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被服廠コミュの救護看護婦・装備品

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救護看護婦制服以外の「帽子」「外套」「水筒」「医療品嚢」「靴」「医療品」「時計」「下着」等々の製作進行状況を記する。頭に【時計】という具合に記して整理します。

コメント(30)

【帽子】知人より貸りうける。複製品ですが、精巧・忠実・精密に作られている。特に帽子内側などは、知る資料も無いので現物から知る事が一番いい。こんなに巧みに加工縫製されていた事に感心する。素材が「麦わら帽子」と、生地は「別珍」だという事にも驚く。しっかりと「製図」をつせてもらう。
【帽子】試作として作ってみた。麦藁帽子は100円店の子供用なので、実際とはかけ離れた粗悪品。生地も制服を作った時の紺サージの切端をつかいました。内側は全く縫製されていません。外側だけですが、写真撮影用なら何とかなるようなきがします。雰囲気くらいは出ているかな。今回の試作で、ちゃんと作る時の参考を得ることができました。
【腕時計】発行日が昭和17年7月の古い雑誌「写真週報」の表紙を白衣の日赤看護婦さんが飾っていました。その写真の左腕に「腕時計」が、写っています。荒いグラビア印刷ですがしっかり写っています。時計の針、数字も見て取る事ができます。その写真を元にネットで調べたのですが、旧日本陸軍兵士の時計にも似ているのですが、写真からのベルト幅、止め金具の形・位置、時計の大きさ等々を比較検討しても、ぴったり合うものがありません。戦時中なので、色々な派生型が有ったのかもしれません。陸軍兵士の時計で良いとおもいました。将来、似た物でも入手出来たら良いとおもいます。
写真左・写真週報   写真中・腕時計の拡大写真  写真右・日本陸軍兵士の時計(ヤフーから)
【写真資料】昭和20年1月発行アサヒグラフの「制服の處女」のページに救護員制服姿がありました。写真説明に「紺サージ」と生地の記載がありました。そして写真の救護員の制服に付けられた徽章の位置がありますが、日赤章がこの位置だと、医療嚢のベルトが掛かってしまいます。左手で抑えている風にもみられます。もしかしたら写真撮影用にモデルを使って素人のスタイリストが着衣させたのかもしれません(←空想です)。注目点は「水筒」「医療品嚢」の肩掛けを止めているベルト。これは防寒コートに使われているベルだとおもいます。防寒コート専用ではなかったようです。
【ヒロポン】ヒロポン箱の写真が在ったので再現してみました。秋田のお土産の菓子箱に色画用紙で巻いて、レッテルを貼りました。ファンデーションでエイジングを施しました。箱の中は不明なのですが、それらしくしてみました。ここにアンプルの薬剤を1cc10本が並べられていました。注射器は昆虫採集用。戦前はプラスチック製は無かったから、イメージということで。
≪注意≫ヒロポンは大日本製薬の商標名で「メタンフェタミン」「メチルプロパミン」が本名です。戦前は合法でしたが、今は「禁止」です。負傷兵の救護というより、恐怖心や体力の消耗を補う「興奮剤」で、特攻隊や突撃兵士に使用されたという忌々しい薬剤です。
【包帯】ネットからレッテルをコピーしてつくりました。中身はトイレットペーパーの紙芯のザージ生地1.5メートル巻きました。握った時に布の感覚がありのす。上質紙に包んでレッテルをはりました。「5裂」の寸法より、少々大きくなってしまいました。ハンコは有り合わせの物をおしました。雰囲気が出たかな。
九段のしょうけい館に本物の展示があります。ここは誰も居ないので写真も撮れるかと…まずは行ってきますね
宜しくお願いします。
やっぱり、行かなくてはいけませんね。ガーゼ包、絆創膏、ピンセット等々、救護袋の中迄、考証すると桐がなくなりますね。それもたのしみなのですが。
【帽子止かんざし】帽子を止めを作る。戰も、終局を迎える頃には徹底した「金属提出」が行われ、家庭日常品から金属が消えた。看護婦帽子止めも当初は、ハガネの金属ピンだったが竹素材になったと云う。昭和19年「戦時型仕様」で作っているので竹串で作ってみた。ちなみに、ランドセルも竹素材で作られたが、今となっては御洒落だ。食器もアルマイトから瀬戸物に、これも現代ではハイソだ。
【帽子止かんざし】竹串に石膏粘土を丸めて乾かす。2日後、黒色で塗装。
【帽子止かんざし】何とか雰囲気は出たとおもう。竹串もこれ以上細いと折れてしまうので、当時もこの程度だったとおもう。また、大きい金属ゼムクリップを伸ばした物も作って見た。実用性ではコレの方が良いと思う。
【水筒】大日本帝国陸軍の兵士が持っていた水筒。兵隊ごっこの為、数十年前にヤフオクで買いました。最近、当時の従軍看護婦が携帯していた水筒に二種類ある事を発見。ネットで調べたら、正規の水筒ではなく兵士用の水筒も持っていたとのこと。戦況が逼迫して来ると、装備品も代用されたものとおもわれます。早速、元の姿に戻す工作をしました。台湾の人の写真では水筒の中心に赤十字が塗粧されていたという事ですが、手を抜いてデカールを貼りました。
【救護看護婦用飯盒】兵士が持っているのは4合炊飯盒です。救護看護婦はその半分の2合炊飯盒です。しかし、ネットでさがしても無いんです、自衛隊では使っているらしいのですが、入手に時間が掛かる。
よーく考えたら、布で包み込んでしまうのだから形さえ出来ていればいいのではないか。
早速、4合炊飯盒を改造に着手。胴体を50ミリ程カットして、アルミテープで接合。留め金の位置もドリル出穴を明け直して10ミリ移動。リベットが無いのでネジ止めして頭の溝はパテで埋める。そして水色に塗装しました。水色は救護看護婦が携帯していた飯盒に塗られていた色です。敢えてハケで雑にぬりました。乾いたら汚れをエイジングします。
【救護看護婦用飯盒】吊り手を短くしました。資料写真を見ると、飯盒嚢の上には開かれていて(写真左)そこから吊り手を出すようにして飯盒嚢を閉じるようにしています。ちょっと固い材質だったのでおおしごとになりましたが上手く短くなりました。
【飯盒嚢】飯盒を収納する袋です。制定当時は正式な形が有ったのです巣が、敗戦が濃くなる事には各々戦時型になって色々な形になったようです。戰地で移動するたびに破れ、雨にぬれて綻び、その都度補修が加えられたそうです。最後は元の形が解らなくなったそうです。
【救護員手牒】らしき物をつくりました。プリントして栄養ドリンクの段ボール箱を利用しました。飽くまで雰囲気です。が…とのように持っていたのか?情事は救護員トランクに仕舞っていたのか?認識票を持っていたので常時持つ事も必要無いけど、常時携帯していたとしたら、何処に入れていたのか?
写真左は本物の資料写真。右が作った、らしき手牒。
【帽子】麦藁帽子を探していました。天頂が丸い渦巻になっているものを探したのですが、今の物は楕円の渦で縫い始める物ばかり。ずいぶん探したのですが見つからずでした。ところが近所の格安リサイクル店で発見しました。決して安物ではなく『訳在り物』化の出作りはしっかりしています。価格は何と100円なので2っ購入しました。一つはサージ生地で。一つはべつ珍生地で作ろうとおもいます。探すと見つからない物でも、探すのを辞めたら見つかる…というのがキャンディーズの歌にもありましたね。
【帽子試作2号】天頂が◎渦の麦藁帽子を乳主したので、早速「試作2号」をつくりました。頭の部分が、丸いので成型しました。カンカン帽のように角にします。この成型を完成させる為に、自作のプレス器を急遽開発?しました。熱湯やら、接着剤を大量に活用しました。露出するのは天頂部分だけで、後は布で覆い被せるので補強材を貼りつけても見栄無くなります。3日間、乾燥させました。
【帽子試作2号】成型が済んだので、布でくるみました。前面の「りぼん」がチャーミング。素敵なデザインです。今回は内側の始末もかなり良くできました。とにかくミシンが掛けられない。手縫いで一針一針縫いすすめます。しかし、見本とは大違いの不出来ですが・・・。現物と成ると、戦時中のこと、何でこんなにも手の込んだものを作ってたのかと、感心する。一歩でも近づけるように、丁寧に作りました。天頂の渦巻きも上手く表現できました。知人からお借りしている完成度の高いレプリカに助けられて、何とかかんとか作りました。頂点が真円丸の渦巻きのカンカン帽が見つかったら、いよいよ生地も「別珍」にして作りたいとおもっています。

【帽子比較】写真前・試作2号。写真左・試作1号。写真右・お借りした官制度の高いレプリカ。比較写真です。写真で見た分、他の装備一式にまみれたら、らしく見えるかな。ほとんど『廃物利用』なのですから。
【帽子試作3号】実物の写真(写真・左)では、天頂が平面では無く、二段になっている事が解りました。そこで、麦藁帽子を二つ重ねることで「段」をつくりました。
【帽子試作3号】麦藁帽子の成型が癌性すると布張りです。生地は「別珍」を購入しました。シンボル的なリボンはミシンで縫えますが、其の外はほとんど手縫いになります。堅い麦藁を突き通す木綿針で一針一針縫いつける作業は、辛くもあり楽しくもあり。
【帽子試作3号】出来上がり直前に気付く。麦藁帽子の素材の色が違うのだ。実物は銀黒掛かったセピア色なのです。前もって気付けば塗粧してから縫製が出来たのです。しかたがないので生地に掛からぬようにマスキングしてスプレー塗粧を施しました(写真左)。そして、正面の赤十字章。白のプラ板に赤のデカールを重ね貼りすると云う、見た目以上に手が込んだもの。ボンドで貼りつけて完成です。
【帽子試作3号】お披露目です。試作3号で、ここまで達成でききました。写真では解りませんが、実はサイズが実物より小さいのです。土台となる麦藁帽子の大きいのが入手出来たら試作4号に挑戦いたします。しかし、一応はこの試作3号を以て一区切り付けたいとおもいます。
【救護員トランク】とても良く似た物を入手しました。じっさいでも時代とともに幾つもの形が在るので、これがホンモノと云う者はありません。これだけかたちも大きさも合っていればヨシといたしましょう。
>>[17]
画像一枚からここまで再現! 雰囲気ばっちりです。
召集や点呼に応じる時は持参するよう定められていたようですが、常時携行かは私にも今のところ解りません。仕様書等あるなら見てみたいですね。
病院船に乗ってらした方の手記に「非常袋にも入れて」との記述を見付けましたが、非常袋なるものは常時携行…? 謎は尽きませぬ。調べねば。
>>[28]
知人ら戴いた「応召袋」。海軍なので錨が気されています。「召集令状」で出征した救護看護婦さんの勤務は「病院船」で始まったと云われているので、こんな袋を使っていたのかもしれませんね。戦地では、補充が追いつかない分、自作で補ったといいます。手製の改造品がたくさん在ったと伝えられています。私の「模造」のいい加減な所も「戦時型」という事で言い訳しています。
ありがとうございます。「忘るなよ」が何とも良い味です。やはりここにも無い物は作れ精神が息づいているのですね。
しかし袋に入れてトランクや行李に仕舞っておいたのか雑嚢に入れて持ち歩いたのか…うむむ。
末期の物資不足といえば靴も十九年以降の召集では従来の黒い素敵な編上靴でなく「兵隊さんの履くような豚革で先の丸い編上靴しか支給されなかった」そうで(支部による差もあるかも知れませんが)、衝撃を受けました。

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