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古寺巡礼コミュの楽土の道 京都 23番 鞍馬寺

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源氏の武将 牛若丸が修業をしたと伝わる鞍馬寺です
京都府、楽土の道
(103)松尾山 金剛寿命院 
鞍馬寺(くらまでら)
住 所 〠 601−111 京都府京都市左京区鞍馬本町1074
電話番号 電話 075―741―2003
本  尊 尊天(毘沙門天王・千手観世音菩薩・護法魔王尊)
開 山 (伝)鑑禎上人
創  建 (伝)宝亀元年(770)
アクセス 叡山電鉄出町柳駅から鞍馬線に乗ると約30分で鞍馬駅に着く。駅を出て徒歩1分で仁王門(山門)に至る。
<寺歴・縁起> H/P http://kuramadera.com/index.html
鞍馬弘教総本山 新西国33所19番 神仏霊場103番

 宗派はもと天台宗に属したが、昭和24年(1949)以降独立して鞍馬弘教総本山となっている。
山号は鞍馬山。開基(創立者)は、鑑真の高弟鑑禎(がんてい)とされている。
本尊は寺では「尊天」と称している。「尊天」とは、毘沙門天王、千手観菩薩、護法魔王尊の三身一体の本尊であるという。
京都盆地の北に位置し、豊かな自然環境を残す鞍馬山の南斜面に位置する。鞍馬は牛若丸(源義経)が修行をした地として著名であり、大佛次郎の『鞍馬天狗』でも知られる。新西国19番札所である。
なお、鞍馬寺への輸送機関としてケーブルカー(鞍馬山鋼索鉄道)を運営しており、宗教法人としては唯一の鉄道事業者ともなっている。
 その後、延暦15年(796)、官寺である東寺の建設主任であった藤原伊勢人は、自分の個人的に信仰する観音を祀る寺を建てたいと考えていた。
伊勢人は、ある夜見た霊夢のお告げにしたがい、白馬の後を追って鞍馬山に着くと、そこには毘沙門天を祀る小堂があった。「自分は観音を信仰しているのに、ここに祀られているのは毘沙門天ではないか」と伊勢人はいぶかしがった。ところが、その晩の夢に1人の童子が現われ、「観音も毘沙門天も名前が違うだけで、実はもともと1つのものなのだ」と告げた。こうして伊勢人は千手観音の像をつくって、毘沙門天とともに安置したという。
9世紀末の寛平年間(889〜897)東寺の僧・峯延(ぶえん)が入寺したころから、鞍馬寺は真言宗寺院となるが、12世紀には天台宗に改宗し、
以後の鞍馬寺は長く青蓮院の支配下にあった。寛治5年(1091)には白河上皇が参詣、承徳3年(1099)には関白藤原師通が参詣するなど、平安時代後期には広く信仰を集めていたようである。『枕草子』は「近うて遠きもの」の例として鞍馬寺の九十九(つづら)折りの参道を挙げている。
鞍馬寺は大治元年(1126)の火災をはじめとして、たびたび焼失している。江戸時代の文化9年(1812)には一山炎上する大火災があり、近代に入って昭和20年(1945年)にも本殿などが焼失している。このため、堂宇はいずれも新しいものだが、仏像などの文化財は豊富に伝えられている。
昭和期の住職・信楽香雲(しがらきこううん)は、昭和22年(1947)に鞍馬弘教を開宗。昭和24年(1924)には天台宗から独立して鞍馬弘教総本山となっている。京都の奥にある鞍馬山は山岳信仰、山伏による密教も盛んであった。そのため山の精霊である天狗もまた鞍馬に住むと言われる。鞍馬に住む大天狗は僧正坊と呼ばれる最高位のものでありまた鞍馬山は天狗にとって最高位の山のひとつであるとされている。
 京都の北に位置する鞍馬寺は、もともと毘沙門天(四天王のうち北方を守護する)を本尊とする寺院であったと思われる。しかし、現在の鞍馬寺の信仰形態は独特のもので、本尊についても若干の説明を要する。
鞍馬寺本殿金堂の本尊は「尊天」である。堂内には中央に毘沙門天、向かって右に千手観世音、左には護法魔王尊が安置され、これらを合わせて「尊天」と称している。
寺の説明によると、「魔王尊」とは、650万年前(「650年」の間違いではない)、金星から地球に降り立ったもので、その体は通常の人間とは異なる元素から成り、その年齢は16歳のまま、年をとることのない永遠の存在であるという。また、毘沙門天、千手観世音、魔王尊はそれぞれが「太陽、月、地球」および「光、愛、力」を象徴するという。本殿金堂の毘沙門天、千手観世音、魔王尊はいずれも秘仏であるが、秘仏厨子の前に「お前立ち」と称する代わりの像が安置されている。お前立ちの魔王尊像は、背中に羽根をもち、長いひげをたくわえた仙人のような姿で、光背は木の葉でできている。多宝塔に安置の魔王尊像も同じような姿をしている。

仁王門
 仁王門 明治時代 参道を進み石段を上がると、最初に見える朱塗りの門が仁王門である。明治24年焼失し、同44年(1911)再建された。当初はもっと下にあったが昭和34年(1959)現在地に移築された。3間1戸の和様楼門建築で、焼失前の姿をほぼ忠実に再現している。

本殿、金堂
 昭和46年 多宝塔から石畳路を踏みしめて転法輪堂手前辺りから石段を上がっていくと、ひときわ開けた場所に出る。鞍馬寺の中心である本殿金堂を土師め主要な建物が並んでいる。現在の本殿は昭和20年(1945)火災で焼失したあと昭和46年に再見されたもので、方7間、一重入母屋造りで内部は外陣、内陣、内内陣に分かれる。

本殿、金堂内陣
 内内陣の須弥壇の上には、中央に毘沙門天像、東に千手観音菩薩像、西に護法魔王尊像が安置されている。この三尊はお前立ちで秘仏であり、三位一体の尊天としてあがめられている。秘仏である本尊三尊は60年に一度丙寅の年に開扉される。

護法魔王尊像     毘沙門天像   千手観音菩薩像
 千手観世音菩薩立像(お前立ち) 木造 像高98.0Cm 江戸時代
内内陣の向かって右側に安置されています。
 毘沙門天立像(お前立ち) 木造 像高147.0Cm 江戸時代
内内陣の中央に安置、毘沙門天は太陽が放つ光を象徴する。
 護法魔王尊像(お前立ち) 木造 像高81.0Cm 昭和時代
神秘のベールに包まれた魔王尊。内内陣の左側に安置される像の姿もまた、補の明かりの中ではおぼろげである。行者風の身なり、背中の羽、特異な鼻、長い髭、樹木の葉のような光背から鞍馬の天狗伝説と関連付けられてきた。

義経堂
 鞍馬=義経のイメージがある。義経の話は伝説、創作の域を出ないが奥の院に行く途中にひっそりとたたずんでいるお堂が義経堂である。


奥の院、魔王殿
 本殿から霊宝殿の前を過ぎて、石段をさらに進むと急な上り坂になる。
その先の重畳たる奇岩上に魔王殿がある。現在の建物は火災で焼失した後の昭和25年(1950)再建された建物で1間四方の杮葺の上に銅版をのせる。

神仏霊場 ご朱印      鑑禎上人像
鑑禎上人像 文政元年頃 絹本著色 上畳上に黒衣を着して右向きに坐し、左手に三鈷杵を握り両手に数珠を持つ姿にあらわされる。鑑真和定の高弟。
鑑真和定と共に来日した。鞍馬寺の開祖と仰ぐ。

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