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古寺巡礼コミュの楽土の道 京都 14番 平野神社

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平安遷都にさいし奈良から京都に神社自体がお移りして来た唯一の神社であります
京都府、楽土の道
(94)旧官幣大社
平野神社(ひらのじんじゃ)
住 所 〠 603―8322 京都市北区平野宮本町1
電話番号 電話 075―461―4450
御 祭 神 平野皇大神
開 祀 延暦13年(794)
アクセス JR京都駅 京阪三条 四条河原町 下車市バス衣笠高校前下車すぐ
<神歴・縁起> H/P
http://www.asahi-net.or.jp/~cr8y-httr/hirano/index.htm
式内社 山城國葛野郡 平野祭神四座 並名神大 月次新嘗
旧官幣大社
御祭神
今木神 久度神 古開神 比賣神

 平野神社は、もともと奈良の平城京に在った田村後宮(皇后の御殿)という皇后様の御殿の中にありました。
そして皇城(現在の御所)や都の災いを鎮めお守りしていました。794年に奈良から京都へ都が遷ったのと時を同じくして、今のこの地に鎮座しました。
つまり794年に桓武天皇のお引っ越しと同時に平安京に遷ったのです。
こんな風に遷都と同時に神社ごと一緒に移ってきたのは沢山ある京都の神社の中でも平野神社だけなのです。
それほど宮廷と密接に関係を持っていたということなのでしょうか、広さは150m四方、約8,000坪あります。
鬱蒼としたお社の森に囲まれています。もともとはもっともっと広く、
室町時代に建立された金閣寺を含めた2Km四方という広い範囲が平野神社の境内だったのです。
平安時代から鎌倉〜室町〜桃山〜江戸と公家社会から武家社会に移り行く歴史の流れの中、平野神社の様子も随分と変ってしまいました。昭和になってからも西大路通を広くする為に西側が削られ、今の大きさになりました。
江戸時代初期に再建された重要文化財の社殿☆5を中心に京都御所から移築した御門や社務所などがあります。
『比翼春日造』といって大変珍しい造りです。
平野神社では、四柱の神様をお祀りしています。
それぞれの神様を総合して『平野皇大神(ひらのすめおおかみ)』とお呼びします。それぞれの神様を紹介します。
《今木大神》
 生きる力を与えて下さるのが、「今木(いまき)」の神様です。
 あなたのお側近くで、心身の活動力を高めて下さる神様です。
《久度神》
 生活に困らないよう導いて下さるのが、「久度(くど)」の神様です。
 京都では、台所の事を『お久度さん』といいますが、これは竈のことを久度ということからそう呼ばれています。竈では御飯を炊いたりしますから竈の神様の事を「久度神」とお呼びします。暮しが豊かになり、家が富むよう導いて下さるのが竈の神様です。 
《古開神》
 邪気を払い除けて下さる「古開(ふるあき)」の神様です。
 今までに振りかかっていた災いや悩みを清らかにし、また新しい始まりを与えて下さる神様です。 
《比賣神》
 新しいことを生み出して下さる「比賣(ひめ)」の神様は、姫神とも呼ばれ、女のまもり神です。安産の神様、また新規の事柄が順調に進められる様無事を見守って下さる神様です。
平野神社の比賣神様は、もともと平城京宮内に帝の皇子の無事の誕生をお守りするためおられました。平安京誕生と同時にこの地に遷られ、今日まで人々の無事をお守りして下さっています。
 『皇大神』とは神様の中でも最も位が高い事を表せられる語で、日本国内で8万以上ある神社の中でも伊勢神宮など5つの神社しかない様に、大変格式の高い神様であります。
宮中にも『平野御竈神』がお祀りされています様に、平野神社の「久度神」は古くより宮中とかかわりがありました。 
 平安遷都の延暦13年、あるいは長岡京遷都の翌年延暦3年の創祀。
式内社・平野祭神四座に比定されている古社にして大社。
一説には、当社の鎮座地は、
大和の今木、長岡京、現在地へと移動したという。
和漢三才図会に、祭神について記載あり
今木神は、今来神。New Comer の神で、百済系渡来人の祖神。
久度神は、岐(くなど)神で、道の神。あるいは、竃(くど)神で、家の釜戸を守護する神、庚申。あるいは、物部氏一族の久努氏の祖神。
 古開神は、フルセキ・フルアキ・フルサキといろいろと読まれ、物部氏の祖神。
比賣神は、上記のいづれかの神の妃か、あるいは、巫女的立場の神。
不思議な祭神ではある。『和漢三才図会』に記されていた。
祭神四座 八姓の祖神である。桓武天皇の延暦年中に始めて造営する。
 第一 今木神 〔いまき・景行天皇の子〕  日本武尊 源氏の神
 第二 久度神 〔くど・日本武尊の子〕   仲哀天皇 平氏の神
 第三 古開神 〔ふるあき・応神天皇の子〕 仁徳天皇 高階氏の神
 第四 比売大神〔即ち〕          天照大神 大江氏の神
 第五 県(あがた)社 天穂日命 中原・清原・菅原・秋篠の四姓の祖神
〔素盞嗚尊は天照大神の右の角髪に纏かれた珠を噛み、右の掌に置いて子を生み、天穂日命と名づける。土師連らはここから出た〕
 〔拾(遺)〕千早ふる平のの松の枝しげみ千代にやちよも色はかはらじ 能宣
(『国花記』によるとあります。

二棟ならんだ社殿。
左の第二本殿に古開神と比売神、右の第一本殿に今木神と久度神

神門            拝殿


神仏霊場 ご朱印     春日、住吉、蛭子、鈿女社

神木
延暦13年(794)、桓武天皇の命によって当地(衣笠の地)に御鎮座。平安遷都に際し、御生母高野新笠姫を中心とする新進の大陸文化を導入した人々が平安の都づくりに優れた技術を用いた功績は多大であった。更に遷都後は外の護となったこと等に対して天皇の御親祭をみたもので、「延喜式」に皇太子みづから奉幣される定めになっている延喜式内社の名神大社。平安中期以後は22社の5位として、伊勢・賀茂(上・下)石清水・松尾につぐ名社であった。
また源氏・平氏・高階・大枝・清原氏・中原氏・菅原氏・秋篠氏等 八氏の祖神として崇められてきた。明治四年官幣大社に列し、洛西の総氏神と仰がれている。現在の本殿(四棟)は、慶長3年・同9年、平氏の末裔で公家の西洞院時慶卿によって再建されたもので、「平野造り」または「比翼春日造り」と稱せられ、重要文化財。拝殿は、東福門院寄進によるもので「接木の拝殿」として有名である。(神社の栞より記載)

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