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new†イエス・キリスト†コミュの「イエス・キリスト」 遠藤 周作 著

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「イエス・キリスト」という作品は
遠藤周作の「イエスの生涯」「キリストの誕生」という
二つの本をひとつにまとめたモノなわけだが、
いささか読みにくい内容だなと、いや漢字がね(^^;

一応、著者はクリスチャンということになっているのだけど、
微妙な香り。
奇跡を信じず、復活も信じてない状況で
それでもクリスチャンというのは、
いささか乱暴ではないかなと?

本文の中で、ユダヤ民族の期待には答えず、
愛をのみ説くイエスに民は失望したというフレーズが
かなりの頻度で出てくる。
奇跡というのは信じられないことをするから奇跡であって、
仕組みが分かるものを奇跡とはいわない。
ユダヤの民が期待したのは確かに強いメシアであり、
病気やカタワを治したりするとかの細々としたことではない。
というなら話は分かる。
実際、人はしてもらったことを忘れる。
のど元過ぎれば熱さを忘れである。
細々とした奇跡では人の心を打てるのはその一時であろう。

奇跡がないこと前提でイエスがメシアだということなら、
同じような人物やもっとカリスマのある人物は、
幾人も登場している時代である。
キリスト教だけが飛びぬけて
世界宗教になることはなかっただろう。
ローマ軍によって完全に駆逐されたユダヤ民族の
暴動の指導者だって宗教になっていてもおかしくない。

181pで著者も自分で指摘している。
洗者ヨハネ教団をはじめとする他の預言者グループにも、
この信仰が次々と生まれてよかったはずである。

182p決定的な何かが、そこに加わらなければ。
これこそまさに復活という決定打があったのだと思われる。

民の罪の許しが目的ならば死にっぱなしではだめで、
それでは懺悔の気持ちしか残らない。
復活という許しの決定打があったからこそのキリスト教だと思う。
決して
後ろめたさと後悔は何時までも残った筈336pだから、伝道を始めたわけではないだろう。

力のないことにより多くの弟子たちが去ったという箇所も、
ではイエスたちはどうやって日々の糧を得ていたのか?
という疑問と結びつく。
それなりに出資できる弟子がいたから、
食いつなげていたと思われる。

イエスが捕縛され、十字架につけられたとき
弟子たちが全員逃げたというのもちょっと違うかなと思われる。
イエスは十字架の上から母マリアに向かって、
母マリアの横にいる若い弟子を
あなたの子であると言う箇所がある。

と、突っ込みどころはあるものの、
気づきもあった。
「主よ、主よ。なんぞ我を見捨てたまうや」からの、
「我は汝のみ名を告げ…」につながる部分は、
別々に考えていたので、合点がいかなかった部分だけど、
著者の説明でなるほどと思えた。

225pのセザンヌのキャンパスに描かれた山がモデルとした実物の山と
まったくイメージが異なっていたから、両者には関係がない
と断定する批評家などはいない。
というのも面白い表現だと思った。

著者は、やたらと、資料はないとか、
聖書は語ってくれないと書きながら、
主観で聖書の行間を埋める作業に専念しているように思われる。

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