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古寺巡礼コミュの楽土の道 京都 3番 城南宮

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古くから方除の大社として人気が衰えない宮が付いているが神社であります。曲水の宴等が催される事でも有名かと
京都府、楽土の道
(83)方除け大社
城南宮(じょうなんぐう)
住 所 〠 612―8459 京都市伏見区中島鳥羽離宮町7
電話番号 電話 075―623―0846
御 祭 神 国常立尊
開 祀 不詳
アクセス  近鉄電車 竹田駅 徒歩約15分
<神歴・縁起> H/P  http://www.jonangu.com/history.htm
式内社 旧府社
御祭神
国常立尊(くにのとこたちのみこと)、
八千戈神(やちほこのかみ)[大国主命(おおくにぬしのみこと)]
息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと)[神功皇后(じんぐうこうごう)]
合祀:天照皇大神、品陀別命、別雷神、大山咋神、天児屋根命、宇気毛智神

 はるか昔、神功皇后は出陣に当たり、軍船の御旗に八千矛神を招き寄せて戦勝を祈願され戦が終わるとその御旗は宮中で大切に保管されていました。そして平安京に都を定めた時その御旗を城南のこの地に御神体として納め、国土守護の神、国常立尊と神功皇后の御霊をあわせ祀って都の守護神としたのです。


本殿
 城南宮が鎮まる鳥羽の地は、平安京の表玄関に当たる交通の要衝であり、
また鴨川に臨む水郷の景勝地でもありました。やがて貴族の別荘が建てら
れるようになり、平安時代の末には白河上皇が壮大な離宮
(城南離宮、鳥羽離宮)を造営して院政を開始されたのです。上皇の御所や御堂、また貴族の宿所などの建物が建ち並び、人々が行き交う様子は都遷りのようであると形容された程です。こうして白河、鳥羽、後白河、後鳥羽上皇と4代150年にわたり政治・文化の中心となり副都心の賑わいを見せたのでした。
城南宮がある鳥羽の地は、平安京の表玄関に当たる交通の要衝であった鴨川の水郷の景勝地でもあり、貴族の別荘地となる
平安時代後期には、白河上皇が院政を行うために造営した鳥羽離宮の鎮守社とされる
内裏(御所)の裏鬼門にあたり、方除けの神として信仰を集めるが、現在は交通安全の神様としても信仰されている
上鳥羽、下鳥羽、竹田の3ケ村の産土神(うぶすながみ)として崇敬される
 離宮の池に舟を浮かべて四季の移ろいを賞で、またしばしば歌の会が催されて人々は風雅の道を競いました。城南宮は、この離宮の守護神として更に崇められ、一層賑やかに祭礼が行われるようになりました。境内に続く馬場では競馬(くらべうま)や流鏑馬(やぶさめ)が行われ腕前を競い合ったのです。後白河法皇は今様(いまよう)を好み『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』を残しましたが、その中に「いざれこまつぶり城 南寺の祭り見に・・・」という祭り見物を誘う今様があります。
  <流鏑馬(やぶさめ)> 5月28日
 白河上皇によって城南離宮(鳥羽離宮)が造営され、城南祭では流鏑馬(やぶさめ)や競馬(くらべうま)が行われたといわれ、「流鏑馬発祥の地」とされる
 鎌倉時代初期1221年(皇紀1881)承久3年
 後鳥羽上皇が、城南流鏑馬の武者揃えと称して兵を集め、鎌倉幕府を倒そうとした承久の乱が起きて以来、途絶えていた2005年(皇紀2665)平成17年
 東京都の愛好団体「倭式弓馬会(わしききゅうばかい)」により約800年ぶりに再現された石畳の参道に、幅1.8m、厚さ15cmの砂を敷いて180mの馬場が作られ、平安狩装束姿(かりしょうぞくすがた)の4人が、駆ける馬から矢を放って3つの的を射止める
 平安時代の末になり、紀州の熊野三山に参詣することが一大ブームになりました。出立の前には精進潔斎を重ね、道中の無事を祈り旅立ちました。特に白河上皇や鳥羽上皇は熊野詣の精進所として城南離宮をしばしば選ばれました。ここに7日程籠って身を清め、道中の安全を祈願して、往復1ケ月にも及ぶ信心の旅に出掛けたのです。また当時の人々の心を捉えた方違えの宿所に城南離宮が選ばれる事も多く、城南宮の方角の災いを除く方除、旅行安全の信仰を見ることができます。


朱の鳥居
正面に向かって拝殿が見える。右横には石標が立つ。

祈祷殿           社殿

神仏霊場 ご朱印

唐渡天満宮      真幡寸神社    三照宮社

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