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【書庫】世界情勢-2コミュの「国賓」オバマ大統領の来日

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「国賓」オバマ大統領の来日

本日(4月23日)オバマ大統領が「国賓」として来日します。

米国大統領の「国賓」は1996年のクリントン大統領以来18年ぶりとなります。

到着時間が未定となっているのは当然に保安上の理由で、
政治ジャーナリスト?の歳川隆雄氏がブログで午後7時に羽田到着、
宿泊場所がホテルオークラと自慢げに書いているのは無神経そのものです。

「国賓」とは、日本政府が公式招待する外国賓客の接遇基準の最上位であり、
閣議で決定されます。

対象は各国国王や大統領などの国家元首クラスだけで、
日本政府が随員も含めた国内滞在経費を負担します。

天皇陛下は国賓に対し、
迎賓館での歓迎式典、
宮中での会談、
宮中晩餐会、
迎賓館でのお別れ訪問を主催されます。

つまり「国賓」とは天皇陛下がご招待されるのです。

ところがオバマ大統領は25日午前に韓国に向かうため、
実質1日(24日)しかないスケジュールのかなりの部分が、
これらの儀式に使われてしまいます。

もともと実務型のオバマ大統領は、
必要な会談だけでさっさと切り上げたかったはずです。

それでは何でわざわざ日本政府が「国賓」にしたのでしょう?

それは天皇陛下のご招待ならオバマ大統領も必ず来日するからです。

つまり日本政府には何が何でもこの時期にオバマ大統領を来日させたい「事情」があったことになります。

その「事情」とは何でしょう?

TPPでしょうか?

それは「お土産」です。

じゃあ何でしょう?

想像はつきますが「優先順位」がわかりません。

これは公式・非公式を問わず、
オバマ大統領が会談に同席させるメンバーと、
安倍首相と同席するメンバーの「顔ぶれ」で判断するしかありません。

一部報道機関がアーミテージ元国務長官の「集団的自衛権を急ぐ必要はない」との発言を報じていますが、
現在のアーミテージ氏はオバマ政権とは何も関係のないコンサルタントで、
真面目に報道すべきことではありません。

ところでオバマ大統領は、
夫人を同伴せず、
迎賓館に宿泊せず、
「国賓」としてはかなり異例の来日となります。

これも日本政府側の「事情」で、
とにかく「国賓」にしてしまったからです。

したがって宮中晩餐会も天皇・皇后両陛下主催ではなく、
天皇陛下主催となります。

宮中行事は「相対」が原則だからです。

ところで宮中晩餐会はフランス料理と決まっています。

料理だけではなくワインやシャンパンもフランス産となります。

日本料理ではない理由は諸説ありますが正確なところはわかりません。

どなたかご存じでしたらコメントで教えてください。

宮中晩餐会に限らず「国賓」を迎える宮中行事は、
相手国の大きさに関わらず完全に平等に行われます。

このような対応は世界中で日本の皇室だけです。

一番最近の宮中晩餐会は、
本年3月17日にベトナムのチュオン・タン・サン国家主席夫妻を迎えて開催されたものです。

宮中晩餐会は原則「国賓夫妻」を歓迎するものですが、
2013年6月7日の晩餐会では仏オランド大統領が堂々と事実婚の(わかりやすくいえば同棲中の)ヴァレリーさんと出席していました。

本年1月にはオランド大統領の浮気が原因で、
あっさりと別れてしまったようです。

また2011年11月のブータン・ワンチュク国王夫妻を迎えた宮中晩餐会では、
天皇陛下が手術のため皇太子殿下が代理主催されたのですが、
お1人だけで大変にバランスを欠いてしまいました。

大変に「国賓」が失礼な態度だったのは

1998年11月に中国の江沢民国家主席を迎えた宮中晩餐会で、
江主席は私服(人民服)で出席し、
あろうことか日本の戦争責任について「とうとう」としゃべり、
3900億円の円借款だけはお礼も言わずに持ち帰りました。

また2008年5月の胡錦濤国家主席も私服で出席しており、
中国人とは「礼を尽くす価値のない国」であると肝に銘じておくべきです。


1971年の昭和天皇・ニクソン大統領のアンカレッジ会談でわかったこと

民主党政権の数少ない功績の1つに、
外交文書を含む政府の機密文書を作成から30年経過後に原則公開することを2010年に制度化したことがあります。

それまでは政府や各省庁にとって都合の悪い文書は、
永遠に公開されていませんでした。

その新制度により公開された外交文書のなかに、
昭和天皇が欧州歴訪に出発された1971年9月26日に、
給油のために立ち寄ったアンカレッジ空港にニクソン大統領(当時)が訪れて行われた数十分間の会談についてのものがありました。

米国政府からの申し入れだったのですが、
それに対して福田赳夫外相(当時)が
「わが方としては迷惑千万である」
と不満を伝えるように指示していたと報道されています。

福田外相の「迷惑千万」発言の意味は後ほど解説することにして、
この時期の日米関係を振り返っておきます。

まず1971年6月17日に沖縄返還協定が締結され、
翌1972年5月15日に正式に沖縄の施政権が返還されます。

しかしこれ以外の日米関係は、
非常に微妙な時期でした。

ニクソン大統領は同年7月15日に「電撃的な訪中」を発表していました。

日本政府には一切の事前相談がなく、
実際に翌1972年2月21日に訪中します。

またニクソン大統領は同年8月15日に突然
「金ドル交換停止」

「10%の輸入課徴金」
を発表していました。

これも事前相談などはなく、
世界の通貨体制が変動相場制に移行するきっかけになり、
日本経済を果てしなく痛めつける円高の始まりでした。

また通商問題では、
米国政府は3年越しに日本政府に、
繊維製品の対米輸出自主規制を強行に申し入れていました。

実際に米国政府から日本政府にアンカレッジ空港での会談が打診されたのは、
同年8月20日頃だったようです。

つまり歴史的な「金ドル交換停止」の数日後でした。

この時点のニクソン大統領及びその周辺の人物(キッシンジャー補佐官など)の真意を測ることは難しいのですが、
最も考えられることは既に訪問を発表していた中国政府に対して、
日本政府を出すことによって一定に牽制を行っておくことだったように思えます。

逆に言えば中国訪問に対する米国国民の警戒心を、
多少なりとも和らげることもあったはずです。

ニクソンにとって再選となる大統領選挙は翌1972年の11月に迫っていました。

確かにニクソン大統領は昭和天皇を政治的に利用しようとしたのですが、
日本政府にしてみれば米国大統領を最北端のアンカレッジまで「呼びつける」意義は、
小さくなかったはずです。

それを「迷惑千万」としてしまったのです。

日本政府とすれば、
天皇陛下の政治利用は避けなければならないということだったのでしょうが、
そうだとしても「迷惑千万」という発言にはならないはずです。

結果的にアンカレッジ会談は実現しました。

驚いたことに、その時の模様がネットにアップされています(音声なし)。

あの尊大なニクソン大統領が、
昭和天皇のとなりで「心なしか」小さくなっています。

そして1975年には昭和天皇のご訪米も実現しました。

このご訪米時、
再選されたニクソン大統領はウォーターゲート事件で辞任しており、
フォード大統領がホストを務めました。

当時の写真を見ると、
フォード大統領は最高位の国賓を迎える白ネクタイの燕尾服姿です。

この待遇で迎えられるのは、
日本の天皇とエリザベス女王とローマ法王だけのはずです。

また2009年11月に来日したオバマ大統領も、
今上天皇の前で深々とお辞儀をしている写真もあります。

これは日本の天皇陛下が米国大統領より格上であることを、
米国大統領の方が自然に理解しているからです。

日本人は、終戦直後にマッカーサーが昭和天皇の後ろで踏ん反り返っている写真の印象が強いと思いますが、
これは占領統治を成功させるためのジェスチャーだったと言えます。



終わります

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