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古寺巡礼コミュの欣求の道  11番 長命寺

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琵琶湖で唯一人が住み、生活をしている島があります。その島との連絡船がこのお寺の近くから出帆しています
滋賀県、欣求の道
(143)姨綺耶山 
長命寺(ちょうめいじ)
住 所 〠 523―0808 滋賀県近江八幡市長命寺町157番地
電話番号 電話 0748―33―0031
本  尊 千手十一面聖観世音菩薩三尊一体
開 山 (伝)聖徳太子
創  建 (伝)推古天皇27年(619)
アクセス JR東海道線近江八幡駅下車、近江バス25分、長命寺着石段参道
又は新参道
<寺歴・縁起> H/P ありません
天台宗(単立)西国33所31番 聖徳太子霊跡35番 近江西国33所21番
神仏霊場143番

 琵琶湖畔にそびえる長命寺山の山腹に位置し、麓から本堂に至る800段余の長い階段で知られる。かつての巡礼者は、30番札所の竹生島宝厳寺から船で長命寺に参詣した。
伝承によれば、第12代景行天皇の時代に、武内宿禰がこの地で柳の木に「寿命長遠諸願成就」と彫り長寿を祈願した。このため宿禰は300歳の長命を保ったと伝えられる。その後、聖徳太子がこの地に赴いた際、宿禰が祈願した際に彫った文字を発見したという。これに感銘を受けてながめていると白髪の老人が現れ、その木で仏像を彫りこの地に安置するよう告げた。太子は早速、十一面観音を彫りこの地に安置した。太子は宿禰の長寿にあやかり、当寺を長命寺と名付けたと伝えられている。その名の通り、参拝すると長生きすると言い伝えられている。
実際の創建年次や創建の事情については未詳であり、確実な史料における長命寺の初見は、承保元年(1074)3月2日付の「奥島庄司土師宿禰助正解文」(おくしましょうじ はじのすくねすけまさ げぶみ)という文書である。
長命寺には中世以降の文書が豊富に残されている。それによると、中世の長命寺は比叡山(延暦寺)西塔の別院としての地位を保ち、近江守護佐々木氏の崇敬と庇護を受けて栄えていた。しかし、
永正13年(1516)、佐々木氏と伊庭氏の対立による兵火により伽藍は全焼。現存する堂宇は室町時代から近世初期にかけて再建されたものである。
参道入り口から808段の階段を上がりきると、本堂・三重塔・護摩堂などが並び立っています。ほとんどが重要文化財である建物の美しさはもちろんのこと、満々と広がる琵琶湖と対岸に比良連峰を望む雄大な景観もまた素晴らしいものです。

階段下の石標
 ここから長明寺の境内です。バス停から商店のある所を入った所に建つ。
この808段の石段の参道は寺名にあやかり、健康長寿を願う石段として古くから人々の信仰を集めてきました。

山門
石段を登り切ると、山門があり境内へ。この山門は他のお寺の山門と異なり、重厚な感じはしません。神社の鳥居の様な注連(縄)が下がってます。
山門を入るとまた石段が少しあります。そこを登りきると本堂や境内が望める事が出来るのです。


境内全景            三重塔

本堂           内陣
本堂(重要文化財)入母屋造、檜皮葺き。桁行7間・梁間6間の和様仏堂である(ここでいう「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を意味する)。寺の文書から室町時代・大永4年(1524)の建立と判明する。手前の奥行3間分を外陣、後方の奥行3間分を内陣及び後陣とする。内陣須弥壇中央には秘仏本尊を安置する厨子を置き、厨子外に向かって左に毘沙門天立像(重要文化財)、右に不動明王立像が立つ。厨子も堂と同時代の造営で、重要文化財の附(つけたり)指定となっている。
三重塔(重要文化財)本堂の東方、やや小高くなったところに建つ。
高欄擬宝珠銘から慶長2年(1597)の建立と判明する。こけら葺きで全面丹塗(にぬり)とする。和様の一般的な三重塔であるが、初重の両脇間に連子窓を設けず板壁とすること、初重に和様には珍しく腰貫を用いる点が特色である。初重内部は須弥壇を設け、胎蔵界大日如来像(桃山時代)と四天王像(鎌倉時代)を安置する。大日如来像は像底の銘から天正17年(1589)、七条大仏師康住とその子の大弐の作とわかる。

本尊について
「千手十一面聖観世音菩薩三尊一体」、つまり、千手観音、十一面観音、聖観音(しょうかんのん)の3体が長命寺の本尊であるとされている。
本堂内陣の厨子には、中央に千手観音像、向かって右に十一面観音像、左に聖観音像が安置されている(いずれも重要文化財、秘仏)。千手観音像(像高91.8cm)は一木割矧造、素地截金仕上げで、平安時代末期、12世紀頃の作と推定される。十一面観音像(像高53.8cm)は、千手観音像より古い10世紀ないし11世紀の作と推定され、こちらが当初の本尊であった可能性もある。聖観音像(像高67.4cm)は鎌倉時代の作と推定される。これらの像を安置する厨子は前の間と後の間に区分され、後の間には地蔵菩薩立像と薬師如来立像を安置する。
西国33所巡礼に関する確実な史料で最古のものとされる『寺門高僧記』所収の行尊の巡礼記(11世紀末頃)では長命寺の本尊を「三尺千手」としており、同じく『寺門高僧記』所収の覚忠の巡礼記(応保元年・1161)では本尊を「三尺聖観音」とするなど、古い時代に本尊が入れ替わっていることが記録から伺える。
これらの観音像は厳重な秘仏とされ、平素は公開されていない。西国33所観音巡礼の中興者とされる花山法皇の一千年忌を記念して2008年から2010年にかけて、西国33所の各札所寺院で「結縁開帳」が行われることとなり、長命寺の本尊3体は2009年10月1日から10月31日の間、開扉された。これは1948年以来、61年ぶりの開扉である。


三仏堂
 三仏堂 薬師如来・阿弥陀如来・釈迦如来の三尊を安置する三仏堂は佐々木定綱が建立したもの。お父さんの佐々木義秀さんの菩提を弔うために建てられたものだそうです。本堂のすぐ西側に建つ。入母屋造、檜皮葺き、丹塗の堂。永禄年間(16世紀半ば)頃の建立と推定されるが、江戸時代の寛政5年(1793)に改造されている。


神仏霊場 ご朱印

    本堂入口から内陣

                 西国33所 御詠歌 ご朱印

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