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古寺巡礼コミュの楽土の道 京都 6番 大原野神社

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本朝16社、22社の一つでありますが最近はハイキングなどの休憩所として訪れる方がほとんどだそうで駅からもバスの便も少なく不便を感じるのです
京都府、楽土の道
(86)旧官幣中社
大原野神社(おおはらのじんじゃ)
住 所 〠 610―1153 京都市西京区大原野南春日町1152
電話番号 電話 075―331―0014
御 祭 神 第1殿〜第4殿 下記に記載
開 祀 延歴3年(784)
アクセス 阪急東向日駅より阪急バス「南春日町行き」に乗車終点「南春日町」下車(乗車時間約20分)山の方へ向って徒歩7〜8分
<神歴・縁起> H/P  http://www.kyoto-web.com/oharano/
旧官幣中社
御祭神
第一殿 建御賀豆智命
第二殿 伊波比主命
第三殿 天之子八根命
第四殿 比�彗膺澄   \歇匱禝楴辧‥群 ̄精�命
 
旧官幣中社であり、本朝16社、22社の一つ。
社伝によると、延暦3年(784)、桓武天皇による長岡京遷都に際し、藤原氏出身の皇后乙牟漏が、氏神である春日社への参詣が不便であるとして、当地に春日明神を勧請したのが始まり。後、平安遷都後の嘉祥3年(850)、左大臣藤原冬嗣の願により正式に現社地に勧請され、地名から大原野神社と称し、王城鎮護の社として崇敬を集めた。
一説には、仁壽元年(851)、文徳天皇の生母藤原順子の願によるものとも。
いずれにしろ、藤原氏の氏神として、当地に勧請されたもの。
本殿は春日大社と同じ四棟の春日造。慶安年中(1648〜1652)の造営。
大原野神社鎮座のあたりは古くから開けたところで、1万年以前の有柄尖頭器が神社の山の手から発見されている。
延歴3年(784)桓武天皇が都を奈良から長岡京(現向日市)に遷されたとき、天皇はしばしば大原野に遊んで鷹を放たれた。藤原氏の人や多くの供奉の人達はこの美しい風景を賞でて氏神春日大社の分霊を遷し祀ることにした。これが当神社の起りである。 その後、約60年を経た嘉祥3年(850)に左大臣藤原冬嗣を祖父とする文徳天皇は冬嗣長年の願望を想い出して、
壮麗な社殿を造営された。 仁寿元年(851)始めて勅祭がな行われ、春秋二季を例典とされた。はじめ藤原氏の一族では女が生まれると、中宮や皇后になれるように、この社に祈り、幸にして女が祈願通りの地位につくと美くしく行列を整えて参拝することが例となった。なかでも寛弘2年(1005)3月8日に中宮彰子が本社に行啓、御父左大臣藤原道長、紫式部以下がお供をした、その行列の絢爛さは、人々の眼をみはらせたと云う。
また清和天皇の皇后藤原高子が、まだ皇太子の御息所であった時、当社へ参詣になり、供奉の在原業平が、「大原や小塩の山もけふこそは 神代のことも思い出づらめ」との和歌を詠じて奉ったことは、有名である。
このように由緒正しく、また栄えた神社であったので、六国史、大鏡等は勿論、源氏物語、その他有名な古典には当社のことがしばしば書きとどめられている。
御本殿の第一殿には建御賀豆智命(たけみかづちのみこと)、第二殿には伊波比主命(いわいぬしのみこと)、第三殿には天之子八根命(あめのこやねのみこと)、第四殿には比賣(ひめ)大神が祀られ、摂社若宮社には天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)を祀っている。古くから政治、方除、知恵の神として、また良縁を授けて下さる女の守護神としての信仰が篤い。
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山林はむかし殿上人が子の日の遊びをした跡で、いまも昔をしのぶことができる。また参道付近には紅葉や桜が多く、奈良の、猿沢池にまねて造った、鯉沢の池には、かきつばたや水蓮の花が美しい、古歌に詠まれた瀬和井(せがい)の清水は、古木の根本にかくれて清らかである。春季には名にしおう小塩桜、霧島、ぼたん、つづじなど到るところに研を競い夏季は新緑にはほととぎす、秋季は紅葉、冬季は丹朱社殿の雪景が一しおの尊厳、優雅さを添え、その風景は今なお王朝の余香を感じることができる。

境内から中門


社殿

第1殿      第2〜3殿     第4殿
御由緒
 大原野神社鎮座の一帯は山城地方でも古くから開けたところで一萬年も以前の有柄尖頭器が山の手から発見されている。人皇50代桓武天皇が都を奈良から京都向日市を中心とした長岡京(784〜794)に遷された時、鷹狩を愛した天皇はしばしば大原野に足を運んで鷹を放たれた。
 萬葉集の編者大伴家持が
「大原やせがいの水を手にむすび 鳥は鳴くとも遊びてゆかん」
と詠んだのも狩に供奉した時のものであろう。またこの風景を賞で藤原氏の人達は氏神春日大社の御分霊を遷し祀ることにした。これが當社の起こりである。御祭神は
 第一殿 建御賀豆智命
 第二殿 伊波比主命(経津主命)
 第三殿 天之子八根命
 第四殿 比�彗膺�
がお祀りされている。文徳天皇は仁壽元年(851)祖父藤原冬嗣が生前果せなかった壮麗な社殿を創建され春秋二季勅使をつかわし勅祭を行なわれた。應仁亂後は社運おとろえ祭儀さえ中絶したが後水尾天皇(1648)が再建された今の本殿四棟春日造はこの時のものである。慶應元年(1865)11月加茂、石清水の勅祭に次いで官祭が復興され近くは大正11年(1922)11月14日時の皇后(貞明皇后)が當社に行啓遊ばされた。御例祭は櫻花満開の4月8日に執行、特殊神事として御弓祭と御田刈祭の二私大祭がある。と境内案内書に記載
大原野神社
 祭神として、奈良の春日大社と同じ建甕槌命、経津主天児屋根命、比売大神の四大明神を祀っている。
 当初は桓武天皇の皇后である藤原乙牟漏の意によって藤原氏のとして長岡京に勧請されたが、嘉祥3年(850)藤原冬嗣の奏請神殿が建てられ、京都の守護神としてこの地に祀られたものであ 平安時代の中期には藤原氏の隆盛とともにその氏神として大きを占め、天皇や皇后の崇敬も厚く、官祭である大原野祭には勅派遣されていた。また、伊勢の斎宮や加茂の斎院にならって当社斎女がおかれていた。しかし、応仁の乱後は社運が次第に衰え、祭儀絶えがちになり、社殿は荒廃した。現在の春日造総檜皮葺の本慶安年間(1648〜1652)に再建されたものである。
 境内には奈良の猿沢の池を模した「鯉沢の池」や古歌に多く詠まれた「瀬和井の清水」と呼ばれる名水がある。中門の案内板に記載あり。

神仏霊場 ご朱印

「瀬和井の清水」と説明文板
 大原や小塩の山のほととぎす われに神代のことかたらなん 左大臣
 大原や小塩の山の小松原 はや木高かれ千代の蔭見ん    紀貫之
大原やせがいの水の手にむすび 鳥は鳴くとも遊びてゆかん 大伴家持
夜を寒みせがいの水は氷るとも 庭燎は春のこころこそすれ 大江匡房
大原や小塩の山も今日こそは 神代の事もおもひ出らめ   在原業平

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