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腐ったみかんの詰め合わせコミュのはさみんの憲法議論。5

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[141]

 

S

2017年08月29日 00:41

プロイセン憲法と大日本帝国憲法、ともに議会に予算の先議権があった。 

予算は国家の意思、帝国憲法下、議会は強力な力をもっていた

イイネ!

 

返信

まっちゃん CR-Z

[142]

 

まっちゃん CR-Z

2017年08月29日 00:47

>>[133] R/h syannkさん

>われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

どこの国が自国のことのみでなく他国のことを考えているというんですかね?

この憲法を作った当の米国が日本と対等関係に立とうとしてたとでも言うんですかね?

そんなことを日本人は信じていたとでもいうんでしょうか?

少なくとも私はこれっぽっちも信じてませんな。




イイネ!

 

返信

HB

[143]

 

HBイイネスター

2017年08月29日 00:53

>>[139] 野口さん 
なるほど
しかし、そんな大日本帝国憲法なのに
政治の「実体」としては
天皇は依然として権威のみの存在だったわけです

イイネ!

 

返信

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野口

[144]

 

野口

2017年08月29日 01:09

>>[143] HBさん 

大日本帝国憲法が定めていた天皇の権限は強大であった、 
と伊藤博文、美濃部達吉他は解説しています。 

実際その通りに権限を行使できた、行使したと、私は主張していません。 

しかし、天皇が自分の意思を政治と軍事に反映させたのは、 
張作霖爆殺事件、2.26事件、終戦の御聖断の良く知られたケースだけではありません。 

細かくなるが、他にいくつかあります。

イイネ!

 

返信

トリトン

[145]

 

トリトン

2017年08月29日 01:12

>>[119] Sさん 

>>[119] Sさん 

〉この思想(知恵)が、議会の制定する法或いは王といえども、『コモンロー』に服すべしとの「法の支配」観念と結合し、近代憲法につながった。 
〉これが憲法の起源ですよ。 

なるほどね。 
そういう視点はあるかと思います。 
さらに、たとえば古代ギリシャの民主主義なども起源として考えられるかもしれません。 
ただ、私がここで「立憲主義」と言っているのは、憲法を盾として国民の本来もつべき基本的人権や自由が侵害されないことを保障するために、近代憲法は成立したのだ、という考え方を示しています。 
マグナカルタは立憲主義のルーツというのは、その通りかと思いますが、貴族と王の間のものでした。 
国家が国民の基本的人権などを侵さないように、国家の手をしばるための近代立憲主義のスタートはフランス革命からではないかと認識しています。 

〉明治憲政とルイ14世時代の絶対王政を同質のものとお考えのようですが、日本は立派な立憲君主制の国であったし、帝国憲法は立派な立憲君主制の近代的な憲法です 

立憲君主制であっても、絶対王政となる場合はあります。 
もしかすると、「絶対王政」の理解が、少し違うのかな?と思いはじめています。 
「絶対王政」というのは、「王の言い分が絶対」というのとは少し違うんですよね。 
たとえば、ルイ14世〜ルイ16世は絶対王政なのですが、ルイ16世などはとても大人しい人物で、あまり政治に口を出さず、政治は側近たちが扱っていたと理解しています。 
また、プロイセンドイツ帝国も立憲君主制ですが、絶対王政です。 
ただし、実権は若きヴィルヘルム二世ではなく、鉄血宰相ビスマルクが握っていました。 
では、何を持って「絶対王政」と呼ぶかというと、まずは歴史的な位置です。 
封建時代、諸侯たちがそれぞれの領土を納めている時代があり、それが戦争などの経緯を経てまとまっていく・・・その最終地点にあるのが中央集権的な「絶対王政」なのです。 
ですから、王様がどれほど気弱で自分の要求を言わない人であっても、極端な話、子どもであっても、その周辺の内閣・補佐役たちが実権を握り、中央集権的に国の立法や行政・軍事などを掌握していれば、そして上のような時代的条件を満たしていれば「絶対王政」と言えるのです。 
絶対王政には時代的に重要な役割を担っています。 
それは、諸侯が治める領土を一つにまとめ、自由な交通を可能とし、商業を発展させる役目です。 
たとえば、江戸時代も、関所があり、通るのに手形が必要でした。 
ヨーロッパの封建時代も同様で、ほかの領主の土地に行くのに旅券を必要としたんですね。 
これでは、商業発展の足かせになります。 
このため、経済的な必要性から、中央集権的な絶対王政を経て、資本主義の時代に移るという道筋をたどったのです。 
王の権力の強さは、制度から派生する二次的な問題で、その王の個性によって、強権的な王もいれば、内閣に実権を握られた王もいたのです。 
時代の流れから見ると、明治は絶対王政に当たる位置にあります。 
大日本帝国憲法は、その時代に、ある意味ふさわしい中央集権的な内容になっています。 
明治天皇は、この憲法のもとで一定のリーダーシップを発揮していたことは、もろもろの書物からうかがい知ることができます。 
一方で、昭和天皇は逆な軍部の暴走に対して適切な対応をとることができず、中央集権的な政治体制は、軍部に有利なものとして機能してしまいます。 
これが君主制の恐ろしさでもあるんじゃないですかね? 
帝政ロシアでは(ここも絶対王政できたが)、怪僧ラスプーチンが影響力をもち、イギリスではブラッディマリーが登場する。 
清王朝は西太后、でしたっけ? 
幼帝や若い皇帝、大人しい王の周囲には、国家を我が物顔で操る輩が集まるのかもしれません。 
あるいは、ブラッディマリーのように王や女王自身が恐怖政治を敷く場合もありますが・・・。 
大日本帝国憲法下の日本は、政治制度としては国民主権とは言えなかったと思います。 
「民主主義」など、言葉を使うともできず、「民本主義」と言い換えていましたよね。 
「民」を「主」にする制度(民主主義)への変更は、治安維持法が厳しく禁じている「国体」の「変革」に当たり、けして許されないことだったのです。

イイネ!

 

返信

HB

[146]

 

HBイイネスター

2017年08月29日 01:21

>>[142] まっちゃん CR-Zさん 
まあ、国際社会の秩序維持に貢献すべし、ということなら
納得できなくもありません^^
ただし、そうは言っても、現状変更の野心を抱く
信用できない「他国」もあるわけで
「諸国民」を一律で「信頼」しろなどとは
無茶振りもいいとこです^^;
ゆえに戦後日本は集団安全保障の枠組みである国連に加盟し
利害が一致する「他国」とも同盟を組んで、集団的自衛権を行使することは
あくまでも平和主義のための自国防衛であり
引いては国際社会の秩序維持への貢献となります

そう考えると、むしろ憲法9条こそが憲法前文に反する
憲法違反じゃね?
と指摘したがケント・ギルバートさんです^^

イイネ!

 

返信

HB

[147]

 

HBイイネスター

2017年08月29日 01:25

>>[144] 野口さん 
>しかし、天皇が自分の意思を政治と軍事に反映させたのは、
張作霖爆殺事件、2.26事件、終戦の御聖断の良く知られたケースだけではありません。
>細かくなるが、他にいくつかあります。

あー、いや^^;
あなたのその主張は他トピで既にさんざん見ているから
もう結構ですよw

イイネ!

 

返信

S

[148]

 

S

2017年08月29日 10:20

>>[145] トリトンさん 
いや、あなたが立憲主義がフランス革命以降に形成されていったといったから。 
それは違うのかなーと思ったまです。 

その通りですよ。暴走したら悪魔的に恐ろしい国家(統治権力)を市民がステアリングする為の統治契約書が『憲法』 
故に常に憲法の名宛人は統治権力です。 


絶対王政とは要は神聖ローマ帝国的な緩い諸侯の合従連合から突出した強大な力を王に諸侯達が臣従する状態。 

即ち王の人格が法であり、法に反するということは王への反逆であり、刑罰は王の復讐。 

臣下の諫言を聞き入れて、名臣で脇を固める太宗のような君主もいれば、全てを自分自身で決済する雍正帝のような君主もおりましょう。 
良くも悪くも君主そのものが法であり、自ら統治権を行使する政治システムです。 

つまり王の権威の元、全ての政治的決定を王の人格•意思として行い、それに諸侯•臣下が従う政治システムです。 

しかし立憲君主制とは、王と雖も憲法(コモンロー)に服しない。憲法に定めるところに従って統治しなさい、というものでしょう? 


全く違う政治システムである立憲主義と絶対王政は一緒になることはありません。 
一緒になったとしたら、それはどちらかの制度が蔑ろにされたということです。 

王が暗愚だろうが幼君だろうが外戚政治だろうが、側近政治だろうが、重臣(おとな)の合議制だろうが恐怖政治だろうが関係ありません。 

それは立憲主義体制の中、恐怖政治が行われた、側近政治が行われたというだけ。 



そこで•••• 
帝国憲法が民主主義では無い。国民主権では無い。天皇の絶対王政、という主張の真意を教えてください。


あと、 

昭和帝が軍部に対して適切な対応ができなかったとの御指摘ですが、当たり前でしょう。 
臣下は天皇の言葉に従う法的義務は無いんですから。
いくら昭和帝が名君であろうと言葉をいただく臣下がクソならどうしようもありません。 

むしろ立憲君主制が円滑に機能している証拠でしょう。 



イイネ!

 

返信

S

[149]

 

S

2017年08月29日 10:20

>>[145] トリトンさん 
それとですね••••• 
日本はアメリカ軍に兵站基地を提供していますよね?

それで戦後日本は平和であった。戦争をしたかったとなるんでしょうか?

イイネ!

 

返信

まっちゃん CR-Z

[150]

 

まっちゃん CR-Z

2017年08月29日 12:12

>>[146] HBさん

米国製占領憲法の前文はつまりは

「日本はもう何もするな。アメリカに黙って従ってろ。」

と言いたいのを遠回しに書いてるだけですな。

この憲法はGHQの人らも認めてるように米国の占領政策基本法ですから。

9条はつまり
「お前らはもうアメリカにたてつくな」
と書かれたのと同じ。

それをいまだに盲信してる人がいるのが驚きです。

イイネ!

 

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