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古寺巡礼コミュの欣求の道  14番 石山寺

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紫式部が源氏物語を執筆した時にこもった部屋がある寺です
滋賀県、欣求の道
(146)石光山 
石山寺(いしやまでら)
住 所 〠 520―0861 滋賀県大津市石山寺1丁目1-1
電話番号 電話 077―537―0013
本  尊 如意輪観世音菩薩
開 山 良弁僧正
創  建 天平勝宝元年(749)
アクセス JRびわこ線石山駅下車。京阪電車の石山坂本線に乗り換え、
京阪石山寺駅下車後、徒歩10分。
<寺歴・縁起> H/P http://www.ishiyamadera.or.jp/
東寺真言宗(総本山 東寺) 西国33所13番 江州33観音1番
近江33観音3番 神仏霊場146番

 湖國にある石山寺は琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川の右岸にある。本堂は国の天然記念物の珪灰石(「石山寺硅灰石」)という巨大な岩盤の上に建ち、これが寺名の由来ともなっている(石山寺珪灰石は日本の地質百選に選定)。
『石山寺縁起』によれば、聖武天皇の発願により、天平19年(747)、良弁(ろうべん、東大寺開山・別当)が聖徳太子の念持仏であった如意輪観音をこの地に祀ったのが始まりとされている。聖武天皇は東大寺大仏の造立にあたり、像の表面に鍍金(金メッキ)を施すために大量の黄金を必要としていた。そこで良弁に命じて、黄金が得られるよう、吉野の金峯山(きんぷせん)に祈らせた。金峯山はその名の通り、「金の山」と信じられていたようである。そうしたところ、良弁の夢に吉野の金剛蔵王(蔵王権現)が現われ、こう告げた。「金峯山の黄金は、(56億7千万年後に)弥勒菩薩がこの世に現われた時に地を黄金で覆うために用いるものである(だから大仏鍍金のために使うことはできない)。
近江国志賀郡の湖水の南に観音菩薩の現われたまう土地がある。そこへ行って祈るがよい」。夢のお告げにしたがって石山の地を訪れた良弁は、比良明神の化身である老人に導かれ、巨大な岩の上に聖徳太子念持仏の6寸の金銅如意輪観音像を安置し、草庵を建てた。その2年後、実際に陸奥国から黄金が産出され、元号を天平勝宝と改めた。こうして良弁の修法は無事に効果を現わしたが、如意輪観音像がどうしたわけか岩山から離れなくなってしまった。やむなく、如意輪観音像を覆うように堂を建てたのが石山寺の草創という。
 正倉院文書(もんじょ)によれば、造東大寺司(東大寺造営のための役所)からも仏師などの職員が派遣されたことが知られ、石山寺の造営は国家的事業として進められていた。これには、淳仁天皇と孝謙上皇が造営した保良宮(ほらのみや)が石山寺の近くにあったことも関係していると云われる。
本尊の塑造如意輪観音像と脇侍の金剛蔵王像、執金剛神(しゅこんごうしん)像は、天平宝字5年(761)から翌年にかけて制作され、本尊の胎内に聖徳太子念持仏の6寸如意輪観音像を納めたという。
以降、平安時代前期にかけての寺史はあまりはっきりしていないが、寺伝によれば、聖宝(しょうぼう)、観賢などの当時高名な僧が座主として入寺している。 
聖宝と観賢はいずれも醍醐寺関係の僧である。石山寺と醍醐寺は地理的にも近く、この頃から石山寺の密教化が進んだものと思われる。
石山寺の中興の祖と云われるのが、菅原道真の孫の第3世座主・淳祐内供(しゅんにゅうないく、890〜953)である。内供とは内供奉十禅師(ないくぶじゅうぜんじ)の略称で、天皇の傍にいて、常に玉体を加持する僧の称号で、高僧でありながら、諸職を固辞していた淳祐がこの内供を称され、「石山内供」「普賢院内供」とも呼ばれている。その理由は淳祐は体が不自由で、正式の坐法で坐ることができなかったことから、学業に精励し、膨大な著述を残している。彼の自筆本は今も石山寺に多数残存し、「匂いの聖教(においのしょうぎょう)」と呼ばれ、一括して国宝に指定されている。このころ、石山詣が宮廷の官女の間で盛んとなり、「蜻蛉日記」や「更級日記」にも描写されている。
現在の本堂は永長元年(1096)の再建。東大門、多宝塔は鎌倉時代初期、源頼朝の寄進により建てられたものとされ、この頃には現在見るような寺観が整ったと思われる。石山寺は兵火に遭わなかったため、建造物、仏像、経典、文書などの貴重な文化財を多数伝存している。

東大門
 建久元年(1190)に源頼朝の寄進により建てられたとされ、その後、慶長年間(1596〜1615)に大修理が行われています。 「東大門」は古寺にふさわしい堂々とした造りであり重要文化財に指定されています。入母屋造、瓦葺きで、
本堂の礼堂が建立されたのと同時期の近世初期に大幅な修理を受けている。

毘沙門堂
 兜跋毘沙門天への厚い信仰から安永2年(1773)に建立されたお堂で、兜跋毘沙門天を本尊としています。







蓮如堂
 硅灰石の崖にせり出しで建つ懸造の建物。慶長期に38所権現社の拝殿として建てられましたが、後に蓮如上人が祀られるようになりました。

本堂         内陣
 滋賀県最古の木造建築物とされており、内陣は平安時代中期の建築、外陣(礼堂)は慶長7年 (1602)淀殿の寄進により増築されたといわれています。
本堂内陣に安置されるのは、安産・福徳・縁結びの観音さまとして信仰を集める本尊如意輪観世音菩薩。日本で唯一の勅封の秘仏で、御開扉は33年毎です。相の間には、紫式部が『源氏物語』を起筆したことにちなむ「源氏の間」があります。

多宝塔
 源頼朝の寄進で建久5年(1194)に建立された日本最古の多宝塔。下重が大きく、上重は搭身が細く華奢で軒の出が深い優美な姿で、日本三大多宝塔の一つです。本尊は大日如来です。

西国33所 御詠歌 ご朱印

神仏霊場 ご朱印

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