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古寺巡礼コミュの豊楽の道 大阪12番 水間寺

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今は亡き作家で僧侶であった今東光さんが有名にしたお寺であります。
大阪、豊楽の道
(53)龍谷山 
水間寺(みずまでら)
住 所 〠 597―0104  大阪府貝塚市水間638
電話番号 電話 0724―46―1355
本  尊 聖観音(絶対秘仏)
開 山 行基、聖武天皇(勅願)
創  建 天平年間(729 〜749)天平16年説あり
アクセス 南海本線 貝塚駅乗り換え水間鉄道終点下車徒歩10分
<寺歴・縁起> H/P ありません
天台宗延暦寺末 別格本山 新西国33所4番 和泉西国33箇所26番
神仏霊場 巡拝の道 第53番

水間寺は、山号を「龍谷山」といい、天台宗延暦寺末で別格本山の寺院です。寺伝によれば、聖武天皇の勅願、行基(ぎょうき)の開基とされます。
創建以来、古代から中世にかけては多くの院坊と寺領を有していたようです。15世紀末に紀州根来寺の支配下となったことで、天正13年(1585)の豊臣秀吉の紀州攻め時にはその伽藍(がらん)はことごとく焼失し、元禄年間(1688〜1704)には歴代岸和田城(藩)主の保護を受け、本堂以下おもな諸堂が再建されました。しかし、天明4年(1784)の火災によって本堂や三重塔などは焼失しました。その後、本堂は文化8年(1811)、三重塔は天保年間(1830〜1844)に再建され、現在にいたります。

水間寺本堂 江戸時代 文化8年(1811年)
規模   桁行7間 梁間7間
本堂は、高さ約0.8mの基壇上に東面して建ち、平面は約23m四方におよび、
大阪府下でも最大級の規模をもつ本堂です。桁行(けたゆき)7間、
梁間(はりま)7間の周囲に1間の庇(ひさし)をめぐらす復古的なものですが、平面・構造は特異で、組物が非常に装飾的です。全体に木太く、破綻なくまとめられており、 文化8年(1811年)の建築年代を考えると、極めて優れた建物といえます。府下唯一の三重塔などとともに、現存する伽藍を構成する中心建築として貴重な建造物です。なお、建築年代を確定させる資料として貴重な棟札(むなふだ)が残っています。

三重塔
 水間寺の三重塔は、本堂の東南にあり、大阪府内では唯一のものです。使用されている部材や装飾などに本堂と同じ様式が見られることから、当寺の伝承どおり、本堂に引き続いて同じ棟梁(とうりょう)らの手によって建てられたものと考えられます。ただし、初重に使われている蟇又(かえるまた)は、様式的にみて元禄年間の再建時のものを使用していると思われます。本堂とともに、現存する伽藍を構成する中心建築として貴重な建造物です。
"水間参り"、"厄除の観音さま"で知られる水間寺は、聖武天皇勅願、僧行基によって創建された。その由来は、第45代聖武天皇が病床にあられた夜、夢のお告げで霊験あらたかな観音出現を感得され、僧行基が勅命を拝し、現在の水間寺の地を訪れ、本堂裏の滝において、1寸8分の観音の尊像を授けられた。これが秘仏(現在まで開帳なし)のご本尊である。
また水間寺では、"千本搗(つき)"という珍事が開山の1200有余年前より現在まで中断されることなく行われている。この千本搗は、長い棒(キネ)を持った人々が臼を囲んで餅をつくという行事で、その由来は、僧行基が観音出現の地を求めて、この水間寺の地に来たところ、十六人の童子(観音の化身)が現われ、滝に誘われ、観音像を授けられてより、伽藍完成まで起居をともにし、聖武天皇、光明天皇が落慶供養の際、行幸啓された折、木を切って棒を作り、
それで歌に合わせて餅をつき、本尊に供えたことが始まりと言われている。

水間寺(観音院)護摩堂(不動堂)
護摩堂は、本堂の南に位置します。3間四方、寄棟造(よせむねづくり)本瓦葺の小堂で、岸和田藩主岡部氏によって元禄年間に再建されたものと伝えられます。使用されている部材や装飾などに元禄時代の意匠(いしょう)を備え、現存する伽藍を構成する江戸時代前期の建築として貴重です。なお、護摩堂を所有する観音院は、水間寺の別当(べっとう)として境内に所在する一院でしたが、現在は水間地区の壇那寺として、水間寺とは別組織になっています。

行基堂(開山堂)
 行基堂は、秬谷(きびたに)川をはさんだ西側の山腹に位置します。3間四方、寄棟造(よせむねづくり)本瓦葺の小堂で、組物の様式から考えると、天正年間以前の建築を江戸時代前期に改築した可能性があります。しかしながら、水間寺でもっとも古いもので、中世の水間寺の有り様を伝える建造物として貴重です。また、内部には江戸時代前期の制作と考えられる木造行基坐像が安置されています。

水間寺弁財天宮殿 
 弁財天宮殿は、行基堂の東上方にある弁天堂内にあり、内部には木造弁財天坐像(江戸時代前期の制作)を安置しています。桁行(けたゆき)1間、梁間(はりま)1間、入母屋造(いりもやづくり)こけら葺、妻入(つまいり)の建物で、全面に彩色がほどこされています。様式から見て江戸時代前期のもので、岸和田藩主岡部氏によって再建された当時の建築様式や信仰を伝えるものとして貴重です。なお、弁天堂は、3間四方、寄棟造(よせむねづくり)本瓦葺の小堂で、宮殿と同時期の建物ですが、近年、前面の拝堂増築に際して改造されています。

神仏霊場 ご朱印

聖観世音出現の滝
                
水間寺本堂棟札                  経堂

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