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書庫【雑学】コミュのコスモポリタリズム

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●保守政治家が、なぜ、反日主義者に転落したのか?
 マスコミや言論人ばかりではなく、保守政治家のあいだにも、反日的傾向がひろがっていることに、多くの心ある日本人が、首をひねっている。
 同じ日本人が、じぶんの国の悪口をいい、ニホンを敵視する神経が、わからないのである。
 一九九一年、旧ソ連・東欧が崩壊したとき、共産主義・社会主義の幻想が破れて、全体主義から解き放たれた世界は、自由主義へむかうと、だれもが、思った。
 事実、世界から、自由主義と共産主義が対立する構図が消えていった。
 左翼政党が、革命路線を捨てて、現実路線をとりはじめたからである。
 ところが、日本だけは、ちがった。
 たしかに、旧社会党・共産党は、衰退したが、それといれかわるように<反日主義>というイデオロギーが登場してきて、かつての55年体制以上に、イデオロギー的な対立がとげとげしくなってきたのだ。
 共産主義から開放された世界が、キリスト教文化とイスラム文化の、いわゆる「文明の衝突」をおこしはじめた同じ時期に、日本では、反日主義が、自由主義や保守主義とぶつかりあうかたちで、文明の衝突をおこしはじめたのである。
 なぜ、共産主義という反体制運動が滅びたのに、自由主義をおびやかす反日主義がこれほどまでに蔓延してきたのであろうか。
 一九〇〇年代から、共産主義に代わって、国家や愛国心などいらないという、コスモポリタニズムが、台頭してきたからである。
 コスモポリタニズムというのは、「国境をなくして、世界の人々が手をつなげば、平和がやってくる」という少女趣味の思想で、タレントのアグネス・チャンが教祖の絶対平和主義と、アインシュタインやラッセル卿、湯川秀樹らが唱えた世界連邦主義が、くっついたようなものである。
 この夢想的な理想主義によって、戦争をおこす国家や国益という考え方やナショナリズムが悪になる一方で、国家と対立する個人のエゴや人権、平等だけが、善ということになった。
 共産主義にたいしては、反共主義という理論武装が可能で、事実、冷戦下においては、共産主義の不毛性・非人間性が、自由主義者によって、きびしく、批判されてきた。
 ところが、コスモポリタニズムにたいしては、理論武装ができない。呆れて、二の句が告げずにいるうち、どんどんと広がって、ついには、政治や行政の場で、共産主義に代わるイデオロギーとして、この十年来、大きな勢力をもつようになった。
 その一つが、小沢一郎の「国連軍構想」である。
 各国の軍隊が、国連軍のもとに終結して、平和をおびやかす悪い国をやっつけようという発想の根底に、世界連邦のイメージがあるのはいうまでもない。こういう、ユートピア的な考え方が危険なのは、非現実的なだけではなく、反動として、反国家主義がでてくるからである。
 最近の小沢が、かつての保守主義者から、社会民主主義者へ変貌したのは、コスモポリタニズムに毒されているからにほかならない。
 ちなみに、共産主義・社会主義が、コスモポリタニズムに変貌してできたのが、民主党で、だからこそ、旧社会党が寄せ集まり、いま、社民党が接近しているのである。
 自民党に反日主義者がふえ、日に日に、民主党化しているのも、同じ理由である。
 そもそも、自民党と組んでいる公明党=創価学会の池田大作の平和主義こそが、世界同時平和=コスモポリタニズムであって、コスモポリタンの大親分、池田大作の私物である公明党に、愛国心や国益という考えは、ない。
 その公明党と一心同体の自民党が、自主憲法制定という党是を捨てたのは、朱に交わって、赤くなったからである。
 朝日新聞がよく使う「偏狭なナショナリズムを捨てよ」というのも、民族ではなく、階級で団結せよという、レーニンの世界同時革命の焼き直しで、朝日が反日の牙城になっているのは、その背骨が、コスモポリタニズムからできているからである。
 自民党のコスモポリタンの代表が「日本国民ではなく、地球市民たれ」という加藤紘一である。
 加藤に、国家や国益の発想が欠けているのは、左翼くずれのコスモポリタンだからである。
 名誉や誇り、善悪の判断は、国家や歴史にたいする意識からうまれる。
 したがって、コスモポリタンには、恥という感覚がない。善悪の価値判断も、一般人とちがっているので、平気で売国的なことができ、しかも、それを悪とは思わない。
 そこに、国家や歴史を否定するコスモポリタニズムの害毒性がある。
 戦後、わが国では、学会やマスコミがコスモポリタニズムに寝食され、反日主義の温床となってきたが、最近では、保守政界にまで、この思想がひろがり、保守思想があやしくなってきた。
 加藤の盟友、山崎拓の場合は、コスモポリタニズムが、そのまま、反日主義にすりかわっている。
 山崎は、安倍晋三首相が従軍慰安婦問題について、「軍が人さらいのように強制連行した事実はない」とのべたことにたいして、「弁解がましいことは一切いわない方がいい」と批判したうえで、「(日本に謝罪をもとめる決議案採択にむけた)米下院のうごきはけっして愉快ではないが、従軍慰安婦なるもの(の存在)は事実だ。それが強制によるか、間接的な強制かの議論は、弁解にすぎない。そういう議論をするより、われわれは(旧日本軍の関与を指摘した平成5年の)河野洋平官房長官の勇気ある談話を評価するべきだ」とわけのわからないことをいっている。
 慰安婦の議論は、軍の介入があったか否か、なのであるから、山崎の発言は、筋違いである。
 コスモポリタニズムが、左翼空想主義ともいわれるのは、論理がめちゃくちゃでも、きれいごとを並び立ててあるので、わかったような気になるからである。
 だが、現実性がない。山崎発言に、日本の国の名誉、国益、愛国の情がみられないのも、現実的視点がすっとんでいるからである。
 日朝国交正常化にかんする作業部会についても、加藤紘一、山崎拓、古賀誠の元幹事長の三人は、「国際協調を旨とし、拉致の問題とは分けて核廃棄を実現しなければいけない」と、核と拉致を分離して議論すべきという、北朝鮮の代弁をおこなって、涼しい顔をしている。
 東大全学連出身の加藤は、確信犯だが、山崎も古賀も、もともと、保守陣営の政治家である。
 といっても、若いころ、保守思想にふれたことも、政治運動に身を投じた経験もなく、したがって、理論武装ができていない。いまごろになって、世界主義などという中学生レベルの幼稚な考えにまきこまれるのは、そのせいであろう。
 若い時代、利権や金儲けのために保守陣営に身をおいた者のうちには、思想的な鍛錬ができていないため、後年になって、とつぜん、共産主義は正しい、武器を捨てると平和になる、などといいだす者がいる。
 保守陣営の宗旨替えは、中曽根康弘もそうだが、何かの拍子で思想に目覚めると、保守思想ではなく、中学生や若い女がとびつきそうな平和主義やコスモポリタニズムへ、走るのである。
 コスモポリタニズムという思想は、戦後、理想主義の一つとして、GHQがもちこんできたものである。そのシンボルが平和憲法で、軍国主義的な傾向を禁止した一連のGHQ指令や日教組などの組合結成の促進も、その流れにある。
 これにのったのが、旧社会党の「非武装中立論」で、防衛軽視・経済重視の「吉田ドクトリン」も、それと、無縁ではない。
 その後、中国革命や朝鮮戦争に直面したアメリカが、マッカーシー(米国上院政府機能審査小委員会委員長)の赤狩りを契機に、反共国家に転じた。その結果、コスモポリタニズムにそまっていたGHQも批判の対象となり、対日政策も軌道修正された。
 マッカーサーが、一九四七年、「二・一ゼネスト」に中止命令をだしたのは、GHQの左傾化修正を先取りしたものだったが、それがなかったら、日本は、GHQの指導の下で共産主義国家になっていたかもしれない。
 反日主義というのは、国際共産主義への幻想が、ねじれて奇形化した、ゾンビのようなものである。 そのゾンビ=コスモポリタニズムが、国際派という衣を着て、日本中のあらゆる分野にはいりこんみ、日本という国の屋台骨をゆるがしている。
 それが、日本という国にあらゆる病変をもたらしている病原なのだが、だれも、それに気がついていない。

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