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大丸<百貨店>コミュの歴代 デッチーくん

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ちょんまげ姿で背には風呂敷包み。上目遣いでこちらを見つめる人形、ご存じですか?

 大丸のキャラクター「デッチーくん」。京都店1階の案内所で毎日、お客様をお出迎えしている。

 京都店のキャラクターとなったのは2002年。でも、生まれは意外に古く、大丸創業250年の1967年。しかも、当時は神戸店のウインドーディスプレー用だった。

 生みの親の一人が、神戸店で装飾担当だった入社6年目の安岡剛さん(68)。店のシンボルとして丁稚(でっち)をイメージした子どもの人形を作ることになり、京都のマネキン会社に発注。安岡さんが立ち会い、担当者に粘土で原型を作ってもらった時、「ヘラで触った弾みで人形の目が下を向いた。これええなあ、目つむらそう、となった」。

 できた人形は、幼な子が目を閉じ、少し甘えるように上を向いた感じになった。ちょんまげ姿のほか、茶色い髪や黒い肌といった外国人を思わせるバージョンも作り、着物に風呂敷包みを背負ってみんなで「仕事」をした。店を訪れた人や各店の装飾担当者にも好評だったという。

 神戸店の店長室受付には、今も当時の人形が飾ってある。澤田太郎店長(51)は、「大丸を支えてきた人たちがモデルになっている。先祖、という感じかな」と目を細めた。

 確かに、京都の呉服店として1717年に出発して以来、丁稚は特別な存在だった。住み込み奉公の苦労話は、「大丸二百五十年史」にも「明治時代に店に入った人の体験談」として載っている。

 「自分の持ち場にすわると、ソロバン掃除や墨すりなどはみんな丁稚の役目で、当然、上位になるほど雑用も少なくなる」「(年長者が)年少の丁稚のすることをじっと見ていて、毎晩のように油をしぼる」

 京都店が、神戸にならって人形を製作したのは1987年。「お客様と向き合う澄んだ心」を表そうと、ぱっちり開いた目の色を青くした。

 ウインドーに時折、姿を見せていた人形に97年、店内公募で名前がついた。「丁稚やから、デッチーしかない」(名付け親で広告担当の新田祐之さん)と。その後、古風な愛らしさで売り場にすっかりなじんでいった。キャラクターブームに乗って2002年、風呂敷包みと共に販売促進の期待を背負い、京都店の正式なキャラクターに「昇格」した。

 デッチーくんの快進撃は続く。07年の大丸と松坂屋の統合で、大丸各店に活躍の場を拡大したのだ。

 ところが、そこへ強力なライバルが現れた。松坂屋上野店発のキャラクター「さくらパンダ」が大丸に進出してきたのだ。京都店でも、白とピンクの「さくらパンダカード」の入会案内などが目立つようになり、デッチーくんはやや押され気味だ。

 それでもファンは声援を送る。兵庫県西宮市の会社員野津香織さん(47)は、02年以来のファン。「店への忠誠心やお客様を大切にする姿勢を全身から感じる。大丸はやっぱり、デッチーくんでしょ」。(沼田千賀子)

    ◇ 

■推薦

キャラクターに詳しい女子供文化評論家 荷宮和子さん(47)

頭下げてこその商売人

 東京では「人に頭を下げてばかりで、身分として最下層の丁稚(でっち)を店の顔にするなんて」と抵抗があるかもしれません。でも関西の人たちは、「商売人は頭さげてなんぼ。それが仕事やん」と思っている。そういう役割ですから。商売で栄えた関西らしいキャラクターだと思います。バタくさくて、今はやりの顔ではありませんが、昨今は歴史ブーム。和のテイストは受ける要素になりうると思います。

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