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Antique Laceコミュのフランス革命とレース

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第16回トピはフランス革命とレース産業への影響について。

18世紀前期に技法的にニードル、ボビン共に最も発達したレースは1750年代を頂点にシンプルな傾向が見られるようになります。

これは国力が低下して、以前のような豪華な作品が作れなくなった訳ではなく、ヨーロッパの流行、それを牽引したフランスで、それまでのロココの華麗な文化に代わり、よりシンプルな新古典主義の流行の兆しが見られるようになるからです。

これらのシンプルな芸術様式に移行する大きなきっかけになったのが、18世紀後期に流行したアングロマニー(英国心酔)やジャン・ジャック・ルソーの自然回帰の哲学があります。そして1738年に発掘が始められたされた古代ローマの都市ヘラクラネウムや1748年から同じく発掘されたポンペイの遺跡など、古代ローマの風俗もこれらの流行に影響を与えるようになります。この時期に起こったこの流行をエトルリア風と呼びます。

以上のようなことから、それまで非常にヨーロッパ的、これはとりもなおさずフランス的な装飾様式から、より新しい流行へ時代の流れが変わっていくのですが、その中にあってレースもこの新流行に追従するかたちをとる訳です。それに加え、フランスの王妃であったマリー・アントワネットが華美なものよりも繊細でシンプルなものを好んだこともこの流行に拍車をかけることとなりました。

1770年代の後半から1790年代にかけてのレースが非常にシンプルなデザインが多いのはこのような背景によるものであります。この時期、アランソンやアルジャンタンではそれまでのような豪華な作品は作られなくなりました。これはヨーロッパの多くのレースがそうであったように、イタリアのニードル・レースでもベルギーのボビン・レースでもこの傾向がみられます。

こうして18世紀の100年の間にレースにおけるデザインは大きく様変わりするのですが、フランスが牽引したレース産業に大打撃を加える事件が1789年に起こります。この年の7月14日に起こったパリ市民によるバスティーユ牢獄への襲撃はその後のフランス革命への起爆剤になり、革命期にレース産業は壊滅的な被害を受け、これ以後ナポレオン1世が第一帝政期に産業を復興するまで低迷の時期を迎えます。この間にレースの生産にかけてはベルギーが優位に立ち、このことは19世紀へと続いていくのです。

1770年代後半から1780年代にかけては小花の散らし文様が流行し柄が繊細になっていきます。画像は左から1780年頃のポワン・ダランソン、1780年代のポワン・ダルジャンタンのラペット。1783年にヴィジェ・ルブランによって描かれたシュミーズ・ドレスを着て麦藁帽子を被った王妃マリー・アントワネット(Marie Antoinette Josèphe Jeanne de Lorraine d'Autriche 1755-1793)の肖像画

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