[10周年]小説「ヒナガール!!」コミュの第1話　夢のはじまり

今日、おれはミューズに出会った。

はじめてヒナと会った日に、ゆずるがSNSに書き込んだ一文だ。
それ以前も以後もない、つぶやきみたいなたったの一文。
おおげさだな、とぼくは思った。

たしかにヒナはかわいい。
ものすごく目をひく美人ってわけじゃないけど、初対面のぼくらの前でも始終くったくなく笑っていて、目じりがやさしくさがっていた。

爪は丸くととのっていて、うす透明な桜色のネイルがマックの電飾にあてられてぴかぴかとひかるのを、吸い込まれるように見つめていたのをおぼえている。

あまりにヒナがまっすぐにぼくらを見つめるから、なんだか照れくさくなって、目をあわせられなかったのだ（後日ヒナからは、なんて陰気なやつらだろうとおもったと、けたけた笑いながらひどいことを言われた）。

だけどミューズ。女神だなんて。

　あいかわらずゆずるは思い込みが激しいな、とぼくはパソコンの画面の前で肩をすくめた。
だけど本人にはいわなかった。

何十人とボーカルの面接をしてきて、歌がうまい子、かわいい子は何人かいたけれど、ぱっと花が咲いたように場を灯してくれるような子は、ヒナ以外にいなかったから。
ヒナをメンバーに迎えようという、その意見にはぼくも異論はなかった。

　いまは、ばかにして悪かったな、とおもっている。

　たしかにヒナは、ぼくらにとってのミューズだったのかもしれない。
彼女と出会って、一緒にバンドを組むことを決めてから、ぼくらの運命は右肩上がりによくなっている。

　それはもう、こわいくらいに。

　その日は、ぼくら“ひなまつり”のデビューシングル発売日だった。
都内の大型レコード販売店を巡回したりお偉いさんにあいさつしたり朝から大忙しで、昼も夜もろくに食べられなかったぼくらをねぎらうため、マネージャーの横山さんが六本木の焼肉店に連れて行ってくれた。
そして、食べたこともないやわらかいお肉にヒナが歓声をあげたそのとき、爆弾は落とされたのだった。

「そうそう。映画とのタイアップ、決まったから。あしたから曲づくりに入ってな」

「……は？」

「30代から40代の女性をターゲットにした、笑えて泣けるラブコメだってさ。しかも主演は瀬川可南子。やったじゃん、大出世だな」

　女性誌の表紙を軒並み飾るトップ女優の名前に、ぼくらはただただ唖然とするしかない。
ぶあついカルビを惜しげもなく口の中にほうりこんでから、生ビールを一気飲みした横山さんに、おそるおそるゆずるが聞く。

「あの……横山さん。それって、今日出たデビューシングルを使うとか、そういう話じゃないんですよね？」

「言ったろ、あしたから曲づくりに入ってくれって」

「え……え、でも。おれたち、明日からもイベントとかキャンペーンとかの予定いっぱい入ってましたよね？　しかも仙台とか博多とかわりと全国だったような」

「そうなんだよなあ。だからまあ、最悪はヒナひとりでまわる可能性も視野には入れとくけど、そうならないようにがんばって」

「ち、ちなみにその映画っていつから」

「夏公開。でも、CMとスペシャルドラマのしこみがあるから、音が必要になるのは4月頭」

　んぐっ、とヒナの喉がマンガみたいな音を出して鳴った。
ゆずるは驚くというより放心している。

そりゃそうだ。だって来週にはもう3月なんだから。

曲をつくり、歌詞をつける。
そのすべてをほとんどゆずるが担当している。
レコーディングのすくなくとも３日前にはヒナに曲を渡さなきゃいけないし、そのあいだに、ゆずるはベース、ぼくはドラムの練習も必要だ。

つまり実質、与えられた時間は1カ月もなかった。

「まあそういうわけだから、今日はたっぷり飲んで食え。そしてあしたからとにかく必死で働いてくれ」

　はっはっは、と悪徳代官みたいに笑って大きな体をゆすりながら（180センチ越えで学生時代はアメフトをやっていたという横山さんは、パッと見ほんとうの悪役に見える）、ぼくら全員分のビールをジョッキでたのむ。
お酒に強くないヒナは、いろんな意味で途方にくれている。

網のうえで、肉だけが機嫌よさそうにじゅうじゅうと気持ちのいい音をたてていた。

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第2話　入り口は地獄?
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