルとして)。
自殺者は成仏しない(霊能者の見解として)。

「自死」はいつの時代も、概ね否定的である。
芥川龍之介、太宰治、ゴッホ、空海、三島由紀夫、
野村秋介、尾崎豊・・・諸々の政治家。Xのヒデ?
(これくらいしか出てこないな)

著名人の自死は多く、精神的病も少なくない。

西部が精神的に健全だったか?を本人に問えば、
絶対に「己は昔からキチガイだ!」と言うだろう。
狂った時代に、己をキチガイだと言える人間は
それ自体がマトモな証拠である。

小生は自殺はしない(絶対!と決めてはいないが)。

生は自由だ。
明日、否、1秒後、何が起こるか解らない(或いは
何も起こらないままかも知れない・・・)。
生は己でコントロールできない(できる!という
運命論=お役目論もあるが)。
同様に死がいつ、訪れるか?も解らない。

しかし、誰でも絶対に死ねる=死ぬ事ができる。
それは100%確定だ。であれば、決まっている死
を急ぐ必要がない、それで小生は自殺はしない。

★ 死は、いつでも己の手の中にある    ★
★ これは、ある種の「安心感」ではないか?★
★ だって「確実」なんだから・・・    ★

「死」が、来る人と来ない人がいるなら、そりゃあ
人生は毎日、不安だ。例外なく死ぬからこそ安堵
できる。「死」はそういうモノではないのか?
(そういう再認識が必要ではないのか?)

しかし、西部など、自死する者も少なくない。
小生は慈悲だから、自死したい人の自由を尊重する。
どんなに、くだらぬ理由で自死しようが、理由の中身
は問わない。立派な思想の自死だからOKで、借金苦
の逃避だからNGだ!と区別しない。

・命は、とても大切なものである
・命は、誰のモノでもない、己のモノである
・その命をどう使うか?もすべて己次第である
・だれも、他人様の命の使い方を邪魔すべきではない
 (意見を言うくらいはよいが)

西部は、優秀なオツム(熟慮できるオツム)を持って
いるから、どんな事に対しても熟慮が可能で、そういう
意味で、生きていれば、あらゆる思索が可能、彼自身も、
その程度の内観はできていたハズだ。

或いは、彼としては限界だったのかも知れない。
何を思索しても、目新しさがない、経験と積み重ねで
すべて回せる、ひらめきも「ああ、同じ様な事、何度
やってきた事か・・・」「一丁上がりだ」と・・・。

・熟慮だけが生の理由だった者
・その熟慮が陳腐化し、
・それに対する嫌気があっても、
・せめて妻との生活で忘れられていたものが
・妻が逝って、それも出来なくなった・・・
・陳腐化した己のオツムしか残されていない・・・

その時、自死を選択する事は無意味ではないし、不道徳
だとしても、命を有意義に使った、それだけの事だ。

小生が中学生のイジメ自殺に反対するのは、命を有意義に
使っていないからだ。たった15年の生涯でも「ああ満足
した、生き切った、思い残す事はない」という15年なら、
何ら反対しない(「生」は「長さ」ではない)。
それでも「命を無駄にしたい人の自由」は尊重する。

近年(特に妻が逝った後の)、西部の言論は、精彩に欠く
感はあって「さすがの御大も齢かな」という昨今、発言は、
ほぼ愚民社会への愚痴/恨み節に終始している。
しかし、ソレが彼の「偽わらざる事実」だから、言論人の
誠意として言わざるを得なかった。

「それでも言う」「何度でも言う」

それが出来た西部は魂の強い人間だ。
そして、西部は他人に対して優しい人間だ。

他人様に冷淡なら、言う事すらしない。アナタもホントに
嫌なヤツには文句すら言いたくない感情はあろう。それを
思えば、何十年も愚民!愚民!と言い続け、最後まで文句
を言ってくれた西部は愚民をあきらめていた訳ではなく、
「愚民も賢くなってほしいと、一抹の希望」を持っていた
のだと思う。

新進気鋭の若手論客も結構だが、見識のあるロートルには
ロートルなりの思索の良さが、やはりある。
西部流「すべては歴史から来る・歴史に習え」の王道は、
どんな時代でも、はやり考えさせられる。
最初は(というか若い頃は)西部の語る「歴史」の趣旨が
理解できなかった。今なら、解る、というか経験/実感/
痛感する。

幸い、西部は積極的にテレビ出演していたから、彼の言動
は動画として多く残っており、無名の有志の動画アップも
あろう。
アナタが若者なら、己の成長と共に、西部の言動はアナタ
に有意義な「視座」を与えるだろう。
彼の結論に賛成か?否か?はどうでもよく、その論じ方、
つまりは視座なんだな。あらゆる面に光をあてる、それが
できる事が熟慮なんだと・・・。

★ 熟慮に必要なのは高機能なオツムではない ★
★ 熟慮は世界を正しく見る「眼」が最も重要 ★

正しく見る、とは、己の出来の悪いオツムを介入させるな!
という事だ。
・まずは見る
・とにかく見てみる
・正しく見てみる
この点については、小生も最近は反省する点が少なくない。
はやり、齢相応に「一丁上がり」のテッパンフレーズから、
思索がマンネリ化する。

テッパンフレーズ、それ自体は悪い事もない。
事実を語るなら、例えばリンゴが赤いなら、何万回も「赤い」
と言い続けるしかない。
ダメなのは、そこから思索を深めず、結論を記憶から引っ張って
しまう、それがダメだと。
例えば「リンゴは赤い」という記憶=テッパンフレーズ、それを
繰り返すのではなく、赤なのか紅なのか、そもそも、どうして赤
なのか?など、己の(心の)眼が変わる事=視座という事。

「で?何を言いたいのだ!」ってか?。
別に・・・。
只、西部の自死で、己のオツムに浮かんだ事を述べただけだ。

そして、
やはり、
素朴に、
少しだけ、
寂しいな、と・・・。

大島渚が逝った時は寂しくなかったな、と(笑)

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