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古寺巡礼コミュの豊楽の道 大阪19番 枚岡神社

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生駒山に向かうハイカーの大阪側の集合拠点として良く知られる神社であります。この神社の横から暗峠を経て生駒山山頂へと進む又奈良方面にと
大阪、豊楽の道
(60)河内國一宮
枚岡神社(ひらおかじんじゃ)
住 所 〠 579―8033 大阪府東大阪市出雲井町7―16
電話番号 電話 072―981―4177
御 祭 神 天兒屋根大神 比賣大神
開 祀 神武天皇紀元前3年
アクセス 近鉄奈良線 枚岡駅下車徒歩5分
<神歴・縁起> H/P ありません
式内社 河内國河内郡 枚岡神社四座 並名神大 月次相嘗新嘗
河内國一宮 旧官幣大社
御祭神
天兒屋根大神 比賣大神
配祀 齋主大神 武甕槌大神

 近鉄奈良線、枚岡駅を下車、駅のホームの横には「元春日平岡大社」の石碑が立つ。この枚岡神社から生駒、暗峠に向かうハイキングコースになっておりハイカーも季節により多く見受けられます。
 河内国一ノ宮。社伝によれば、神武天皇紀元前3年、天種子命が勅命により、神津嶽に天児屋根大神、比賣大神の2神を祀ったのが、当社の創祀。
枚岡(あるいは平岡)の社名は、2神を神津嶽の磐境に祀ったからとも、
当社の鎮座する生駒山西側斜面の形状が幾重にも畳重なっているからとも云われる。その後、孝徳天皇白雉元年(650)、山麓の現在地に遷座した。
稱徳天皇神護景雲2年(768)、当社祭神2神の分霊を奈良春日大社へ奉斉した、故に、当社を「元春日」とも呼ぶ。
 光仁天皇宝亀9年(778)、奈良春日大社の他の祭神2神(齋主大神、武甕槌大神)の分霊を当社へ奉斉し、祭神4座となった。
当社の特殊神事には、「粥占神事」が有名らしい。また、神武東征の故事より発した平国祭が5月に行われる。
「枚岡(ひらおか)」の社名は、神津嶽の頂が平らな丘であったことに由来するとも伝えられています。
枚岡神社の栞には
河内國一宮 旧官幣大社
 御祭神
 第一殿 天兒屋根命(あめのこやねのみこと)
 第二殿 比賣御神(ひめみかみ)
 第三殿 武甕槌命(たけみかづちのみこと)
 第四殿 齋主命(いわいぬしのみこと)經津主命(ふつぬしのみこと)
 由緒  奈良から生駒山の暗峠を越えて真直ぐに西へ降った古い街道、山麓近くに朱の春日造の社殿が西向きに鎮座し、神社の主神は天兒屋根命即ち我国の祭祀の始めを掌り給い、中臣・藤原氏の祖神であり、春日大社の第三殿(天兒屋根命)と第四殿(比賣御神)の神は、神護景雲年間(西暦七六七〜七七〇)に当社から春日神社へ分祀せられた為、当社を元春日と呼び習わして来た。因に、当社の第三殿・第四殿の二神は、宝亀九年(七七八)春日大社から迎えて配祀せられた。神階は次第に昇り、貞観元年(八五九)には正一位に叙せられ、『延喜式』には名神大社に列した。古くから中臣氏の一族平岡連の斎く社であったが、平安末期から水走家が祀職となり、河内一宮として朝野から篤く祀られた。天喜四年(一〇五六)・宝治元年(一二四七)・天正二年(一五七四)と度々火災に遭い、慶長七年(一六〇二)豊臣秀頼が社殿を修復した。現社殿は文政九年(一八二六)氏子の総力を挙げての修造である。社領は百石を有した。
 明治四年官幣大社に列し、神宮寺等が廃された。本社四殿の他に、本殿背後の神津嶽に摂社神津嶽本宮、本殿南に摂社若宮神杜更に南に末社天神地祇社が祀られ、その南部一帯は「枚岡神社梅林」として春は観梅の人達で賑わう。
とあります。

石鳥居          石段下の鳥居(注連柱)

狛犬?狛鹿(元春日だけに鹿)

拝殿

中門            本殿

神仏霊場 ご朱印

神津嶽本宮
此処は枚岡神社創祀の地なり、その昔神武天皇御東征の砌浪速から大和に進み給はむとす、その時天種子命、勅命を奉じ生駒山西方の霊地神津嶽の頂上に一大磐境を設け国土平定祈願のため天児屋根大神、比売大神の二神を奉祀す ときに神武天皇即位紀元前三年即ち枚岡神社の起源なり、その後孝徳天皇白雉元年神津嶽の霊地より現在地に社殿を造り奉遷す。と石碑に記されてます。

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