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ハンナ・アーレントコミュの『暴力について』

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アーレントは、サルトルら20世紀の知識人の一群にきわめて批判的である。
サルトルらは暴力を革命においてイデオロギー的に聖化してしまうことの恐ろしさにまったく無頓着だと批判する。
抑圧的な国家権力に対抗する人民大衆の正義の要求と憤りの唯一の手段たる暴力を思想的に聖化してしまったら、一体どんなことが起きるか。
ヘーゲルがフランス革命の恐怖政治に転化してしまった教訓から、近代の倫理的精神は〈道徳〉そして〈良心〉へと範型を進化させて〈自由の相互承認〉という可能性を開いてゆくと考えたことに対して、
暴力の普遍的、一元的支配が取って代わることになる。

サルトルが無思慮に踏み出したような暴力肯定は、「マルクスなら決して書けなかった文章だ」とアーレントは言う。

コメント(10)

困窮する人民大衆の救済という大義名分を掲げて、イデオロギーが暴力に正当性という王冠を安易にかぶせてしまったなら、
内ゲバや爆弾テロ、地下鉄サリン事件までその思想的影響はおよびうる。
ジョルジュ・ソレル、フランツ・ファノン、J・P・サルトルらは、マルクスなら決して注意深く渡らなかったであろう敷居を越えて、暴力を聖化するという過ちを犯していると、アーレントは批判する。
>>[2]

僕もさほどサルトルの書いたものを読んではいないけど、カミュとの論争や政治評論などには人民からの暴力や暴力革命をやむをえないものとして肯定する論調があったように記憶しています。
サルトルは「人間は自由だ」というところから出発しているでしょう。このため、「その自由な人間が選択したものはみな等価だ」という骨子にならざるを得ないと思います。逆にもし人間が選択しうる様々なものに価値の優劣や序列があるものとすると、そういった価値の優劣や序列の前に、人間は自由ではありえなかったということになってしまいます。

このため、「暴力を手段として達成しようとする革命が目指すもの」というものにも、自由な人間が選択したものなのだから、一定の価値を認めざるを得なくなったのだと思います。アーレントのサルトル批判は非常に興味深いですね。最近アーレントが見直され、読まれ始めているのは大変興味深いですね。
いま、西部邁という人が書いた『人間論』(日本文芸社)という本を読み返しています。この本に「暴力」について触れている部分があるのでちょっと抜書きしてみます。

−−
 現代人は言語を投げ捨てたかわりに、言葉の派生体にほかならぬ技術にすがったのである。マシンだ、システムだ、といった類のものを寄せ集めて揺籠をつくり、そこで眠り込みはじめたのである。
 技術というカプセルのなかに安住できないものは、古き衝動論を焼き直しして、人間性の根源にはたとえば暴力といったような言語を越えた衝動がある、その種の衝動を解放することによって生の活力を取戻そう、と構える。現代人はますますそうした種類のものになりつつある。(P88)
−−

この部分だけを抜き出して読んでも、著者の西部さんがどういう思想を説いているのか分かりにくいかもしれませんが、わたしなりに解釈してみるとこういうことなのではないでしょうか。つまり、人間が自分の思想や感情を誠実に言葉で表現しようとすると、相当の知力と、忍耐と、勇気とが必要になる。ところが、たいていの人は、そういう知力も忍耐力も勇気も持ち合わせていない。すると、そういう人が自分の内部に沸き起こった思想や感情の原型みたいなもやもやしたものを解放し吐き出すためには、暴力が手っ取り早い解決策になるのではないでしょうか。この場合の「暴力」とは、単に「殴る」、「蹴る」のような身体的暴力だけでなく、攻撃的な暴言を吐くというようなことも含まれるような気がします。セクハラ、パワハラ、いじめなどは、一種の暴力なんだと思います。

>>[6]

そうすると、暴力というのは人間が相手に敬意と愛情をもって、丁寧に平和的にそれぞれの感情なり思いを伝えてゆくべきなのに、そういう訓練や人間的成熟が不十分な者が爆発させる短絡的行動だ、ということでしょうか。
>>[7]

そういう側面はあると思いますね。ドメスティック・ヴァイオレンスなんか典型的に該当するように思います。本来なら当事者同士(例えば夫婦)が十分に話し合って解決するべきなのでしょうが、「話し合って解決する」ということはそれほど簡単じゃない。そこには対話のスキルも要るでしょうし、人間的な器量も要ると思います。それらが揃わない場合は、暴力に至るということだと思います。
>>[8]

僕もよっぽど酷い圧政の下に虐げられて生きるということを経験したことがないから、基本的に「暴力は未熟な人格が手っ取り早く採用する粗雑な手段である」という考えに賛成です。
ただ、「酷い圧政をうっちゃる方法が暴力的破壊しかない時」という問題は難しいですね。
>>[9]

たぶん、サルトルが暴力を肯定するとしたら、そういうときでしょうね。

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