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読書と思索の文学カフェコミュの日の名残り

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ノーベル文学賞を貰ったカズオ・イシグロ著 土屋政雄訳 「日の名残り」を読む。

何となく人生の侘しさを感じる小説だった。

執事がどういうものか知らない。

日本でいうと、太閤秀吉に仕えた石田三成か、忠臣蔵の赤尾浅野家に仕えた大石内蔵助を連想すればいいのだろうか。

家内は、アンソニー・ホプキンズ主演の映画を観て良かったと言っていたが、私は映画は観ていない。

たぶん、小説とはまた違った趣があるのかも知れない。

「名残り」という言葉が今ではあまり使われないのでピンとこないが、名残惜しいという意味であれば、まさに人生の黄昏を書いた小説なのだろう。

自分が仕える主人の栄光を信じて、裏方で、いろいろと世話をすることに品格を感じ、その生きざまをずっと自己賛美してきたものの、最後に年老いて主人公の淋しさを描き出しているのであれば、これもひとつの悲劇の物語かも知れない。

この小説を読んで亡き私の父のことを思い出す。

父は生涯、身内や友人に心を許したことはなかった。

自分の、すべての辛苦を誰にも言わずに墓に持ち去ることを望み実行した人間である。

「黙して語らず」の美徳は父の品格であり美徳であったのだ。

この小説は、第一次世界大戦と第二次世界大戦の時代を設定している。

著者は、私より年下なので、当然、私と同様、戦争を知らない世代である。

しかし、著者も自分の父の面影が多分に影響しているのかも知れない。

「黙して語らず」の美徳を守って生きてきた主人公のスティーブンスの晩年が、淋しさの「涙」しか代償されていないのに対して、それと対照的に生きたミス・ケントンの晩年の孫に包まれた幸福そうな人生を対比させているのは何を意味しているのだろう。

父の最後を看取った息子の私も、父の内なる孤独感を受け取らざるを得なかった。

この小説は「戦争責任」も問うているように思える。

著者は、この小説を発表する前に、長崎を舞台にした戦争責任を追求した「浮世の画家」という小説を書いている。

「日の名残り」は、その英国版とも言われているらしい。

著者が社会派の作家と言われているのも、このような社会的なテーマの小説を書くからだろう。

父の世代の美徳を認めつつも批判をせざるをえない世代に著者も生きているのだ。

これは、古い時代の世代と新しい時代の世代の交代期にいる団塊世代の宿命でもあるかも知れない。

主人公のスティーブンスは、最後の機会に新しい時代を生きようとするカーディナルから忠告されても、ただひたすら、

「主人を信じています」

と、答えるだけなのである。

敗戦前の日本の国民の多くは、

「軍国の統帥権を持つ天皇や軍国主義者の軍人を信じている」

だけなのである。

「平和」について考える頭はない。

スティーブンスが旅行中、車のガス欠で予期せぬ事態となって農家に泊まるが、そこで若い農夫が主人公に向かって「民主主義」とは何かを語る。

民主主義こそが、これからの「品格」であるという、その農夫の言い草は、戦後になって、日本の人々が、ころっと民主主義に心変わりしたものと、同じことのように思う。

「人を信じて疑わない」という父の世代では美徳であったものを「黙して語らない孤独な老人」に追い込んでいったのは、実は、アメリカ民主主義に染まった戦争を知らない団塊世代であったのかも知れない。

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