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古寺巡礼コミュの真言宗について少し書いてみようかと

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私は仏教徒ではあるが真言宗の派ではなく、浄土真宗本願寺派、俗に云うお西さんです。さほど信心深くもなく、お教は上げられますがねわーい(嬉しい顔)
仏像や仏画など小学校低学年から好きでしたのがいまだに続いています。そこで知人や真言宗系の人たちから頂いた資料などから自分なりに描いてみた次第です。
真言宗について
大まかに真言宗とはなにかということを少し書いてみようと思います。仏教は、今から2500年ほど前にインドでお釈迦さまが悟りを開かれ仏陀となられたことを出発点としています。ですから仏教とは、その「仏陀の教え」ということになります。またその教えは、修行によって人間の苦しみを解決する教えでもあります。その意味では、仏教とは「仏陀になるための教え」でもあります。インドで生まれた仏教は、やがて、中央アジアを通って、中国、モンゴルなどに伝わり(北伝仏教)、その後、朝鮮半島を経由して6世紀頃日本に伝来しました。またインドからセイロン(現スリランカ)に伝わった仏教は、11世紀にはビルマ(現ミヤンマー)やタイへ伝わるようになります(南伝仏教)。
このように仏教は世界各地へ広がりますが、弘法大師(こうぼうだいし)空海(くうかい)によって開かれた真言宗は、仏教の中でも特に密教であるといわれます。密教とは「仏さまの秘密の教えを明らかにした教え」という意味ですが、この教えはお釈迦さま在世時代のインドにすでに存在し、それが7世紀ごろに段々と体系化され、8世紀には中国やチベットに伝わったといわれます。そしてこの教えが弘法大師により日本に伝えられ、真言宗となるのです。
 真言宗(しんごんしゅう)は、空海(弘法大師)によって9世紀初頭に開かれた、日本の仏教の宗派。真言陀羅尼宗(しんごんだらにしゅう)、曼荼羅宗(まんだらしゅう)、秘密宗(ひみつしゅう)とも称する。空海が中国(唐時代)の長安に渡り、青龍寺で恵果から学んだ密教を基盤としている。
同時期に最澄によって開かれた日本の天台宗が法華経学、密教、戒律、禅を兼修するのに対し、空海は著作「秘密曼荼羅十住心論」(ひみつまんだらじゅうじゅうしんろん)、「秘蔵宝鑰」(ひぞうほうやく)で、空海が執筆していた当時に伝来していた仏教各派の教学に一応の評価を与えつつ、真言宗を最上位に置くことによって十段階の思想体系の中に組み込んだ。最終的には顕教と比べて、密教(真言密教)の優位性、顕教の思想・経典も真言密教に摂包されることを説いた。
天台密教を「台密」と称するのに対し、真言密教を「東密」と称する。真言宗の密教は東寺を基盤としたので「東密」と呼ばれた。
空海は、弘仁7年(816)に高野山金剛峯寺を修禅の道場として開創し、弘仁14年(823)に嵯峨天皇より勅賜された教王護国寺を真言宗の根本道場として宗団を確立した。空海は入定に際して、住持していた寺院を弟子に付嘱した。
教王護国寺は実慧、金剛峯寺は真然、神護寺は真済、安祥寺を恵運、寛平法皇(宇多天皇)が開基した仁和寺、醍醐寺は聖宝、円成寺は益信などがあり、これらの寺院に年分度者(ねんぶんどしゃ)(国家公認の僧侶の養成)を許可され、それぞれの寺院が独立した傾向を持っていった。
 観賢が東寺長者、金剛峯寺座主を兼ね、東寺を本寺とし、金剛峯寺を末寺とする本末制度を確立した。東寺長者が真言宗を統括することになった。
金剛峯寺は、この本末争いに負けた。
落雷により伽藍、諸堂を焼失した。また、国司による押妨などにより、高野山は衰微し、無人の状態になるまでに至った。この状態が平安時代中期まで続くが、藤原道長が高野山に登山(山上の寺社に参詣すること)したことにより復興が進み、皇族、摂関家、公家が高野山への登山が続いた。
その後、皇族、摂関家、公家などによる経済的な支援もあり、財政においても安定した。
 宗団は、師資相承を重視するために分派していった。 事相(真言密教を実践するための作法。修法の作法など)の違いによる分派であった。
教学(教義)そのものは、空海により大成されていたため、平安時代半ばまで、宗内での論争はあまりなかった。 しかし、11世紀末、覚鑁(かくばん)別名・興教大師(こうぎょうだいし)が高野山で秘密念仏思想を提唱したことにより対立が生じる。
また、覚鑁は、大伝法院を創建、教学の振興のために大伝法会の復興を行った。東寺の支配から高野山の独立を図り、東寺長者が金剛峯寺の座主を兼職する慣例を廃止し、金剛峯寺座主に任ぜられたが、金剛峯寺方(本寺方)の反発を受け失敗した。その後、座主を辞して根来山(和歌山県)に隠棲した。
これより、金剛峯寺方(本寺方)と覚鑁の流れを汲む大伝法院方(院方)との間で長い派閥抗争が続いた。両派は、古義(古義真言宗)と新義(新義真言宗)に分かれていった。
正応3年(1290)には、頼瑜が大伝法院を根来山に移し、大日如来の加持法身説(新義)を唱えて、新義真言宗の教義の基礎を確立した。
 根来山は大伝法院を含めて根来寺となり隆盛を極めたが、天正13年(1585)豊臣秀吉により、焼き討ちにされ灰燼に帰した。
そのため、天正16年(1588)にこれを逃れた専誉が奈良県桜井市の長谷寺に入り、ここが後に真言宗豊山派の総本山となった。
また、徳川家康の保護を受け、慶長6年(1601)に玄宥(げんゆう)が、根来寺にあった智積院を京都、東山七条に再建した。後に真言宗智山派の総本山となった。
 南北朝時代に東寺の僧、杲宝(ごうほう)、賢宝(げんぼう)らにより東寺不二門教学を大成させて、大日如来の本地加持説(古義)を説いた。
また、高野山では「応永の大成」と称される古義派教学の発展があり、寳性院宥快が而二門(ににもん)の教学、無量壽院長覚が不二門の教学を振興させた。
 江戸時代に入ると、江戸幕府は仏教界に対して新たな宗教統制を講じた。
慶長14年(1604)に、関東真言宗古義法度、東寺、醍醐寺、高野山学侶方にも法度が出された。また、元和元年(1615)7月24日、徳川家康が真言宗諸法度を真言宗諸本山、諸寺に対して出した。こうして、幕府の監視下に置かれることになった。同時に、幕府の宗教政策である寺壇制度が確立した。
宗門改などを行うことで行政機関の役割を果たし、幕府の支配体制に完全に組み込まれた。寺壇制度は、諸本山、末寺にとっては財政的な安定を得たが、一部の諸本山、末寺に綱紀のゆるみが見られた。
江戸時代、幕府の支配体制に組み込まれることによって、諸本山・末寺にとっては財政的な安定を得たが、一部に綱紀のゆるみが起きた。 このことから、浄厳・慈雲らが戒律に関心をよせ、戒律の研鑽や研究を行い、戒律の復興を行った。
 明治維新以降、明治政府は神仏分離を推進した。宮中では勅修法会が廃止され、宮中行事における仏教色の排除が図られた。それに伴い、廃仏棄釈が起り、真言宗系の寺院は本山、末寺にかかわらず大きな打撃を受けた。真言宗に属している神宮寺が廃されて、神社に改められることもあった。僧籍を離脱して、神社の神職になったり、還俗する僧侶も現れた。
明治政府の命令で、寺院の所有している土地の返納を要求して、政府へ強制的に返納させた。また、没収する場合もあった。特権も廃され、勅願所、門跡の称号を禁止された。これらの施策により、財政基盤を失うこととなった。
結果、多くの寺院の経営が立ち行かなくなり、廃寺に追い込まれた。
 政府の宗教政策である一宗一管長制が、古義、新義真言宗各本山にも求められた。古義真言宗では金剛峯寺、東寺、新義真言宗は智積院、長谷寺が交替で、真言宗の管長に就任することになった。管長は全真言宗を統括し、宗務に当たることとなり、真言宗にも一宗一管長制が導入されることとなった。
しかし、明治11年(1878)、仁和寺、大覚寺、広隆寺、神護寺、西大寺、法隆寺、唐招提寺が古義真言宗から離脱し、仁和寺内に西部真言宗と称する宗派を立てて、独自の管長を置くこととなった。
また、新義真言宗の智積院、長谷寺も離脱し、真言宗新義派と称して独自の管長を置くこととなった。古義真言宗の金剛峰寺、東寺は合併して、古義真言宗から真言宗と称して、独自の管長を置いた。
こうして、真言宗は一宗一管長制が瓦解して、真言宗西部、真言宗新義派、真言宗となり、3人の管長が存在する状態となった。
このことは、政府の知るところとなり、内務省から、一宗一管長制を採るよう通達があった。これを受け、霊雲寺において、古義派、新義派で合同会議が行われた。結果、明治12年(1879)に合同が図られた。あわせて、東寺を総本山にして、長者の称号を復することになった。
 明治29年(1896)、醍醐寺が真言宗からの分離独立、金剛峯寺も同様の請願が、真言宗宗会に提出された。この請願は内務省で審議されたが、結局、不認可となった。明治32年(1899)10月、真言宗宗会にて、画一宗派(古義、新義真言宗各派が合同協力して、全真言宗を統括していく)と分離独立派(古義、新義真言宗の各本山には、歴史的経緯や事相(真言密教の修法や儀礼)の流派の違いなどから、各本山ごとで独自の宗派を立てて、宗団を維持していく)の2派による対立があり、紛糾した。
 明治33年(1890)9月、真言宗高野派(金剛峯寺)、真言宗御室派(仁和寺)、真言宗大覚寺派(大覚寺)、真言宗醍醐派(醍醐寺)、新義真言宗智山派(智積院)、新義真言宗豊山派(長谷寺)、律宗(現・真言律宗)に対して独立が認可された。 さらに、明治40年(1907)、真言宗東寺派(東寺)、真言宗山階派(勧修寺)、真言宗泉涌寺派(泉涌寺)、真言宗小野派(随心院)が独立し、真言宗は解体された。
古義真言宗系宗派は、古義8派(真言宗高野派、真言宗御室派、真言宗大覚寺派、真言宗東寺派、真言宗山階派、真言宗泉涌寺派、真言宗醍醐派、真言宗小野派)となり、古義8派連合制度を組織した。大正時代になり大正14年(1925)
古義8派連合制度は解体され、宗派の自主独立制が採られた。
真言宗高野派、真言宗御室派、真言宗大覚寺派は、合同して古義真言宗を組織した。古義真言宗は他の古義真言宗系宗派との間に真言宗各派協約を締結し、教師、住職の人材交流・相互協力を行った。
 太平洋戦争下の昭和16年(1941)、政府の宗教政策により、古義真言宗、新義真言宗系の宗派は大真言宗へ強制的に編入された。また、戦時中は、敵国降伏の祈祷が大真言宗の各本山、末寺において、たびたび行われた。
戦後、大真言宗から独立していく、古義真言宗・新義真言宗の宗派が相次いだ。新しい宗教法人制度が制定されて、この動きがさらに加速した。
 真言宗は宗祖、空海(弘法大師)への敬慕が厚い。10世紀には高野山で空海の入定信仰が起った。弘法大師信仰(大師信仰)を説いているのが真言宗の各派にいえる特徴の一つでもある。
宗祖、空海(774〜835)は、讃岐国屏風浦(現、香川県善通寺市)の出身で、仏教者であるとともに思想家、著述家、また「三筆」の1人に数えられる能書家として、後の日本文化に多大な影響を与えた人物である。彼は延暦23年(804
)、遣唐使船に同乗して唐に渡り、長安、青龍寺の恵果から密教の奥義を授かった。また、唐で多くの仏典、仏具、仏画などを得、日本へ請来した。
弘仁7年(816)には高野山(和歌山県伊都郡高野町)の地を得て、ここに金剛峯寺を開創、弘仁14年(823)には、平安京の官寺であった東寺を嵯峨天皇より下賜され、これら両寺を真言密教の根本道場とした。
承和2年(835)3月21日に、62歳で高野山で入定(にゅうじょう)した。空海が入定してから86年後の延喜21年(921)に、弘法大師の諡号が醍醐天皇より贈られた。
 密教がインドで起こり、中国を経て、空海(弘法大師)に伝えられ、日本で独立した宗派として真言宗を開くまでに、八祖を経て伝えられたとする伝承がある。これを真言八祖(しんごんはっそ)という。
付法(ふほう)の八祖と伝持(でんじ)の八祖の二つがあり、空海は著作「秘密曼荼羅教付法伝」、「真言付法伝」で、真言密教の起源と付法の七祖、伝持の七祖(付法・伝持の八祖の内、弘法大師を除く七祖)の伝記や付法の系譜を記している。本堂などに真言八祖((伝持の八祖)絵像で制作されることが多い)を祀られているのが、真言宗の寺院の特徴の一つである。(祀られていない寺院もある。)
 付法の八祖
真言宗の法流の正系を示している。教主大日如来の説法を金剛薩埵が聞いて教法が起こり、真言宗の教えが伝わった系譜である。
1. 大日如来(だいにちにょらい)
2. 金剛薩埵(こんごうさった)
3. 龍猛菩薩(りゅうみょうぼさつ)
4. 龍智菩薩(りゅうちぼさつ)
5. 金剛智三蔵(こんごうちさんぞう)
6. 不空三蔵(ふくうさんぞう)
7. 恵果阿闍梨(けいかあじゃり)
8. 弘法大師
伝持の八祖
真言宗の教えが日本に伝わるまでの歴史に関わった8人の祖師。付法の八祖の内、大日如来、金剛薩埵は歴史上の人物ではないために除いて、2人の祖師を加えた。八祖大師(はっそだいし)とも称される。 一人一人持ち物を持っているが、その持ち物は悟りの本質をあらわしている。
1. 龍猛菩薩 : 大日如来の直弟子金剛薩埵(こんごうさった)から密教
経典を授かって、世に伝えたといわれている。(三鈷杵(さんこしょ)を右手に持っている)
2. 龍智菩薩 : 龍猛から密教を授かった。(経文を右手に持っている)
3. 金剛智三蔵 : インドで龍智から密教を学んだのち唐へ渡り、金剛頂
教を伝える。(数珠を右手に持っている)
4. 不空三蔵 : 西域生まれ。貿易商の叔父に連れられて唐へ行き、長安
で金剛智に入門。「金剛頂経」を漢語に翻訳し、灌頂道場を開いた。
(外縛印(げばくいん)を結んでいる)
5. 善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう : インド生まれ。大乗仏教を学び、
さらに密教を受け継ぐ。80歳になって唐に渡り、「大日経」を伝える。(右手の人さし指をたてている)
6. 一行禅師(いちぎょうぜんじ): 中国生まれ。禅や天台教学、天文学、
数学を学ぶ。長安で善無畏に入門し、善無畏の口述をもとに「大日経疏(だいにちきょうしょ)」を完成させた。(法衣のなかで印を結んでいる)
7. 恵果阿闍梨 : 中国生まれ。金剛界、胎蔵界両部の密教を受け継いだ。
(椅子に座り、横に童子を待らせている)
8. 弘法大師 : 恵果阿闍梨から金剛・胎蔵界両部を授けられ、日本に伝
えて真言密教を開いた。空海。(五鈷杵(ごこしょ)を右手にもち、左手には念珠をもっている)
 真言宗は即身成仏と密厳国土をその教義とする。本尊は宇宙の本体であり絶対の真理である大日如来。
所依の経典(基本の重要経典)
大日経(正式には大毘盧遮那成仏神変加持経/だいびるしゃなじょうぶつじんぺんかじきょう)
金剛頂経(正式には「金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経」、または「金剛頂瑜伽真実大教王経」)
蘇悉地経(そじつぢきょう)
瑜祗経(ゆぎきょう)
要略念誦経(ようりゃくねんじゅきょう)
理趣経(りしゅきょう)など。
論疏(論文の類)
菩提心論(ぼだいしんろん)
釈摩訶衍論(しゃくまかえんろん)
大日経疏(だいにちきょうしょ)など。
空海の著作
秘密曼荼羅十住心論(ひみつまんだらじゅうじゅうしんろん)(「十住心論」)
秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)
辦顕密二教論(べんけんみつにきょうろん)
即身成仏義(そくしんじょうぶつぎ)
声字実相義(しょうじじっそうぎ)
吽字義(うんじぎ)などの論疏。
三密(「身密・手に諸尊の印契(印相)を結ぶ」、「口密(語密)・口に真言を読誦する」、「心密・心に曼荼羅の諸尊を観想する」)の修行により、
本尊と一体となり、即身成仏が実現するとしている。
真言密教を学んでいくうえで、事相(じそう)と教相(きょうそう)が重要視される。 
事相とは、真言密教を実践する方法、すなわち修法の作法(灌頂、護摩、観法、印契、真言などの行法)を指す。これに対し、教相とは、真言密教の理論である。真言宗の主要経典「大日経」は教相の経典、金剛頂経は事相の経典である。
教相を学んでいくことで、真言密教の理論を理解し、理論を実践する方法を行うために事相を学ぶ。教相の裏付けのない、事相は無意味な動作になってしまうという。
事相と教相の両方を学ばなければ、真言密教が理想とする境地への到達は出来ないとされている。事相と教相の両方を習得する重要性を説くたとえとして、事相と教相を車の両輪に置き換えて説く場合がある。また、慈雲は「事相を離れて教相なく、教相を離れて事相なし、事教一致して、密義をつくすべき」と述べた。
9世紀半ば(平安時代中期)から、事相の研究が盛んとなった。
益信(やくしん)に始まる広沢流(ひろさわりゅう)、聖宝(しょうほう)を祖とする小野流(おのりゅう)が起こった。両派は、それぞれ6流に分かれて、野沢(やたく)12流(根本12流)になり、やがて36流になった。その後、法流は、あわせて100余りを数えた。真言密教の事相の流派は、すべて、広沢流と小野流の2流から分かれた。
野沢12流 平安中期に益信に始まる広沢流、聖宝を始祖とする小野流が起こった。両派は、それぞれ6流に分かれて、野沢12流(やたくじゅうにりゅう)、または、根本12流と称される。
野沢12流の定義では、持明院流を広沢流に入れない。また、中院流を小野流に入れない。いずれの法流も、高野山に移ったためである。これは、御七日御修法など公請の修法に関与しないために区別されただけで、野沢12流は、東密事相の法流をすべてを示したものではない。
広沢流  特徴は、儀軌を重んじる。寛朝が建立した京都市右京区嵯峨広沢にある広沢池の南にある遍照寺の所在地名が語源となっている。
広義では、東密事相を2分した場合、小野流の対をなす法流。狭義では、広沢流内の法流、仁和3流、広沢3流をあわせて広沢6流と称する。しかし、6流に属する法流は一定しておらず、観音院流、仁和御流系の北院流、慈尊院流などを入れる説もある。保寿院流、仁和御流、西院流(にしのいんりゅう)を仁和3流と称し、華蔵院流、忍辱山流(にんにくせんりゅう)、伝法院流を広沢3流と称する。
広沢流系流派略系譜
仁和御流略系譜(派祖・覚法)  空海-真雅-源仁-益信-寛平法皇(宇多天皇)-寛朝-済信-性信-寛助-覚法
西院流略系譜(派祖・信証)   空海-真雅-源仁-益信-寛平法皇(宇多天皇)-寛朝-済信-性信-寛助-信証
保寿院流略系譜(派祖・永厳)  空海-真雅-源仁-益信-寛平法皇(宇多天皇)-寛朝-済信-性信-寛助-永厳
華蔵院流略系譜(派祖・聖恵)  空海-真雅-源仁-益信-寛平法皇(宇多天皇)-寛朝-済信-性信-寛助-聖恵
忍辱山流略系譜(派祖・寛遍)  空海-真雅-源仁-益信-寛平法皇(宇多天皇)-寛朝-済信-性信-寛助-寛遍
伝法院流略系譜(派祖・覚鑁)  空海-真雅-源仁-益信-寛平法皇(宇多天皇)-寛朝-済信-性信-寛助-覚鑁
小野流  小野流は、真言宗善通寺派大本山随心院(旧称・曼荼羅寺)がある京都市東山区山科小野が語源となっている。聖宝を小野流元祖、随心院を開創した仁海を小野流流祖とする場合もある。口伝口訣を重じるのが特徴である。
広義では、東密事相を2分した場合、広沢流の対をなす法流。狭義では、小野流内の流派、醍醐3流(理性院流・三宝院流・金剛王院流)と勧修寺3流(随心院流・安祥寺流・勧修寺流)を指す。単に随心院流のみを指す場合もある。
小野流系流派略系譜
安祥寺流略系譜(派祖・宗意)  空海-真雅-源仁-聖宝-観賢-仁海-成尊-範俊-厳覚-宗意
勧修寺流略系譜(派祖・寛信)  空海-真雅-源仁-聖宝-観賢-仁海-成尊-範俊-厳覚-寛信
随心寺流略系譜(派祖・増俊)  空海-真雅-源仁-聖宝-観賢-仁海-成尊-範俊-厳覚-増俊
三宝院流略系譜(派祖・定海)  空海-真雅-源仁-聖宝-観賢-仁海-成尊-義範-勝覚-定海
理性院流略系譜(派祖・賢覚)  空海-真雅-源仁-聖宝-観賢-仁海-成尊-義範-勝覚-賢覚
金剛王院流略系譜(派祖・聖賢) 空海-真雅-源仁-聖宝-観賢-仁海-成尊-義範-勝覚-聖賢
真言宗は日本の仏教宗派の中では分派の多いものの1つである。13世紀末に古義真言宗と新義真言宗に別れ、さらにそこから多種多様な教義が展開して現在に至っているのが特徴である。
古義派  大日如来の本地法身説の教学(古義)による。現実世界の
一事一物が法身(真理そのものを仏の身体とみなす)の大日如来の説法であ
ると説いている。
新義派  覚鑁(かくばん)(興教大師)を派祖とし、大日如来の加持身説の教学(新義)による。現実世界の一事一物は、加持身の大日如来の説法であると説いている。
 昭和14年(1939年)の宗教団体法成立により、真言律宗以外の宗派は真言宗として統合された。しかし、戦後は分派独立が相継ぎ、現在は約50の宗派がある。そのうち主要な16派の18の総大本山が、昭和33年(1958年)6月15日に、真言宗各派総大本山会(各山会)を各山の連絡親睦・共通事業の主宰を目的に結成された。これらの寺院を真言宗十八本山という。
真言宗各派総大本山会事務局 - 総本山智積院内(事務局長・主事・書記を置く) 代表総務 、常任委員会(議長を置く。また、常任委員については代理出席が許されている)
真言宗18本山
古義真言宗系
金剛峯寺―高野山真言宗総本山 (神仏霊場にあり)
教王護国寺―東寺真言宗総本山 (神仏霊場にあり)
善通寺―真言宗善通寺派総本山 弘法大師誕生寺とされる
随心院―真言宗善通寺派大本山
醍醐寺―真言宗醍醐派総本山 (神仏霊場にあり)
仁和寺―真言宗御室派総本山 (神仏霊場にあり)
大覚寺―真言宗大覚寺派大本山 (神仏霊場にあり)
泉涌寺―真言宗泉涌寺派総本山 (神仏霊場にあり)
勧修寺―真言宗山階派大本山
朝護孫子寺―信貴山真言宗総本山 (神仏霊場にあり)
中山寺―真言宗中山寺派大本山 (神仏霊場にあり)
清澄寺―真言三宝宗大本山 (神仏霊場にあり)
須磨寺―真言宗須磨寺派大本山 (神仏霊場にあり)
新義真言宗系
智積院―真言宗智山派総本山 (神仏霊場にあり)
長谷寺―真言宗豊山派総本山 (神仏霊場にあり)
根来寺―新義真言宗総本山 (神仏霊場にあり)
真言律宗
西大寺―真言律宗総本山 (神仏霊場にあり)
宝山寺―真言律宗大本山 (神仏霊場にあり)

 本山会以外の主な真言宗系寺院
古義真言宗系
霊雲寺―真言宗霊雲寺派総本山
七宝瀧寺―真言宗犬鳴派大本山(犬鳴山)(神仏霊場にあり)近畿36不動
長柄国分寺―真言宗国分寺派大本山 攝津国88所札所 近畿36不動
鳳閣寺―真言宗鳳閣寺派大本山
極楽寺(西条市/石鎚山峰下) - 石鎚山真言宗派総本山
前神寺―真言宗石鉄派総本山
菩提寺―真言宗花山院派大本山
鳳来寺―真言宗五智教団大本山
東長寺―真言宗九州教団本山
霊山寺―霊山寺真言宗大本山 (神仏霊場にあり)
長栄寺―新真言宗総本山
光明宝院 ―光明真言宗大本山
圓蔵院―明算真言宗大本山
日石寺―真言密宗大本山
福田寺―真言聖天宗大本山
千手寺―真言毘盧舎那宗大本山
大聖観音寺―観音宗総本山  通称 我孫子観音
護国院(紀三井寺)―救世観音宗総本山 西国33所札所
正暦寺―菩提山真言宗大本山
新義真言宗系
室生寺―真言宗室生寺派大本山 (神仏霊場にあり)
鑁阿寺―真言宗大日派根本道場
その他まだあると思います。巷では真言宗系は50を超える本山、総本山が存在すると云う。
各寺神仏霊場に参加されてる寺院は寺院の項目を参照されたし。
この項は一般的に知られている真言宗について記載しましたが意見や訂正はご容赦ください。
 各宗派も他の宗派も明治政府の廃仏毀釈によって大打撃を受け、現存する寺院は相当苦労があったのではと思われます。特に門跡を名乗っておられる寺院は皇族分離などもありその苦労は筆舌には図り知れないと思われます。
門跡寺院については別の項目で記載したいとおもいます。この項終わり

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