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日本会議 新宿連合コミュの皇室のシンボル 菊の御紋章

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 各種スポーツの天皇杯優勝カップや天皇陛下より賜る品々に必ずといってよいほど付いているマーク。みなさんもよく目にすることと思います。菊紋は、日本の皇室を表したシンボル(家紋)なのです。

 菊は、日本で最も愛されている花の一つです。

 警視庁の徽章、国会議員が胸に付けている議員バッジ、日本で非常に有名な清酒(菊正宗)、毎秋京都で行われる有名な競馬のレース(菊花賞)、自民党の党章。。。。


 正式な皇室の御紋とは異なりますが、これらには全て「菊」が使用されています。「春は桜、秋は菊」という言葉にあるように、菊は我々日本人にとって非常に馴染み深いものです。毎年秋、全国各地でその美しさを競う菊花展や、今や秋の風物詩として語られる菊人形などを、みなさんもご存知でしょう。

 菊を愛でる習慣は、日本に昔から存在しました。延喜五年(905年)に撰せられた『古今和歌集』のなかには、菊を詠じた詩作が多数収められています。

 平安時代中期に紫式部の著した『源氏物語』内でも、秋の菊についての記述がみられます。また、元禄十一年(1698年)に書かれた貝原益軒(かいばらえきけん)の『花譜』(かふ)によると、当時日本には既に200種類以上の菊があったそうです。さらに、陰暦の9月は、「菊月」と呼ばれます。

 菊はもともと日本在来のものではなく、中国から薬用として第16代仁徳天皇の頃に伝わりました。当時の中国には、菊のエキスが溶け込んだ水を飲んだ村人たちが百歳以上の長寿を得られ、菊花酒を飲んだ子供が八百歳を数えたという伝説がありました。

 それが日本に伝わり、平安初期に五節句の一つである9月9日「重陽の節句」として、菊に関する行事が宮廷に定着しました。それは、菊の花を浮かべた酒を酌み交わしながら歌を詠むことや、前日(9月8日)の夜に菊の花に綿をかぶせ、一夜明けた朝に菊露の染み込んだ綿で身を拭うといった儀式のことをさします。

 元来皇室の御紋は、「日月」(じつげつ)でした。現在でも天皇が即位なさる際には、「日の丸」と「月」がそれぞれ錦の御旗に掲げられます。太陽は天照大御神、月は月読尊(つくよみのみこと)を表しています。

 それが、鎌倉時代に承久の乱で有名な第82代後鳥羽天皇がことのほか菊を愛し、衣服や調度品、懐紙、車、刀剣等にまで菊紋をお使いになったのです。

 その後も第89代後深草天皇、第90代亀山天皇、第91代後宇多天皇などが菊紋を自らの印として継承なさいました。その頃から公家の間では菊紋を用いることが次第に敬避されるようになり、日月紋と共に皇室の御紋として定着するようになりました。

 菊紋が公式に皇室の御紋とされたのは明治2年(1869年)の太政官布告195号によります。この時に、天皇家の紋章として「十六弁八重表菊紋」が、その他皇族方の紋章としては「十四弁一重裏菊紋」がそれぞれ定められ、また、明治四年(1871年)には皇族以外の菊花紋の使用が禁止されましたが、戦後は解禁されています。「菊の御紋」とは「十六弁八重表菊紋」のことを指し、皇族でもこの紋を使用することはできませんでした。

 ちなみに日本のパスポートの表紙は「十六弁一重表菊紋」であり、皇室の正式な御紋を「八重」から「一重」に略したものです。

 型の異なる菊紋は、歴史上様々な家の家紋としても使用されてきました。

 現在の宮家もそれぞれ、異なった菊紋をお持ちでいらっしゃいます。というのは、「十六弁八重表菊紋」は天皇家のみがお使いになる御紋なので、皇族といえども、内廷外皇族はこれを敬避なさり、お使いになりません。

 公家では、広幡(ひろはた)、水無瀬(みなせ)、七条(しちじょう)、桜井家などが菊紋を使用しました。また武家では、後鳥羽上皇に尽くした楠木正成の「菊水紋」が有名です。

 楠木は建武の新政に対する功によって菊紋を下賜されましたが、あまりに畏れ多いとして、下半分を水に流した菊水紋にしました。一族の和田氏なども菊水紋を用い、後裔にあたる徳川旗本の甲斐庄氏(かいのしょうし)も菊紋を用いています。

 その他の武家でも、様々な形で菊紋が使用されています。最古の家紋文献である『見聞諸家紋』(けんもんしょかもん)によると、「三つ盛菊」、「籬架菊」、「二つ雁に菊水」、「輪違いに菊」、「亀甲の内に菊」、「丸の内に合わせ割菊」、「並び菊」など、かなりたくさんの種類の菊紋が武家に用いられていたようです。

 また明治維新の功臣である西郷隆盛も、明治天皇より菊紋を賜りました。それは明治天皇自ら考案なさったもので、「抱き菊の葉に菊」紋であり、「天皇を左右から補佐せよ」という意味が込められていました。西郷は恐懼して退下し、家人を集め、その旨を話し、「この紋は、一代限りのもの」と戒めたそうです。そのため、西郷家の子孫にこの紋は伝わっていません。

 このように菊紋は、皇室に所縁のある家などに用いられ、現在にまで伝わってきています。また、菊は花を愛する平和な日本人の象徴として、現在も日本の至るところで尊重されています。
菊の花言葉は「高貴、高潔、真実」。

 「菊の御紋」は天皇家の紋章として、大切に受け継がれているのです。

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