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古寺巡礼コミュの清浄の道  3番 熊野那智大社

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御神体は那智の大滝と云っても過言ではなかろうと思う。しめ縄を換える頃テレビなどで放映されているので見た方も多いかと
和歌山県、清浄の道
(3)那智山
熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)
住 所 〠 649―5301 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1
電話番号 電話 0735―55―0321
御 祭 神 熊野夫須美大神
開 祀 仁徳天皇5年(317)
アクセス JRきのくに線 紀伊勝浦駅下車 バス30分 タクシーあり
<神歴・縁起> H/P  http://www.kumanonachitaisha.or.jp/
旧官幣中社
御祭神 第一殿  瀧宮   大己貴命(大国主神)
    第二殿  証誠殿  家都御子神(素戔嗚尊)
    第三殿  中御前  御子速玉神(伊弉諾尊)
    第四殿  西御前  熊野夫須美神(伊弉冉尊)
    第五殿  若宮   天照大神
    第六殿  八社宮  天神地祇八神
熊野那智大社社伝に「神武天皇が熊野灘から那智の海岸“にしきうら”に御上陸されたとき、那智の山に光が輝くのをみて、この大瀧をさぐり当てられ、神としておまつりになり、その御守護のもとは、八咫烏の導きによって無事大和へお入りになった」と記録されております。
命の根源である水が豊富にあふれ落ちる「那智大瀧」を、この熊野に住む原住民の人々も神武天皇御東征以前からすでに神として奉祀されていたとも伝えられていますが、いずれにいたしましても古代からこの大瀧を「神」としてあがめ、そこに国づくりの神である「大巳貴命」(大国主命)をまつり、また、親神さまである「夫須美神」(伊弉冉尊)をおまつりしていたのであります。その社殿を、お瀧からほど近く、しかも見晴しのよい現在の社地にお移ししたのは仁徳天皇5年(317)と伝えられています。
この時、大瀧を「別宮飛瀧大神」とし、新しい社殿には「夫須美大神」を中心に、国づくりに御縁の深い12柱の神々をおまつりしました。
やがて仏教が伝来し、役小角を始租とする修験道がおこり、古来の神々と仏とを併せてまつる、いわゆる神仏習合の信仰が行なわれるようになりました。
その後、「蟻の熊野詣」といわれる程に全国から沢山の人々が熊野を
目指すことになるのですが、中でも、皇室の尊崇厚く、延喜7年(907)10月、
宇多上皇の御幸をはじめとして、後白河法皇は34回、後鳥羽上皇は29回もご参詣の旅を重ねられ、また花山法皇は千日(3年間)の瀧籠りをなされたと記録されております。
 なお「熊野」という地名は「隈の処」という語源から発しているといわれていますが、だとすれば、ここは奥深い処、神秘の漂う処ということになります。また「クマ」は「カミ」と同じ語で、「神の野」に通じる地名ということにもなります。 その「神の里」に詣で、漂う霊気にひたり、神々の恵みを得ようとして、古代から多くの人々が熊野へ、そして那智山へ参詣されています。

岩肌についた飛沫が凍結       瀧つぼの様子
平成22年1月15日 今年一番の寒さの1月14日
那智の瀧前の気温は午前6時でマイナス2℃、そのおかげで瀧つぼの表面は氷に覆われ、水しぶきは凍結して寒さのなかにも荘厳な瀧を拝することができました。と地元の新聞に載っていました。山上に青岸渡寺と並んで鎮座している境内からの眺めは素晴らしい眺めで、東方には瀧も見える所にありもともと瀧の遥拝所だった、というのも事実である。
「熊野神邑」。平安初期まで新宮の速玉大神と那智の結大神は
2社1所に祀られ、神倉山麓を「神邑」と呼ばれた。それに対し、那智は「仏邑」であった。式内社でないのは、そのためなのであろうか。
 「紀伊続風土記」に「禰宜神主なく皆社僧なり、社僧に清僧あり妻帯あり」とあるように修験者が祀る霊場だった。「南海補陀落の山」である。
 本宮が「家都御子大神」、速玉が「御子速玉大神」を主祭神とするように、
 那智では、「熊野夫須美大神」を主祭神とする。
が、やはり真の主祭神は、別宮飛瀧神社として祀られている「瀧」であろう。
 神社辞典による祭神
神社辞典では以下の祭神に分かれて記載があります。
社殿名      祭神名        本地仏
 第一殿   瀧宮     大己貴命       千手観音
 第二殿   証誠殿    家都御子大神     阿弥陀如来
                    (素戔嗚尊、国常立尊)
 第三殿   中御前    御子速玉大神     薬師如来
              (伊弉諾尊)
 第四殿   西御前    熊野夫須美大神    千手観音
              (伊弉冉尊)
 第五殿   若宮     天照大神       十一面観音
     (若一王子宮)
以下、上下八社殿
 第六殿   禅師宮    忍穂耳尊       地蔵菩薩
 第七殿   聖宮     瓊々杵尊       竜樹菩薩
 第八殿   児宮     彦火々出見尊     如意輪観音
 第九殿   子守宮    鸕鷀草葺不合尊    聖観音
 第十殿   一萬宮    国狭槌尊       文殊菩薩
 第十一段  十萬宮    豊斟渟尊       普賢菩薩
 第十二段  勧請十五所  泥土煮尊       釈迦如来
 第十三段  飛行夜叉   大戸之道尊      不動明王
 第十四段  米持金剛   面足尊        多聞天
神道大系では
   地主権現瀧宮 大己貴命
 第二殿   證誠殿    國常立尊
 第三殿   中御前    伊弉諾尊
 第四殿   西御前    伊弉冉尊
自二第二殿一至二第四殿一、号二之熊野三所権現一
 第五殿   若女一王子  天照太神
以上号二上五社一
 第六殿   禪師宮    忍穂耳尊
 第七殿   聖宮     瓊々杵尊
 第八殿   兒宮     彦火々出見尊
 第九殿   子守宮    葺未合尊
自二第五殿一至二第九殿一、号二之五体王子一、即地神五代也
 第十殿   一萬     國陜槌尊
       十萬     豊斟渟尊
 第十一殿  勧請十五所  泥土煮尊
 第十二殿  飛行夜叉   大戸道尊
 第十三殿  米持金    面足尊
自二第十殿一至二第十三殿一、号二之四所明神一、
 「熊野神邑」。平安初期まで新宮の速玉大神と那智の結大神は2社1所に祀られ、神倉山麓を「神邑」と呼ばれた。それに対し、那智は「仏邑」であった。式内社でないのは、その為であるのか。「紀伊続風土記」に「禰宜神主なく皆社僧なり、社僧に清僧あり妻帯あり」とあるように修験者が祀る霊場だった。「南海補陀落の山」である。
 本宮が「家都御子大神」、速玉が「御子速玉大神」を主祭神とするように、
那智では、「熊野夫須美大神」を主祭神とする。
が、やはり真の主祭神は、別宮飛瀧神社として祀られている「瀧」だろうと思われる。

牛王神札(ごうおうしんさつ)
那智の瀧の水で墨を摺り、神職により一枚、一枚奉製された御札で、古きより魔除けの御札として各家庭にお祀りされております。
また中世、武士の間では血判状として、庶民の間では誓いの令として用いられました。
カラス文字で書かれた御神符
熊野三山ではそれぞれカラスの数が違う。那智は72羽


那智大滝 別宮飛瀧神社
那智大社の案内板に、紀伊半島の東南を古来熊野という。熊野とは奥深い処、隈るとも申しそこは神秘性のある所、即ち神々の住まえる所であり、あこがれの土地として尊んだ処である。往古神武天皇が御東征の折、この地に上陸され、那智の滝に大己貴神を祀り八咫烏の案内で山々を越えて大和に入られたのであります。
仁徳天皇5年那智の滝より社殿をこの地に移し、夫須美大神を祀られたのが「熊野那智大社」の起こりです。後に仏教、修験道の隆盛と共に熊野権現として崇められ上皇、女院、武将や庶民の参拝が増し継続して詣でる様子を「蟻の熊野詣」と称しました。
 御社殿は熊野造と申し、現在の建物は豊臣の世に再興し享保、嘉永の大改修を経て昭和10年の御修復で、平成7年国指定文化財となっています。
社前には後白河上皇御手植と伝える枝垂桜や平重盛の手植と申す大楠、八咫烏にまつはる烏石等があります。
新宮市の熊野速玉大社・本宮市の熊野本宮大社と共に熊野三山の一社で、全国約4000社と云われる熊野神社の御本社でもあり、日本第一大霊験所根本熊野三所権現として崇敬の厚い社であります。と記載されています。

本社社殿
 本社社殿は、鎮守山を背景に、朱の社殿が立ち並んでいます。これは「熊野権現造り」の原形そのままのもので、鈴門と玉垣内に六殿があります。
右から、第一殿滝宮(大巳貴神)、第二殿証誠殿(家都御子神)
第三殿中御前(速玉神)、第四殿西御前(夫須美神)
第五殿若宮(天照大神) 、第六殿八社殿(天神地祗)

拝殿               お滝祈願所
お滝祈願所は飛滝権現の本地堂に代わって造られたもので、お滝を拝するようにされており左側に「観音菩薩」右側に「役小角先達」とその眷族や滝不動などが安置されています。





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