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古寺巡礼コミュの鎮護の道 奈良10番 西大寺

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近鉄奈良線の西大寺駅すぐにある寺院ですが、近鉄西大寺付近は以前は狭く近商ストアーか橿原線、京都線の乗換駅でした。今は拡張されていますがその駅すぐにある伽藍も大きい寺院であります。
奈良県、鎮護の道
(23)勝宝山 
西大寺(さいだいじ)
住 所 〠 631―0825 奈良市西大寺芝町1―1―5
電話番号 電話 0742―45―4700
本  尊 釈迦如来(重要文化財)
開 山 常騰、孝謙上皇(勅願)
創  建 天平神護元年(765)
アクセス 近鉄奈良線 大和西大寺駅下車 徒歩5分
<寺歴・縁起> H/P ありません
真言律宗総本山 真言宗18本山15番 大和13佛霊場2番
南都七大寺5番 西国愛染17霊場13番 神仏霊場 巡拝の道 第23番

天平宝字8年(765)、称徳天皇が鎮護国家と平和祈願のため7尺の金銅四天王の造立を発願されたのが、西大寺のはじまりである。
南都七大寺の一つに数えられ、当初は、110もの堂宇が立ち並ぶほど栄えた。
平安時代に火災などによって一時衰退したが、嘉禎元年(1235)、叡尊上人が
西大寺に入寺して再興し、密、律兼修の根本道場として発展した。現在の堂宇は文亀3年(1502)の火災で焼失したのちに、江戸時代に再建されたものである。また、叡尊上人は貧者、病者などの救済に奔走し、今日で言う社会福祉事業にも力を尽くした。西大寺に現存する仏像、工芸品などには本尊釈迦如来像をはじめ、叡尊の時代に制作されたものが多い。その後も忍性などの高僧を輩出するとともに、荒廃した諸国の国分寺の再興に尽力し、南北朝時代の明徳2年(1391)に出された「西大寺末寺帳」には8か国、同時代のその他の史料から更に十数か国の国分寺が西大寺の末寺であったと推定されている(なお、現存の国分寺のうち、西大寺と関係を持つのは旧伊予国分寺のみであるが、他にも複数の国分寺が真言宗各派に属している)。
西大寺は明治28年(1895)に真言宗から独立し、真言律宗を名乗っている。真言律宗に属する寺院は、大本山宝山寺(奈良県生駒市)のほか、京都・浄瑠璃寺、奈良、海龍王寺、奈良、不退寺、鎌倉、極楽寺、横浜、称名寺などがある。
 西大寺は奈良時代の天平宝字8年(764)に称徳天皇が鎮護国家と平和祈願のために、7尺の金銅四天王像の造立を発願されたことに始まった。
平安時代に再三の災害に遭い衰退したが、鎌倉時代も半ば頃になって、稀代の名僧興正菩薩叡尊上人がこの寺に入って復興に当り、創建当初とは面目を新たにした密、律兼修の修行道場として伽藍を整備された。
興正菩薩は鎌倉時代の南都の四律匠の一人で、当時おろそかになっていた戒律の教えを最も尊重し、かつ最も行動的に興した人である。現在の西大寺は真言律宗の総本山として叡尊上人以来の法燈を伝えており、寺宝や宗教的行事によくその寺格と由緒をしのぶことができる。
 「西大寺」の寺名は言うまでもなく、大仏で有名な「東大寺」に対するもので、奈良時代には薬師金堂、弥勒金堂、四王堂、十一面堂、東西の五重塔などが立ち並ぶ壮大な伽藍を持ち、南都七大寺の1つに数えられる大寺院であった。前述の『資財流記帳』の記載や、元禄11年(1698)作成の伽藍絵図から復元される伽藍配置は以下のようなものである。寺域の中心には薬師金堂が建ち、その背後、通常の寺院では講堂のある位置には弥勒金堂が建っていた。これら中心伽藍の東には小塔院、その北に食堂院(じきどういん)、中心伽藍の西には正倉院、その北に政所院(まんどころいん)があった。中心伽藍の前方(南)には東西2基の五重塔が建ち、これらの東に四王院、西に十一面堂院があり、四王院の南に東南角院(すみいん)、十一面堂院の南に西南角院があった。
『資財流記帳』によればこれらの諸堂には、密教系の像を含む、多数の仏像が安置され、多くの鏡で荘厳されていた。薬師金堂には、薬師三尊像を中心に計21体の仏像が安置され、中には密教系の孔雀明王像も含まれていた。弥勒金堂には計77体もの仏像が安置され、弥勒仏の兜率天浄土を表現していた。
 西大寺の中興の祖となったのは鎌倉時代の僧、叡尊(興正菩薩、1201〜1290)である。叡尊は建仁元年(1201)、大和国添上郡(現、大和郡山市)に生まれた。11歳の時から醍醐寺、高野山などで修行し、文暦2年(1235)、35歳の時に初めて西大寺に住した。その後一時海龍王寺(奈良市法華寺町)に住した後、
嘉禎4年(1238)西大寺に戻り、90歳で没するまで50年以上、荒廃していた西大寺の復興に尽くした。叡尊は、当時の日本仏教の腐敗、堕落した状況を憂い、戒律の復興に努めた。また、貧者、病者などの救済に奔走し、今日で言う社会福祉事業にも力を尽くした。西大寺に現存する仏像、工芸品などには本尊釈迦如来像をはじめ、叡尊の時代に制作されたものが多い。
その後も忍性などの高僧を輩出するとともに、荒廃した諸国の国分寺の再興に尽力し、南北朝時代の明徳2年(1391)に出された「西大寺末寺帳」には8か国、同時代のその他の史料から更に十数か国の国分寺が西大寺の末寺であったと推定されている(なお、現存の国分寺のうち、西大寺と関係を持つのは旧伊予国分寺のみであるが、他にも複数の国分寺が真言宗各派に属している)。
 西大寺は室町時代の文亀2年(1502)の火災で大きな被害を受け、
現在の伽藍はすべて江戸時代以降の再建である。なお、西大寺は明治28年(1895)に真言宗から独立し、真言律宗を名乗っている。

本堂
本堂(重文)寄棟造、本瓦葺。
室町時代の焼失後に再建された堂が傷んだため、修理ではなく新築することとし、寛政10年(1798)頃造営に着手、文化5年(1808)頃完成したものである。土壁を一切用いず、装飾性の少ない伝統的な様式になる。江戸時代後期の大規模仏堂建築の代表作として、平成10年(1998)重要文化財に指定されている。この堂は以前、宝暦2年(1752)の建築とされていたが、正しくは前述のように19世紀初頭の建築である。
釈迦如来立像(重文)
西大寺の鎌倉復興期の仏像は、本像の作者善慶をはじめ、名前に「善」字を用いる善派と呼ばれる一派の作が多い。
西大寺の本尊、釈迦如来立像は、鎌倉時代に寺を再興した真言律宗の高僧叡尊(えいそん)上人の発願で、京都清涼寺の釈迦如来像を模彫した像で、
建長元年(1249)の作。木造で像高は167.0センチ。像は、頭髪を渦巻く縄状に刻み、施無畏(せむい)、与願の印相を示す。そして衲衣(のうえ)を通肩に着け、体の衣文(えもん)を水波状、両脚部はY字状に意匠化した表現が施されている。 
清涼寺式釈迦像模彫は平安時代の後期から行われており、作例は多い。
この像も形式を踏襲しているものの、表情は清涼寺像の厳粛さから柔和なものに変化し、全体に穏やかな表現となっている。これは仏師善慶の趣向を強く反映したものと思われる。台座は四重の蓮華座で、桧材の素地仕上げ。なお、台座銘や本像付属の厨子は今現在はなく、光背周縁が後世のものと分かっているが、改変の部分は少ない仏像であります。
文殊菩薩及び脇侍像5体(重文)
正安4年(1302)の作。像内には多数の納入品が納められていた。
興正菩薩の13回忌に当る正安4年(1302)に開眼供養されたもの。
文殊菩薩は興正菩薩が生前非常に信仰した特色のある仏の一つであったが、現存するものは少ない。像内に弟子達の経巻文書類が多く奉籠されていた。
文殊菩薩騎獅像 木造彩色 像高2尺7寸2分、善財童子像 像高2尺8寸7分、優填王像 像高3尺9寸7分、仏陀波利像 像高3尺4寸5分、最勝老人像 像高3尺4寸4分。

四王堂
 創建期の由緒を伝える唯一の堂。本尊は、正応2年(1289)亀山上皇の院宣によって京都から移安された、仏師円信の作になる本格的な藤原彫刻の十一面観音立像。しかし建物は再三焼失し、現堂は延宝2年(1674)の再建。
東西9間、南北七間の簡素な重層建築。現在、毎年3月に初午厄除祈願会が開催される。
四天王立像(重文)もともとは孝謙上皇発願の四天王像だが、現在は足下の邪鬼にのみ奈良時代のものを残す。像本体は持国天、増長天、広目天像が銅造、多聞天像のみ木造で、前の3体は鎌倉時代、多聞天は室町時代の作と推定される。

愛染堂
 もと京都の近衛政所御殿を宝暦12年(1762)に移建した南北11間、
東西8間の宸殿造りの仏堂。内部は、三つに区切られており、中央内陣の厨子内には、本尊愛染明王坐像を安置し、南側は、当寺代々の霊牌をまつる御霊屋(おたまや)、北側は、正式の閲見の場所である客殿となっている。
移築年次は明和4年=1767年とも云う意見もある。
愛染明王坐像(重文)宝治2年(1247)、仏師善円作。小像ながら、日本の愛染明王像の代表作の1つ。当初の彩色や切金文様がよく残る。秘仏で、毎年10月〜11月頃に開扉される。作者の善円は、西大寺本堂本尊、釈迦如来像の作者である善慶と同人と推定されている。像内には、小像にもかかわらず、多数の納入品が納められていた。
興正菩薩坐像―堂内向かって左の間に安置される、西大寺中興の祖、叡尊の肖像彫刻。弘安3年(1280)、叡尊80歳の時の肖像で、作者は仏師善春である。長い眉毛、団子鼻の風貌は像主の面影を伝えるものと思われる。西大寺の鎌倉再興期の仏像には像内に多数の納入品が納められているのが特色だが、中でもこの像には叡尊の父母の遺骨をはじめとするおびただしい資料が納入されていた。

神仏霊場 ご朱印

              真言宗18本山 ご朱印

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