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象眼3rdコミュの016−1#心のお話し諸々、1/3

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まずは、
yanagiのつぶやき
割と本質的に同感だな、ユースケのところは
ユースケ・サンタマリアが語る"うつ体験"不調を脱する
ことができた理由とは?
(リテラ - 08月05日 18:41) http://mixi.at/acZLs06
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<なっ?受容でしょ?>

ヒマなので「イイお題」だった。弟子に感謝。

ユースケの
・自己分析(因果の因)

・解決策(因果の果)
は共に正しい。正しい因 >>> 正しい果。
象眼テッパン「因果律」
因果律は、どんな問題においても、ホントにホントに
重要だからね。よーーく肝に銘じてね。

・マトモ人間だからこそマトモでない環境で壊れる。
 (道理)
・この因果(道理)が理解できていれば、その時点で
 自己解決するが「己の異変」と受け取ってしまえば、
 象眼テッパン「因果のはき違え」で出口なし。

弟子に繰り返し「死ぬまでウツとは認めない」と公言
しているのも、そういう事である。

ユースケが抜け出せたのも、彼の言葉どおりで、
「・・・で、もうどうでもいいか、みたいな」
「不安はあるがままに捨て置いて」
「成功しても失敗してもその人生は間違いではない」
「不安は消える事なく〜困った存在〜一緒に歩く」

彼が「捨てて」ではなく「捨て」+「置いて」と
表現しているのは非常に重要なポイントだ。
・「捨てて」は己から消し去る。
・「捨て置いて」は己と共に在る。

つまりは
★受容した★
のだ。というか、
★受容する事が出来た★
のだ。正しい因果律に、たどり着いたから・・・。

「どうでもいいか」
それは「投げやり/自暴自棄」のニュアンスもある。
仮にユースケの真意が「投げやり自暴自棄」だったら、
彼はやっぱり抜け出せなかった。それは「エセ投げやり
/エセ自暴自棄」がポイントだ。
・投げやりとしながら、実は投げていない。
・自暴自棄としながら、実はマットウ道にある。

ユースケの「どうでもいいか」の真意は、
「どうでもいいのだ!」という「確固たる意志」だ。
もっと彼の内情を忖度すれば、
「ソレらは、もう=もはや、どうでもいい」
更には
「ソレらは、もう=もはや、私にとって問題ではない」
である。

これは「ソレら問題が解消した」という事ではない。
彼も言っている「不安は消える事なく」と。

「ソレらはソレらで依然として在り続ける」
「しかし、私はもう、ソレらに賛成/反対などコミット
 する事から降りた」
「ソレらは在る、そして私はYESもNOも言わない」

つまりは★受容★だ。

「正直言って不安はある、そして不安を受容した」

受容は己に対して正直でないとできない。
・己に正直になるにはどうしたらよいか?
 →己を信頼する事ができれば正直になれる
・己を信頼するにはどうしたらよいか?
 →己でないモノを信頼する

小生の場合は森羅万象を信頼している。森羅万象との絆
を保っている。
小生は己を信頼する、などという「ごう慢/増長」は
できないが(そんな自信など1ミリも無いが)、森羅万象
は信頼しているので、ソレとの絆を保っている、という事
を通じて己を信頼しているのである。
小生の「己の信頼」は森羅万象の信頼が崩れた時か、絆が
途切れた時に瓦解する可能性はあるが、森羅万象の信頼は
実は不動で消え去る事は無いと理解しており、「絆」は、
「ある理由」から途切れる事が無い事を理解しており、
よって、小生の「己への信頼」は不動となっている。
(まあ、そこは師匠ですから)

ユースケの「復活の道のり」を再考しよう。
・己はマットウだった(と内観して理解した)。
・狂っていたのは己のまわりだった。
まず、この境地に立てるかどうか?そして次に、
・狂っているまわりを正常にしようとするか否か
で、再び「すったもんだ」があり、或いはそこで、再び
落ちて行く事もあり〜の(ぐるぐる、堂々めぐり)、
その果てに、
・狂っているモノは狂っているからこそ狂っているんだ
 →ソレらが存在している事の本質を理解する
 →実は簡単/当り前の事=道理
・その存在意義を変える事はできない、というか変えよう
 とすべきではない、との境地まで「存在の本質を理解」
 し、
・存在=生まれてしまったモノへの深く、静かな理解、
 慈(いつく)しみの境地に昇華し、
・そうして初めて受容が可能となる。

だから、象眼で何度も「需要は慈悲=慈悲が不可欠」と
言っているのである。

存在するモノへの慈悲無く、どうして受容などできよう?
不可能だ。

ユースケは己の問題を解決したと同時に、そればかりでなく
実は「この世=森羅万象の働き/在りよう」を理解したのだ。

この点こそが、彼の体験談の素晴らしいポイントである。
ソコを読解しなければならない。

・悲しいと感じたなら、ソレはOKだ。
 →悲しみは悲しみとして有意義である
・不幸だと感じたなら、ソレはOKだ。
 →不幸は不幸として有意義である
・悲しい、とは「悲しい・という・質・が在る」という事だ
 →不幸も同様。

だからリアルポジティブ者は、悲しみ/不幸を保持しており、
否定性(ネガ事象)を否定しない、という意味において、世間
で広く言われるポジティブ思考は否定性を様々な事柄で肯定的
にひっくり返す事で=否定性を肯定に変化させる、という意味
でエセポジティブである、としているのである。
そういうエセポジが生じてしまう原因は「肯定」という言葉に
あって、肯定は受容と表現した方が、より実相を示している、
というのもこれらすべての本質からきているのであ〜る。

・・・と言われてアナタは得心するかな?
小生の説明が悪いのでチンプンカンプンかも知れないが、
アナタが生きていく点で、或いは諸々迷った時に、助けになる
から熟慮していただきたい。

まとめ

・因果律/道理
・己への信頼性獲得
・リアルポジティブ者へ
・慈悲の獲得
・そして受容へ

と。精進されよ。サラっと書いたが難題だ。
多くの賢者が生涯かけて修行/探究/会得しようとしても、
出来ずに逝く程なのだから・・・。

師匠は会得したのか?ってか?
そんな野暮な質問はすべきではない。

会得してる、に決まっている。


http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=83549490&comm_id=6304029

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