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古寺巡礼コミュの鎮護の道 奈良 橿原神宮

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紀元節には多くの参拝客で賑わう神宮で人として初めて天皇に就かれた神武天皇をお祀りしてある神社であり、紀元節には宮内庁より勅使が来られ盛大な式典が催される事や右翼(神宮系)の参拝も多く紀元節には参拝したい神社であります。
奈良県、鎮護の道
(33)橿原宮址
橿原神宮(かしはらじんぐう)
住 所 〠 634―8550 橿原市久米町934
電話番号 電話 0744―22―3271
御 祭 神 神武天皇 皇后媛蹈鞴五十鈴媛命
開 祀 明治23年(1980)4月2日
アクセス 近鉄南大阪線、橿原線 橿原神宮駅下車 徒歩10分
<神歴・縁起> H/P  http://www.naranet.co.jp/kashiharajingu/index.html
旧官幣大社
御祭神
神武天皇 皇后媛蹈鞴五十鈴媛命

 橿原神宮は明治23年4月2日、紀元2550年にあたり、明治天皇、勅で創建されました。
社殿は京都御所の温明殿(うんめいでん)および神嘉殿(しんかでん)を下賜されたもの。
境内には、橿原神宮造営以前からの当地の地主神、長山稲荷社がある。
 神武天皇は、天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅を承け、天業をおし弘めようと、九州の日向(ひゅうが)国の高千穂の宮から東遷の壮途に就かれた。そして、国内を統一し、畝傍(うねび)山の東南・橿原の地に皇居を営んで、即位の礼をあげられた。明治の時代になり、天皇の御聖徳を景仰して、この橿原宮跡に神宮創建の請願が民間有志から起こり、これを深く嘉せられた明治天皇の御聖慮により元京都御所の賢所と神嘉殿を本殿と拝殿として下賜され、明治23年4月2日官幣大社、橿原神宮として御鎮座された。
 神武天皇は御年45歳で日向国を御進発になり、6年の歳月を道中で費やされ、最後に大和国に入られて、畝傍の橿原に都を奠(さだ)められた。その間、実に言語に絶する艱難辛苦(かんなんしんく)を重ねられた。通常の人間では到底不可能と考えられる九死に一生を得られたということは、天皇が天神の御子として、建国の大理想を達成される運命を担われていたために、随所に天神の御神助を得られたものに外ならない。 天皇が非常な苦難の末に大業を完成せられたことは、今日の言葉でいえば、実に運勢強大なお方であったといえよう。
天皇は、橿原の宮に即位されてより御在位76年、日本建国の基礎を打ち立て、政治の根本を定められて、宝算137歳(日本書紀 127歳)の御長寿をまっと
うされた。このことは天皇がいかに御健康であられたか、ということを物語る
もので、同時に延命と長寿を願う国民の理想を具現されたものと解される。
橿原神宮においては、天皇の御長寿にちなんで、年頭に当たり、延寿祭を執行
し、皇室の弥栄(いやさか)と国民の延寿幸福を祈願している。
橿原神宮略記
御祭神
神武天皇 媛蹈鞴五十鈴媛皇后
神武天皇は天孫・瓊瓊杵尊より四代目、第一代の天皇に当り、神日本磐余彦火
火出見天皇とも申し上げます。天皇は天孫降臨の地日向高千穂に在って、今の
九州地方を治めておられましたが、まだ豊葦原瑞穂国(日本の古名)の多くが
平らかにならず、村々は争いあい人々は文明に遠く、産業も興らぬのを見られ、
国の中心たる大和(現在の奈良地方)を美し地と定め、天の下の政治を行うべ
く東遷の途に立たれました。途中幾多の困難に遭われましたが、ついに「荒ぶ
る神等を言向け平和し、伏はぬ人等を退け撥ひて」橿原の宮に即位の礼をあげ
給い、米作りをはじめ多くの産業を興し、正しきを養い、国の基をたてられま
した。皇后・媛蹈鞴五十鈴媛命は事代主命(古事記には大物主命)の御娘に当
る方です。
創建由来
明治維新の王政復古の大号令の中に「諸事神武創業の始にもとづき」というお
言葉があります。この理想も欧風化の波にのまれつつあるなか、明治二十一年、
橿原宮跡の考証が成り、地元民間有志より神武天皇をまつる神社の創建の請願
がおこりました。明治天皇にはこれを深く嘉賞せられ京都御所の賢所と神嘉殿、
また多額の御手元金をも下されました。明治二十三年四月二日、地元民挙げて
奉迎するなか、御勅使参向になり、御鎮座祭が執り行われ、官幣大社橿原神宮
の創建が成ったのでした。「教育勅語」渙発も、この同じ年十月のことです。
 明治天皇御製
  橿原の とほつみおやの 宮柱 たてそめしより 国はうごかず
  橿原の 宮のおきてに もとづきて わが日の本の 国をたもたむ
祭祀
当神宮では数多くの祭典が行われていますが、最も重要な祭典は例祭の紀元
祭です。二月十一日、勅使ご参向のもと、建国創業の昔をしのぶ全国の崇敬者
の奉賛により、年々盛大に執り行われています。また四月三日の神武天皇祭は、
古くから「神武さん」と親しまれ近郷からの多くの参拝者で終日社頭はにぎわ
います。
歳旦祭 1月1日 元始祭 1月3日    
紀元祭(例祭)2月11日 祈年祭2月17日
春季大祭
 御鎮座祈念祭 4月2日
 神武天皇祭  4月3日
奉賛感謝祭   4月29日
秋季大祭   10月3日
新嘗祭    11月23日
天長祭    12月23日
月次祭    毎月1・11・21日

吉田初三郎の橿原神宮」(鳥瞰図絵師)
神社辞典によると、
橿原神宮 奈良県橿原市久米町。 旧官幣大社(現、別表神社)。祭神は神武天皇。同皇后媛蹈鞴五十鈴媛命の二柱。明治8年(1875)奈良県は教部省に対し、神武天皇即位の地である畝火山東南の橿原宮の旧地に神宮創建の請願に及び、同21年橿原宮の旧跡の考証成り、同22年仰せ出された。
明治天皇は、社殿として京都御所の内侍所及び神嘉殿を奉献され、同23年
橿原神宮の宮号を宣下し御鎮座。時あたかも神武天皇即位紀元2550年に当たる。その後、昭和15年、紀元2600年記念事業として境内地、社殿及び付属建物が整備拡充され、雄大かつ荘厳な現在の規模に改められた。例祭は2月11日の紀元祭で、勅使の参向がある。その他、主な祭典として4月3日=春季大祭、10月3日=秋季大祭があり、参拝者で社頭は殷賑を極める。境内隣接の橿原森林植物園は同15年に全国各地から奉献された樹木350種に及び、我国の森林植物の3分の2を占めるという。本殿(旧内侍所)、神楽殿(旧神嘉殿)、文華殿(旧柳本藩の大書院、玄関を移築した織田屋形)は重要文化財に指定されている。
と記載されています。
和漢三才図には
橿原宮跡
橿原宮畝傍山の東南にある。葛上郡と高市の境である。神武天皇が始めて本朝の国土を治めて宮都をここに造られた。と記載されている。

外拝殿(畝傍山が背景)
 本殿は安政2年に建造された元京都御所の賢所で、明治23年の神宮創建に際し、明治天皇のご聖慮により下賜され、移築されたもの。素木建、入母屋造、屋根は桧皮葺の建物で、専ら御祭神が御鎮座される、もっとも重要な御殿である。

南神門
 表参道を西に進むと南神門に達する。手水を済ませ、南神門の石段を上がり神域に入ると、背後に畝傍山を控えた雄大な社殿が眼前に開ける。南神門は素木建の八脚門で屋根は切妻造の桧皮葺。

 毎年2月11日、紀元節には宮内庁からお召しが来られ、内殿に昇られ紀元節の儀式を挙行されます。

 南神門の右横に、紀元祭と書かれた表示番と皇紀年が掲示されます。

紀元祭を挙行されるに集まった招待者及び関係者
 紀元祭、戦前は紀元節と云い参拝者は国旗や紙で作られた国旗等を各自持参して紀元節、紀元祭を祝福します。現在は天皇崇拝者的右翼団体も多く参加されるようになり、軍隊式行進を行い拝殿で国歌斉唱等行い最敬礼で頭を垂れます。写真趣味の方やその他一般参拝者も多く参拝に訪れる日でもあります。

神仏霊場 ご朱印
 橿原神宮は紀元祭だけではなく、正月の初もうで等には参拝者が多く訪れる近畿地方の有数の神社の中のひとつであります。

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