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古寺巡礼コミュの楽土の道 京都 27番 赤山禅院

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天台宗の比叡山別院です
京都府、楽土の道
(107)比叡山別院
赤山禅院(せきざんぜんいん)
住 所 〠 606―8036 京都市左京区修学院開根坊町18
電話番号 電話 075―701―5181
本  尊 泰山府君
開 山 天台座主・安慧(あんえ)
創  建 仁和4年(888)、
アクセス 叡山電鉄叡山本線修学院駅から徒歩20分
<寺歴・縁起> H/P ありません
天台宗比叡山別院 神仏霊場107番 都七福神めぐり「福禄寿」

 平安京の表鬼門の守護神、赤山大明神を祀る。
赤山禅院は、11月中旬頃からの紅葉が美しい寺として知られている、比叡山延暦寺の別院。紅葉は境内の池の周りが特に美しく、平安時代は池に船を浮かべて宴が催されたという。赤山禅院へは、市バス「修学院離宮道」で下車し、音羽川沿いの修学院離宮道を東へ、住宅街を進む。案内標識に従い、いくつかの角を曲がって行くと右手に鳥居があり、赤山禅院と書かれている。鳥居からは緩やかな坂道となる。山門を入ると、両側の木の枝が参道を覆し太陽を遮る。更に進み、突き当たり左の石段を登ったところに堂宇が並ぶ。
 赤山禅院は、仁和4年(888)、天台座主・安慧(あんえ)が、師の慈覚大師円仁の遺命によって比叡山延暦寺の別院として創建されたのが始まり。本尊は天台宗守護神の赤山大明神(陰陽道の祖神・泰山府君)。第三世天台座主・慈覚(じかく)大師円仁が遣唐使で中国に渡り天台教学を修めて日本への帰路の途中で出港地・泰山にある山の神(泰山府君=赤山大明神)に航路平穏を祈願、無事に帰国できたことを感謝し、比叡山へ勧請しようとしたが生存中に果たせなく高弟の安慧へ託した。当初は比叡山横川に祀られたがその後、この地に遷座している。その後、後水尾上皇の修学院離宮行幸の折、社殿の修築及び赤山大明神の勅額を賜っている。
本殿屋根に祀られた王城守護の猿。この猿は、京都御所の鬼門(東北角の「猿ヶ辻」と呼ばれところ)に祀られた猿と向かい合っている。いずれの猿も金網の中に入れられているが、これは夜になると道行く人に悪さをしていたので、懲らしめのためという。
 天台宗比叡山延暦寺の別院だが、現在は独立の寺院。
山門修験(千日廻峯行)の寺。創建は仁和4年(888)。
第三代天台座主円仁が、唐で修行中、山西省の清涼山で、引声念仏を学んでいたときに赤山大明神が出現し、円仁を守護して、日本へ来ると告げた。
円仁が帰朝した後、その遺言により弟子の安慧によりこの地に勧請されたのが起源。比叡山に西麓・日吉大社とともに、天台の鎮守の社である。
赤山明神は、天にあっては輔星(福禄寿星)。地にあっては泰山府君で、人の寿命を司る神。閻魔大王とも考えられた神である。
比叡との関係か、拝殿屋根の上には、陶製の猿の像が載せられている。
猿は金神で、鬼門の神。当寺院は、京の北東表鬼門に位置し、皇城の鬼門の護りなのだ。

正念珠を潜り参拝   皇城表鬼門の札    比叡山横川の赤山宮
 赤山大明神は、仏教の閻魔王に準じる冥界の神とされ、インドでは深沙大王、中国では泰山府君と呼ばれている。毘沙門天に似た武将を想わせる姿をしているが、人の生死や寿命、福寿を司る延命富貴の神様。天台宗を守護する護法30番神の一神。江戸時代のいつ頃からか、赤山大明神の賽日(さいにち)「申(猿)の日」の5日に”赤山さん”にお参りすると掛け寄せ(集金)がスムーズにいくとの噂がたち、”赤山は集金の神様・商売の神様”との信仰が始まる。現在でも商売繁盛を願って集金前の早朝にお参りに来る人もあるそうです。「5、10払い(ごとばらい)」の始まり。また、この地が王城(平安京)の東北(表鬼門)に位置することから方除けの神としても人々から崇敬されている。
 天台宗比叡山延暦寺には千日回峰(せんにちかいほう)という荒行がある。1日も休まず、日に峰々を30km歩き、270箇所での礼拝を千日間続ける修行。この行の701日から800日の間は、比叡山から赤山禅院への往復30kmの(赤山苦行と言われる)荒行が加わる。赤山禅院境内は、赤山大明神を祀る本殿の左側の地蔵堂に始まり、順路に従い境内を進むと、「都七福神巡り」に挙げられている福禄寿を祀る堂の他、幾つかの小さな祠がある。順路の最後が瀧籠堂で環珠法の輪を潜るとスタートの寺務所前になる。
本殿前の正念珠の門には
願我念誦所生福(ガンガネンジュンショジョウフク)
奉入本尊智恵海(ブニュウホンゾンチエカイ) 平等一味同法性(ビョウドウイチミドウホッショウ)我及衆生共成仏(ガギュウシュジョウグジョウブツ)
である。
明神を名乗るがここは寺と言うべきである。古来紅葉寺と言われてきた。本尊は赤山大明神であり、修法として正念珠がある。
 真言密教の修法の中では最も重要な妙観であり、これを修法する行者はご本尊と互いに観応相応して一体となり、まことの心眼を開くことができるといわれております。
 その方法は種々の懸念を去り、我とご本尊は一体なりと観想しつつ、手に数珠を繰りながら一心にご本尊(赤山大明神)のご真言(オンサルバ シチケイ ビシニダラニ ソワカ)を念珠いたします。説明板がある。
泰山府君を陰陽道の祖神と位置づけたのはかの安倍晴明である。泰山府君は冥府の神として知られ、大陸の五岳神の一つ東岳大帝と同一視されている。漢の武帝泰山にて封の祭りを太一神と同じ礼式で行ったので、太一神(北極星)と同一とも見なされていた。
日本では、素盞嗚尊、三輪明神、牛頭天王、福禄寿等と同一視する俗説がある。
都七福神の福禄寿神を祀る。


金神社と向かって右側の新羅明神祠等末社群
 赤山明神は泰山府君のことで、チャイナの聖なる五岳の一つである東岳の泰山にすむ東岳大帝の別名である。
 東岳大帝とは道教の神で、人の命を司ると信じられてきた。赤山の一角に紅門石という赤みがかった場所があり、その中に「財神」がいるとの伝承がある。
五岳は五行説の現れであり、東岳は人間の貴賤高下の区別や生死の時期を司ると考えられている。東方は万物を生成する「気」があるとの関係である。
 人は死ぬとその魂は泰山に行く、その泰山の神は死後の世界を支配すると一般に信じられていたが、これは道教になじまない。(関係がないのである)

神仏霊場 ご朱印

福禄寿を祀る      王城守護の猿は御所に向かっている

赤山禅院
 仁和4年(888)天台座主安慧が、師の慈覚大師円仁の遺命によって創建した天台宗の寺院である。本尊の赤山明神は、慈覚大師が中国の赤山にある泰山府君(陰明道祖神)を勧請したもので、天台の守護神である。後水尾上皇の修学院離宮御幸の時には、上皇より社殿の修築及び、赤山大明神の勅願を賜った。
 御神体は、毘沙門天に似た武将を象る神像で、延命富貴の神とされている。
 この地は、京都の東北表鬼門にあたることから、当院は、方除けの神として人々の崇敬を集めている。また、赤山明神の祭日にあたる5日に当院に参詣して懸取りに回ると、よく集金ができるといわれ、商人たちの信仰も厚く、俗に、5日払いといわれている商習慣ができたと伝えられている。
 閑静なこの地には、松、楓が多く、秋には紅葉の名所として多くの人々で賑う。
参道案内板より写す

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