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古寺巡礼コミュの鎮護の道 奈良2番 鹿が神の使いとされてる 春日大社

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春日大社は平城遷都後まもなく始まったと伝わる神社です。
奈良県、鎮護の道
(15)大和國添上郡
春日大社(かすがたいしゃ)
住 所 〠 630―8212 奈良市春日野町160
電話番号 電話 0742―22―7788
御 祭 神 経津主命、天児屋根命、比売神
開 祀 神護景雲2年(768)
アクセス 近鉄奈良駅下車、奈良交通バスで春日大社本殿行「春日大社本殿」下車すぐ 近鉄奈良駅徒歩15〜20分
<神歴・縁起> H/P  http://www.kasugataisha.or.jp/
大和國添上郡 春日祭神四座 並名神大 月次新嘗 旧官幣大社
御祭神
第一殿 武甕槌命 第二殿 經津主命 第三殿 天兒屋根命 第四殿 比賣神
境内式内社
摂社 本宮神社 大和國添上郡 大和日向神社 鍬靫
摂社 榎本神社 大和國添上郡 春日神社
末社 鳴雷神社 大和國添上郡 鳴雷神社 大 月次新嘗

 日本三大木造鳥居の一つ(残りの二つは、安芸の厳島神社、敦賀の気比神宮のもの。)のある春日大社は、今からおよそ1300年前、奈良に都ができた頃、日本の国の繁栄と国民の幸せを願って、遠く鹿島神宮から武甕槌命(タケミカヅチノミコト)様を神山御蓋山(ミカサヤマ)山頂浮雲峰(ウキグモノミネ)にお迎えした。やがて天平の文化華やかなる神護景雲2年(768)11月9日、称徳天皇の勅命により左大臣藤原永手によって、中腹となる今の地に壮麗な社殿を造営して香取神宮から経津主命様、また枚岡神社から天児屋根命様、比売神様の尊い神々様をお招きし、あわせてお祀り申しあげたのが当社の始まりです。
御祭神である武甕槌命様、経津主命様は、日本の国を秩序ある国にするためにあらゆる神々と交渉され、平和裡に治められた功績ある神様であります。
また天児屋根命様は神事と政治を守り導かれる神様として、比売神様は天照大御神様だとも天児屋根命様の妃神とも伝えられています。平和と愛の尊い神様であり、それぞれの霊験を仰ぎ御加護を頂いてまいりました。この四柱の神々様は、それぞれ端正な春日造の御本殿(国宝)に鎮座されており、
最も尊崇すべき神々として春日皇大神と申しあげ、また、春日四所明神、春日大明神と申しあげてまいりました。
御創建以来当社は、千古の森の中に朱の柱、白い壁、そして自然の檜皮屋根の本殿・社殿が往古と変わらぬ壮麗で瑞々しいお姿で鎮まっておられます。これは、20年毎に斎行される式年造替という制度により、社殿の御修繕、御調度の新調、祭儀の厳修により日本人の命が連綿と受け継がれてきたからです。これにより、清々しくも尊厳ある気が境内に満ち、神様の広大無辺なるお力や有り難さがしみじみと感じられる名社として今日に至っています。また、全国3000に及ぶ春日の御分社、奉納された3000基の燈籠は、その厚い信仰の広がりを示しています。
そして今日も昔と変わらず、毎朝毎夕の神事の御奉仕を始め、年間1000回に及ぶお祭りが行われ、日本の国はもとより、世界の平和、万民の幸福、そして共存共栄が祈り続けられています。
平成10年12月には、春日大社や春日山原始林を含む「古都奈良の文化財」がユネスコの世界遺産に登録されました。

本殿
 第一殿 武甕槌命(たけみかづちのみこと)
 第二殿 経津主命(ふつぬしのみこと)
 第三殿 天児屋根命(あめのこやねのみこと)
 第四殿 比賣神(ひめがみ)
  春日の神々の鎮祭は奈良朝のはじめ、平城京鎮護のため、まず武甕槌命様を鹿島神宮(茨城県)から奈良、春日御蓋山頂に奉遷して祭られていましたが、それから数十年後の神護景雲2年(768)に藤原氏の血を引く女帝、称徳天皇の勅命により、左大臣藤原永手らが現在の場所に初めて南面する神殿を創建して、さらに香取神宮(千葉県)の経津主命様、枚岡神社(大阪府)に祀る藤原氏の遠祖・天児屋根命様と比売神様の四柱を併祀したのがその始まりとされています。
全国にある春日神社の総本社で和銅2年、藤原不比等によって、
常陸国鹿島から藤原氏氏神・武甕槌命を勧請し、春日神として祀ったのが創祀。
また、神護景雲2年(768)に社殿の造営となり、香取神(經津主命)、枚岡神(天兒屋根命)を合祀し、少し遅れて比売神を合祀し、四柱を祀る官社となった。もともと春日の地に祀られていた地主神は、廻廊隅にある榎本社として祀られている。
地主神は、春日地方の旧勢力であった、和邇氏一族の小野氏が奉祭したと考えられているが、この経緯に関して以下の伝承がある。
 常陸から遷って来た春日明神が、春日山の神に、山を三尺借りたいと申し入れた。耳の不自由な春日山の神は、詳細を聞かずに承知したが、春日明神は、山全体の地下三尺であるとの理由を付け、結局、山全体を領するようになったという。
春日明神は鹿に乗って影向したとされることから、鹿は神鹿として保護され、境内一帯には鹿が多く生息している。また、春日山は平城京の水源にあたり、
山中には雷神、水神の鳴雷社も祀られている。
春日山は、承和8年(841)より狩猟、伐木が禁止され、現在も春日原始林として入山が禁止されている。

中門、廊下
 中門は御本殿の直前にある楼門で約10mの高さがあります。中門正面の唐破風(からはふう)は明治時代に取り付けられました。
御廊は中門から左右に約13m、鳥が翼を広げたように延びています。現在御本殿の祭典では、神職の座る場所ですが、昔は興福寺の僧侶が御経をあげる場所でした。

直会殿(なおらいでん)
 東を正面とする南北8間、東西4間の広大な建物で、素木造です。東の2間が母屋となり、春日祭には、勅使・弁以下の直会の儀式が殿上で行なわれます。
平安期以降、ここで法華八講が盛大に行なわれたので、「八講屋」の呼称もあります。

幣殿、舞殿
 南門をくぐると正面にあり「拝殿」と勘違いしそうな建物ですが、幣殿と舞殿です。東側2間を幣殿といい、西側3間を舞殿といいます。幣殿は天皇陛下のお供え物である御幣物を一旦納める建物で、幣殿の天井板は合天井となっていて、舞殿と区別しています。
舞殿は宮中伝来の御神楽を行うための建物であり、また雨天時に神楽や舞楽を奉納する場所です。

捻廊(ねじろう)
 捻廊(ねじろう)
内侍殿から御廊をむすぶ渡り階段、古くは登廊と呼ばれていた建物です。この建物は斜め階段が付けられているため、ほとんど部材が平行四辺形であり、
左甚五郎の作であるとの説があります。

幣殿、舞殿横の桜

神仏霊場 ご朱印
 奈良公園及び春日大社境内やその周辺には春日大社のお使いであると云う鹿が多く遊んでいます。鹿に危害を加えたりすると罰則規定があると聞きます。
近辺の交通も車やバスも多く、この辺りを航行する場合は特に鹿に注意が必要とされています。春、秋の観光シーズンや修学旅行にきてる学生さんなんかも注意が必要かとおもいます。
 鹿せんべいはお父さんのビールの充てにもなるとか?味は保証の限りでは有りませんが実際に食べた人があるそうです。
境外しゃも多く気長に見て廻る神社である。
摂社は5社、本社内院7社、中院8社、若宮内院2社、若宮外院7社、
廻廊外境内17社、飛び地境内15社とあります。
又の機会に記載したいと思っております。

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