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古寺巡礼コミュの豊楽の道 大阪 24番 勝運信仰の寺 勝尾寺

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神仏霊場150所、豊楽の道 大阪方面最終は勝運信仰の寺、勝尾寺さんです。
大阪、豊楽の道
(65)応頂山
勝尾寺 菩提院(かつおうじ)
住 所 〠 562―0021 大阪府箕面市粟生間谷2914−1
電話番号 電話 0727―21―7010
本  尊 十一面千手観世音菩薩
開 山 (伝)善仲、善算、開成(開山)中興 頼朝
創  建 (伝)神亀四年(727)
アクセス 地下鉄御堂筋線 千里中央下車阪急バス勝尾寺前下車すぐ
     阪急宝塚線 石橋乗り換え箕面駅下車徒歩30分
<寺歴・縁起> H/P http://www.katsuo-ji-temple.or.jp/index.html
高野山真言宗(総本山 金剛峯寺 法然上人25霊跡6番(二階堂)
西国三33所23番 摂津国88所54番 神仏霊場 巡拝の道 第65番

 本寺の草創は奈良末期に遡る。古流記によれば創建は神亀4年(727)、善仲、善算の双子兄弟が草庵を構え修業されたことに始まる。そののち天平神護元年(765)、光仁天皇の皇子開成が二師出逢い止住し、宝亀6年(775)7月13日般若台に大般若経600巻を理経して一寺を建て、彌勒寺と号し、開山に至る。
開山堂には、善仲、善算と開成皇子の木像が安置され、毎年10月29日は
宮内庁と本寺で御正辰祭が勤められる。また彌勒寺当時、本堂のあった場所は、いま彌勒菩薩の大仏が大阪平野を見下ろし鎮座されている。
宝亀11年(780)妙観という名の比丘が彌勒寺を訪ね、7月18日より8月18日の間に、白擅香木をもって身丈8尺の十一面千手観音を彫刻した。これが勝尾寺のご本尊である。かの「徒然草」で吉田兼好は「よき細工は、少しにぶき刀をつかうといふ。妙観が刀はいたくたたず―――」と記しているが、稀代の名工であった妙観は、観音の化身と信じられ、観音縁日を18日と定めたるは当本尊より始まる。故に西國霊場第23番札所でもあり、妙観が刻んだ香木は、今も当山に安置されている。
6代座主の行巡上人は、清和天皇の玉体安隠を祈って効験があったことから、「王に勝った寺」の意で「勝王寺」の寺号を帝より賜ったが、本寺では「王」を「尾」にひかえ、勝尾寺と号し、勝運の寺として信仰されて来た。
なお清和帝の勅額は、国道171号線勝尾寺口の南側の大鳥居に掲げられており、この大鳥居は日本最古の町石の起点でもある。
 以後永寿の乱に大講堂や伽藍をことごとく焼失したが、建久6年(1195)
源頼朝の命により、梶原景時、熊谷直実らが力をつくして再建した。
その供養塔及び頼朝再建の薬師堂は当山最古の建造物として今に残っている。なお当山の薬師三尊像は開成皇子一刀三礼の作とされる秘佛(国重文)であり医学を志す人々の信仰を得ている。
本堂及び仁王門(山門)は豊臣秀頼により再建された。
開成皇子が御感得になった日本最初三宝荒神は、千有余年にわたり悪事災難
をはらい勝運を招く日本三大荒神のはらい荒神としてその威神力を誇る。また
当山第4代座主の証如上人の建立になる二階堂では、法然上人が讃岐からの帰
途、証如上人の遺徳をしのび4年間留錫され念佛三昧の行に入られた。
上人は承元4年(1210)3月21日、二階堂で善導大師夢定御会見の奇瑞を得ら
れ、本尊はその折の両祖対面の尊影を映した壁板であって、念仏三昧すれば善
導大師の御影を拝することが出来る。依って円光大師(法然上人)25霊場の第5
番札所として存在する。
以上の如く本寺が清和帝の信仰を得て臨幸を仰いだことは、後の勝尾寺の歴
史に大きな影響を与え、護法神の一つに八幡大菩薩を勧請し、清和源氏の流れ
をくむ鎌倉幕府や室町幕府の将軍が本寺に帰依した。故に広大な寺領を有し、
寺域の結界には石蔵が残り史跡となっている。その石蔵の中の8体の仏(四天
王、四大明王)は800年間本寺を守護し、昭和の代に初めて発掘された。
この八天像及び光明皇后直筆の法華経、勝尾寺文書等国宝文化財の数々が当山
に残されている。
 勝尾寺の歴史を今語り尽くせないが、前述の開山三師の発願の核となったの
が大般若経であり、彌勒寺と号したことから、やはりその背景をなす思想は彌
勒信仰であった。彌勒菩薩は釈迦の教えにもれた衆生の為に五十六億七千万年
の後に現世に下生してあまねく救済されるというが、この末法思想は、まさに
今の世の中に求められている仏と思える。
もし人類が今世紀及び来たる新世紀に、何がしの不安と恐怖を感じ、またそれ
を末世の訪れとするならば、今こそまさに五十六億七千万年の時として彌勒菩
薩が出現されるであろう。ここに勝尾寺彌勒菩薩が、期を同じくして、忽然と
現れたもうた事こそ不思議な、平成の勝尾寺の今日である。
 達磨について
 勝尾寺は、千数百年の昔より山自体の持つ霊力によって無類の聖地として崇拝されてきた。弥勒信仰、観音信仰はもちろんの事、役行者慕う修験道、阿弥陀信仰、薬師信仰、聖天信仰行者ら、多くの人々がこの山で己の精神と対峙し、日夜修行を積んできた歴史がある。
当山仏法の祈願力には時の朝廷の権力も及ばなかった事から、王に勝つ寺
「勝王寺」と清和帝が号した。依って源氏、足利氏等各時代の覇者達が当山に勝ち運を祈り、以来人生全てに「勝つ」として勝ち運信仰の歴史をたどっている。試験・病気・選挙・スポーツ・芸事・商売等あらゆる勝負の勝ち運、成功、いわゆるサクセスの願い事に勝尾寺の「勝ダルマ」を授かり己に勝って勝運をつかんだ人々の数は、計り知れない。
「己の弱さに勝つ!」の精神が、当山の勝運信仰と融合し、不屈の精神「七転び八起き」のシンボルであるダルマを己と見なし、それらを授かるダルマ信仰へと推移していったのである。

山門
慶長8年(1603)豊臣秀頼により再建。平成8年修復終了

本堂
 1603年(慶長8年)豊臣秀頼により再建。平成に入り当時の姿に戻る修復を終える。安置されるご本尊様は十一面千手観世音菩薩。平成11年修復終了

日本初厄祓い三宝荒神社
 日本最初の荒神社。古来より当山荒神の威神力は日本各地に知られるところであり、一例を挙げれば、江戸時代 延宝5年(1677)旗本菅沼隠越中守娘の白髪が当山荒神崇拝によって黒 髪となったなど、当山荒神の霊験は数知れない。

 蓮肉までも栢の一木で彫り出され、その厳しい表情や厚みのある体躯からして制作時期が平安時代の初頭を下らないと思われる薬師三尊像。この薬師如来とその脇侍仏である月光・月光菩薩は本寺初代座主 開成の一刀三礼の御作と伝えられ、創建以来、数十年に一度ご開扉される秘仏として大切に保存されている。

大師堂内陣 弘法大師
 真言宗開祖弘法大師を祀り、廻りに弘法大師ゆかりの四国88ヶ所の御砂踏み場が建っている。四国88ヶ所霊場より持ち帰られた砂を踏む事に依って各霊場に御参りした事と同じ功徳が与えられると言われている。

攝津名所図会 巻5―3 勝尾寺 全景

攝津名所図会 巻5―4 嶋下郡に記載あり
 応頂山勝尾寺菩提院 勝尾山高嶺にあり 蕎名弥勒寺 古儀真言宗なり
坊舎北之坊 摂陽群談に豊島郡と記されりは誤りなり
紫の戸に明け暮れ掛る白雲をいつ紫の色に見なさん 法然上人
この歌は法然上人土佐國より帰洛の御帰り時暫くここに山居しいるおりの
歌 法然上人自画自賛当山にあり円光大師蕎蹟二十五霊場の一つなり
講堂十一面観音当山の本尊白擅香木を以て妙観律師化人と倶小作なり
西国巡礼札所廿三番
妙法堂薬師如来 開成皇子一刀三礼して彫刻・・・云々とあります。
 箕面瀧等ハイキングコースにも入っており、東海自然歩道等でハイカーも多く訪れる又勝ち運を求めて競艇選手、騎手、競輪選手等プロからアマの選手も多く参詣に来られる寺でもあるのです。


箕面瀧
勝尾寺から阪急箕面駅までハイキングで歩きました途中の箕面瀧です。
猿と箕面瀧、もみじのてんぷらが有名で行楽シーズンには多くの人が訪れる景勝の地でもある。

神仏霊場 ご朱印

西国33所 御詠歌 ご朱印

                 攝津国88所 ご朱印

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