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古寺巡礼コミュの豊饒の道 宝塚 14番 清荒神清澄寺

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真言宗18本山の一つにも数えられる竈の仏様をお祀りする事で有名な寺であります
兵庫県、豊饒の道
(79)蓬莱山 清荒神
清澄寺(せいちょうじ)
住 所 〠 665―0831 兵庫県宝塚市米谷字清シ1番地
電話番号 電話 0797―86―6641
本  尊 大日如来(重要文化財)
開 山 静観僧正、宇多天皇(勅願)
創  建 寛平8年(896)
アクセス 阪急宝塚線 清荒神駅 徒歩20分(駅前より山門まで、店舗と露店が約200軒並ぶ)
<寺歴・縁起> H/P  http://www.kiyoshikojin.or.jp/
真言三宝宗(大本山)真言宗18本山3番 摂津国88箇所72番
神仏霊場 巡拝の道 第79番

 清荒神清澄寺は平安時代の初め、宇多天皇の創意による理想の鎮護国家、すなわち諸国との善隣友好を深め戦争のない平和社会、万民豊楽の世界を開く勅願寺の一つとして創建されました。天皇は讃岐国の名工、定円法眼に命じて曼陀華の香木で本尊大日如来像を刻ませ、寛平8年(896)に、叡山の高僧静観僧正を迎え、開山の祖としました。
当時は猪名の平野や武庫の浦が一望に見渡せる旧清と呼ばれる山の尾根に清澄寺を、そして西の谷に鎮守神として三宝荒神社を祀りました。山号である蓬莱山の由来とする現在の長尾山系の七嶺七渓に、七堂72坊の荘厳な伽藍を造営し、宇多天皇より日本第一清荒神の称号を与えられ蓬莱山清澄寺としておおよそ300年栄えました。
その後、平安時代末期の源平合戦や、天正年間(1573~1592)の荒木村重の乱などの戦火により何度も焼失しましたが、荒神社のみはいずれも難を免れ、やがて清澄寺も西の谷である今の地に再建され、江戸時代末期、一代の名僧浄界和上の諸堂再興により現在の山容が形づくられ伽藍が発祥しました。
浄界和上の諸堂再興に続き、先々代 第37世法主 光浄和上に至り寺運ようやく開け、昭和22年(1947)「三宝三福」の教理に基づく真言三宝宗を開き、荒神信仰の総本山清荒神清澄寺として新しく法幢をかかげました。
また、光浄和上は画聖富岡鉄斎翁との機縁により、当時名物といえば歌劇しかなかった宝塚に、宗教と芸術文化を通じて多くの人々の心に
平和と安らぎを与えたいという理念「宗美一体」に基づき、晩年の傑作を中心に鉄斎作品を収集し、これらを国の内外に紹介して、その人類愛と平和精神を世界に呼びかけました。
先代 第38世法主 光聰和上は当山にお詣りされる篤信深き皆様方にお立ち寄りいただくために「清邦文化会館」を昭和46年(1971)に建設いたしました。
当山主催のもろもろの催し事の他、ひろく一般の方々による芸術文化、社会福祉等の集会に講堂や会議室を無料で開放しています。また、昭和50年(1975)には鉄斎作品を永く後世に伝えるため、「鉄斎美術館」を建設して一般に公開し、その入館料は、宝塚市立中央図書館内に「聖光文庫」を設け、美術図書購入基金として宝塚市に全額寄付しています。
当代 第39世法主 光謙和上は先々代、先代両和上の理想と遺志を継承し、平成11年に鉄斎美術館に併設する「新収蔵庫」を、平成20年に長年の構想を経て「史料館」を建設いたしました。
「史料館」は清澄寺の歴史や行事をご紹介すると共に什物や所蔵品の企画展示も行い、歴史や文化に親しんでいただき、荒神信仰の布教の場として活用するものです。
当山は火の神、カマド(台所)の神としてあがめられ、また各種の現世利益を祈願されるご参詣の方で賑わい、創建以来、連綿と続く栄光千年の法燈は、一日も絶えることなく今日を迎え、「三宝三福」・「宗美一体」の精神を体し、開山草創の原点に立って日々努力を続けています。
近隣地域では、「荒神さん」と呼び慣わされ、かまど神の一種として、ここで受け取ったお札を台所の神棚に祀るなどの信仰が根付いている。門前の緩やかな坂道には、屋台を含め200近い店舗が軒を並べて門前町を形成している。
男女とも厄歳の方のお詣りが多く、納札所の隣の「火箸納所」は、厄年にお祀りしていた厄除け火箸を、厄が明けた年の節分以降に納める所です。
「かまどの神様」として信仰される三宝荒神王にあやかり、厄年の人が火箸で厄をつまみ出してもらうとされ、男性41〜43歳、女性32〜34歳の大厄には、各々前厄から3年間、小厄のときは1年間、厄が明けるまで自宅でお祀りします。なお、納所に火箸がいっぱいになれば、朝日新聞社を通じて引き取っていただいたお金を社会福祉事業に寄付しています。

山門
 山門 小規模ながら三門形式に則った山門で、明治40年頃の建立と伝えられています。
山門の向かって左手前に「大界外相(たいかいげそう)」と刻まれた石碑が立ち、ここからは聖域であるという意味を表しています。石碑の文字は第35世道樹和上の筆とされています。
右手前には宇多天皇より賜った称号「日本第一清三寳大荒神王」の石標、山門正面に「蓬莱山」の扁額が掲げられています。山号の「蓬莱山」は古代中国から信じられてきた仙境の謂であり、山容が仙境にふさわしいところから、開創時よりこの名があります。扁額の文字は、随心院の門跡で名筆と謳われた智満上人晩年の筆です。
山門内側には、当山第33世浄界和上筆「簷蔔林中不嗅餘香(せんぷくりんちゅう よこうをかがず)」の扁額が掲げられています。この語は維摩経より採られており、簷蔔(くちなし)の花の強い香りが他の香りを打ち消すところから、一旦山門をくぐれば俗界の煩悩も打ち消され、清浄な気持ちになり身も心も洗われる思いであるという意味です。
山門を入ると、樹齢約500年と推定される2本の大銀杏があります。宝塚市の天然記念物に指定されています。

天堂(拝殿)
 天堂には、三宝荒神王、大聖歓喜天(聖天)、十一面観世音菩薩他、福徳を授ける諸神諸仏が祀られています。聖天さまは仏教守護の神として、祈れば富貴を与え病を除き、夫婦和合・子を授けると言われています。また十一面観世音菩薩も除病、滅罪、求福を祈れば現世利益を得ることが出来るとされています。
日々の修法には、白飯、赤飯、小豆、神酒、菓子、果物、餅、それに聖天さまの好物大根・おだんが供えられます。
東面した拝殿から浴油堂が棟つづきになり、三宝荒神、歓喜天尊の合行如法浴油供(ごうぎょうにょほうよくゆく)の秘法が、毎日当山法主により華水供(けすいく)一座、浴油供二座の計三座、平和と繁栄、愛と福徳の祈りをこめ厳かに行われています。尚、法務による法主不在の日も、自ら、その間のお勤めを前日または数日前から行う「拝み越し」を修し、
一日も途切れることはありません。また拝殿では、各大祭、月例祭(毎月28日)、月旦祭(毎月1日)に大般若経転読法要が奉修され、世界の平和や除災招福がお祈りされています。尚、浴油堂は秘密の戒壇として法主と坦行事(だんぎょうじ)以外の入座は許されません。

拝殿内陣

眷属堂(けんぞくどう)
 拝殿に向かって左の眷属堂には、三宝荒神王の眷属(従者)である「布袋尊」をお祀りしています。
布袋和尚は中国の高僧で、名は「契此(かいし)」「定応大師(じょうおうだいし)」と言い、大きな袋を杖にかけて担い全国を行脚したと伝えられますが、わが国では「七福神」の一人として知られています。
眷属堂では、御祈祷の受付、三宝荒神王御尊影、御守、厄除開運火箸などを授与しています。

護法堂
 護法堂 拝殿を左に迂回すると、小川を隔ててちょうど後ろに「ご本社」とよばれている神殿造りの「護法堂」があり、正面には大勝金剛転輪王(如来荒神)、右に歓喜童子、左に弁才天がお祀りされています。
ご本社に向かって左に練掘が続いていますが、参詣の方々の願いを込めた絵馬、写経、千羽鶴等が奉納されています。絵馬を奉納する習わしは、本来は神社に神馬を奉納したことから始まり、やがて馬の代わりに鞍となり、次第に願い事を書いた小さな木の札になりました。

荒神影向(こうじんようごう)の榊
 ご本社の背後には、当山開創に際し、荒神様がお姿を現されたと伝えられる「荒神影向の榊」があります。当時、この霊験の報告を受けた宇多天皇は、大
変感銘され、「日本第一清荒神」の称号を下賜されました。
現在では、いつの頃からかそこに供えられたお賽銭をいただいて帰り、次回参詣されたとき、そのお賽銭を倍にしてお返しするという風習が伝えられています。いただいたお賽銭を紙に包んで財布に入れておくと小遣銭に不自由しない、また次に参詣されるまでそれを「御守り」として持っていると吉事があるなど言われています。

 帰りの電車賃の小銭がなく、両替をしに寺務所に行くかと思いましたがちょっと小銭を借りて財布に入れた事があるような気がします。
正月の初詣でだったか、それから節分明けにお詣りし100硬化でお返しした覚えがある。

眼神祠
 護法堂(ご本社)の裏から右回りに行くとはじめに「眼神祠」があります。もとは護法堂のちょうど裏にあり、当時は清水が湧き出していて、参詣の方々が柄杓でその水を汲み、眼を洗ったりしたようです。

龍王堂
 眼神祠の隣には「龍王堂」があり、ご本尊は「善女龍王(ぜんにょりゅうおう)」という全ての生命を守る水神様であります。密教では雨を祈る神としています。

神変大菩薩(行者洞)
 「火箸納所」の隣に岩壁をくりぬいた祠、「行者洞」があり、修験道の開祖、「役行者 えんのぎょうじゃ」(役小角 えんのおづぬ)をお祀りしています。修験によって得た加持力をもって病気、災難等を取り除くと言われています。
 寛政11年(1799)、役行者御遠忌(没後)1100年に光格天皇が、京都の聖護院に勅使を遣わし、「神変大菩薩(じんぺんだいぼさつ)」の諡(おくりな)を贈りました。

本堂
 山門からの正面に南面して本堂、霊牌堂と練行堂の三棟からなっています。本堂は、安政年間に旧清(もときよし)の寺域より移築上棟された建物でしたが、当山開創千百年記念事業として、平成元年より5年の歳月を掛けた平成の大改修により、面目が一新されて今日の姿となりました。正面には本尊大日如来、向かって左に不動明王、右に弘法大師が祀られています。内陣には、真言密教の象徴ともいうべき、六尺四方の大曼荼羅壇(だいまんだらだん)が置かれ、中央には舎利塔(しゃりとう)、四面には密具(みつぐ)が安置され、ここでは毎日、大聖不動明王の秘法が修行されています。
また、春季大祭、春・秋の彼岸会、盂蘭盆会等には理趣三昧法要が奉修され、戦争や災害で亡くなった方々、当山の先師、寺族、当山に貢献された方々及び萬霊の供養が厳かに執り行われています。

堂前には賓頭盧尊者坐像が安置されています。十六羅漢の第一で、涅槃に入らず衆生救済につとめています。日本ではいつの頃からか本堂の外陣に置き、この像を撫でると病気が平癒するという民間信仰が生じています。なでぼとけ・おびんずるさま。

神仏霊場 ご朱印

               真言宗18本山 御詠歌 ご朱印


攝津国88所 ご朱印

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